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テトラ・ワールド  作者: シンG
第2章 アーリア事変
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第10話 攻防四日目

投稿が大分遅くなり、すみませんっm( _ _ ;)m

周辺に燻る硝煙の匂いが鼻腔をくすぐり、残留した死の瘴気に揺さぶられるようにそれは目を覚ました。


『・・・・・・む?』


寝起きに弱いのか、一瞬、自身が何者で眠りにつく前に何をしていたのかも分からないほど意識が混濁していたが、それも束の間。目を見開いて、視界に納まる光景を眺めて、すぐに記憶は呼び覚まされた。


『なんだ、ようやくお目覚めかよ』


半分呆れたような声が右耳に響く。

ここ数日で既に聞きなれた声だ。


『ああ、私はどの程度眠っていたんだ?』


『さぁな。体感的にゃ2、3時間程度じゃねーか?』


『お前はそのかんずっと起きていたのか?』


『主体格が寝込んじまったらやることがねーからな。俺も寝ちまおうかと何度か思ったんだが――』


彼が支配する腕の一つが動き、頭部を掻いている。

不思議なことに、彼の所作は死角での行いだというのに、彼が何をしているのか言葉にせずとも理解できた。

これは主体格としての認識なのか、それとも三身の総合的な感覚なのか。

どちらにせよ昨日まで派手に行っていた戦闘行為では非常に役立つ感覚のため、否定する気もなく、素直に受け入れることにした。


『何人カ、いるナ』


今度は右側から聞こえる機械的かつ抑揚のない単調な声。

今に至るまでの経緯で、彼が索敵に優れていることは既に周知の事実だ。二キロ先の敵影すら視認できる実績もあるのだから、信に値するものだろう。

その彼が短く、周囲に何人からの人間が潜んでいることを告げたということは、ほぼ間違いなく事実ということだろう。


『偵察か? それとも奇襲目的だろうか』


さて、数日――体感的には四日ほど前ぐらいだろうか、当時は自意識の混乱からか、この体に違和感を抱いたり、人間の血液たるものを「塗料」と表現したりと、どこか現実と思考がチグハグだった印象があるが、今となってはかなり馴染んだと言える。


目を覚まして一番最初に暴れたであろう集落、そしてその翌日に拳を交わした騎士の軍勢。

そして現在までに続く、この地を納める国との戦いを経て、三顔の生物は確かな手応えと充実感が広がっていた。


一言でいうなれば、楽しい。

いや――、愉しい、と表現すべきか。


湧き上がる欲望のまま、群がる家畜どもを駆逐し、腹の中に納めてきたわけだが、この一連の行為が実にしっくりくるのだ。

ああ、これこそがおのが存在意義なのだと。

生存本能に沿った行為であり、自身が突き進むべき正しき道なのだと確信できる。

故に現在に至るまで、飽きずに「狩り」と称して戦いを愉しんでいるところだ。食事も兼ねての一石二鳥で言うこと無し、といったところか。


『奇襲にシロ偵察にシロ、お粗末なものダナ』


『それほど気配を隠しきれていない、ということか?』


『その通りダ』


『ま、ソイツじゃなく、俺ですら気配を探知できるぐれぇだからな。もしマジでそんだけの技量しか持ち合わせてねーんだったら、ガッガリだぜ』


『・・・』


主体格たる彼は二人が口にする「気配」を正直、感じ取れていなかった。


両者の体の動きは口にせずともなんとなく理解はできるものの、こういった「直感」による感覚というものは共有されないものらしい。それは思考をつかさどる脳がそれぞれ三身にあるという証明でもあった。

腕は各自の所有するものがあるとは言え、実際に足を動かして移動をはかるのは主体格の役割だ。故にこの共有されない一部の感覚というのは、少々不安要素として主体格の中に残ってしまった。

他二人の直感を共有できない以上、そこに関しては口頭での確認が必要だ。その僅かな所要時間が命取りにならないか。今の所、そんな場面には出くわしてはいないが、出くわしたが最後、なんてこともある。考えれば考えるほど、不安が募るのが分かった。


気を取り直して、主体格は口を開いた。


『気を抜かない方がいいだろうな。現に想定以上のダメージを負ったから、こうして自己修復のために睡眠を取らざるを得なかったんだからな』


全身を見下ろすと、真っ赤に染まった強靭な肉体が目に入る。

だが目を凝らせば、返り血と思われるおびただしい血痕の中に、無数の細かい傷跡があった。その殆どが長剣などによる斬撃痕ざんげきこん。あとは疎らに打撃痕だげきこんや砲撃による火傷や抉れの名残があるが、その全てが「軽症」と呼べる程度の状態となっていた。


これらの傷跡は眠りにつく前は、それこそ骨が見えるレベルまでのものもあったのだが、どうやらこの肉体は自動修復という特殊性がついているようで、一定の時間、睡眠を取ることで回復できるということに、ここ一連の戦いで気づいた。というより、強制的に襲ってくる睡魔に抗えず、戦闘と睡眠を続ける中で自然と気づかされた、というのが正しかった。


無論、敵地のど真ん中で暢気に寝ていれば、寝首をかかれるのは自明の理だ。

本来であれば回復どころか、トドメを刺されてもおかしくないのだが、そこは他二体の人格は睡眠を必要としないという結果に感謝すべきなのだろう。


最初に睡魔に襲われ、次に目を覚ました時はかつてないほどの焦燥感を感じたものだったが、その間の襲撃は全て他の二体が見事にいなしてくれていた。足を動かせない状態だというのに、四方から仕掛けられるあらゆる攻撃を凌いだのだから実に頼りになるものだ。


気がかりなのはその時の撃退法だ。それだけ立ち回れるのであれば、そもそも大怪我を負う前に優位に立てそうなものだが、暇を見て尋ねても、両者は「なんか良く分かんねぇけど、勢いっつーか、攻撃の手が弱まるんだよなぁ」だの「手応えヲ感じナイ」だの期待していた戦術の話ではなく、感想が返ってきたのだ。眉を潜める話だが、今は悠長に議論している暇はないため、湧きあがった疑念は後回しにすることになった。


そういった経緯があってか、今となってはこうして遠巻きにこちらの様子を伺うだけの攻防になっているのだから、実に逃げ腰の強い連中だと思わずため息をついてしまう。


『寝ている最中に襲撃は?』


ぇよ』


『そうか、眠りを妨げられないというのは有り難い話だな』


『・・・テメエは夢ん中を満喫してて分からねえだろうが、ここ数日の中で最も気持ち悪ぃのがその時間だぜ』


『・・・どういう意味だ?』


意味が解らず、主体格は思わず聞き返す。


『・・・・・・確信はねぇが、どうも何かが裏で戦況を弄っている気がしてならねぇ』


『――なに?』


『さっき言った通り、ここらの人間どもは正直、恐れるに足りねえ雑魚どもだ。まあ中には多少手応えのある輩もいたが、んなもんは両手で数える程度だろうよ。それ以外は今こうしている間にも気配が駄々洩れの駄肉ばかりだ』


『ああ・・・だが、それがどうした?』


彼の言う通り、それは寝起きに交わした会話にもある通り、三体の共有の認識のはずだ。


『気配が分かるから、分かっちまうわけだ。あいつら・・・テメエが眠りにつくや否や、俺ら以外の何かに気を取られてやがる』


『・・・要は私たちに視線が向いていない、ということか?』


『最低限の監視ハ行ってイルようだがナ』


『ま、俺らもこの体質を理解して、相手の戦力もおおよそ読めたっつー余裕が出てきたからこそ、見えてきた部分だけどな』


体質、とは怪我や体力損失時に強制的に訪れる、睡眠のことだろう。


『私たちに対しての新たな対抗策を練っているのか、もしくは既にその行動に移している――という線があるんじゃないか?』


『いや・・・こいつはそんなんじゃなく、・・・なんだ?』


『気配から感じられるものハ――困惑、ダナ』


『おお、それそれ。そんな感じだ!』


左右の会話を耳にし、主体格は「ふむ」とその内容を整理した。


『味方か敵か別にして、裏で何者かが介入している。それも私が眠っている時間を対象に――人間側にしてみれば想定外の妨害のような行為が行われている、ということか?』


『妨害かどうかなんかは知らねえけどな』


『逆に有益に働ク何かが起こってイル可能性もアル』


『確かに、な。見定めるまでは・・・対処も考えようがないな』


『だから気持ち悪ぃ、ってわけだ。それこそ、さっきテメエが言った新たな対抗策、って未来に繋がっていく可能性だってあるわけだしな』


その姿も目的も見えない何かが、死角の中で何を行っているのか。

そもそも本当にそんな存在がいるのか。

その疑問を晴らすための定規は手元にない。

頭の隅に置いておく必要はあるが、その全容は行動の過程で少しずつ明るみに引きずりだす他ないだろう。


その存在が人間側にとって光となるか闇となるか。

その結果が反転してこちらに返ってくる、というわけだ。


『ふふふ、なるほど』


『あ?』


『ム?』


急に笑い出した主体格に対し、左右から疑問の声が上がる。


『いやなに、淡泊に拳を振るうだけの行為は、やはりいつしか飽きがくるものだ。だが、どうだろう? こうして不確定要素が絡んでくるだけで、我々は考えさせられる。戦って、食べて、寝るという単純な輪に刺激的なスパイスがふられたということだ』


『ケッ、とことんイカれてんなお前』


『その割にはお前も嬉しそうだが?』


『彼のそれハ照れ隠しダ。同じ気持ちを抱クことに照れテいるのダ』


『うっせぇわ! 勝手に俺を測ってんじゃねーぞ!』


『耳元で怒鳴るな。お前が同じ気持ちなのは重々理解している』


『くっそ、こいつら・・・!』


顔を見ることはできないが、きっと彼は二対一で攻められている現状に顔を赤くして歯ぎしりしていることだろう。そういうものは自然と理解できるのだから、本当に不思議だ。


『さて、少々腹が空いたな。やはりこの再生能力にはそれなりのエネルギーを消費するらしい』


『お、そうだな』


『賛成ダ』


のそっと巨躯を揺らし、ゆっくりと立ち上がる。

その際に背もたれの役目をしていた大樹の木皮が、隆起した背筋に押しつぶされ、ベキベキと嫌な音を立てた。

気のせいか、数日前の目覚めの時よりも体が一回り大きくなった気がした。


『腹ごしらえを手伝ってくれる者は何処にいるのかな?』


『北東三十度、斜面の上ニある針葉樹の陰ダ』


『そうか、ありがとう』


三顔の悪魔は不吉な嗤いを浮かべ、次の瞬間には大地を大きく蹴って、再び蹂躙を始めるのであった。



*************************************



アーリア公国東部に生い茂る大森林。


数多くの魔獣たちが生息する危険区域でもあるこの森林は、本来であれば国の者は近づかない。森の出入り口が見えなくなるまで奥に行けば、帰ってこなくなる危険性が高い場所だからだ。ここに立ち入ることがあるとすれば、前提として戦いに長けた騎士の一個中隊以上で行動することが義務付けられており、国内で養殖している動植物の生産が足りなくなったりしたときなどの飢饉を回避する名目で、狩猟に出るぐらいで、そんなものはここ数十年訪れていなかった。


だというのに、木々をかき分け、乱雑に敷かれた獣道を甲冑の軍勢が進行していた。


森の中を歩くには実に不格好な騎士装備だが、公国を背負い、国を支え護る存在である騎士に誇りを持っている彼らにこれ以上の正装はない。


アーリア公国の国紋が刻まれたプレートアーマーに身を包み込んだ壮齢の男は、何度か道中で足を止め、横を歩く兵士が持つ地図上を指でなぞらえながら、これから進むべき道の確認を行っていた。


総勢三十名あまりの騎士団。

彼らは公国の東方を守護するカースト騎士団の一員であり、国のトップであるナダル大公の勅命を受けての移動中であった。


先頭を歩く騎士長のベリアル=ドルマイアは、ヘルムの隙間から森の木々の様子を確認し、近くの大木を手で触れる。大木の幹には大きな抉れた跡が残っており、明らかに異常な外的の力で破壊された痕である。


「隊長、これは・・・」


「うむ、血痕が残っていないことから戦いがあったわけではないようだ。マーキング・・・と思って良いだろう」


「比較的最近のもの、でしょうか・・・?」


慎重に言葉を選ぶ様子の騎士。

その理由を知っているのか、ベリアルは重々しく頷いてから幹に刻まれた傷痕を指で擦った。


「断面が乾燥しきっていない。細かく割れた部分もまだ弾力があるようだ。つまり――このマーキングは少なくとも数日以内には付けられたものではないかと推測する。ここ最近、雨も降らなかったようだしな」


樹木の痕跡の様子をそう告げ、ベリアルは深く息を吐いた。


「・・・・・・やはり『バウンドドック』は?」


「いや――今、答えを出すには早急すぎる。可能性も見出せぬほどの結果を目にするまでは、希望を棄てるな」


「は、ハッ!」


バウンドドック。


アーリア公国は貴族が統治する国であり、騎士道というものを愛してやまない国柄だ。

騎士であることは名誉であり、サファイアやベリアルのように騎士長とまでなれば、国内では英雄視されるほど、熱狂的な崇拝対象となっている。

そういった経緯もあり、政治的な扱われ方もされやすい騎士ではあるが、腕が立たねば有事の際に信頼を地に落とすような失態を露見してしまうため、当然、彼らもライル帝国などの軍に負けず劣らずの戦力は持ち合わせている。


だが彼らの装備、プレートアーマーや軽装を見ても分かる通り、狭い戦場での白兵戦や騎馬による戦いは強くても、遠方までの進軍や斥候などには完璧に不向きな存在である。

だが国を発展、防衛するためには諜報活動も必須であり、騎士を表に並べるアーリア公国であってもそれは同じだ。

故にナダル大公の五世代前に「バウンドドック」という名の特殊部隊が秘密裏に結成され、情報部隊として騎士の裏方で暗躍していたのだ。


今回、国の外壁の中に現れた謎の存在により、突如、足元から手痛いダメージを負うことになったアーリア公国。ナダル大公は城から離れた幾つかの集落が崩壊し、対処に向かったマーゼル騎士団が壊滅したことを受け、すぐにバウンドドックに連国連盟への救援を要請するように出動を命じたのだった。


バウンドドックは総勢10名で構成された少数集団だが、それぞれが暗殺などの訓練を受けており、ナダル大公も認めるほどの隠密機動に長けたメンバーで構成されている。うち5名はまだ国内に残っており、相手の出方や戦闘傾向、特技などの調査に尽力しており、残りの5名が連国連盟へ向かったところだった。


既にバウンドドックの面々からの報告で、敵が単体であることは把握している。


いかな強力な魔法を取得していたとしても、広大な土地の中で、しかも隠密に長けたバウンドドックを捕らえることは難しい。それも相手が一体なら猶更だ。


そう決断し、円状に囲む外壁、その四方にある門に散らばる形でバウンドドックに出陣を命じたのが三日前。今はまだ座して彼らの帰りと、願わくば連盟の救援部隊がアーリア公国に訪れるのを待つタイミングだが、早々にしてナダル大公は判断を切り替える羽目となる事件が発生してしまった。


その事件とは――三日前に連盟を目指して出発したはずのバウンドドックの一人が無残な姿で帰ってきたことだった。

焼死、とは異なる様子で、全身がただれた状態だったという。

異臭を放ち、原形は辛うじて「人」だと分かるものの、性別すらも判別できないほど全身の肉が削ぎ落されていた。そうなる過程で血液は全て外に出てしまったのか、遺体の周辺には一切の血痕はなかったという。


そしてその遺体はアーリア公国を挑発するかのように、ナダル大公の執務室の椅子に腰かけるようにして放置されていたのだ。国防に追われていた大公は中々自室である執務室に戻る機会がなかったため、三日前から今日にいたるまで、いつ遺体がそこに置かれたのかは不明だが、たまたま部屋の前を通りかかった兵士が異臭に気付き、ようやく発見に至ったところだった。


少し前まで普通に会話を交わしていた仲間の無残な死。

それはアーリアの者たちに深い鈍痛を与えると同時に、目に見える者だけが敵ではないと甲高い警鐘が鳴り響いたのであった。


ナダル大公は即座に追加の遠征を指示、足の速いバウンドドックのメンバーが安全に国外に出られるよう、アーリアを囲む山林の外に出るまで、護衛として騎士団を配置したのだった。騎士団は国境辺りまで同行、その後は帰国し、再度三顔への警戒と戦闘準備に移る予定だ。これは三顔の数日の動向を検証し、奴が国を落とすでも大公を目標とするでもなく、計画性の無い本能のまま暴れていることを受けての、大胆な策であった。大公を護るべき主要戦力の騎士団を割くのだから、それは当然のことだろう。


ベリアル率いるカースト騎士団も、漏れなくその役目を受けていた。

大公の安全を確保するために速く帰国せねばならないこと。

変わり果てた仲間の変死。

今もなお暴れ続ける悪行の塊ともいえる三顔の悪魔。

それらが焦燥感を煽り、ベリアルは冷静というものを吐き捨てる勢いで苛立ちを覚えていた。


「この森に住み着く魔獣か・・・それともあの化け物の仲間が国周辺に息を潜めているのか。くそっ! これだけじゃ何も判断がつかん・・・!」


ベリアルは忌々し気に破壊された樹木に拳を打ち付ける。

パラパラと崩れかけていた木片が拳との境目から地へと落ちていく。


「・・・マリエ」


「・・・・・・はい」


ベリアルの声がけに応えて、騎士の中から姿を出したのは、この集団の中では異質な格好と言える、黒装束の女性だった。機動力を優先した軽装、注視しなければその存在を見失ってしまうほど気配が薄い女性だ。


「間違っても・・・仇討ちなどは考えるなよ」


「・・・無論、心得ております」


「お前が今、なすべき任務は早急に連盟に足を運び、救援を引き連れて戻ることだ」


「・・・」


静かに頷くマリエに、ベリアルは鉄製のヘルムの中で、誰にも知られることなく苦々しく口元をゆがめた。

慮るは彼女の心情。

仲間の死を目の前に見せられてしまえば、いかに訓練を積んだ者であっても自我を手放して感情的になりかねない。

それでも彼女は気丈に、国のために我を抑え込んでここにいる。

その姿が――ベリアルには非常に悲しい存在のように映る。


彼女が僅かに拳を握りしめたのを見逃さない。

だが、それをあえて指摘し、しつこく任務に集中するように言うこともないだろう。その度に彼女は「あの光景」を思い返す機会を得て、胸を苦しめることになるのだから。


「もしかしたら『他の四人』が既に連盟への道に乗っているのかもしれん。こうして新たに使者を送り出さずとも、援軍はやってくるかもしれない。故に大公もおっしゃった通り、お前は保険だ。・・・決して無理はせず、生きて任を果たすことを考えろ」


おかしなことを言っている。

大公の命とは、これ以上ない名誉であり、それを達成すべく己が力を絞りつくすことは当然である。そしてその度合いは、命の重さによって比例していくものだ。緊急でもなく、簡単なお使い程度であれば、失敗は許されずとも然程の重圧はないだろう。だが今回の件は――国の存命がかかっていた。


つまり、そんな渦中における大公の命とは――命を賭してでも成し遂げよ、ということなのだ。

もちろん心優しいナダル大公はそんなことは口に出さないし、逆に失敗と国民の命を秤にかけるならば、迷わず命を取る決断をする方だ。それが善となるか悪となるかは結果次第ということは大公含め、すべての騎士が理解していることだが、それでもその生きざまを貫く大公だからこそ、騎士の中ではの命は絶対である、という風潮が流れているのだった。


故にベリアルが口にした「決して無理はせず」というのは騎士らの誇りと矛盾しており、騎士長である彼が口にすべきではない言葉だったともいえる。そのためベリアルは一度口をつぐんで、何か含むように腔内をもごもごと動かしたが、そこから続く言葉は出なかった。


その様子を見て、マリエはふっと小さく笑う。


「・・・ベリアル様、ご安心ください。このマリエ・・・必ずや大公の望み、栄えある祖国の力となるべく尽力いたします。過ぎてしまったことはどう足掻こうが取り戻せませんが・・・まだ来ぬ未来を変えることはできるのですから」


「・・・、・・・そうか」


決意を秘めた彼女の目を見て、ベリアルは思わず顔を出しそうになった言葉を飲み込み、多くの意味を含めた短い返事だけを残した。


「・・・さて、余計な話をしてしまったな」


「いえ、寛大なる東方に感謝を」


東方、とはカースト騎士団の諢名こんめいを指す。

ベリアルは「うむ」と小さく頷き、再び森の奥、向かうべき道先に目を細めた。

独りであれば、周囲に浮遊する問題に圧迫されて、普段では考えられない無様な判断ミスをしてしまう場面なのかもしれない。だがこうして信じられる仲間と言葉を交わすことで、先刻まで湧き上がっていた焦燥感が緩和された事実に、人知れずベリアルは笑みを浮かべた。


(・・・失うわけにはいかない。仲間も、国も・・・騎士の誇りにかけて、な)


「進もう」


後ろに控えるマリエ含むすべての騎士が無言で頷く。

森の中に響く甲冑音は通常なら不気味なものだが、今はそれが心強い仲間の押太鼓のように思え、心地よく感じた。


しかしカースト騎士団はまだ知らなかった。

いや、既知か未知か、いずれにせよ三顔以外の敵対勢力がいることは知っている。予想の範疇である。何がこようと対処できる自信を持ち、初めて見る魔獣が相手でも切り抜け、打倒してみせるという気概を持っていた。


そう――知らなかったのは、この世には常識を遥かに超越した存在がいるということ。



それは、まるで森の中を散歩しているかのような気軽さで木々の間からひょこっと姿を現した。


『――・・・』


あまりに意表を突かれた登場に、カースト騎士団の面々は思わず呆気にとられた。


女だ。

年齢は二十台半ば、といったところか。

まだあどけなさを残す容姿ではあるものの、その滑らかに整ったスタイルは大人のそれだった。

そう感じさせるのは彼女の服装もあるかもしれない。

太腿まで見えるほどの短いタイトスカート、全身を黒を基調としたスーツに身を包み、胸元を強調するかのようにシャツのボタンは多めに外れていた。


その服装は、カースト騎士団の誰もが見たことのないものだっただろう。

現にマリエは「何という破廉恥な・・・」と目を座らせ、後ろの騎士たちはヘルムの中でその露出の高い服装を思わず凝視してしまった。

正直、目に毒だ。

あんな格好をして恥ずかしくないのか、と尋ねてしまいたくなるほどだ。


しかし何より目を引くのは彼女の髪だ。

髪質、とでも言うべきなのだろうか。


一言で表現すれば「異質」だ。


まるで水彩画のように様々な色が混ざり合い、ぼかし合いながら広がるような――奇妙な色合いだった。

何処までも吸い込まれるような色彩。水色系統の数多なコントラストが浮世離れしている。

あり得るのだろうか。

一本一本の細長い毛髪の集合体が髪だというのに、あれは既に毛髪という概念をすっ飛ばし、あたかも髪そのものが独立した単体として振る舞っているように見える。奇妙な色彩が見せる錯覚の類なのかもしれないが、異質であることは変わりない。


「・・・き、みは?」


何とか絞り出したベリアルの声に、女性は「んっふー」と含み笑いを浮かべた。


「わたし? おやおや随分と紳士なオジサマだねー、名前を尋ねてくれるなんてさっ。ふふーん、昔なんてわたしと出会うや否や、剣を抜く人だっていたのにね~」


値踏みするように覗き見てくる女性に、ベリアルは無意識に一歩後ずさってしまう。

そのことにすら気づかず、ベリアルは森に沸く泉のような印象を受ける女性を前に、一度口の中に溜まった唾を嚥下した。



「わたしの名前はアリシアだよ。アリシア=スティーヴン――そうだなぁ・・・君たちでいう『魔人』っていうと分かりやすいかな?」



アリシアが放つその言葉を運ぶように、木々の隙間を縫うような風が騎士たちの間を通り抜ける。

その風は――ああ、死を象徴しているかのように、冷え切っていた。


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