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テトラ・ワールド  作者: シンG
第2章 アーリア事変
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第5話 ライル帝国の使者との顔合わせ

雨は時として、恵みの雨となることもあれば、土砂や冠水などを呼び起して災害へと発展することもある。


広域に巨大な雨雲が流れ込み、広大な森林や平原に大量の雨水が溜まっていく。

少量なら土壌にしみこみ、植物の活性に繋がるだろうが、今日のそれは明らかに許容量オーバーの降雨量となった。

水溜りは池・・・いや湖のように溜まっていき、晴天時に見る景色とは似ても似つかない環境を生み出していた。


激しい雨音が鼓膜を常に震わせる中、小さな集落の灯りが闇夜の中、浮かんでいた。

集落は「旅人の宿」と呼ばれる、行商人や旅人のために連国連盟が設けた休憩用の施設である。

最寄りの国や村が無い地域に、点々と設けられた宿であり、野盗対策のため食糧や武具の類は置いていない就寝専用の施設だ。自給自足が原則であり、食糧も火をおこすのも全て寝泊まりする自身で賄わなければならない。


そんな「旅人の宿」に、大雨から逃れるように宿に足を踏み入れた一向がいた。


「いやぁ部隊長、酷い雨でしたねぇ」


雨に濡れた服を窓際の物干し竿にかけ、明朗に笑いながら大男が言った。

部隊長と呼ばれた男――ヨルンは洗面所でインナーを捻じって雨水を絞り出しながら、肩を竦めた。


「酷いってなレベルじゃねーよな、こりゃ。まるで滝だぜ」


少し離れた暖炉の前で座り込んだディランは長髪を後ろで束ねた姿で、湿った木材を小さな火炎魔法で乾かしていた。彼はヨルンの言葉に苦笑しつつ、


「まぁでもカロリア防衛線よりは幾ばくかマシではないでしょうか」


と言った。

室内にいた誰もが神妙に頷き、口ぐちに「ま、圧倒的にこっちの方が平和だな」「むしろシャワー代わりで気持ちいいわ」「あの地獄に比べりゃーな」と笑いながら言った。


「ケッ、油断してんじゃねーぞテメエら。魔獣との遭遇頻度が下がったってだけで、別にここらの魔獣の危険度が下がったってわけじゃねーからな?」


「大丈夫ですよ」


ヨルンの釘刺しにディランが返す。


「我々は貴方が育て上げた部隊なのですから。環境が変わった程度で相手を見誤るほど呆けてはおりませんよ」


「・・・・・・へっ、そうかよ」


真っ直ぐに自身を信頼する言葉にヨルンは頭を掻きながら、ぶっきら棒に返す。

その様子に周囲は囃し立てるように笑った。

ヨルンは「うっせーぞ、テメエら!」と部下たちを一蹴して、壁際の長椅子に腰を掛ける老人に声をかけた。


「おい、アンタは大丈夫かよ」


「・・・ヒッヒ、問題ないよ、このぐらいならねぇ。むしろ若かりし頃を思い出すようで、元気になったぐらいさぁ」


70を超えるぐらいか、白髪の痩せ細った老人は体をタオルで拭きながら肩を震わせて笑った。


「そりゃ大した度胸だ。ビビッて腰抜かしたり、体力がおっつかねぇなら速攻で本国に替えを用意してもらうところだったぜ」


「ヒッヒ・・・手厳しいのぅ。ほれ、このような老木に気の一つでも利かせんと、立派な戦士になれんぞ小童」


「ケッ、他人に気ィ使うのは苦手なんだよ・・・」


刺々しい言い方だというのに、不思議とヨルンからは悪意は感じられなかった。それを察したからだろうか、老人は特に気を害した風もなく、飄々と笑いを浮かべていた。


「ヨルン、何度も言いましたが・・・目上の方にはそれなりの敬意を以って接するべきですよ・・・」


困ったようにディランがフォローに入るが、ヨルンはその気遣いを手を振って払った。

腕は立つし、仲間を強く想う心もある者だが、この生来の口の悪さが本当に玉にきずと言えた。

彼が交渉事に向いていない、と評される最大の要因もここだった。


ヨルンは下唇を出しながら、ディランが乾かしていた木材の様子を確認するために、暖炉の前であぐらをかいた。


「ヒョドリー殿・・・申し訳ありませんでした。部隊長はあの通り跳ねっ返りなところがありまして・・・」


「ヒヒ、お前さんは大層苦労していそうだのぅ」


「え、えぇ・・・まあ」


小声で話すディランとヒョドリーの会話に耳を大きくさせ、ヨルンは「聞こえてんぞ!」と大声を張り上げた。


「ヒッヒ、これから他国との交渉に出向こうと言うのに、本当に威勢の良いことじゃの」


「は、はは・・・」


変わらない老人の姿勢に安堵しつつも、ディランはこの先の未来を想像して、肩を落とした。


(何故、シグン将軍はヨルン部隊長をこの遠征に推したのか・・・。こういった外交系においてはハイデンファクス卿の方が圧倒的に向いているというのに――どうにも腑に落ちないですね)


ウォーリル森林の第一防衛線「カロリア」で一か月半も滞留した件で、ハイデンファクス卿の部隊が交替として配置されるのは分かる。が、既定にある交替後の休暇も満足に与えられず、次の任務に――それも部隊長たるヨルンに最も不向きなものを命じる理由が解せない。

無論、実際に交渉するのはここにいる文官のヒョドリーであり、ヨルンたちはその護衛だ。しかし部隊長であるヨルンは実際の場においてもヒョドリーと同行する必要がある立場だ。つまり、相手国の前で席を揃える可能性があるということだ。

ディランとしてはヨルンは芯が通っていて、人として信頼における自分と思ってはいるが、いかんせん相手が見知った仲でない場合の短気度合はかなり心配な部分がある。


特にヒョドリーのように、のらりくらりと相手を言葉で躱すタイプは、彼が最も苦手とするタイプだ。

もし――砂漠の国の主が、ヒョドリーと同じ性質の人間だった場合、話し合いの内容に我慢しきれず、乱入してしまう危険性も・・・あるかもしれない。


(・・・心配ですね)


緩衝役として是非、自分も交渉の場に同行しようとディランは心に決めた。


「お、これなんかそろそろ乾いたんじゃないか?」


「あー、ん~・・・行けそうっすかね」


ヨルンが木片の一つを持ち上げ、近くの兵士に尋ねる。

兵士は頭を掻きながら、彼が持つ木片を眺めて「いっちょ火ぃつけてみますか」と指先に魔法を放ち、ジリジリと木片を火で炙る。

だが、木片と火の接点からは黒焦げた臭いと黒煙だけが発生し、赤く燃焼反応は起こらなかった。


「あ~・・・まだだった感じっすね」


「・・・はえぇとこ火を焚かねぇと凍えちまうぞ、くそっ」


苛立ちを見せながらヨルンは焦げ目のついた木片をその場に置く。


「確かにこの大雨で体は冷えてますけど、そんなに焦るほどヤワじゃないでしょうに・・・・・・あ、もしかして何だかんだ悪態つきつつ、ヒョドリー殿のために暖を取ろうとして――」


「っせぇーぞ! くっちゃべってる暇があんなら、ここに積んでる木材をさっさと乾かしやがれ!」


「う、うっす」


部下の指摘を遮ってヨルンは、部下の火の魔法を使って木材の乾燥させるよう促す。

その様子をディランとヒョドリーは、やれやれという表情で眺めていた。


「・・・・・・という跳ねっ返りでして」


「ヒッヒ、まあ退屈はせんわなぁ」


互いに肩を竦めた、その時だった――。


大きく宿の床が揺れた。


『――!?』


長期間、戦闘に囲まれた環境で過ごすことが多い彼らは流石と言うべきか、その揺れが自然のものでないと判断するや否や、数秒前の和やかな雰囲気は一変し、即座に臨戦態勢を取り始めた。


各自が各々の武具を素早く手に取り、窓際に数名張り付き、外の様子を探る。

目配りだけでそれぞれが最適と思われる場所に配置し、いつでも動けるよう踵を浮かせて待機する。


「おいおい、どっかの馬鹿が地面に大砲でもぶっ放したか?」


そんな中、ただ一人だけ同じ姿勢のまま、変わらぬ口調でヨルンは言葉を放った。


「空飛ぶ船でもない限り、地上に大砲を打つだなんて不可能ですよ。剣だけでいいですか?」


ディランがため息混じりに突っ込み、彼の剣を鞘ごとヨルンに放り投げた。

上半身裸だったヨルンは口の端を上げ、宙に浮いた剣を掴みとった。


「問題ねぇ・・・おい、爺さん。アンタは危ねぇからとっとと――・・・ちょっと待て。あの爺さん何処行った?」


てっきり同じ場所にいると思っていたヒョドリーはいつの間にか姿を消していた。

代わりに答えたのは、彼の傍にいたディランだった。


「ヒョドリー殿なら『ヒッヒ、二階で見物させてもらうわい』って言って、すぐに上に行かれましたよ」


「うっわ、全然似てねぇ」


「・・・・・・恥ずかしくなるので、あえて言わないでください」


肩を落とすディランに高らかに笑い、ヨルンは腰を上げた。


「ま、判断が早いってのは違えねぇな。指示する手間を省かせてくれるのは正直、助かるわ」


「そうですね。ヒョドリー殿の護衛、言うほど難航はしないのかもしれません」


「そういうこった。後は――俺たちがキッチリ仕事をこなしゃいいだけだな」


ディランの頷きと同時に、再び地面が揺れる。


「部隊長! 三時の方角に魔獣と思しき影があります!」


窓際で外の警戒をしていた兵士から報告が上がる。


「数は?」


「この雨と夜のため・・・正確には確認できませんが、夜行性特有の眼光が四つ!」


「つまり二体か? ま、一つ目や四つ目のバケモンなんざ珍しくもねぇからな。とりあえず最低でも四体はいる気構えでいろ」


「仮に複数体いるとすれば、群生タイプの魔獣ですか? 珍しいですね・・・魔獣は基本、単独行動を好む傾向にありますのに」


「これから行く予定の砂漠にだってサリー・ウィーパっちゅう群生タイプの魔獣がいんだろーが。確率で物事を測んのは自分テメエの生死にかかわる時だけにしな」


「ふっ、そうですね」


「徒党を組む連中は頭を潰せば大抵黙る。単体が相手なら全部ぶっ潰すだけだ」


「おや、徒党を組むか単体かなんていう想定も、全て確率の話ではありませんか?」


「おっと・・・そりゃそうだな。んじゃ全部ぶっ潰せ!」



『――了解!』



単純明快なヨルンの指示に、全員がニヤリと笑い、突撃役を担う三名の兵が入り口から外へ飛び出る。

偵察だ。

これはカロリアでも同様だが、まず魔獣が付近に存在し、その姿を視認できない場合はこうやって数人が偵察に向かい、その姿や魔獣のタイプを確認して戦略を組み立てていく戦法を良く取っていた。

今回もやり慣れた手順に従って、相手を見定めていく。


この「旅人の宿」はこの場所のように、見通しの良い平原の上に建てられているものも多い。

世界各地、様々な場所に魔獣が生息しているこの世界。

むき出しで建ててしまうと、いつ何時、魔獣に破壊されてしまうか分からないため、アイリ王国ほどではないにしろ、この集落の全方位に円で囲むように5メートル程度の外壁がある。


その境界を突破できるとしたら――飛空能力や跳躍力のある魔獣か、壁を破壊できるほどの力を持った魔獣。

先ほどの振動を鑑みるに、後者と見るのが妥当だろう。


(・・・考え無しの魔獣が、壁を破壊してまで俺らを突け狙うもんかね)


一瞬、人間による犯行も考えたが、この「旅人の宿」の門に鍵はない。何か重量のある物で門を封鎖でもしない限り、誰でも出入り可能な場所なのだ。

来るもの拒まずの集落に、しかも物資も何もない場所に、壁を破壊してまで侵入を試みようとする夜盗の類はまず考えられないだろう。もしいたら、それはただの馬鹿としか思えない。


「ディラン」


「はい」


「この辺りで壁を破壊できる力を持った魔獣は何がいる?」


「――・・・正直、厚さ1メートルほどある石壁を破壊できる魔獣は、この周辺にはいないという見解ですね。ですので、今回の件は例外として注意を払った方がいいと思われます」


「例外、ねぇ。まあいいや・・・偵察に向かった三人が戻り次第、さっさと処理すんぞ。食用できる魔獣ならいいんだけどな」


「魔獣の肉を食べたりなんかしたら、死んでしまいますよ? ただでさえ高密度の魔素に汚染されて、異形となった動物なんですから・・・」


分かってて言うヨルンに、一応ディランがつっ込む。

ヨルンはそれに対して肩を竦める。

ズゥン、と振動が床に伝わり、足裏から魔獣の存在が集落の中で蠢いていることを報せてくれる。

偵察の三人が見つかったにしては小さな振動だ。おそらく獲物を見つけての動きではなく、単純な移動行為から生じる揺れだろう。となると、相手はそれなりの図体を持っていそうな話になってきそうだ。


宿の扉が開き、外に出ていた三人が雨を払いながら室内に戻ってきた。

最後の一人が念のため鍵を閉め、全身の雨粒を払う。


「どうだ?」


「いやぁ・・・随分とまた面倒なヤツが迷い込んできたみたいですね」


「ほぅ」


その言葉にヨルンは腕を組み、どんな歯ごたえのある魔獣が入り込んできたのかと挑戦的な笑みを浮かべる。

続いてもう一人の兵士が応える。


「端的に言えばありゃ・・・『幻想種』ですね」


「・・・・・・・・・なに?」


「幻想種の中でも最弱も最弱な魔獣なんで安心してくださいって言いたいところですが・・・・・・まあ、何と言うか――天候も手伝って、今この時においては『最悪な相手』になりそうですわ」


幻想種。


魔獣は原則、元となる動物が存在し、その動物が高密度の魔素を浴びることで別の生態系へと変化し、異形のモノと化した結果を言う。人も同様で、人間の場合は溶人ようじんや魔人と称され、現在では伝説上の存在ともされている。


その中で「幻想種」と呼ばれる魔獣が存在する。

例えばサリー・ウィーパは蟻が原種となるが、魔獣の中には稀に原種が何なのかが判明できない謎の存在が出現するのだ。

連国連盟で「幻想種」として認定される魔獣は、固体としての数が少ない・目撃数が異様に少ない・原種となる生物の原型がない等の条件が全て合致したものとなる。

目撃例が1つや2つ程度しかないものが多いため、未だに「これが幻想種」とは確立できず、「こういう姿形をしているものが幻想種である可能性が高い」といった曖昧な言い回ししかできないことも特徴の一つである。


だが、此度の騒動を起こした存在を「幻想種」であると偵察に出た兵士は言う。

そう言える確証があるのだろう。

加えて、この天候の中で「最悪な相手」と呼べる存在と言えば――。


「・・・・・・まさか」


ディランは先とは打って変わって、口元を引き攣らせた。

ヨルンも同じ答えに辿り着いたのだろう。

思わず天井――その更に向こうにあるであろう、雨雲から滝のように振り続ける雨を見た。


『雨――・・・』


ヨルンとディランは同時に懸念事項を呟き、相対していた偵察に向かっていた兵士も頷く。


「・・・今ここに出現したのは、おそらく形状から『無形魔獣スライム』と思われる魔獣かと思われます」


「――ド最悪な相手だな。力自慢の馬鹿な獣型だったら幾らでもやりようはあるってのに、よりによってこの大雨の中、スライムかよ」


「私も教書の上でしか知り得ておりませんが、過去の話によると・・・スライムは雑食で、何でも捕食し、取り込んでは自身の体積を増していく魔獣とあったと思います。数百年前には一つの村を丸ごと飲み込み、小山程度の大きさまで膨れ上がったとか・・・」


ディランの言葉に、宿屋にいる全員が顔をしかめた。


「あれ、だとしたら此処・・・不味くないっすか?」


一人の兵士が手を挙げてそう尋ねると、当たり前だとヨルンはため息をついた。


じき、ここも飲み込まれるだろうよ。大方、大雨で住処に引っ込んじまってる獲物の代わりに、この集落を食っちまおうとしてんのかもな。討伐できりゃ話ははええんだが、あいにく雨は奴にしか味方しねぇ状況だ」


「ええ、スライムは雨で体積を増やすことは無いと言われてますが、水に関する魔素に強く結びついているのか、ある程度のダメージは雨によって回復されてしまうという情報もあるのです。加えて――」


「奴の弱点は見た目通り『炎』だ。討伐するならありったけの火炎魔法で焼却するしかねぇ・・・」


ヨルン・ディランのげんなりとした表情を受けて、全員が「ああ、なるほど」と頷く。


「・・・この雨ですもんねぇ」


「スライムを消滅させるほどの火力を出せるわけもないってわけですな」


「うっわー・・・せっかく寝れる場所にたどり着いたってのに、くっそ最悪だな・・・」


口々に兵士たちが後ろ向きな言葉を発するのに対し、ヨルンは既に頭の中の方針を「この宿からの撤退」に切り替えていた。


「というわけだ。せっかく着いたばっかりだってのに面倒な話だが、今の俺らにスライムを倒す術は無い。無駄な労力を費やす前にさっさとズラかるぞ。どうせまた全身びしょ濡れになんだから、まだ乾いてなくても全員装備を着込め」


『ハッ――!』


その指示に全員が返事を返す。

ヨルンは粗暴で短絡的なところが多いと評価されがちだが、相手の力量と自分たちの置かれた環境を見誤ることはほぼ無い。それは命ある部下を預かる身であるということもあるが、彼の戦闘に関する高い能力でもあった。


勝てない相手に対しては、無理をしない。

勿論、ここが第一防衛線「カロリア」であれば話は別で、逃走は敵を本国に招く行為に繋がるため、魔獣の進軍を緩めるための時間稼ぎと、反撃に移るための策を弄するだろうが、今の任務は全く別物だ。ここで逃げたところで、後で連国連盟に「旅人の宿」の修繕を依頼するだけで、他に気に掛ける事項は一切ない。ケースバイケースに合わせて最も被害が少ない指示を出せるヨルンは隊長職にはうってつけであり、それを知っているからこそ、敵を前に逃げる道を示す隊長に部下もついてくるのだ。


「ディラン、あの爺さんを二階から呼び戻してこい」


「はっ、了解です」


二階を指さしながらディランに指示をする。

それからヨルンは数分程度で装備を整え、頭の中で逃走経路などを計算しつつ、最後に鎧を着こもうと手を伸ばしたところで、その手を止めた。


「む――」


視線を出入り口の扉に向ける。

雨で非常に感知しにくいが、・・・人の気配だ。


ヨルンは無言で指でジェスチャー、部下たちに注意を払うように指示を送り、全員が頷いて肯定を返した。


ヨルンは扉に近づいていき、その扉の両脇に兵士が剣を手にして壁に背を預ける。


――トントン。


ノックする音だ。


「・・・」


――トントン。


もう一度、ノックする音が室内に響く。


(・・・フン、随分と落ち着いた音じゃねぇか。外でバケモンが暴れてるってのに、避難してきたクチとは、ちょいと違うみてぇだな)


ヨルンは扉の向こうの人間が、この惨状に全く動揺した素振りのないノックをしていることに最大限に警戒を強めた。

スライムを始め、魔獣に襲われて助けを求めてくるなら、もっと全力で扉を叩くことだろう。悲鳴に近い声だって上げるはずだ。それが無いということは、この状況に全く動じない胆力があるのか、それとも扉の向こうにいる者にとっては取るに足らない状況ということか。


「誰だ?」


「夜分に済まないが、入れてはもらえないだろうか?」


男の声だ。

その声には全く怯えもなく、どちらかというと無気力、に近い声質に思える。


「・・・正気か?」


普通に考えればあり得ない。

目と鼻の先で暴れている魔獣がいるというのに、こんな薄っぺらい家屋に逃げ込んでどうするというのか。

それともここに腕の立つ軍人が入り込んでいることを知っているというのか。


(ぶ、部隊長・・・!)


小声で窓際の兵士が何やら窓の外を指さしている。


「・・・・・・っ?」


最初は何事かと思ったが、すぐに理解した。

窓の外がまるで霧に覆われたかのように真っ白になっていたのだ。

窓が曇っている様子を見るに、室内と外との気温差が大きく差が生じていると推測される。


なおさら扉の向こうには注意を払わなくてはならないようだ。


ヨルンは腰の剣に手を置き、声色を変えずに会話を続けようとした、が――。


「そんなに殺気を向けなくていい。こちらには敵意はない」


と扉の向こうから釘を刺されてしまった。


(・・・コイツ!? 窓の外を確認した瞬間に僅かだが漏れてしまった俺の殺気に感づいたってことか・・・!?)


「いや警戒もしなくていい。俺はお前たちの敵ではない」


「ケッ、そう言われて『はい、そうですか』なんて答える馬鹿がいると思ってんのか? 状況見て言うんだな・・・!」


「・・・」


薄い木の板を隔てて、何やら考え込むような間が発生する。

その間、動けずにいるヨルンたちをしり目に、考えがまとまったのか、淡々とした口調が返ってくる。


「怪我人がいるんだ。できればそいつの治療をお願いしたい」


「・・・」


口八丁か、それとも事実か。

ここで判断を見誤れば、ヨルンは部下を死地に追いやる危険性もあることを考え、深く思考を巡らせた。


「なぜ俺たちに治療の当てがあると?」


「外の馬車を見た。お前たち、ライル帝国の人間だろう? それも長中期的な旅を目的にしていると見える。となれば、医師の資格を持つ人間がいてもおかしくないと踏んでな」


「・・・お前、ライル帝国に所縁ゆかりのある人間か?」


「いや、全くない」


「・・・」


分からなくなってきた。

何かしらの意図を以ってここを襲うつもりなら、嘘でも「ライル帝国と所縁がない」とは言わないだろう。何とかして取り入るように振舞うはずだ。

どうにも嘘は言っていないように思えるが、それでも場所とタイミングが悪すぎる。

場所とタイミング・・・そういえば、スライムの暴れる音が少し前から聞こえないような?


「おい、スライムみてぇな奴が外で暴れてるんだろ? そんな中でまともな治療を出来るわけがねぇこたぁ分かるよな?」


「ああ、そういえばいたな」


「いた? まるで今はいねぇみてぇな口ぶりだな」


「そうだな」


「――・・・・・・なに?」


少し頭の整理が行き詰まり、ヨルンは彼にしては珍しく、思わず他の部下の顔を見てしまった。

目が合った部下も頭のうえに「?マーク」を浮かべながら、肩を竦める他ない。


「ああ、あと来る途中で猪も見つけたんだ。これを対価としてはもらえないだろうか? この雨だ。食糧の確保は悪くない条件だろう?」


「っ」


確かに。

保存食は大量に持ってきてはいるものの、無駄に消費は出来ない。

しかも干し肉等の類はこの雨のせいで水分を吸ってしまい、正直、大半が腐ってしまったという痛手もあった。

それに加えて、食用となる獣たちがそれぞれ住処に身をひそめてしまった今では、猪肉は実に贅沢な食料と言えるだろう。


「だ、だから・・・スライムがいると――」


「なんだ、もしかして奴を心配しているのか。それなら問題ない。スライムは既に死んでいる」


「なっ――」


何と言った?

今こいつは――「スライムは死んだ」と言ったのか。

幻想種、それも雨の中では無敵とも言える魔獣を、まるで朝の挨拶をするかのような気軽さで「死んだ」と。


「ば、馬鹿を言うな・・・奴が死んだという証拠はあるのかよ」


「む、証拠? 困ったな・・・跡形もなく消し飛ばしてしまったため、奴の名残と呼べるモノは何も残っていないぞ・・・」


「跡形もっ――!?  き、貴様、一体なにをっ――」


先ほどまで集落の一部を破壊していたスライムが、ものの数分で亡き者になったなど到底信じられることではない。ヨルンは思わず声が裏返りそうになったが、部下の前で無様な姿は避けたいが一心に何とか心を落ち着かせる。


「・・・っ、信じ難い話だな」


「そうか、それは困ったな」


困ったのはこっちだ、と思わず声を出したくなる。

想定外な訪問によって、集落から離れようとしていた計画が完璧に崩れ去ってしまった。スライムが既に死滅したのなら、それはそれで良しとすべきなのだろうが、あまりに事態が急すぎるために理解が置いてけぼりになってしまうのだ。

これがまだ理解の範疇による想定外ならすぐに頭を回転して対応するのだが、この大雨の中で無敵とも言えるスライムを殺したとなると、何をどうしたのかが想像できないがために、物事を整理するためのピースが上手く纏まらない。



「小童や、問題ないぞ。二階の窓から見ておったが、スライムと思しき魔獣は確かに消滅しおった」



と、背後から老人の声がした。

振り返って姿を確認するまでもなく、ヒョドリーの声だ。


「・・・なんだと?」


視線だけ後ろに向けてヨルンが言葉を返す。


「ヒッヒ、窓の外が白けておるじゃろ? それが何よりの証拠・・・この大雨すらも蒸発させるほどの火炎魔法がスライムを一瞬で焼き尽くしたのじゃよ」


思わず窓際の兵士が再び窓の外に視線を向ける。


「え、じゃあ・・・これって水蒸気?」


「そういうことじゃな。と言っても雨雲そのものを吹き飛ばしたわけじゃないから、今も雨は降っておるがな。ただ、この集落の中の雨や水たまりが一瞬にして蒸発した時の蒸気が今も漂っている――というわけじゃ」


兵士の独り言にも近い声にヒョドリーは何処か嬉しそうに答えた。


誰もが言葉を失う中、ヒョドリーを呼びにいったディランが未だ信じられないといった表情で続けた。


「ちょうど私がヒョドリー殿を迎えに上がった時です・・・確かにこの大雨の中、天に向かって赤い光が奔っておりました。私が窓の近くまで寄った時には既に終わっていたらしく・・・スライムの最期までは見る事が叶いませんでしたが・・・」


「・・・マジかよ」


ヨルンの言葉に無言でディランは頷いた。


「ついでに言うとそやつ――顔見知りなんでな。早いところ、背負っている女性のためにも入れてやってはくれんかのぅ?」


「は、はぁ?」


ヒョドリーのまさかの知人という話に、またもや面を食らってしまう。

二階の窓から一部始終を見ていたのだろうが、どうやら扉の向こう側の人物は彼とは顔見知りとのことらしい。


そこまで言われると、もはや集落を出る必要もないし、彼を宿舎に入れないわけにもいかなくなってきた。


ヨルンは苛立ちを隠そうともせず、頭を大雑把に掻き、大きくため息をついた。


「・・・・・・安全なんだろうな?」


「ヒヒヒ、保証するよ」


「その笑い方が不安にさせんだよ、クソッ!」


「こいつは癖じゃ、気にするでない」


「うっせ! ったく・・・調子が狂うぜ」


そういってヨルンは扉の両脇に控えていた兵士たちに手で合図をし、自身の後方へと下がる様に指示をする。


そして一拍置いてから、鍵を開けて扉を開く。



そうして姿を見せたのは、隻腕の青年――ヒザキであった。

背中にはぐったりと脱力した女性を背負い、背後には言葉通り猪の巨体が寝そべっていた。



「ああ、助かる」



ヒザキとヨルンは視線を交わし、この日、両者は初めての邂逅を迎えた。



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