第75話 未完の小国グライファンダム
今回で一旦、一章は終わりたいと思います。
ここまで読んでいただいた皆様、ありがとうございました!
幾つか幕間を挟んで、次の話に行きたいと思いますので、お暇なときにまた目を通してもらえたら幸いです(^-^)/
さて期待に満ち溢れた気分で、門出の朝を迎え、砂漠へと足を踏み入れたわけだが・・・言うまでもなく、砂漠という環境は人間には優しくなかった。
ここ連日、晴天が続く日々だったが、だからと言って無風なわけではない。
質量が軽い砂はちょっとした風で舞い上がり、その地を横断しようとする人へと降りかかっていく。
目に入れば痛いし、口に入ればその異物感に気になって仕方がない。
全身を包むように外套を着こんでいるものの、首元から袖下から、ありとあらゆる隙間から服の中に侵入してくる砂。まるで虫が這いずりまわっているようで実に気持ちが悪い。
服の中を泳ぐように走り回る砂を追い出そうと、裾をつまんで払おうとすれば、そこで新たに生まれる隙間から更に砂が入り込んでくる。
まさに永久機関。
砂を巡る無限循環に辟易するも、まあこれはまだ可愛い部類の話だ。
悩ましいことだが、苦しむほどのことでもない。
我慢できる範囲の話なのだ。
問題は足場、気候、魔獣の三拍子だった。
足場は柔らかくも摩擦が強いため、一歩一歩に非常に力を要した。
靴の中に入り込んでくる砂も手伝い、砂漠での一歩は平地での千歩にも匹敵するであろう負荷だった。
平地慣れしている人間、さらには砂漠という土地を歩んだことがない者であれば、早々に逃げ出したくなる環境と言えるのであった。
加えて、この気温。
ゆうに40度は超える高温に、汗となり蒸発していく水分の加速度は凄まじいものである。
遮るものが無い砂だけの世界に、ジリジリと照り付ける太陽の光が憎たらしいことこの上ない。
地熱も相当で、靴底からですら熱気が伝わってくるほどだ。
まさに天地双方から熱地獄を味わっている状態ということになる。
熱帯地域に住んでいない人間なら、外套も長袖の衣類も脱いで、半袖短パンで過ごしたくなるだろう気温だが、この地域でそんな真似をすれば周囲の熱による低温火傷を起こし、手痛いしっぺ返しを食らうことだろう。
日陰もないこの地域では、長袖や外套で日陰を自分でこさえないといけないわけだ。
となれば、人に清涼感を与えてくれるのは風だけなのだが、その風が砂と結託して嫌がらせをしてくるのだから始末に負えない。
だがこれらはあくまでも自然現象。
予防さえしていれば、根気強くして乗り切れるものでもある。
希少な水も実は早朝、ヒザキがひとっ走りにセーレンス川の水を水筒に入れて持ってきていたため、量は少ないが、往路分は賄えると言えるだろう。
この砂漠地帯の最大の問題はやはり――、
「ぜぇ、ぜぇーっ・・・な、なぁ・・・まだ、着かない、のか?」
「まだ半分を過ぎた程度だな」
「う、噓だろぉ・・・」
よれよれになりながらも根性だけで足を動かすベルモンド。
その表情には既に後悔の念が深く浮かび上がっていた。気を抜けば背中に背負われている大剣の重みに押し潰されそうなほど疲弊していた。
因みに最初は荷車を大人勢全員で牽いていたのだが、砂に車輪がとられることで重量以上に荷車を牽くには相当な力が必要であり、現時点で荷車を牽くことができる戦力はヒザキただ一人だけだった。そのため、現在はヒザキ一人で荷車を牽いている状態だ。
「うぅ・・・の、喉が引っ付く・・・み、水ぅ・・・」
「あ、ヴェインさん・・・お水ですっ」
「ありがとぅ~・・・ごめんねぇ、リーテシアちゃん・・・私ばっかり飲んじゃって・・・」
「い、いえ・・・私はヒザキさんのおかげで楽をさせていただいてるので・・・」
ヴェインはヒザキが肩にかけている麻袋から顔を出したリーテシアから水筒を受け取り、一口含んで味わうように口腔内に水分を行き渡らせてから、ゆっくりと飲み込んでいった。
水を無駄に消費できないことは明白なため、ヴェインはその一口で我慢し、蓋を締めた水筒をリーテシアに返した。
「やれ、やれ・・・老いぼれには堪える苦行だね、これは」
レジンも強気な姿勢を保っているが、それは子供たちの前で情けない姿を見せたくない一心だろう。
せめてもの救いは暑さに耐性があることだが、体力的には限界に近いと判断しても間違いない。
可能なら荷車に身を潜めている子たちと一緒に休んでもらいたいところだが、残念ながら人員オーバーの上に、各人の手荷物もギリギリ押し込んでいる状態だ。レジンには何とか踏ん張ってもらうしかない。
「・・・」
セルフィに至っては体力を余分に使わないようにしているのか、口を閉じたままだ。
口を開けば口腔内は乾燥するし、喉も乾くだろう。
おそらく他の者のことも考えた上で、工夫と我慢の間に押し込まれている状態で堪えているのだろうが、そんな彼女も顔色は優れない。このまま我慢を続けていけば、倒れてしまうかもしれない。
ふとヒザキは足を止めた。
「リーテシア、頭を引っ込めていろ」
「は、はいっ!」
荷車の引手から手を放し、リーテシア入り袋を砂の上に起いた。そして彼は膝に手をついているベルモンドの背中から大剣を抜き取った。
「ま、またかよぉ~・・・」
げんなりした声でベルモンドが声を上げた瞬間、近くの砂丘が地中からの衝撃で吹き飛び、大量の砂が空に舞った。
もう何度目かになる、魔獣の襲撃だ。
最初こそ間近で魔獣が出現することに騒いでいたベルモンドたちだが、度重なる撃退劇を目の当たりにしたことと、道中の疲労も加わって、今となっては大した驚きすらも見せなくなっていた。
大蠍。
魔獣の学術名は「トバリスコーピオン」だ。
投針、から由来が来ており、その名の通り、尾の先にある毒針を獲物に対して射出してくる特性がある。
全長は4メートルほど。
全身の彩るワインレッドは、砂一色の地を背景にした時、実に毒々しく映える。
『シィィィィ――』
まさにトバリスコーピオンが尾を丸め、こちら側に毒針を飛ばそうとした瞬間、既にヒザキは魔獣の頭部に移動しており、その手に持った大剣を一閃――振りぬいていた。
尾は根本から切断され、当然、毒針が射出されることはなかった。
トバリスコーピオンが次の行動に移す前に、大剣の切っ先が頸椎に沈み込み、魔獣の動きは完全に停止していった。
『・・・・・・』
流れるような手際に、ミリティア以外の誰もが傍観者となってしまう。
砂漠を渡り始めて、魔獣の襲撃はこれで両の指で数えきれない回数になっている。だが、それだけの戦闘行為を見ていても、やはりヒザキの超人的な戦闘能力は慣れないものだった。
強すぎる、という表現が妥当なのだろう。
ただ――その強さを自身の尺度で測れる者は、この場には誰もいない。
だからこそヒザキの戦いが、未だに遠い別世界の出来事のように感じてしまうのだ。
「・・・風よ」
ミリティアがそう呟くと、彼女の胸元で魔法陣が顕現し、砕けると同時に風が発生した。
この場に立っている者、荷車の中で身を潜めている子供たち。全員を撫でるように涼しい風が通り過ぎていく。
「うおおー、生き返るぅー・・・」
「て、天国やー・・・」
「ふぅ・・・ありがとうございます、ミリティアさん」
「こりゃ助かるねぇ」
「すずしー」
「ひゃー」
「きもちいーねー」
全員が風の恩恵に言葉を発する。
ミリティアは若干気恥ずかしそうに微笑んだ。
「戦闘行為、一つに対して私が魔法を使わなければ、皆さんのために使用していい、という条件ですからね。ヒザキ様がお一人で魔獣の対処をしていただいているので、本当に助かります」
「まあ、サンドワームや砂嵐の類でも出なければ君の魔法は温存できるからな」
やたら無暗に魔法を使えば、当然、ミリティアの体内の魔素は使い果たされ、最悪は身動きできない彼女を背負っての旅路になる。
そのため出発前に予め決めておいたのだ。
一度の戦闘行為、もしくは30分の間に魔法を使用しなければ、その分は暑さ対策を目的に魔法を使う。
そう取り決めを立てておけば、無駄遣いを促す者もいなくなるし、計算も立つ。
一応、短いスパンでの連戦になった時は、仮に魔法を戦闘行為で使わない結果であっても、使わないケースがあるが、今のところそのやり方で不平不満は出ていないようだ。
「さて、もう少しの辛抱だ。俺の感覚ではそろそろ目印のサンドワームの残骸が見えてきてもおかしくないのだが・・・」
「そうですね。あの巨体ですから・・・遠目にも見えるはずなのですが」
「・・・見当たらないですね」
一度往復を経験したヒザキ、ミリティア、リーテシアが口々にそう呟くが、遠くを見渡しても背の低い砂丘が並ぶだけの見飽きた景色が続くだけだった。
「・・・」
ヒザキは大剣をベルモンドの背中の鞘に納めつつ、ちょっとした嫌な予感を感じた。
大剣の重量が返ってきたベルモンドは深いため息をついたが、それは気にしないことにする。
(・・・よくよく考えれば、サンドワームの残骸を目印にする考えは――問題がないか?)
先ほどのトバリスコーピオンもそうだが、砂漠地帯の魔獣は肉食が多い。死肉、生肉関係なく、だ。
いかにサンドワームが砂漠を牛耳る最強の魔獣だったとしても、既に死んでしまった相手にこの砂漠の連中が尻込みするだろうか。
ヒザキは不意に視界に入った、足元に転がる何かを拾い上げる。
「・・・」
裏、表と確認し、小さくため息をついた。
「それはなんでしょうか?」
覗き込んでくるミリティアにヒザキは淡々と答えた。
「サンドワームの皮膚の欠片だな」
「サンドワームの・・・・・・えっ?」
「それも焼け焦げた跡が残ってるな」
「・・・そ、それってもしかしてですが・・・」
サァーと青ざめるミリティアと共に、再び地平の向こうを眺める。
「砂漠の魔獣どもは実に食欲旺盛だな」
「そ、そんなに淡々と告げないでください・・・」
目印代わりのサンドワームはどうやら――魔獣たちの恰好の餌として消費されてしまったようだ。
圧倒的質量を誇るサンドワームも、物言わぬ肉塊になってしまえばたった一日でこういう末路を辿るということが良く分かった。
さて困ったことに、目印が無くなった今、この砂漠の中でグライファンダムへの入り口を見つけるのは正直、至難の業だ。
大凡の方角と距離は体が覚えているものの、ピンポイントの場所まではさすがに探し出す自信は無かった。
困った表情を浮かべるミリティアと、無表情で顎に手を当てるヒザキ。
そんな二人の間に入るように、袋から顔を出したリーテシアがおずおずと話しかけた。
「あ、あの・・・ヒザキさん。もしかしたら、何とかなるかもしれません・・・」
自信無さげに、しかし自信が無いと言えない言葉を放つリーテシアに、思わず二人は顔を見合わせるのだった。
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無機質な平面で四方を囲まれた、地下空洞。
もはや自然から生まれ出たモノは、角側にあるオアシス一帯ぐらいだろう。
光源が無いのに明るく空洞を照らす、未知の鉱物で囲まれた新国家グライファンダム。
そのオアシスの近くで、ヒザキたちは旅の疲れを癒すかのように茹で上がった砂蟹を堪能していた。
「うんんんめぇぇぇぇぇぇっ!」
ラミーが有り余る食欲を制御できずに、次々と砂蟹の殻を剥ぎ、新鮮な身を胃袋に納めていく。一口食べる度に感極まった大声が空洞内に反響するが、そんなことは誰も気にしないほど夢中になっていた。
サジはもちろんのこと、大人しい部類のネイクやシーフェ、カナを始めとした小さな子供たちも一心不乱に茹で立ての砂蟹を口に含んでいった。
「はふっ、はふっ!」
「おいしぃー!」
「のどがあったかぃ~」
子供たちが食べやすいように、ヒザキ・リーテシア・ミリティアの三人が茹で上がった砂蟹を関節部位ごとに細かく千切り、ベルモンドが持ってきていた大皿に乗せていくのだが・・・消費するスピードが圧倒的に上回っており、常に皿は空の状態になっていた。
最初はまだ蟹の捌き方がぎこちなかった女性二人だったが、回数をこなしていくうちに、片手だけで作業するヒザキよりも早い速度で砂蟹を捌けるようになっていた。それでも初めて水分の富んだ食料を口にした子供たちの底なしの食欲には叶わないため、もうしばらくはこの作業が続きそうだった。
「こりゃヤベェな・・・話を聞いて期待はしていたものの、ここまで期待以上だとは思わなかったぜ! おおおお・・・こいつを売り出したら、数百万・・・いや、数千万単位まで市場を独占できるかもしんねぇぞ!」
「うまうまー」
「ほんと凄い上品な風味なのに、味もしっかりしていて・・・何より、この汁が喉を通る度に幸せな気持ちになりますね」
「こりゃ昔の人間が夢中になるのも分かるねぇ! これで美味い酒がありゃ完璧ってもんだ」
頭の中が商機で溢れかえっているベルモンドに続くように、ヴェイン、セルフィ、レジンが口々に砂蟹の味を賞賛していった。
ちなみにセルフィが汁と表現しているのは、人でいう「血液」や「体液」に当たる部分だと思われる。蟹には人間のように酸素と結合すると赤い色素に変化するヘモグロビンが無く、無色に近いヘモシアニンという呼吸色素が通っている。そのため切断分が空気に触れても赤い血がでるわけではないが、彼女たちが美味しそうに飲んでいる汁は、まぎれもなく蟹にとっての血液になる。
美味しそうにしているところに、生々しい話をするのも何なので勿論口にすることはないが。
長時間、水中から引き揚げた砂蟹は著しく鮮度が落ちるため、近くにリーテシアの力を借りて新しく作った小型の水槽にオアシスから獲ってきた砂蟹を入れているのだが・・・中を見てみると、数十匹いた砂蟹は既に4匹だけになっていた。実に恐ろしい食欲だった。
砂蟹を茹でている窯の中身も空になったので、新たに二匹、沸騰している窯の中に砂蟹を入れていった。残り二匹。どうやら自分たちの分はまた獲りに行かないといけないみたいだ。
ただ無言で作業に没頭するのも時間が勿体ないので、ヒザキはリーテシアに話しかけることにした。
「しかし・・・無事、ここに辿り着けたのは君のおかげだったな。改めて礼を言おう」
「え? いえいえ! 私にもまだ分からないことだらけなんですが・・・どうもここの魔素さんたちに私は気に入られたみたいですね」
「ああ」
サンドワームの残骸が砂に埋もれて途方に暮れそうになったとき、リーテシアは「何となく位置がわかる」と言いだして、ヒザキたちを誘導したのだ。
洞窟にいる蝙蝠が超音波で地形を把握するのと同じような感覚なのだろうか。この場所から発せられる呼び声が、リーテシアにはどういうわけか聞こえるようなのだ。声、と言えば語弊があるかもしれない。リーテシアが全身で感じ取ることができる、信号のようなもの――といったところだろうか。
彼女がこの場所、ここを構成する魔素たちに気に入られているのは明白だ。
目の前の水槽や窯を見れば一目瞭然だが、これらは本来の彼女が扱える魔法のレベルを遥かに超えた代物なのだ。明らかに彼女の中の魔力が増大し、魔法師の想像するイメージをより具体的に再現する魔法を使えていた。
「悪い感じはしないのか?」
曖昧な問いだったが、リーテシアには通じたようだ。彼女は迷いなく頷いた。
「はい、特にこの場所から悪意・・・のようなものは感じません」
「そうか」
ヒザキには感じられない特殊な感覚のため、判断が難しいところだが、議論したところでその感覚は彼女にしか経験できないものだ。彼女の感じたままを信じるほか無いだろう。
「ふふっ」
急に笑いを溢したリーテシアに、ヒザキとミリティアが視線を送る。
「どうかしました?」
ミリティアの問いかけに「あ、いえっ」と答え、
「こんなに皆が・・・心の底から喜んでくれているのは、初めてかも知れないなって思ったら・・・自然と笑っちゃったんです」
と、とても幸せそうに、団欒の中を賑やかに過ごす子供たちを見て、彼女は言った。
おそらく彼らの喜びの一助になったことが、彼女にとっては何より嬉しいのだろう。
ミリティアは目を閉じて静かに微笑んだ。
「そうですね。皆様が笑顔に・・・幸福を感じるというのは、貴女の御力なくしては成し得なかったこと。リーテシア様、どうか今のお気持ちを大事にしていただき、道に逸れることなく、皆様を導いてあげてください。私はそのための剣となりましょう」
「あ、ありがとうございますっ」
くすぐったそうにお礼を言うリーテシア。
その様子をヒザキやミリティアだけでなく、レジンたちも口元に笑みを浮かべながら遠目に見ていた。
「で、でも・・・ミ、ミリティアさん?」
「はい、なんでしょうか、リーテシア様」
「そ、そのぅ・・・」
反転して言いづらそうにミリティアを上目遣いで見る彼女に、ミリティアは訳も分からず首を傾げるだけだった。
「で、できれば・・・話し方は元に戻していただけると助かります。その、何だか他人行儀、って感じがして・・・」
人差し指を合わせながら、彼女は願いを口にした。
確かに、ミリティアは移住が決定してから、敬称は「様」をつけ、どこか姿勢も常に正している様子が見受けられていた。
彼女なりの線引き、ケジメ、礼儀なのだろうが、数日前の短い時間ではあるが姉妹のように話を交わしていたリーテシアとしては、違和感の方が強いのだろう。
「で、ですが・・・国主たるリーテシア様にそのような無礼は」
「うぅ・・・ヒ、ヒザキさん~」
(そこで俺に振るか)
ミリティアの気持ちも分かるし、リーテシアの気持ちも分かる。
双方理解できることだけに、間を取るのが面倒な話だ。
(・・・いや、簡単な話か)
どう話そうかと思っていたが、よく考えればそう難しくもなかった。
「ミリティア、この国の代表であるリーテシアの命令だ。大人しく彼女を妹のように扱うんだな」
「ヒ、ヒザキ様・・・」
忠義、忠誠心といったものに囚われやすい性格のミリティアだ。
命令、という形式を取れば断り辛くなるのは自明の理だった。卑怯なやり方にも感じるかもしれないが、ミリティアのように「ルール」という人が人であるために造り上げた箱庭を大事にする者に対して、ルールから少しズレたことを敷く場合は、まずはルールに則って誘導するのが得策だ。やがて時間が、心から「そう在るよう」に移り変わっていくよう調整してくれることだろう。
今回で言えば、命令という強制ルールの元にリーテシアと家族のように接してもらい、いつしか自然とそのように振る舞えることを期待する、といったところか。
「ああ、あと俺のことも呼び捨てで構わない」
「う・・・それもご命令ですか?」
「そ――」
うだな、と続けようとしてヒザキは言葉を切った。
よく考えれば自分は別に国主でもなんでもないし、彼女の上役に立っているわけでもない。命令という形式をとるには聊か疑問を感じるものだ。
ヒザキは数秒考えてから、言葉を変えることにした。
「いや・・・これからこの国を支えていく仲間として、対等に接していきたいだけだ。仲間に気を遣っていてはやりにくかろう。だから――同等の存在として、この国の行く末を共に歩んではくれないか?」
そう言ってヒザキは右手を差し出す。
握手の構えだ。
「ぁ・・・」
その右手を大切なものを掴むように、ミリティアは両手で握りしめた。
「はい・・・!」
ミリティアは心から自然と湧き出た笑顔を向けた。
ヒザキにとっては何気ない言葉だったのかもしれないが、少女時代から夢のように追い続けた彼に「必要」とされることは、彼女にとって何よりの誉れであった。
「まだ貴方の横に並べる力は持ち合わせていませんが・・・いつしか、胸を張ってその場所に立てるよう尽力します。・・・これからも宜しくお願いします、ヒザキさん」
「ああ」
呼び方が「様」から「さん」に変わっていることを確認して、ようやく堅苦しい態度から脱したことに肩の荷を下ろした。
「えいっ」
と、不意にリーテシアが茹で上がった砂蟹の脚を一本、ヒザキの口に突っ込んできた。
「なんだ急に」
口の中に広がる砂蟹の風味を楽しみながら咀嚼し、その意図を尋ねた。
「なんだかヒザキさん、ズルいです。これだと私は命令で、ヒザキさんは何て言うか、その・・・心が通っている、といいますか・・・」
「そうか?」
リーテシアの言葉に、ミリティアが何処かハッとした表情を浮かべ、急に目を逸らし始めた。
何処か頬が赤い気もするが、その真意はヒザキには読み取れなかった。
真逆にリーテシアは不服そうに頬を膨らませる。
「ぅぅ・・・ヒザキさんは女垂らしなのです」
「それは予想外な評価だな」
「あ、いえ・・・その、頼ったのは私なので、ヒザキさんに文句を言うのは間違ってる、んですけど・・・ぅ、ですけど! なんだか腑に落ちないですっ」
「難しいな」
「難しいんです・・・」
良く分からないが「難しい」という感想を述べておくことにしたヒザキに、リーテシアも「難しそう」な顔で小さくため息をついた。おそらく自身の感情を彼に伝えることを諦めたため息なのだろう。
ゴト、と堅い音がした。
何かと音の方に視線を向ければ、ミリティアが身に纏っていた軽鎧を外して、硬質的な床に置いているところだった。
やがて全ての装備を外し終えると、ミリティアは一つ頷き、彼女を見ていたリーテシアを胸元に思いっきり抱きしめた。
「わぷっ、ミ、ミリティアさんっ?」
「・・・すみません、リーテシアさん」
「え、えっ?」
「私は真っ直ぐにしか走れない女だから・・・どうしても不器用に物事を考えてしまいます。だから、まだ・・・貴女が国主であるという事実が邪魔をして、自然に接することができないかもしれません」
「・・・ミリティアさん」
「ですが、貴女を一人の人間として好意を持っているのも確かです。国主だからではなく・・・リーテシアさんだからこそ、護りたい、支えたいという強い意志が生まれてきます」
「・・・」
「で、ですからっ・・・」
「は、はい」
何処か気恥ずかしそうに語るミリティアにつられて、胸に抱かれるリーテシアも緊張してしまう。
「さ、最初はぎこちないかもしれませんが、いつかリーテシアさんを家族のように思い、・・・自然と接することができると思います。それまで・・・待っていただけますか?」
「ミリティアさん・・・ごめんなさい。これは私の我儘なのに・・・」
「・・・ふふ、一つだけ訂正をさせてください」
「え?」
「私もリーテシアさんのことは妹のように感じる時があるんです。けど・・・やっぱり私は不器用で、どうしても余計なことを考えてしまう性格のようです。ですので・・・謝らないでください。これは私の願いでもあるのですから。いつか・・・外見ばかり気にしてしまう私が、本心から貴女に接することができるように――そう在りたいと思います」
「あぅ・・・」
リーテシアは他人ではなく、家族のような繋がりを求めた。
それは孤児院で過ごした、仮初であっても、心から家族と思えるコミュニティが関係しているのだろう。
孤児院での暮らしこそが、彼女にとっての「国」なのだ。
彼女はその延長線上に国の未来を見据えている。
ミリティアは人との温もりを求める顔も持ちながら、近衛兵の隊長としての経験が長かったことから、社会という枠組みを尊重する傾向が強い。
本心と建前があるとすれば、建前がどうしても全面に出てくるのだろう。
もっとも本心と建前が反発しているわけではなく、どちらも同じ方向を向いているからこそ、ミリティア=アークライトという女性は輝いているように見えるのだ。
しかし同じ方向を向いていても、完全一致しているわけではないため、今回のように本心と建前の僅かな中間地点にあたる話を上げられると、彼女は揺れ動いてしまう。そして判断に迷う彼女は、形として明確なものである「建前」の方に偏ってしまうのだ。
この両者、立場も在り方も異なるように見えるが、その心は似通った人間とも言える。
どちらも他人を尊重し、誰かに幸せであってほしいと願う善人なのだ。
故に心配はいらないだろう。
彼女たちの進む道に困難が待ち受けていようと、同じ想いを秘めている彼女たちの信頼関係は損なわれない。ゆっくりと色々な経験を互いに積み上げていき、その先にリーテシアが望み、ミリティアが願う未来へと繋がっていくのだ。
「ありがとうございます」
「こちらこそ」
互いの在り様を深層で理解した二人は、自然と微笑みあっていた。
そんな景色を見つつ、ヒザキは人工的なグライファンダムの空洞を見上げる。
朝なのか夜なのかも区別がつかない、謎の発光現象によって照らされる幻想世界。
グライファンダムの出だしは順調と言えるのかどうか。
国の根幹を支える人員は、数は少ないが、不穏分子が無いという点では成功と言えるだろう。
問題は資金、衣食住、流通、外交・・・様々なものがあるが、それをどう乗り切るかがグライファンダムの本当の門出を占うものになるだろう。
(柄にもなく・・・楽しんでいるようだな、俺は)
考えるほど目に見えない障害ばかりが思い浮かぶが、それを上回る高揚感を何処か胸の内に感じた。
新しいものを始める勇気と興奮。
それを与えてくれたリーテシアにヒザキは心中で感謝を述べ、最後の砂蟹を窯の中に放り込むのであった。
この日、グライファンダムという名の空っぽの容器が、この世界に誕生した。
空の世界には希望も絶望も様々なものが今後、詰め込まれては溢れ、姿を変化させ、混ざり合って溶け合っていくことだろう。
この国は何色にも染まっていない、赤子のような存在。
その姿をどのようなものにしていくのか、それは親とも呼べる――この場に集った者たち次第になっていくのだろう。
あらゆる可能性を孕んだ、未完の小国グライファンダムは静かに鳴動を始めたのだった。




