第64話 ミリティアの追憶と見知らぬ惨劇
王城には地震による混乱から救いを求める国民たちが多く押し寄せていた。
普段、無気力に過ごしている民草も、有事の際には案外行動的になるものだと思わせる光景だった。状況が不透明なうえに、初めて経験する災害。どう自分の命を守れば良いか方法すらも分からない状況なのだから、国にその不安をぶつけて縋るもの無理もない話だ。
圧倒的に人手が足りない王城の人員では、その数十倍に膨れ上がる人の波を制御することができなかったのか、城門前に溜まる人だかりをせき止めるのではなく、逆に王城内のエントランスに案内し、そこで現状の説明を一定時間ごとに行うという対策を取っていた。
城門前に押しとどめていては、早く事実を知って安心したい想いを爆発させた民衆同士の衝突や、何が起こるか分からない外にいることで恐慌や混乱が起こる危険性を考慮した結果だろう。
少なくともこの国で最も丈夫な王城の中に足を踏み入れるだけで、根拠のないものではあるが、多少の心の平穏を取り戻す人間も少なくは無かった。
王城に務める兵士たちにとっても未曾有な事態に違いないのだが、エントランスで暗澹たる国民の様子を見て、気を引き締め直し、彼らに過分な不安を持たせまいと気を強く持つことを意識して対応に当たっていた。
今の王城内の光景は異様な雰囲気、と言えるだろう。
城に詰め寄る際は火事場の馬鹿力とでもいうべきか、普段は見せない行動力を見せていた民だったが、城内に案内され、エントランスで兵士から「今回の地震で城が崩れることはない」「随時城内の空き部屋を開放し、臨時的な避難場所として公開する」「地震の原因は調査中だが、国の総力を上げて原因究明と対応を行っている最中である」の三点をしきりにアナウンスされたことで、全身の緊張が崩れたのか、多くの者が壁際に背を預け、項垂れていた。
恐怖に駆られ、暴動や自暴自棄になられるよりはマシなのだろうが、こうも無気力に弛緩する姿も実に心配にさせる光景だった。
特に他人の感情に機敏な子供たちにとっては、猶更そう感じることだろう。
アイリ王国の孤児院は王国直下の機関扱いになっており、有事の際は院長の指示の元、王城内に退避する手引きが用意されていた。古い慣習の名残ではあるが、それが撤廃されたという話は国から降りていないため、その手引きに従って各孤児院の子供たちも院長の引率のもと、王城に足を踏み入れていた。
数ある孤児院の中の一つ、サルマン孤児院の面々も同じくして王城に避難していた。
壁際に膝を抱えて座り込む孤児たち。
髪を後ろで編んだ少女サリエルは、自分より小さな子供たちに余計な不安を与えないよう下唇を強く噛んで湧きあがる憂慮を我慢した。それでも手が震えるのを堪え切れないのか、小刻みに勝手に振動する左手を右手でギュッと押さえつけるように握りしめた。
その様子を二歳年上のミリガンが心配そうに見る。
「大丈夫・・・サリエル」
「う、うん・・・」
無理に笑顔を作るその様が逆に痛々しく見えてしまう。
ミリガンは彼女からしてみれば兄のような存在だ。ここで一つ、男らしく振る舞いたいところなのだが・・・いつも二の足を踏んでしまう臆病な性質が今一つ行動に移ろうとする心にブレーキをかけてしまう。
図体ばかりデカくなる一方で、何か行動することに異様に躊躇してしまう、この性格。
自身でも短所だと理解しているが、心の根底にある性質というものは理解したからと言って簡単に覆せるものでもない。
結局ミリガンは何か気の利いた一言でもサリエルに言おうとしたが、開いた口からは何も出てこず、すごすごと彼女の隣で同じように膝を抱えることになった。
「なぁなぁ」
そんな二人の空気をぶち壊すようにマイペースな声が正面――頭上から降ってきた。
「カ、カリー?」
「ど、どうしたの?」
顔を上げた二人の目に映ったのはカリー=ラッセルン。
ミリガンと同い年で10歳になったばかりのワンパク小僧だ。
「ちょっとさ、冒険しに行こうぜ! 城なんて俺初めて入ったしよ!」
「ちょ、ちょちょ! な、なな何言ってるの! 駄目だよ、そんなの・・・」
「そ、そうだよカリー・・・バックス先生に怒られちゃうよ」
てっきり乗り気でついてくると思っていたカリーは二人のつれない態度に「えー・・・」と顔をしかめた。
「んだよー、起きたばっかだと思ったらいきなし城に連れてかれるわ・・・人多すぎて暑苦しいわ・・・その上、こんなとこで座ったままとか暇過ぎて死んじまうわ!」
「む、むしろ・・・よくあの揺れで寝ていたね」
ミリガンの返しに「任せろ」と親指を立てる少年。いったい何を任せれ、任せたのか双方にとって疑問だったが、おそらく単なるノリなのだろう。
「カリー、一度寝ると中々起きないもんね・・・」
サリエルは苦笑してそう呟いた。
「そ、だから何でみんながこんなにソワソワしてんのか分かんなくてさー」
「ほぅ! こんな事態だってのに随分と肝が据わってるな、カリー!」
と、急にカリーの頭に大きな手が乗ったかと思うと、グルグルと小さく円を掻くように頭を回された。
「おぉ・・・ぉ~・・・め、目が回るぅ・・・ぅぅぅ?」
目を回して尻餅をつく前に頭から手が離され、カリーは遠心力のままに振り返り、後ろの人物を見上げた。
「先生、そのいきなり頭を回す癖、いい加減やめてくれッスよー・・・」
両手で頭部を抑え、狂った三半規管が元に戻るまでカリーはしかめっ面でその状態を続けた。
「ハッハッハ、まあアレだ。細かいことは気にするな!」
高々に笑い声を上げるのは三十代後半ぐらいの単発の筋肉質な男だった。
「あんまり細かいことを気にしていると、俺みたいになれないぞ!」
グッと腕を曲げ、力こぶを作るとカリーが目を光らせて「おお!」と食いつく。
その様子にサリエルとミリガンは「あぁ・・・またか」と大きくため息をついた。
「だったら気にしないッス!」
「よぉし、その意気だ!」
陰気な空気を吹き飛ばすように明朗に笑いながら、バックスはカリーの頭に手を置いた。
「いいか、カリー。お前はまぁ・・・あの揺れの真っ最中でも寝てたからあんまり実感沸かないだろうが、今――ここにいる皆は酷く怯えている」
「お、なんか悪い奴いるッスか! やっつけるッスか!」
「いや、悪い奴というか・・・天災の類だな」
「俺、天才だったッスか!?」
「ハッハッハ! まーある意味天才だな!」
「はっはっは!」
『・・・』
脈絡の無い会話も彼らには通じるものがあるのだろう。
二人して――主にカリーはバックスの真似をしているだけだろうが――この場の空気を読む気が無いと言ってもいいほど、快活に笑いあった。
そんな二人を遠い目で見るサリエルとミリガンであったが、当然そんな彼らの視線に気づくことは無かった。
「いーか、カリー。周囲に合わせることも大事だが、時にはそれが悪い方向へと繋がってしまうこともある。それが今だ。今、皆が怯えているこの状況でお前も一緒に怯えちゃ、誰も安心できない。わかるか?」
「分からないッス!」
「よぉーし、元気のいい返事だ! そっかー、分からないか。うむ、分からないならそれでいいんだが・・・要は何を言いたいかというとだ。とりあえずいつもみたいに他の子供たちと遊んでやれ、ということだ!」
「分かったッス!」
遊ぶ、という単語に過剰に反応し、カリーはあっという間に同じサルマン孤児院の年少の子らのところへ駆けて行き、何やらワイワイと話し始めた。
周囲の雰囲気に影響されて、俯き気味だった子供たちは次第にカリーの声に耳を傾け、遠慮がちではあるが次々と顔を上げていった。
その様子に一つ頷き、バックスはサリエルとミリガンを見た。
「バックス先生・・・あまり騒がしくすると~・・・」
「まあ怒られるだろうな!」
「え、えぇ~・・・」
サリエルの質問にハッキリと答える。
八歳という年齢ではあるが、既に自立の一端として料理の手伝いを始めてからというものの、今やカリーやミリガンよりもしっかりとした考えを持っているサリエルに、バックスは満足そうに「いやいや子供の成長速度というのは侮れないものだな!」と笑った。
その意味が分からず、サリエルは眉を下げて小さく息を吐いた。
「ま、カリーだけに任せると際限なく馬鹿騒ぎに行ってしまうからな。サリエルとミリガン、お前たちでアイツを適度に押さえつけておいてくれ」
「ええっ?」
「せ、先生はやってくれないんですか・・・?」
「俺か? 俺はそうだな・・・見ろ!」
フンッ! と目に見えそうなぐらい豪快な鼻息を出しながら、何故か再び力こぶを見せつけるバックス。
「・・・・・・えと、それが何か?」
ノリに付き合ってくれないサリエルの冷えた返しに、少し冷や汗を垂らしながらもバックスは続けた。しゃがみ込んで二人と同じ目線に合わせる。
「だからな、俺はちょっとこれから筋肉的活動を行わなけりゃならんのだ」
「つまり・・・救助か何かですか?」
「――まあ、そんなもんだな」
「?」
バックスの言い回しに首を捻るサリエルだが、頭に過った疑問が何なのかすぐには分からなかったため、彼女は特に気にしないことにした。
「うちの孤児院はまだ新参だからな・・・。年長はお前たちの世代になってしまう。本来ならお前たちも含めて俺が護ってやらないかんのだが・・・」
そこで初めて、バックスは申し訳なさを表情に現した。
その表情を見た瞬間、サリエルは咄嗟にペチンと小さな手でバックスを頬を叩いた。
「!?」
「ええっ!?」
サリエルの行動があまりに予想外だったため、バックスとミリガンは同時に似た驚きの表情を浮かべた。
手加減されていたため痛みは感じなかったが、そんなことよりも唐突に彼女が何故そんな行動をしたのかが分からず、バックスは言葉を失ってしまった。
サリエルはそんな院長の表情になおさら頬を膨らませて、腰に両手を当てる。
「先生!」
「お、おう!?」
「先生は馬鹿やってるのがお似合いです!」
「・・・・・・へ?」
普段、相手を傷つける行為どころか、数少ない材料から精一杯の料理を毎日作ってくれる、孤児院の中でも天使的な存在だったサリエルが、まさかの悪口を放ったことで更に男二人はアワアワと慌てふためく。
「あ、えっと・・・違います!」
「ち、違うのか・・・」
自分の言葉が悪口と取られたことに速攻で気づいたサリエルは、慌てて強く否定する。しかしでは――何がどう違って、何を伝えたいのか。さっぱりバックスには分からなかった。
「はい、ええ~っと・・・だから、その・・・先生っていつも明るいじゃないですか」
「・・・おう、この砂漠の熱気にも負けんほどにな! 熱く、明るく――」
「真面目に話してるのに・・・」
「・・・・・・い、いや、すまん」
サリエルの口からプラス要素の言葉が出たことが嬉しく、うっかりいつものノリで言葉が出てきてしまった。それが不真面目にとられたのか、本気でサリエルは落ち込んでしまった。バックスはさすがにその様子に被せるような真似はできず、素直に謝った。八歳の小さな女の子に筋骨隆々とした男がしゃがみながら謝る。実に奇妙な構図である。
「・・・その明るさが私もミリガンも孤児院の皆も大好きなんです。だからあの子たちのことは私たちに任せてください。先生が暗い顔すると・・・私も泣きそうになります」
「・・・・・・」
本当にしっかりした子だ、とバックスは思った。
どうやら一瞬でも頭の中を駆け巡る苦悩が表に出たことを心配しての行動だったようだ。
国からの要請、子供たちと一時でも離れなくてはならない状況。ましてや彼の孤児院は10歳になったカリーやミリガンが年長の小さな子だけの集団だ。心配しないわけがない。可能なら四六時中、子供たちの傍にいて安心させてあげたい。
そんな考えから浮かぶ苦悶を刹那でも子供に見せてしまった自分を悔いた。
「ハッハッハ・・・いや参ったな。そうか・・・そうだな」
「また・・・暗い顔してます」
力ない笑いにサリエルが震える声を漏らした。
「いや――違うんだよ。大人になると面倒な話でね・・・人前で泣くことに酷く抵抗を覚えるものなんだ。しかし、なんだ・・・思いのほかこの感覚を堪える、というのは難しいものだな」
「え?」
「先生・・・?」
と、次の瞬間、バックスは思いっきり自分の両頬を掌で叩く。
先のサリエルのビンタなど話にならないほどの轟音がエントランスを響かせた。
痛い。
が、おかげで子供の成長を目の当たりにして、嬉しさのあまりに溢れだした涙は衝撃で吹き飛んだようだ。
あのまま会話を続けていたら、みっともなく涙をこぼしていただろう。そしてその感情の揺れは子供たちに動揺を与えかねない。そう思ったバックスの咄嗟の判断だった。
だがその甲斐もあってか、先ほどまで靄がかかったかのような重い気持ちは、一新したようにスッキリしていた。
「ハッハッハ! 感謝するぞ、サリエル!」
「え、ええ・・・?」
若干引き気味な顔をするサリエルの頭をくしゃくしゃに撫で、同様に逆の手でミリガンの頭も撫でた。
「お言葉に甘えるぞ! サリエル、ミリガン! カリーと一緒に子供たちを頼む」
「は、はいっ」
「わ、わかりました」
バックスの心境と行動は理解できずとも、孤児院の年下の子供たちを任されたことは幼い心にきちんと受け止められた。二人はおずおずと頷き、既に馬鹿騒ぎに発展させようとしているカリーのところへと小走りで向かっていった。
「いやぁ、ハッハッハ・・・。子を持つ親は強いと聞くものだが、なるほど納得だな。あの子らのためと思うと無尽蔵に力が沸いてくる気がする。さっさと終わらせて、早く戻ってこないとな・・・」
思いのほか、いい年をして自分が涙もろいことに気恥ずかしさを覚えたものだが、胸の奥に充実した温かさを覚えたバックスは迷いの消えた笑みを浮かべて、サリエルたちに背を向けた。
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「ちょ、徴集兵・・・ですか?」
「ええ、ダビ殿は現在、庭師としての職務に就いておられましたが・・・いかんせん人手が足りないものでして・・・。後方支援として臨時徴兵がかけられたのです。ダビ殿は健康体の上、年齢もまだ四十代。そういった面もありまして優先的に徴集兵として参加を義務付けられております」
王城前に着くやいなや、兵士の誘導の元、王城のエントランスに通されたカミラとミリティアは、早速夫であるダビの姿を探した。
が、混雑したこの場所で当然見つかる訳もなく、こうして前を通り過ぎようとした兵士の一人に事情を聞いているところだった。
裏で動いている作戦の末端にいた兵士なのか、事情を知っていたのは幸いなことだったが、その内容は愕然とするものだった。
「ま、待ってください・・・! そ、その徴兵、ということは・・・これは自然災害ではないのですかっ?」
徴兵。
つまり国の命令の元、兵士として駆り立てられる、ということだ。
兵士として、ということは――言うまでもなく、戦場に死を背負って足を踏み入れることを意味する。
カミラとしては「地震」という印象しか無かった為、徴兵という単語はまさに死角から頭を殴られたかのような衝撃だった。
「あー、ええと・・・そ、それは」
急に兵士は口の滑りが悪くなり、しまったという感情を隠し切れないように慌て始めた。
ミリティアは外壁の向こうで起こった砂煙を思い出す。
本で得た知識と符号が合致する、この現象の原因。
その名を口にしようとしたが、口にしたところでどうなのだ。現状が変わる訳でもなく、ただ不安を煽るだけの結果になることは目に見えている。
ミリティアは母へ伸ばしかけた手を途中で止め、胸元へ引っ込めてしまった。
「あの・・・! お忙しいことは存じ上げておりますが、少しの時間でも構いません。主人に会わせていただくわけにはいかないでしょうか・・・!」
「そ、それは・・・私の一存では何とも・・・!」
「そ、そこを何とか・・・お願いします!」
大きく頭を下げるカミラ。
ミリティアも倣うように一緒に頭を下げた。
「だぁ~・・・こ、困ったな・・・」
冷徹に断り切れないところ、この兵士に人の好さを感じる。
「あれ、君は・・・」
と、兵士とは別の方向から声がした。
ミリティアは何となく視線を感じて顔を上げると、そこには何処かで見た顔の兵士がいた。
「あっ」
思い出した。
兵士に志願しようと王城に出向いた際に、一番最初に出会った門兵だ。
「君も避難していたんだね。無事で何よりだよ」
一度しか顔合わせをしていないにも関わらず、彼はミリティアの無事を安心したように微笑んだ。
「ミリティア・・・お知り合い?」
「うん・・・ここの門兵さん」
門兵は一度ミリティアに対して手を振ると、最初に話しかけていた兵士と少し離れた位置で何言か言葉を交わした。
言うまでもなくカミラとミリティアの願いの対応についてだろう。
やがて兵士が「そうなのか!」と驚いたように声を上げ、その後も幾つか会話を続けた後、彼は手を上げてその場を去って行ってしまった。話はまとまったようだが、どうまとまったのかは聞き取れなかった。
この場に残ったのは門兵のみ。
カミラは去ってしまった兵士の背中が人ごみに消えるのを見送ってから、少し遠慮がちに門兵を見て「あの・・・」と声をかけた。
「あ、大体の事情は伺いました。安心してください、旦那さんには会えますよ」
「本当ですか!?」
パァッと表情を明るくするカミラ。
(うぉぉ! 笑顔が眩しい! まさにこの親にしてこの子あり、って感じだよなぁー・・・俺もこんな美人なお嫁さんが欲しい・・・)
「・・・ど、どうかされましたか?」
心の中で血涙を流す門兵は、悔しさを押し殺すように唇を噛みしめ、苦々しく「なんでも・・・ありません」と返した。
「ゴホン、ええと、実はですね。つい先ほど、後方支援隊の徴集兵として配置される方の親族の方がいれば、作戦実行前に会せるようにって上からお達しがあったんですよ。前線は既に作戦のため動き出していますが、後方支援部隊はまだ待機中です。運が良ければ後方支援の必要が無い場合もあるでしょうし、あったとしても早くても数時間は指示がでることはない、とのことですので、その間に親族との面会を希望される場合はお通しすること・・・と伺ってます」
「で、では・・・!」
「はい、貴女を旦那さんのところにご案内させていただきます。ただ――」
門兵は少し言いづらそうにミリティアの方に視線を移す。
「・・・お子さんはこの広間に残ってもらう形になります」
「えっ?」
その言葉にカミラは目を見開く。
「な、何故ですか・・・?」
「あー、えっとですね。自分も指示の意図までは伺ってないので、理由を聞かれると困るんですが・・・面会が許可されているのは成人だけなんですよ。たぶんですが、戦地に近い場所での面会になるので、子供たちに余計な負担をかけさせないための配慮なんじゃないかとは思うんですが・・・」
後頭部を掻きながら、しどろもどろに門兵は言葉を選びながら喋る。
「戦地・・・そ、そうでした。その! 主人は・・・一体何と戦うために、その部隊に配属されたのでしょうか!?」
「いいっ? え、え~っと、その、そういう話はちょっとこういう場では話せないと言いますか・・・」
先ほど門兵が来たことによって有耶無耶になりかけた、ダビが徴集兵として後方支援部隊に参加する理由を思い出し、カミラは半ば泣き出しそうになりながら門兵に問い詰める。
「ま、まあ・・・実際に戦うのは前線部隊である一般兵の皆さんですので、後方支援は基本、怪我人の搬送や物資の補充に従事するはずなんで、旦那さんは・・・だ、大丈夫ですよ、きっと・・・」
「で、でもっ――!」
感情が抑えきれず、思わず声を荒げてしまうカミラだったが、ギュッとミリティアが服の裾を掴んできたことに気づき、ハッとした。
視界が狭くなっていたので気づかなかったが、どうやら自分たちのやり取りを周囲の人間――逃げ込んできた国民たちも耳を傾けて聞いていたようだ。
誰もが不安を隠せず、俯き気味に口を強く閉じていた。
「・・・ぁ、も、申し訳ありません・・・」
「い、いやいや! 貴女の気持ちは当然のものですよ・・・! そりゃ突然こんな事態になりゃ、誰だって取り乱しますし、不安だって計り知れないぐらいあるでしょう・・・。自分も逆の立場になったら同じ行動を取っちゃうんじゃないかと思うし・・・」
「・・・」
必死にフォローするも、一度冷静になると先刻までの自分の剣幕を恥じてしまったのか、カミラは唇を小さく噛みながら黙り込んでしまった。
「・・・あ、あの」
次の言葉が出ない雰囲気の中、思い切ってミリティアは間に入った。
「え、あ、ああ・・・えっと、なんだい?」
「わ、私も・・・その後方部隊のお手伝いを、できないでしょうか?」
その言葉に門兵は「へ?」と間の抜けた表情を浮かべ、カミラは驚きのあまり目を見開いてミリティアを見た。
「な、何を言ってるの、ミリティア! そんなの、無理に決まっているじゃない!」
「そ、そうだよ・・・君がいくらあのデュア――」
と言いかけて「おっと」と門兵は口を手で覆って自分の言葉を遮った。
ミリティアがデュア・マギアスであることは、モグワイからも口外しないように言われている。
危うく口走るところだったが、すんでのところで理性がブレーキをかけてくれたことに安堵のため息をついた。
「と、とにかく・・・君が最近、モグワイ殿と訓練している話は聞いたけど、それでどうにかなるほど甘い状況じゃないんだ・・・。君のお母さんが言うように、それは無理だと思うな」
「でも・・・後方支援は物を運んだり、怪我した人を運んだりする役割、なんですよね? それぐらいだったら――」
「だ、駄目駄目! む、無理だって・・・いくらなんでも無茶が過ぎるよ」
「そ、そうよ、ミリティア・・・貴女はまだ子供なんだから」
「・・・」
宥める大人二人に無茶なことを言っているのは理解している。
非力な子供が何を手伝おうと、邪魔になるのは目に見えているからだ。
だが、それはあくまでも普通の子供であった場合であり――自分には「魔法」がある。
腕力が足りなければ風の力を借りればいいし、万が一の時には雷の力で攻撃を仕掛ける事だってできるはず。
まだモグワイから魔法の制御については深くは教わっていないが、魔法の発動自体は何度か自分で試しているから分かる。雷魔法については未だ不安定な面もあるが、風魔法についてはある程度の制御を行える自信もあった。
だから決して足手まといにはならない、とミリティアは思った。
この場にモグワイがいれば、拳骨の一つでも脳天に繰り出されていただろう。
だがそのストッパーになるモグワイは残念ながらこの場にはいない。近衛兵として王の護衛に回っているのだろう。
ミリティアの発言が冷や水代わりになり、カミラは少しだけ頭の整理ができたのか、彼女は小さく手を握って門兵に尋ねた。
「・・・あの、私が主人のところに行っている間、この子はどうしたら良いのでしょうか?」
「えっ? あっ、そうですね・・・孤児院の子らも直に各院長の誘導の元、ここに集まってくるかと思うので、孤児院の集団の何処かに一緒になってもらう感じになりますかね・・・」
「そうですか・・・」
伏せがちに視線を落としてから数秒、カミラは決心したかのように顔を上げ、ミリティアに向き直って腰を落とした。
ミリティアとカミラの目線が交差する。
こうして腰を下ろすと、いつの間にかミリティアの顔が高い位置になった。子供の成長とは本当に早いものだとカミラは心の中で微笑んだ。
「ミリティア」
「お母さん・・・やだよ、私も一緒に行く!」
母の言わんとすることを理解したミリティアは首を振って否定する。
「お父さんの顔を見たらすぐに戻ってくるから・・・あの人にもちゃんと『無事に帰ってきなさい!』ってキツく言っておくから、ね?」
「でも・・・私、手伝えるよ? 邪魔にならないように頑張れるよっ」
「ミリティア・・・」
いつもより強めにミリティアを抱きしめ、その耳元でカミラはささやく。
「ごめんね、でも・・・これが今生の別れってわけじゃないから・・・。私はすぐに戻ってくるし、あの人も事が終われば元気に戻ってくるわ。だからちょっとだけ・・・いい子にしてて?」
「お母さん・・・」
「ほら、孤児院で仲良くしていたルケニアって子がいたでしょ? あの子のところに行って待っていて。場所が分からなかったら、院長の・・・シリアさんだったかしら。近くの兵士の人にその名前を出して、孤児院の子がいる場所に案内してもらって。・・・できる?」
「できる、・・・できる、けど」
納得のいかないミリティアの頭を優しく撫でる。
カミラの服を再び強く握る感触がある。ミリティアの無言の抵抗なのだろうが、それをカミラは首を振って優しく振り払った。
「すぐ、戻るわ」
カミラが立ち上がり、彼女の服から手が離れてしまう。
「ぁ」
ミリティアは悲しそうに母を見上げ、母もまた心を痛めたように眉を歪めた。
「――・・・すみません」
「貴方が謝るようなことは何も・・・むしろ私たちの方こそ色々と申し訳ありませんでした」
気まずそうに謝る兵士に対し、カミラは深々と頭を下げた。
最期にもう一度、ミリティアに言い聞かせるように頭を撫でてからカミラと門兵はその場を後にしていった。
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「・・・大丈夫ですかね?」
「・・・ミリティアのことですか?」
カミラと門兵が歩くのは王城内の廊下、王城の裏手に向かう道だ。
正面の城門は民衆でごった返しているため、裏手の小さな門から場外に出て外壁の西門に向かう手筈だった。
その道中で後ろ髪を引かれるような感情に、門兵は気まずそうに息を吐いた。
「ええ、まあ一応自分も初対面ってわけじゃないんで・・・どうも情と言いますか、気の毒に感じてしまうと言いますか・・・」
上手い言い回しが出来なかったことに若干気恥ずかしさを感じつつ、門兵は自分の胸の内を伝えた。
「ふふ、いつの間にかあの子も色々な人と出会っていたのですね」
「は、はぁ」
「ありがとうございます、そのお気持ち、あの子に聞かせてあげれば喜ぶかと思います」
「そ、そうですか? 特に喜んでもらえるような話でもない気がしますが・・・」
いまいち釈然としない門兵の様子に、カミラは思わず小さく笑ってしまった。
「心配することというのは、相手を想っての感情です。もちろん心配するような事態は無い事に越したことはありませんが・・・心配する、ということは『優しさ』だと思っています。ミリティアに『優しさ』を向けてくれる人がいる――親としてそれほど嬉しいことはありません。これからも宜しければ、あの子と仲良くしてください」
「そ、そういうもんですか・・・?」
「上手く言えませんが・・・そういった繋がりがあの子を支えてくれるのだと私は思います」
ミリティアを想っての笑顔に、思わず門兵は心臓が高鳴るのを感じた。
(うぉ~~・・・まずいまずい! あの笑顔は卑怯だろ!)
顔が熱く紅潮していくのを感じたため、思わず顔を逸らしてしまった。
「ま、ままま、まあ? 子供はす、好きなんで・・・べ、別に感謝されることでも無いです、よ?」
「ふふふ、それでも――ありがとうございます」
「あ、あはは・・・」
女性にあまり免疫がある方でもないのか、門兵はカミラの眩しい笑顔に耐え切れず、裏返った声で「ささ! は、早く西門に向かいましょう!」と先を促した。
「はい」
カミラが横に並び、そのまま廊下を突き進む。
が、それもすぐに止まってしまった。
「・・・あれ?」
二人の視線の先、廊下の中央に一つの人影が立っていた。
まるで二人の進行を妨げるように、だ。
「やあや」
軽い口調の青年の声。
その声に聞き覚えがあったのか、門兵は「ああ」と声を漏らした。
「貴方は先ほどの」
「うん、無事連れ出してくれたんだねぇ~」
廊下の壁に並ぶ燭台の炎に照らされた青年は二十代半ばぐらいだろうか。
まさに中肉中背という言葉が当てはまるような平均的な体格だ。
しかしその口元に張り付いた笑みはどこか――造り物のような印象を受け、正直、心を不安にさせる何かを感じた。
「ええ、貴方の伝令の通り、後方支援部隊の親族の方を西門の方へご案内しているところです」
門兵の言葉にカミラは「ああ、この人が指示をした人なのね」と状況の背景を何となく察した。
「あー、うんうん。後方支援ね、うん」
「?」
何故か青年は口元を右手で覆い、大袈裟な振る舞いで片手を横に広げた。
「いや、実はね。俺もこれからその後方支援に参戦する予定なんだ」
「なるほど、そうでしたか。では一緒にいかがですか?」
門兵の誘いに青年はゆっくり首を振る。
「いや遠慮しておくよ」
「そうですか?」
彼が何を言いたかったのか、いまいちピンと来なかったが、あまりカミラを待たせるのも悪いと思い、門兵は一礼した後に「では行きましょうか」とカミラの方を見た。
そして――同時に彼は目を見開いた。
「――え?」
自分は一体、何を見ているのか。
おかしい。
自分の中で想定していた光景は、その光景では『こんな景色』は無いはずだ。あってはいけない。今、視界を埋め尽くす、その光景は――起こり得るはずがないのだ。理由がない。そんなことが起こっていい理由がないのだ。
手が震える。
眼球が乾く。
耳障りな音がすると思ったら、それは自身の歯がガチガチとぶつかりあう音だった。
全身の毛穴がヒリヒリと痛む。
赤い。
赤い。
この廊下は――こんなにも赤かっただろうか。
「そりゃ――一緒には行けないよ」
自分はこんなにも――この悍ましい光景に錯乱しているというのに、彼は「日常」を見ているかのような落ち着きがあるように思えた。
「俺は・・・あの世に行くつもりはないからね~」
不意に何かが爪先に当たった感覚があり、門兵は見たくない感情に襲われながらも、本能に導かれるまま――足元に視線を移した。
そこには・・・先ほどまで眩しいほどの笑顔を向けてくれていた――半壊したカミラの頭部が転がっていた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
反射的に剣を抜く。
振り向きざま、何の躊躇もなく、門兵は青年に斬りかかった。
「へぇ、無様に狼狽して泣き叫ぶかと思ったら・・・中々肝が据わってるねぇ~。――ヒヒッ」
ちくしょう。
門兵は目尻に涙を浮かべた。
別にカミラと旧知の仲というわけでもないし、今日出会ったばかりの関係だ。
ミリティアだって、城門の前で一度会っただけ。互いのことは何も知らない。
――ちくしょう。
言ってみれば、ただの他人だ。
自分が生きる人生の中で、たまたま出会っただけの他人でしかないのだ。
――ちくしょう!
だが、尊いと感じた。
一度見れば分かるほど、あの母娘は優しい絆で結ばれているのが分かった。
この荒廃していく世界で、彼女たちは互いを想い、手を取り合って前を向いて生きていたのだ。
その意志はこの国から徐々に薄れつつある、人としての美徳。人としての尊厳。守らねばならない尊い意志なのだ。
だからこそ惹かれたのだろう。
一目惚れという言葉があるが、それに似た感覚なのかもしれない。
「ちくしょうがっ!!」
怒りが爆発し、門兵は力の限り、ショートソードを青年の肩口に振り下ろした。
人を斬ったことは無いが、間違いなく致命傷を与えられるほどの力は込めたと確信した。
しかし、その全身全霊を込めた剣は――青年に届くことは無かった。
「――・・・っ!」
気付けば、肘から先が無かった。
剣を握った両手は青年の遥か後方へと、回転しながら飛んで行ってしまった。
断面から吹き出す鮮血が、先に廊下を赤く染めたカミラの血に上塗りされていく。
「ぁっ・・・――、っ」
声が出ない。
今は脳が状況に追いつかず、痛みを感じない状態だが、すぐに体の欠損を認識し、激痛が彼を襲うだろう。
ちく、しょう。
目の前を舞う、魔法の残滓。
どうやらカミラを殺したのも、自身の腕を斬ったのも魔法による攻撃が原因らしい。
何をされたのかは不明だが、そんなことはもうどうでもいい。
問題はどうやってこの男を「殺すか」・・・ただそれだけだった。
「うがぁぁぁっ!」
失った右腕を振りかぶり、青年に向かって突き出す。
自分の想像よりも体が弱っているのか、驚くほど緩慢とした動作だった。
当然、そんな攻撃が当たるはずもなく、青年は嫌らしい笑みを浮かべたまま、門兵の腕を躱す。
「へぇ・・・へぇへぇ! いやぁ素晴らしい! ヒヒッ、これだけの傷を負いながらも、なお俺を殺そうと向かってくるなんて!」
何が可笑しい、と言葉にしたつもりだったが、口から漏れたのはヒューっという空気音だけだった。
「・・・」
「顔色が随分と悪いね・・・失血しているから無理もないけど。んー、君がこれだけ魅せてくれるとは予想外だったから、実に惜しいねぇ・・・。人は見た目に寄らず、ってことなのかな? それとも――」
青年は口の端を上げ、廊下に散らばる肉片を指さした。
「好意を持った人間が死ぬ様は、人を強くするのかな?」
「っ、・・・の、ぁぁぁぁぁ!」
吐瀉物をまき散らしながら、門兵は武器も何も持たない状態で――殺意だけを胸に青年に向かっていった。
「いい目だよ。だけど――」
青年の眼前に展開されるのは風の魔法陣。
その魔法陣が砕けると同時に、幾層もの風の刃が宙に展開されていった。
「君には力が足りなかったようだ」
残念だ、と言わんばかりに憐れみを以って見下ろす青年。
その眼差しが、門兵の最後に見た光景となった。
「――」
細切れになった門兵を見下ろし、青年はふとため息をついた。
「ふぅ・・・乾くねぇ。こうして終わってしまうと、残るのは渇きと虚しさだけだ」
ガリガリと前頭部に爪を立てて掻き毟る。
掻き毟った手の指の間に挟まった髪の毛を見てため息をつき、手を払って廊下に捨てた。
そして落ちた髪の毛の下を埋め尽くす血の海を見て、盛大にため息をついた。
「あー、今度から場所は考えてやるかぁ・・・。掃除しきれんのか、これ」
ゲンナリしたように再び頭を掻き、青年は風の魔法を発動させて散らばった死肉を一つにまとめていき、団子のような状態にして自身の目の前に浮かせた。
「ま、でも・・・デュア・マギアスの嬢ちゃんにはいい気つけになるだろうよ、ヒヒッ。そう思えば、掃除の苦労もやりがいがあるってもんだねぇ」
足元が微妙に揺れる。
どうやらあの化け物がまた身じろぎしているようだ。
「あっちはあっちで・・・成功とは言い切れないけど、貴重な成果は得られた、ってとこかな」
壁の向こうを見通すかのように、青年は震源地の方を見る。
再び下卑た笑みを貼りつかせ、青年はまるで「自分が考えた実験が概ね上手くいった子供」のように興奮気味な表情を浮かべた。
「今は――まだ傍観する時。ああ、果実が実るのはいつの日になるのか、楽しみだなぁ」
その言葉に呼応するかのように、また小さく大地が揺れ動くのであった。




