第63話 ミリティアの追憶 その4
セーレンス川中流。
アイリ王国の国土とはいえ、たまに水の回収のために水牽き役がくるか、水浴びのために兵士が足を運んでくる時以外、ここにアイリ王国の人間が来ることはそうそうない。
清流が木々の中を流れていく音は実に気分の良いものだ。
水質も綺麗で、水底がはっきりと見えるほどだ。
そんな中、一人の青年が平らな岩に腰かけ、ゴソゴソと作業を行っていた。
手ごろな木の枝に糸をつけ、返しのついた針にその辺の土の下にいたイトミミズを刺し、川の中に投げ込む。
非常にシンプルな釣りだが、これがまた意外と成功するのだ。
この辺りの水域はさほど深くないため、生息している魚もそれほど大きな種類はいない。
また土壌も様々な栄養が豊富に含まれているため、そこに住み着いているイトミミズなどは魚にとってもご馳走といってもいい存在になっている。
つまり――適当な木の枝で、餌もその辺に転がっている、実に素晴らしい釣りポイントなのだ。
だというのに一向に「釣り」というブームがこの世界に広がっていかないのは、聊か納得のいくものではなかった。まあ魔法が常識化してしまった昨今では、釣りという手法は廃れてしまった・・・という時代背景は十二分に知ってはいるのだが。
何はともあれ、新鮮な魚をタダに近い形で手に入れられるこの場所は天国と言っても過言ではない。現地調達できない素材と言えば、糸と針ぐらいだろうが、そんなものは一日どこかで日雇いの仕事でもすればお釣りがくるほどの低コストだ。
「・・・」
水面に沈む針。
その針と木の枝を結ぶ糸と水面の境界に広がる波紋を見ている時間が、何とも落ち着く。水流が早い川であれば波紋が生じることもない、緩やかな水流が特徴のセーレンス川中流だからこそ見られる景色だ。
実に心が落ち着く。
しかし妙だ。
いつもならこの波紋を何も考えずに見ていられるのだが――、今日は波紋に違和感しか感じない。
妙に波紋が大きいのだ。
いや、というより釣り糸から発生しているわけでなく、川全体に波紋が広がっているのだ。
そう言えば心なしか、腰をかけている岩も振動している気がする。
「む」
一文字、声に出した瞬間、世界が大きく揺れた。
当然、釣りどころではない揺れだ。
最初は地震かと思ったが、ここ最近、この近辺で地震が起きた記憶はない。というより、この近辺でこういった揺れが発生する事象は――過去に覚えがあった。
「随分と・・・国の近くに顔を出したんだな」
隻腕の青年――ヒザキはため息をついて即席釣り竿を引き揚げ、近くの木の根元に置く。
そして代わりに布に包まれた相棒を手に、足元が覚束ないほどの揺れの中、気怠そうにゆっくりと立ち上がった。
「やれやれ・・・実にタイミングの悪いことだ」
全く感情を見せない鉄面皮は、まるで大したことは起きていないかのように肩を竦めて、セーレンス川を背にした。
*************************************
「おい! いってぇ何が起きているんだっ!?」
人の声とはこうも喧噪へと進化すると聞き取れないものか。
一定の人数を超えた人間がその数の分だけの思惑を好き好きに話せば、一歩離れた場所にいる人間には「言葉にならない音」として届くものだ。それも場にいる全員が慌ただしく話していれば猶更だ。
雑音と称しても良い怒号の嵐の中、リカルドはその怒号を吹き飛ばそうかと言わんばかりの声量で兵士の一人に言葉をかけた。
鼓膜が吹き飛んだかのような錯覚に陥るほどの大声だったが、兵士は何とか気を保ち、現状を把握しようと喉仏を均す猛獣に説明する。
「ハッ、先ほどの地揺れに関してですが・・・まだ明確な情報は掴んでおりませんが、どうもサスラ砂漠に巨大な質量が落下したかしたようで・・・その影響による振動かと――」
「あぁ? どういう意味でぃ・・・もっと分かるように説明しろ!」
「ヒィッ! え、ええと・・・」
「まぁまぁリカルド、待ち給え。まだ情報が集まり切ってない上に、送受が錯綜してまとまりきっていない状態なんだ。この子に怒鳴りつけたところで、それが解消するわけでもあるまい。そうカッカしないで情報が整理されるまで待ちなさい」
「・・・・・・爺さん」
歯をむき出しにしてイラつきを露わにしたリカルドの背後から、落ち着いた老兵の声がその場の緊張感を緩和させた。
ギリシア=ガンマウェイ。
アイリ王国一般兵を統率する総隊長の言葉に、リカルドは軽く舌打ちをして言葉を飲み込んだ。
「ああ、君・・・情報収集のために必要な作業があれば遠慮なく俺に言ってくれ」
「は、ハッ!」
総隊長が片目を瞑って優しく言葉を与えると、リカルドに噛みつかれていた兵士は安堵したかのように元気よく返事を返した。
「ケッ・・・んな面倒なこと考えてねーで、さっさと現場に行って状況を見てこりゃいいだろうが! 爺さん、俺は行くぞ!」
「待て待て、待ちなさいっての」
返事を待たずに踵を返すリカルドの鬣を強引に掴み、その足を払って巨漢を床に押し倒す。
リカルド自身も自分が軽々と伏せられるとは思っていなかったらしく、一瞬唖然とした表情になったが、すぐに上半身を起き上がらせてギリシアに文句をぶつける。
「なっ、何しやがる!」
「そら許可も無く勝手に砂漠に出ようとするからだろうに。今日は天気も晴れてるし、砂嵐もこなさそうな気候だけど、それでも砂漠は気軽に足を運べる環境じゃないぞ。現地に何が構えているか分からない上に、不利な地理に足を踏み入れるなんざ自殺行為もいいところさ」
「だからって黙ってジッとしてろってか!?」
「そうしろと言っている」
スッと、ギリシアの鋭い眼光がリカルドの体を硬直させた。
暗に「これ以上駄々こねるなら、意識飛ばすよ」と言っている目つきだ。実際に過去、ギリシアの静止を無視して行動に移った際に、次の瞬間、気づいた時にはベッドの上――という経験がある。その時も同じ眼光を放っていたから間違いないだろう。
実力差を弁えているリカルドは、口を開くもそれ以上の言葉は漏らさず「わかったよ」と小さくギリシアの指示を受け止めた。
「わかれば宜しい。だけどジッとしてろと言っても、別に言葉通りにそこで座ってろって意味じゃないよ?」
「あん?」
「リカルド、手が空いているなら王城の監視塔に登ろう。あそこなら外壁の向こう側も見通せるからね」
「・・・分かった」
ギリシアの意図を理解し、リカルドはゆっくりと巨体を立ち上がらせた。
と同時に、再びあの揺れが王城を――アイリ王国を襲う。
「おっと――」
「ぬっ!」
二人は咄嗟に倒れないよう、足に力を入れて踏ん張った。
周囲では悲鳴や混乱の声が相次ぎ、今の揺れで体を地面に打ち付けた者もいた。
「ケッ・・・どいつもこいつも体幹の鍛え方が甘ぇな! この件が片付いたらテメエら、全員根性を叩き直してやっからな!」
その言葉を聞いて今度は別の意味の悲鳴が上がったが、リカルドはそれを無視して「行こうぜ、爺さん」とギリシアを促した。
ギリシアは頷き、リカルドと共に王城の最上階に繋がる搭へと足を向けた。
二人は小刻みな揺れに足を取られないように気を付けながら、王城内の廊下を駆けて行った。
その道中、ギリシアは考える。
(この国に来て、はや5年・・・地震の一つも無かったこの国で、これほどの揺れが生じるかねぇ。あり得ないという訳じゃないけど・・・どっちかというと「あっちの線」の方が濃厚な気がするねぇ)
無意識に腰のグラディウスの柄に手を当て、ギリシアはやれやれと息を吐いた。
「老体には厳しい運動になりそうだよ」
横を走るリカルドがその独白に対して「んだよ、この程度でヘバッてんのか、爺さん!」と嬉しそうに勘違いで絡んできたが、当然、この程度の疾走で疲れを感じるわけもない。
いつもなら普通に訂正して終わりなのだが、体力面で勝ったと思っているリカルドの表情を見ていると、悪戯心が芽生えてしまい「そうか、それじゃもう少し頑張るとしようかの」と笑顔で言い放ってから、走る速度を三倍に上げた。
遥か後方から怒声が響いたが、素知らぬ顔でギリシアは疾風のごとく王城を駆け抜けていった。
*************************************
初めは立っていられないほどの地震に対する警鐘が鳴っていたが、徐々に情報が集まり、震源が何なのかが明るみになっていくと同時に、次に鳴る警鐘の重みは別次元へと変わっていった。
「サンドワーム、だと・・・!」
ベルゴー宰相に対して、頭を下げながらギリシアとリカルドが報告をする。
場所はベルゴーの執務室。
震源の調査と国民の安全確認と揺れへの対策を取りまとめていたベルゴーにとって、ギリシアが口にした内容は実に最悪なものであった。
「地震」に対する被害を抑えるための非常線を張っていたベルゴーだが、対策の根底から覆す存在に苛立ちと焦りを表すかのように、手元にあった対策案の書かれた書面を破り捨てた。
「・・・確かなのですか」
「ええ、砂煙で姿こそ隠れていたものの、その中で蠢くあの巨体は――サスラ砂漠ではワーム以外おりませんでしょう」
「監視塔からよく見えたぜ。しっかし距離感が狂うデカさだな、ありゃ」
ベルゴーの再確認に、ギリシア、リカルドが各々答える。
「・・・なるほど、縦揺れではなく横揺れだったのは奴が地上に出る際に地殻の一部を押しのけた反動だったから、というわけですね。噂に違わない規格外さですね・・・昔は外壁のない観光施設もオアシスに点在していたようですが、そんな化け物とどう相対していたのか・・・不思議なものですな」
「昔を振り返っても現実が変わる訳でもなんでもねぇだろ? 今をどうするか――そんだけを考えりゃいい」
リカルドの言葉に冷静さを取り戻したのか、ベルゴーは「そうですな」と小さく笑みを浮かべ、今後の話へと頭を切り替えた。
「過去の資料によると、サスラ砂漠の地殻は砂漠の中心に向かえば向かうほど、地表との距離が離れているとあります。つまり砂の体積が中心に向かって多くなる傾向というわけですな。故にワームが地中から這い出てくる際に周囲に地揺れを引き起こす地域は限られている――」
「ま、見たまんまサスラ砂漠の『端』に近けりゃ近いほど、奴が出てくる衝撃で揺れやすいってなわけだな」
リカルドの言葉に頷いて肯定する。
「で、問題は奴が何故この近くで顔を出したかってことだねぇ」
ギリシアは頭を掻きながら壁に背を付けて肩を竦めた。
「ええ、滅多に我が国でも奴の出現による被害にあったことが無いことから分かる通り、奴が国近辺で姿を現すことはありません。理由は幾つかあるでしょうが――最たるものとしては、奴の生息地が基本柔らかい砂の中だから、ということでしょう」
「あん? どういうこった・・・」
「ここら一帯は地上と砂を挟んで地殻との距離が近いということだろうねぇ。つまり、奴の巨体でこの辺の地中を通り抜けようとすりゃ、どうしても堅い地殻に体が当たることになる。それで奴は移動経路が狭くなってきたことが原因で地上に顔を出してきたってことだろうさ」
「ご明察通り、流石のご慧眼と言ったところですな。と言いましても、古き資料からなぞらえた情報のため、事実にどれだけ基づいているかは不透明ですが・・・」
「ま、そこは昔の人達を信じましょうっということで。砂の中を根城としている奴としても浅い地盤の上で活動することは不本意なはずだろうし、じきに回れ右をして砂漠の中心に戻っていくってのが道理に思えるけど――どうだろうねぇ」
「机上での理論な上に、希望的観測も含まれた話ではありますが・・・そうであってもらいたいものですな」
「・・・」
ベルゴー、ギリシアの両者の会話に口を挟むタイミングを掴めないリカルドは、何処かつまらなさそうに執務室の内装を眺めた。
壁一面を占有する譜天鏡図は今日も変わらぬ地図風景を誇示していた。整理された室内は部屋主の性格を如実に顕しているようだ。
「なんにせよ外を監視する部隊と情報を集約する役割が必要でしょう。場合によっては連盟側に協力を要請する必要もあるけど・・・連盟の拠点までは遠すぎる。あまり過度な期待はできないだろうねぇ」
「・・・遅かれ早かれ事態の報告は必要です。発端だけでも連盟側に伝えておけば有事の際の連携も取りやすいでしょう。一部隊、連盟に派遣しておきたいと思います」
「こういう時に風の魔法で一っ跳びできる魔法師がいりゃ、楽なんだけどねぇ」
「あそこまで飛べる魔法力を持つ人間がいれば、それは大発見ですよ。国としても宝に成りうる人材になるでしょうな。もっともいれば――の話ですが」
そうだねぇ、とギリシアは肩を竦め、ベルゴーは苦笑した。
「外に関してはお任せしても?」
「ま、それが専門だからねぇ。任せておいてくださいよ」
落ち着いたギリシアの返しに、どこかホッとしたように肩を下げるベルゴー。
最悪、巨大なワームとの戦闘にも発展するかもしれないこの状況下で、平常心を保ち、周囲に不安を与えない振る舞いができる彼の胆力は実に頼もしい。
「非戦闘員は情報の方に回すつもりだけど・・・場合によっちゃ兵士以外でも、戦闘経験のある人間には手伝ってもらうかもしれないねぇ。まぁ主に補給や伝令、治療班として、って感じだけど」
「そうですな。その時は出来うる限り、後方支援に徹するよう指示しておきましょう」
「・・・」
終わりそうで終わらない会話を半分耳にしつつ、リカルドは窓際にゆっくり移動して、そこから見える外の景色を何となしに見下ろした。
こういう戦略は、参謀だのなんだの頭の回転が速い人間に任せておけば良い。話についていけない人間が無理に入ろうとしても邪魔になるだけだし、結論が出れば無駄を割愛して要点をまとめた指示だけが降りてくるだろう。自分はそれを待っていればいい。隊長の座に座る者として、それはどうかと言う人間もいるだろうが、リカルドは戦闘に特化した兵士でもある。足りない戦果は戦いで補えば良い。
ズズ、と床が沈み込むような感覚。
どうやらあの芋虫がまだ近くで暴れているようだ。いや、あのサイズであれば身じろぎするだけでも、これだけの振動がここまで伝わってくるかもしれない。
「チッ・・・ジッとしてろってん――」
そこで窓の外を見ていたリカルドの目が見開かれる。
先ほど外壁の向こうを確認する際に登った王城の最も高い位置にある監視塔よりも低い場所にあるベルゴーの執務室だが、それでも王城の中腹に当たる高度にある。
つまり辛うじて見えるのだ。
外壁の外側の様子が。
ほぼ視界は外壁に遮られているものの、その高さを超える現象は確認することができる。
外壁の高さを優に超える砂煙が舞い上がり、次の瞬間、今までの比ではない信じられないほどの揺れが部屋を襲いかかった。
『・・・・・・・・・っ!?』
「なっ――!」
咄嗟にギリシアとリカルドは振動の影響で舌を噛まないよう口を真一文に閉じて、壁に背をつけることで転倒を避ける。
当然、ベルゴーは多少の武道を嗜んでいても現役を退いて数十年の老体。
驚きに声を上げて、揺れの慣性に逆らおうと踏ん張るが、耐え切れずに後方に倒れ込みそうになった。
「・・・・・・」
しかしギリシアが素早く彼の脇に手をかけ、自分の方へと片手だけで引き寄せる。
礼を言おうとするベルゴーだが、ギリシアが口元に人差し指を当てて「シーっ」と黙っているよう合図をしたため、素直にその指示に従うことにした。
大きな縦揺れだ。
おそらく地上にいればまだマシな揺れに感じるのだろうが、王城の中でも高い場所にあたる執務室。この場所で感じる揺れは、本当に城が崩れるのではないかと感じさせるほどの揺れに思えた。
リカルドは窓の外から目を離さずに、小さく舌打ちをした。
揺れは徐々に収まるものの、小さな振動は止むことなく足元から伝わってくる。
「――リカルド」
「ああ」
何度か足元を踏んで、正常に立てる程度の振動に落ち着いた頃合いに二人は口を開いた。
「こ、これは・・・?」
乱れた白髪を右手で抑えながら、ベルゴーは茫然と窓の外の砂煙を見た。
「ま、結局のところ・・・計算通りに動いてくれる生物なんていないってことだねぇ」
ギリシアは腰の一対のグラディウスに手をかけ、口の端を上げた。
「だったら俺らも計算通りに動く必要はねぇ・・・! 様子見は終わりだ――ぶっ潰してやるぜ!」
野獣のように声を荒げ、体内に溢れだすアドレナリンに促されたように鬣のような髪がわなわなと震え始める。
「いやいや、何言ってんの?」
「アァ!?」
てっきりギリシアの表情から彼も「やる気」だと思ったリカルドだったが、その彼の静止にガクッと膝を折り、出鼻を思いっきり挫かれたことに思わず威嚇してしまう。
「あんな巨大なヤツと戦うだけ無駄だよ。踏みつぶされて終わりさ」
「ハ、ハァ!? んじゃ、なんだぁ? このまま傍観してろって言いてぇのか! さっきの見ただろ! どう見ても奴ぁこっちに近づいてきてんだぞ!?」
窓の外の砂煙は間違いなく、最初の地震の時に上がった砂煙よりも近い場所で発生していた。
未だ標的は砂煙の中に姿を隠れている状態で、その様子を伺うことができないが、揺れが先よりも強力になっていることから、ほぼ間違いはないだろう。
早々に対処する必要がある。
それが間違いない。仮に多少の被害や犠牲を出そうとも国を護るためなら「必要な犠牲」だ。この時点で最も必要なことは――迅速な判断なのだ。
だからリカルドは本気で怒りをギリシアにぶつける。
彼の中ではもう「戦ってサンドワームを撃退する」方法しか存在しない。
故にその唯一の方法に「待て」をかけ、無駄に時間を潰そうとする行為に頭が沸騰したのだ。
しかしそんな野獣の如き巨漢の憤怒もどこ吹く風。
ギリシアはいつもと変わらない様子で、手をヒラヒラと振った。
「リカルド一人が勝手に死ぬ分には構わないけど、それに全員を巻き込むのはよしなさんな。それは不要な犠牲だよ」
「アァ、ビビッて逃げ腰になってんならそこの部屋の隅で小さくなってろや! 俺は一人でも行くぜ!」
部屋の隅を指すリカルドにギリシアは盛大にため息を吐く。
「あぁ・・・一般兵の行く末がちょっと不安になってきたねぇ。いち隊長がそんな短絡的でどーすんのだよ」
「爺さんよぉ・・・アンタぁ尊敬できる男だと思ってるぜ・・・。だが、だがなぁ――緊急時にウジウジと迷って行動が遅れる奴ぁ隊長の器じゃねえ! その小さな時間が民を、仲間を無駄に死なせるかもしれねぇんだぞ! 相手が俺より強かろうが何だろうが知ったことか! 俺より強けりゃ、俺が囮になってでも時間を稼いで国の奴らを逃がす! そういうもんだろうが!」
「なんだ、分かってるじゃないか」
「だからっ――、っ・・・あ、なに?」
激しい剣幕だったリカルドだったが、あっさりと肯定されたことにより二の次が上手く出てこず、前につんのめるかのように怒りの宛先を見失ってしまった。
「だから『囮』だよ。無理に真っ向から戦う必要はないが、我々兵が囮となってサンドワームを国とは別の方向へとおびき出す。そのまま砂漠の向こうに帰ってくれりゃ万々歳だけど、最悪、国を出てでも一時的に避難命令を王から出してもらう必要もあるかもねぇ。俺はそれが現状における最善の策だと思うよ」
「お、おう・・・?」
「いやてっきり馬鹿の一つ覚えみたいに真正面から迎え撃とうとしてんじゃないかと思ったけど、ハハハ、いや失敬。計算の上に並べた言葉じゃないんだろーけど、そういう言葉が出たってことは、少なくともリカルドの中に『その可能性』を無意識下に計算していたってことだからね。ふむ、少しは成長したってことでいいのかねぇ」
「・・・」
悪態を突こうにも、今にも剣を抜きそうになるほど激昂していた感情が邪魔をして、何も言葉は出てこなかった。徐々に頭が冷めていき、ようやくギリシアの思惑を理解し始める。
その時には既にギリシアは次の行動に移っていた。
「ベルゴー殿。我々一般兵は奴を砂漠側に誘導するよう、攻撃を仕掛けます。倒すためではなく、奴の移動方角を砂漠側に向けるための攻撃ですので、回避に集中すれば被害も最小に抑えられるとは思いますが――」
「え、ええ・・・それでも命に関わる傷を負う可能性もあるでしょう。私の方で兵役の経験者を募り、後方支援の隊を編成したいと思います。ただ、指揮系統は現役の者を置いた方が良いかと思うのですが・・・」
「仰る通り。後方支援部隊にはマイアーを配置させよう。まだ若い女性だが、その実力は現第三部隊の副隊長を任せられるほどなんでね。安心して指示に従うに値する女性です」
「分かりました。では――」
「ああ、早速行こうかね。リカルド!」
「ア、アァ・・・?」
ようやく自分の一人相撲だったことに気づき、似合わない赤面を浮かべる大男に、今度はギリシアが体の芯に響くような声を上げる。
「何をしている、さっさと動かんか!」
「わ、分かったよ、爺さん・・・!」
心の中で「くっそー、納得いかねぇ」と愚痴を垂れながらも、リカルドはまだまだ遠い総隊長の背中を追いかけて走った。
*************************************
ミリティアの知らぬところで様々な動きがある中、彼女は必死に両足を動かし、自宅へと戻っていた。
外壁の向こうで噴水のように上空に吹き上がる砂の壁。
やがてそれらは風に乗って国土にも砂の雨として降りかかってきていた。
口の中に入らないように腕でガードし、地面に溜まった砂に足を取られないように指先に力を入れながら――それでも足は止めずに道を走っていく。
砂嵐の時とは違い、風が強いわけではないのだが、自然現象では見たことのない不気味な砂の雨は砂嵐よりもある意味、危険なものに感じた。
走りにくい。
息がしづらい。
砂のせいでいつもより足に力を入れているせいか、体力が勢いよく減っていくのが分かる。
それでも不安が疲弊を上回り、その不安を払しょくするためにミリティアは走り続けた。
やがてようやく目的地へと彼女は辿り着いた。
息を切らしながらも、それを整えることすら忘れて家の玄関を開ける。
「お母さん!」
本来であれば王城に勤務している父のところにも行きたいところだが、まずは近い方の母の方へと駆けて行った。万が一、部屋の物が倒れ、その下敷きになっていたら大事だ。
父はそれなりに力の強い方だと思うが、母は見た目通り華奢な人だ。
大人の男性なら耐えられることでも、母には命に係わる事件にもなり得るかもしれない。
玄関口をくぐると、棚は倒れ、壁にかけていた織物も全て床に落ちていた。
心臓が締め付けられるほどの不安に襲われる。
「お、おか――」
「ミリティア!」
再び名を呼ぼうとしたところで、部屋の奥からカミラが顔を出してきた。
どうやら身支度をしていたようで、母が外出時によく着込んでいた外套を半ば腕に通した状態だった。
カミラも慌てたようにミリティアの傍に駆けていき、その勢いのまま彼女を抱き寄せる。
「よ、良かった・・・今から貴女を探しに行くところだったのよ!」
「お、お母さん・・・うん、良かった。お母さんが無事で・・・本当に、良かったよぅ・・・」
互いに身を案じ、その無事を確認したことで涙をこぼす。
「ミリティア、怪我とかはない・・・? 転んだりとか、何かにぶつかったりとかしてない?」
ミリティアの腕や体に異変がないか確認するカミラだが、ミリティアが元気よく「大丈夫だよ!」と立ち上がったことで、ほっと安堵のため息を漏らした。
「お母さんも大丈夫・・・?」
「ええ、お母さんはこう見えても結構丈夫なのよ?」
ミリティアの無事を確認できたことで少しだけ心に余裕が出たのか、カミラは冗談っぽく笑いながらミリティアを再び抱きかかえた。
我が子の温もりに「本当に・・・良かった」ともう一度、あふれ出る感情を言葉に出した。
頭を撫でると、やはりその感触が好きなのかミリティアも目を閉じて為すがままに母に身を寄せた。
そのまま数分。
互いが全身に走り回っていた緊張感が解れるのを感じるまで抱き合った。
ようやく硬直が解けてきたのを感じ、二人はふぅとため込んだ何かを外に出すかのように息を吐いて、向き直る。
「ミリティア、私はこれから王城に行こうと思うの。城の中だから安全だとは思うけど・・・やっぱり心配だから」
「うん、私もお父さんが怪我してないか心配・・・」
「ええ、そうね。あまり外を出るのは良くないと思うけど・・・貴女を置いていくわけにもいかないから、一緒に行こっか」
「うん!」
元気よく返事をするミリティアに一度笑顔で頷く。
カミラはゆっくりと立ち上がって、中途半端に袖を通していた外套を改めて着直す。
カミラがフードを被ったのを見て、ミリティアも元々来ていた子供用の外套のフードを真似するように頭にかぶせる。
「ほら、手」
カミラが手を差し出すと、嬉しそうにミリティアは自分の手を重ねた。
「絶対に離しちゃ駄目よ?」
「大丈夫! それに私、少しは強くなったんだよ! お母さんは絶対に私が護るから安心して!」
ミリティアの満面の笑顔にカミラは未曽有の事態であることを忘れてしまうほど、見とれてしまった。
数秒の間だけ茫然とした後、ふふっと思い出したように笑みを溢す。
「? どうしたの、お母さん」
「ううん、何でもないのよ。行きましょう」
「うん!」
母娘は玄関を通り、空から舞ってくる砂を吸い込んだりしないように俯き気味に外へと足を踏み出した。
外を出歩くには最悪の天候――もとい状況だ。
だと言うのにカミラはまだ口元の笑みを浮かべたままだった。
(ミリティア・・・貴女は誰かの幸せのために強くなるって言うけど――)
まだまだ小さな少女の手を少しだけ力を入れて握り、その感触を確かめる。
(私たちにとって、貴女の笑顔があるだけで・・・それだけで幸せなのよ。だから決してその笑顔を忘れないで。貴女自身が笑っていなきゃ、誰かを笑顔にすることなんて出来ないんだから・・・)
今は言葉にせずに心中にとどめておく。
ミリティアは一生懸命に前へ向かって走っている最中なのだ。
それを邪魔とまでは行かずとも、迷わせてしまうことはなるべく言いたくなかった。
ミリティアがもっと成長し、様々な未来を想像し、考え、選択できる年齢になった時、改めて親としての気持ちを彼女に伝えよう。
カミラはそっと胸の中でそう想った。




