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テトラ・ワールド  作者: シンG
第1章 建国~砂漠の国~
59/96

第59話 決闘の行方

ミリティアが無造作にエストックを振るうと同時に、周囲の風が砂塵を模り、ヒザキの視界を砂が埋め尽くした。


「っ――目くらまし、か」


ミリティアの構えからして、刺突による攻撃がくることは容易に予測できる。

「線」としての軌道を描く斬撃に比べれば、「点」として直線的に向かってくる刺突は一見、躱しやすいように感じるかもしれない。

確かに攻撃範囲は点なのだから、そこだけを避ければ回避することは可能だろう。


素人や多少剣の腕がある程度であれば、難なくヒザキも躱すことができる。

しかし相手はこの国最強のデュア・マギアス。


砂煙の隙間から小さな光が見えたような気がした。


ヒザキは右足に力を入れ、大袈裟に左方へと飛びのいた。


刹那、砂塵を吹き飛ばし、触れる物すべてを塵と化す雷を纏った「突き」がヒザキのいた場所を通り過ぎる。

連撃ではなく、一撃に全てを込めた突きだ。

風を土踏まずから逆噴射し、態勢を切り返して再び対峙するミリティア。


ヒザキは意識は彼女から逸らさず、自身の右腕を一瞥した。

どうやら彼女の通り道の余波が、右腕の袖を全て焼き払ったようだ。肩口に残った焦げ目から先は何もなく、右腕の表皮に火傷の跡が残っていた。


(完全に躱したはずが、これか――)


常人ならこの火傷だけで平静を失い、戦意を失っていたかもしれない。

余波だけでそれだけの威力を持っていた。


狭い廃庭園で、かつ周囲には非戦闘員含めた観客がいることから、彼女も最小限に雷撃を抑え込んでいるが、逆にそれが威力を高める結果にもなっていた。


今までの彼女なら剣に雷魔法を纏わせる際も、一定量の雷撃が空気を通して周囲に霧散していた。それは彼女の雷撃の威力を弱める結果でもあるのだが、その制御が難しいことと、今までそれで困る程の敵に会ったことがないことから、それほど疑問を覚えることは無かった。


しかし今は違う。

無意識なのか確信からなのか。

今の彼女は攻撃範囲を抑え込んでいるように見えて、実際は凝縮された最大出力の攻撃を繰り出している。

その矛先がヒザキ一人に向けられるように精密な調整もされているようだ。


ヒザキは先ほど感じた風の動きを思い返す。


(魔素との親和性が高まっている・・・なるほど、リーテシアだけでなく君も随分と愛されているようだな)


彼女を護るように渦巻く風と、彼女の思惑に沿って出力と範囲を調整している雷。

その二つを構成する二種の魔素が、まるで彼女を援護するように動いていた。


実に厄介だ。

少なくともつい先ほどまでの彼女と戦っているという意識でいれば、近い未来に膝をつくのはこちらになるだろう。


そしてもっと厄介なのが、彼女の刺突だ。

躱したものの、斬撃による攻撃と異なり、ヒザキは大きく回避行動を取らざるを得なかった。

理由は明白。

彼女の刺突は大剣で捌いたり、際どい避け方が難しいからだ。


刺突とは、剣先をこちらに向けて突いてくる攻撃手法だが、腕が上がれば上がる程、その攻撃を認識しにくくなる。

風による抵抗が少ない軌道であるため、攻撃の気配を感じにくいため、気配だけで回避するのが難しい。また「突く」という行為は全身の予備動作も少なく、短い体の動きだけで繰り出せる攻撃のため、相手の予備動作を見て、攻撃先を見切ることも困難だ。であれば視覚による認識が必要となってくるのだが、刺突に長けた者の一撃は相手の視線と垂直になるように剣先を向けてくるため、受ける側としては視覚ではまさに「点」に見えるのだ。

場所さえ分かれば躱せるが、その場所を認識するのに時間がかかる。その時間を悠長にしていれば、気づけば剣先は自分の胸を貫いている――という結果を招くのだ。


ミリティアの一撃はまだ魔法を纏っているため、認知しやすいと言えばしやすいが・・・彼女には風による加速がある。そのため「見てから躱す」という行為が死を招くと判断し、ヒザキは大きく回避行動を取る結果となった。


それは正解であり、一瞬にしてヒザキの劣勢を現す行為でもあった。


(見た目以上に攻撃範囲も広い・・・全く、厄介極まりない攻撃だな)


大剣を持ち上げ、自然体で構える。

それは剣術でもなんでもなく、自分が単純に剣を繰り出しやすいと感じる態勢だった。


(やれやれ・・・持ってくれよ?)


大剣の刀身を見つめ、数日前「岩にぶつけたら折れる」などと思っていたのが可愛く見えるほどの強力な雷撃へ、これから立ち向かわなくてはならない相棒に「折れないでくれ」と願う。


ヒザキの態勢が整うのを待っていたのか、ヒザキが構えたことでミリティアも構え直す。

先と同じ前傾姿勢。

同じく刺突による攻撃が来るだろう。


加えて先ほどの砂塵による目くらましも混ざると、本当に手のつけようがない相手だ。

しかしそんな感想は表には一切出さず、ヒザキは変わらない姿勢で肩を竦めた。


「別に待たなくてもいいぞ? これは訓練でも稽古でもない・・・実戦なんだ。遠慮はいらない」


あえて口に出して伝える。

言わずとも彼女も理解はしていると思うが、どうしても理性が邪魔をするのだろう。

これが慈悲もない魔獣との戦いなら、有無を言わさず、相手に隙の一つも与えずに一方的な攻勢を繰り広げるのだろうが、相手がヒザキとなるとどうしても彼女は無自覚の部分でブレーキがかかってしまうようだ。


ミリティアは小さく「はい」と答えたが、また同じ展開になれば同じことを繰り返すだろう。


「・・・」


さてどうするか。

別にこのまま理性の上で全力を尽くすのも構わないが、この場は彼女にとって更に強くなる絶好のチャンスでもある。

既に気を抜けば命を落としかねない強者に向けて言う言葉ではないかもしれないが、彼女にはまだまだ伸びしろがあるように思えた。今もこの短い決闘の中で成長している。彼女が気づいているかどうか不明だが、周囲の魔素が彼女の中で循環し、魔力となって供給されている。つまり、彼女は自分が限界だと思っていた魔法回数を上回る魔力量を駆使しているのだ。


周囲の魔素による魔力供給を上回る魔法を使えば、いずれはガス欠になるだろうが、少なくともすぐにその機会が訪れることはないだろう。

長期戦は間違いなく、こちらの不利になる。


それだけの戦力を有していながら、やはり彼女にはまだまだ「先」があるように見えるのだ。

そしてそれは本当の「命がけの戦い」の中で切り拓かれていくようにも思える。

言ってみれば彼女の戦い方は「綺麗」なのだ。

純粋無垢に近い、云わば白い世界に一本だけ引かれた線のように彼女の剣筋は綺麗だ。だからこそ余った空白の世界に線を広げていける「伸びしろ」があるはずなのだ。無論、その線が邪念や負の感情によって捻じ曲がる様な結果にしてはならないのだが。


(俺の思い違いだったら気の毒だが・・・少し踏み込んでみるか)


彼女にとっては未知の感覚として映り、その感情がどう彼女の未来に反映されていくかは分からない。

だが芯の強い彼女の精神力を信じて、ヒザキは大剣を握る手に力を込めた。


(こういうのはあまり得意ではないんだがな・・・)


合わせてミリティアも重心を前にする。


互いに臨戦態勢を取った一瞬の間。

その間にいち早く斬り込んでいくようにヒザキは動き出した。


「っ!」


想定よりも早い動き出しだったのだろう。

数コンマだけミリティアが面喰らったように目を開いたが、すぐに応戦の意志を見せる。


が、彼女の本当の予想外はこの後にやってきた。


ヒザキが強く踏み込んだ庭園の敷地が大きな音を立てて陥没する。地面から吹き上がる粉塵を置き去りにしてヒザキは瞬き一つの間にミリティアへ接近した。

その脚力から爆発するヒザキの移動速度に、その場の誰もが目を見開いた。


ミリティアを吹き飛ばした一撃はカウンター気味であったため、彼が初手から攻勢に移るのはこれが初めてだ。想定していた彼の動きよりも数倍速い動きに、ミリティアはどう攻撃を受けるか慌てて心中で組み立てなおす。


(――まったくもって勝手な話なんだろうが・・・)


肉薄したミリティアに向かい、ヒザキは大剣を振りかぶる。


(君がこの先どれほど強くなるのか、興味が出てきた――)



「――っ!?」



ミリティアが目を見開く。

周囲の至るところに感じていた、風の魔素。

それらを「力」で押し退けて、巨大な鉄塊が切迫してくる。


一瞬、反射的にエストックを間に挟めて防御しようと構えるが、彼女の直感がその末路を告げてくるのを感じた。


――受ければ、死ぬと。


エストックの刀身が砕け散り、その軌跡のまま、自身が分断されるイメージが視えた。


不思議なものだ。

ヒザキからの殺気は無いというのに、死のイメージだけが伝わってくる。

おそらく向こうは純粋に「強めの攻撃」を行っているだけなのだろう。

その攻撃をいなすことのできる領域に立っていれば、その一撃に死を感じることは無いのかもしれない。

それが両者の力の差というわけだ。


ミリティアはこの一撃に死を感じた。

つまり彼女はヒザキと剣を交わせる領域まで、到達できていないということになる。


恐怖。

戦慄。

錯乱。

様々な感情が体を雁字搦がんじがらめにする鎖のように巻きつき、その動きを固くさせてくる。


ここまで――ここまで離れているものなのか。


ミリティアはたったの一合で実力差を叩きつけられ、不覚にも弱気な感情が少しだけ表に出てきてしまうのを感じた。サリー・ウィーパの女王蟻の前足による攻撃さえ、可愛いものに感じる。


(っ・・・――でもっ!)


逆にチャンスでもある、と一瞬でも弱気を感じた自身を恥じ、踏みとどまる。

歯を食いしばり、逃げるのではなく、抗う道を追求する。


試練は終着の見えない階段とも言える。

これはその一段であり、ヒザキはわざわざ階上に登るための条件を見せてくれているのだ。

分かりやすい考えだ。

この一撃に死を感じず、平常を以って対応することができたのなら――一歩、階段を登ることができる。

それだけの話なのだ。


ミリティアは経験値から基づく全ての直感を集結し、ヒザキの一撃に対応する。

時間にして一秒にも満たない、刹那の判断。

しかし体感時間はゆっくりと流れていくように感じた。

集中力が高まっている証拠だ。


ゆっくりと近づいてくる大剣。

その刀身に引き裂かれていく風の流れすら、その瞳に映すことができた。


(・・・視える、これなら――っ!)


瞬時に風の魔法陣を脚部に複数展開し、今までセーブしてきた出力の限界を突破させる。

この戦い、今この時に至るまで、知覚することができなかった高速の世界。

今ならその先の世界を視ることが出来る気がした。


風圧との摩擦も風魔法で相殺することも忘れず、ミリティアは加速と防護を調整した上で地を蹴った。


「っ!?」


ヒザキが放った大剣は空を切り、間髪置かずに彼は左後方へと視線を向けた。いや、消えたように見えたミリティアを目で追った。


返す剣で迫るエストックの刺突をいなす。


外から見れば、ヒザキの周りで火花が散ったようにしか見えないだろう。

彼を取り巻くように、風と影が飛び交い、ヒザキと交錯した瞬間、金属音と火花が連続して鳴り響いた。


「くっ、意外とあっさり、っ・・・乗り越え、るものだな!」


二十、三十と剣戟の雨を交わしながら、徐々にヒザキの全身に傷跡が刻まれていった。

半ば大剣を盾代わりに攻撃の軌道を塞ぐも、致命傷を避けるだけで、完全に躱すことは不可能であった。


「――っ!」


右腕に熱を感じる。

どうやら深めにエストックの刃が肉を抉ったようだ。受けた傷は全てエストックに付与された雷撃により、焼かれて血すら噴出さない。自分の体から肉の焼けた匂いがするのは実に気分の悪いものだった。


ミリティアには既に遠慮はない。正確に言えば、先のヒザキの攻撃により、遠慮などという余裕は吹き飛び、一心不乱に攻撃の手を続けている状態だ。

こちらからけしかけた以上「ちょっと攻撃が早いので止めてください」などと言えるわけもない。


であれば、こちらもギアを上げるしかない。

右足で大剣を蹴り上げ、ミリティアの進行方向を妨害するように剣を突き出す。

当然、彼女は目前に飛び出た障害物を躱そうと経路を変更するはずだ。そのズレた数コンマの隙に攻防を入れ替えようと思ったのだが――大剣がミリティアに対し、刃ではなく刀身が向いていたことが誤算だった。


ミリティアは勢いそのままにショルダータックルのように刀身にぶつかり、大きくヒザキの右腕ごと右方に吹き飛ばした。


「なっ・・・」


まずい。

隙を作るはずの手が、逆に隙を作らせる羽目になった。


重心が右後方に傾いたことで、ヒザキの全身が隙だらけになる。

ミリティアは千載一遇のチャンスと判断したのだろう。より正確に射抜けるように一瞬だけ移動を止め、しっかりと態勢を整えてから刺突を繰り出してきた。

その一瞬がヒザキの救いとなる。


弾かれた大剣の重力に引かれ、大きく体は後方に倒れこうもうとしている。

そんな状態で何ができるのかと問われれば、正直、何もできない。もう一つ武器でも仕込んでいれば、左手で防御することも可能かもしれないが、その左手がない隻腕のヒザキにその手は使えない。

では足一本を犠牲にして、あの強烈な刺突を防ぐか。おそらく――雷撃による高威力で足ごとそのまま突貫されるのがオチだろう。


一瞬だけ、魔法という選択肢が脳裏に浮かんだ。

だが瞬時にその選択肢を頭から追い出した。

あれはダメだ。少なくともこの戦いで使うべき手法ではない。

平常なら加減が苦手なヒザキであってもある程度までなら調整できるだろうが、このタイミングでは無意識に加減無しで魔法を顕現してしまう可能性が高い。そうなればミリティアはおろか、王城の大部分を焼き払ってしまいかねない。

何も生まない破壊の権化。殲滅の炎。それがヒザキの持ちうる魔法の本質だ。

この決闘はアイリ王国とリーテシアの国が互いに前に進むためのものだ。そこに破壊は必要ないのだ。


ヒザキは頭を切り替えて、ミリティアの足元を見る。

彼女は風魔法の力で加速しているものの、常に飛空しているわけではない。

滞空時間こそ長いものの、折り返し・踏み込み・防御の時には必ず地に足がついている。

そして今まさに彼女があと一歩踏み込もうと、地に足をつけようとしていたところだった。


「はぁ――っ!」


気合を込めるように言葉を口にし、ヒザキは思いっきり右足に力を込めた。

ヒザキの体の慣性は既に後方に流れている。

重量に引かれ、弾かれた大剣に導き出されるように後ろに倒れるのが自然の摂理。今ここで「ジャンプしろ」と言われても出来ないように、不安定な姿勢は四肢全体に力を十分に行き渡らない。できるとすれば、体を重力に逆らわずに捻り、転倒せずに遠心力を使って態勢を立て直すぐらいだが、この場でそんなことをしている暇はない。やるとしても「この後」だ。


普通に考えれば万事休す。

しかしヒザキにはその常識は通らないらしい。

ヒザキは力の入らない態勢にもかかわらず、膝から下の筋力だけで足元の大地を踏み抜いた。


ミリティアの足が地に着いたと同時に――。


「えっ――」


あり得ない。

あらゆる可能性を網羅していたつもりでも、そのリストから「物理的にあり得ない」という理由で除外されていた事象が目の前で展開された。


ヒザキの右足に踏み砕かれた大地が隆起する。

その突起の上に丁度足を置いていたミリティアは、その運動エネルギーに押し出されるように持ち上げられ、大きくバランスを崩す。

気付けば視線に捉えていたヒザキの姿は消え、目の前には粉砕された大地が映し出されていた。


(ま、まさかっ・・・あの態勢で地面を砕いたのっ!? そんな、馬鹿な――!?)


動揺に目を剥き、行動がワンテンポ遅れる。

本来であれば考えるよりも早く、その場から離れるのが正解だった。

だというのに、ミリティアは思考の死角から起こった現象に冷静さを欠いてしまった。


目の前をゆっくりと浮遊する土の破片。

風魔法の浮力で転ぶことは無くとも、それは致命的とも言える隙であった。


「悪いが・・・」


ここ数日で聞きなれた青年の声が耳に届く。

顔を上げると、そこには既に体を捻って態勢を建て直したヒザキがいた。


慌ててエストックを構え直そうとするが、素早く繰り出されたヒザキの蹴りによって右手から愛剣が遥か後方に飛ばされてしまった。

観客席となっていた庭園の階段部分に突き刺さったエストックは、主人の手から離れたことにより、帯電していた雷魔法が霧散していき、すぐに沈黙してしまった。


「ここでお開きだ」


その台詞にミリティアは愕然とする。

終わってしまう。

折角、また一歩近づいたと思ったのに、終わってしまう。

そんなのは嫌だ。


ミリティアは咄嗟に魔法陣を展開し、風の刃、雷の刃を顕現しようとする。

が、素早く逆の左足による蹴りが目の前を横切り、そこに残ったのは砕かれた魔法陣の欠片だけだった。


魔法陣破壊。

魔法として生成される前に、構成する魔素を破壊・分散することで魔法顕現を阻止したようだ。

こんな滅茶苦茶な戦いは知らない。

そもそも魔法陣を物理攻撃で破壊できることも今知った。

新しい知識がミリティアの頭の中を埋め尽くし、またしても行動が遅れてしまった。


「最後に」


そんな彼女にお構いなしにマイペースな男は淡々と告げた。



「強くなったな、ミリティア=アークライト」



その強さを――認める。

暗にそう告げた言葉は、ミリティアの心に深く染み渡った。


(ああ・・・)


ヒザキが大剣を振りかぶる姿がスロー再生された動画のようにゆっくりと流れていく。



(ありがとう、ございました――)



そして強い衝撃と共に、ミリティアの意識はそこで途切れた。



*************************************



夢を見た。

懐かしくも尊い、過去の夢。


昔からジッとしているのが苦手で、常に動き回っていたような記憶がある。

何か行動したい。

行動するなら人のためになるものがいい。

だって誰かのために動いて、それがその人の助けになるのであれば、それはきっと――とても良いことなのだから。


誰かが笑ってくれていると、とても安心する。

それが知人であれば、なお嬉しい。親しい仲だと、もう幸せものだ。

人が喜んでいる姿を見るのが好きで、人を喜ばせることをするのが大好きだ。


曲がっていることは嫌い。

道理に反して、他人を傷つける行為は大嫌いだ。

相手が人であろうと、魔獣であろうと、自分の周りの人達を悲しませることは我慢ならない。


そう思うようになったのはいつ頃からだっただろうか。




生まれた時から過酷な環境のこの国で、人の笑顔を見つけることは難しいことだった。

この国では何より、生きることが命題である。

年齢に関係なく、どれだけ環境に順応し、少ない資源と食料で生きながらえるか。

そこをクリアしてようやく遊んだり、働いたりという選択肢が生まれる。もっともそれも生き延びるための行為で、遊ぶのは無意識にストレスを解消するために――、働くのは厳しい現実を直視せずに没頭できるから――であり、そこに諸国では常識である「娯楽」や「収入」は存在しない。意味が無いのだ。金があっても欲しいモノは手に入らず、遊戯が溢れた公園や施設があるわけでもない。唯一の金の使い道である行商すらも数年に一度、来るかどうか程度でしかない。故に、ただただ空腹から目を逸らすための所作でしかないのだ。それがこの国で生き延びる方法、そう思うしかないほど、国の人間は疲弊していた。


自分はアイリ王国で産まれた子供だ。

この国で子供が産まれるのは珍しい。理由は明白で、そんな気力も体力もないからだ。仮に相思相愛の男女がいたとしても、母親の方は子供を産む際に体力が持たず、逝去されてしまうことが多い。母体の中で栄養が行き渡らない子供も、死産という結末を辿ることが少なくはなかった。そういった経緯もあり、どこか子供を産むことに禁忌を感じていたことも珍しい要因を手伝っているのだろう。


そんな環境だが、金髪碧眼の少女は無事、この国に生まれ落ちた。

ロクな教育も受けられず、栄養失調で体は痩せ細っていたが、それでも健康的に育っていったのは、頑丈な体で産んでくれた両親に感謝だ。


物心ついた頃、周囲にはイラついた大人、元気のない子供、無気力な兵士、何をやっているのかも分からない王族、そんな印象しか映らなかった。

最初は日々がつまらなかった。

何をしても充実は得られず、何を考えても感動を得られなかった。


遊具も無いため、山岳方面から風で飛ばされてきたのだろう木の枝を意味もなく振っていたのを覚えている。

時折、孤児院の子供たちが羨ましく見えた。

彼らはまるで家族のように接し合い、共に砂掃除など奉仕活動をしている姿は、同年代の友達がいなかった自分からすれば、眩しいほど輝いているように見えた。


そんな光景を何度も遠目から見ていると、だんだんと「何故私はその輪の中にいないのか」と不平を抱くようになってきた。

父や母に「なんで私は一人なの?」と純粋に尋ねたことがあったが、両親は困ったように笑うだけで、答えてくれることは無かった。今思えば、両親も「子供を育てる」ための機関も運用も存在しないこの国で、どのように育てていけばいいのか悩んでいたのかもしれない。

煮え切らない態度の父と母に不満は募ったものの、一緒に古ぼけた絵本を読んでくれる父や、動き回ると経年劣化からか破れやすくなっている衣類を優しく繕ってくれる母が大好きだった。


そんな日々を暮しているうちに、いつの間にか自分は孤児院の子供たちがよく活動している場所の近くに足を運ぶようになっていた。

あの輪に入っていく勇気はないので、少し離れた場所で遊ぶくらいしかできないのがもどかしかった。

遊ぶ、といっても一人で父に読んでもらった絵本のキャラクターを思い返しつつ、木の枝を使って砂上に描くぐらいのことしかできないが・・・何もしていないと非常に居心地が悪いので丁度いい時間潰しだった。


最初は「子供はみんな元気がない」と思い込んでいたのだが、彼らの近くに通う回数が増す度に、その考えは改められていった。


決して子供たちはこの国に憂いたり、悲観したりしているわけではなかった。

良く観察すると、男の子は箒でチャンバラをしたり、砂をかけ合って遊んだりしている時はとても楽しそうに見えた。勿論、それを孤児院の職員に目撃された後は叱られ、楽しかった時の表情とは真逆のものを浮かべていたが・・・それを帳消しにして余りあるほど、楽しかった時の表情は眩しいものに感じた。


女の子たちは比率的にはお喋りが好きなようだ。

数人のグループで固まっていることが多く、興味のあることや他愛のない世間話をするだけで笑顔があふれていた。

言われてみれば自分も父や母と話すときは、心も休まるし、何より話を聞いてもらうのが楽しい。

友達が出来れば、両親以外にも同じ気持ちを抱くのかな、とそんなことを思った。


と、不意に強風が周囲の砂を巻き上げた。


慌てて風を背に向けて、砂が目や口に入らないように姿勢を変えた。

風は数秒で止んだ。突発的なものだったようだ。


「あぱぱっ!?」


自分は風の被害を受けない姿勢を取ったが、すぐ近くで間に合わなかった子供がいたようだ。

奇妙な声をあげたその子は、顔面を両手で覆って「砂がー、砂がー」と呻いている。目や口に砂が入ってしまったのだろうか。とても痛そうだ、とこちらも泣きそうになる。


どうしたらいいか分からず、オロオロと周囲を見渡すが、周りの子供たちもせっかく掃除していた砂が風で巻き上げられて、軽い混乱状態になっているようだ。男の子たちはそれすらも面白がっているが、そっちに夢中でこちらには気づいていない。


「・・・」


そっと胸の前で手を握り、その子にゆっくりと近づいていった。


「あの・・・だいじょうぶ?」


「ぁぅ・・・?」


大きな眼鏡を外し、泣きながら目を擦っているのを見て、慌ててその行為を止めた。


「あ、駄目だよ・・・お母さんが言ってたけど、砂が入ったら目をこすっちゃうと駄目なんだって。よくわからないけど、今より痛くなっちゃうみたい・・・」


「ぅー、でも目ぇ痛い・・・ゴロゴロするぅ・・・」


女の子は自分より年下だろうか?

幼い顔立ちを涙で濡らし、目を閉じたままこっちを見上げてくる。

袖の皺に紛れ込んだ砂をほろって、その裾で女の子の涙を優しく拭ってあげる。

孤児院の子だろうか。いつも遠くから見ていたから、まだ子供たちの顔を覚えきれていないのだが、この場にいた子供ということは十中八九、そう見て間違いないだろう。


「え、えっとね、えっとね? ええと・・・お母さんが瞬きをたくさんするといいって言ってたよ」


「ぅ」


言われた通りに瞬きをする女の子。

しかし目の中に入った砂が一緒に動いた感触が嫌だったのか、すぐに目を閉じて、その目尻から涙があふれ出てくる。


「はぅ」


「あぅ」


二人して似たような言葉を発し、互いに困ってしまう。

気まずい感覚が襲ってきたが、それでもこの子を置いてどこかに逃げる気は全く起きなかった。


諦めずに女の子の涙を袖で拭いつづける。


「・・・あ、ありがと」


まだ目は開けられないものの、自分のためにしてくれている行為なのは十分に理解したのだろう。

女の子はおずおずと礼を言った。


「ううん・・・」


こちらはこちらで、初めて同年代に近い子と話せたことで気持ちが高ぶっており、それ以上の返事が出来ない状態である。

そのまま沈黙が続いたが、不思議と礼を言われた後は気まずい感情が薄れていくのを感じた。


涙を拭い続けて数分後程度だろうか。

女の子の様子が少し変わる。


「あ」


「え?」


間の抜けた声に首を傾げる。


「なんだか・・・よくなってきた、みたい・・・」


「ほんと?」


少しずつ涙と瞬きの数が減っていき、女の子はその大きな目を恐る恐る開いて、こっちを見つめてきた。

最後の涙を袖で拭ってあげると、女の子はくすぐったそうに目を細めた。

そしてまじまじとこちらの顔を見上げてくる。


「きれー・・・」


「え?」


「すっごいきれい!」


「えっ、えっ?」


何のことを言われているか分からず、ただただ混乱してしまった。

何が綺麗なんだろうか。

天気? 風景?


「なんか、優しい子だなぁーって思ってたから、ふんわり・・・えっと、かわいー系を想像してた!」


「か、可愛い系?」


聞いたことのない単語、交わしたことのない調子の会話。

その全てが新鮮だったために理解が追い付かない。


「でも目を開けたらびっくり! すっごいきれいな子だった! お名前はー?」


食いつくように見上げる子に押され気味になるも、不快感などは一切感じなかった。


「ミ、ミリティア・・・」


問われるままに名前を返す。

すると女の子は「おお・・・名前もなんか良く分かんないけど、きれい?」と返事のしづらい言葉を投げかけてくる。回答は求めていなかったのか、その子はすぐに言葉を繋いでいった。


「こちね、こちの名前はルケニア!」


ルケニア。

それが彼女の名前らしい。


彼女の名前を反芻していると、突然自分の両手を抱えるように握られ、びっくりした。

同年代の子の手は小さくて、非常に柔らかいことも初めて知ったため、二重に驚いた。


「えと・・・」


一度言い淀んだ後、ルケニアは何やら恥ずかしそうに顔を伏せてから、バッとその顔を上げた。



「ありがと、ミリティア!」



その時の彼女は心の底から――嬉しさを表現した笑顔であった。


ああ思い出した。

その笑顔を見てからだっただろうか。

自分が他人の笑顔を好きになったのは。

誰かのために何かをするというのは、まるで砂漠に咲く一輪の花のように美しいのだと。



ミリティア=アークライト8歳、ルケニア11歳。

これが彼女たちの始まりであり、源泉となる出会いであった。


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