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テトラ・ワールド  作者: シンG
第1章 建国~砂漠の国~
45/96

第45話 ミリティアVS女王蟻

――オアシス。


砂漠地帯における地下水脈から水が地上に溢れ出た地域であり、砂漠上を渡る際の交易拠点ともなる「砂漠の楽園」とも言える場所だ。


半世紀も前にサスラ砂漠からはオアシスが姿を消し、水不足にあえぐアイリ王国からすれば蜃気楼でも見ているのではないかと思うほど、目の前に広がる湖規模のオアシスは幻想的に見えることだろう。


最も正確にはサスラ砂漠からオアシスが消滅したわけではなかった。

ヒザキは砂蟹を元々取るためにこの地域に出向いてきたわけで、正直なことを言うと地上から消えたオアシス、もとい水源がどうなっていたかは知っていた。

彼がこの空洞内が魔素の影響を強く受けており、土魔法によって発光したことや、巨大な砂蟹に驚きを見せたものの、オアシス自体には驚かなかったのはそのためだ。


(さて、どうしたものか)


何とも特異な場所だ。

そして奇妙な展開になってきたものだ。


討伐対象のサリー・ウィーパの女王と突然変異と思われる巨大砂蟹がにらみ合い、魔素が――おそらく周囲の土や岩盤と深く結合したために、魔法の作用で光を放つ奇妙な空間。目の前にはアイリ王国の全ての人間が渇望する水の宝庫だ。


ヒザキは高台からミリティアの様子を伺う。

ヒザキを含めて周囲に注意を払っていたのだろう、こちらの視線にすぐに気付いたようで、見上げて「何かありましたか?」と目で問いかけてくる。

その問いに「なんでもない」と手を振って返事を送る。

彼女は一つ頷いて、視線を小山のような砂蟹に向け直した。


(ミリティアに言うべきか・・・まあ、隠し通すのは無理だな)


長年の経験から分かる。

女王蟻は討伐対象なので戦闘は免れないとしても、あの砂蟹。間違いなくこちらの存在を認識し次第、襲い掛かってくるだろう。

砂蟹は捕食対象生物のため、魔獣とは指定されていない生物だが、あの巨大な存在は魔獣の類と言っても過言ではないレベルの力を持っている。同時に奴からは深い憤りのような感覚を受ける。魔獣の感情など読み取れる術はないし、そもそも感情と言うものを持ち合わせているかも分からないが、少なくとも自分以外の物に対して暴力的になっているのは分かる。


つまり、仮に巨大砂蟹が女王蟻を倒したところで、奴との戦闘は避けられない。

逃げの一手を打つにしても、相手は地中を力任せに掘り起こすことも可能だし、その力で地層を歪ませてコロニーごと潰すことも可能だろう。


そして、何より――


「・・・このまま放置するのは危険な存在だな」


ヒザキは眼下に見える大きな横穴を見て呟いた。

下で暴れる砂蟹と同じ程度の大きな穴だ。奥は暗く、そこまで続いているかは分からない。

リーテシアやミリティアがいる位置からは、ちょうど地盤がせり上がっていることと巨大砂蟹が視界を塞いでいるため、あの大穴は死角になっているようだ。大穴の周囲には大量の岩や土砂が積もっており、明らかに外側から空洞内に向けて、強い力で開けられたものだと判断できる。


(あれは・・・おそらく、この砂蟹が通ってきた道だろう。だとすれば、奴は地中を強引に移動することができる。膨大なオアシスが広がるこの場所を動くことはそうないとは思うが・・・可能性の話をすれば、いつしかアイリ王国へ至ることもある、ということだ)


国へ害をなす危険性のある存在として、総合的に考えれば討伐対象となってもおかしくないだろう。

相手に見つからなければ、戦わずに逃げることも可能だろうが、ここまでの道中は複雑で、先ほどの衝撃でコロニー内の道も幾つか崩落している。様子見として一度国に帰るにしても、もう一度ここに戻ることは難しいだろう。


足元が揺れ動く。

巨大砂蟹の親爪が再度振るわれ、合わせて数体のサリー・ウィーパがバラバラに砕けて散っていった。


空洞内の光もいつまで続くか分からない以上、のんびりと事を構える時間もない。

ヒザキは頭の中で状況を整理し、ミリティアに全て話した上で「アイリ王国の人間」として判断を委ねることにした。


高台となる丘から滑り降り、ヒザキは二人の元へと戻っていった。


「何か分かりましたか?」


「・・・」


ミリティアは冷静に、リーテシアは爆発しそうな不安を見せまいと握る手に力を込めて佇んでいた。


「ああ、驚くことが多いと思うが、とりあえず最後まで聞いてくれると助かる」


「ふふ、今日は十二分に驚くことばかりでしたよ。多少の出来事では揺らぎませんよ」


ミリティアの苦笑に、ヒザキは「どうかな」と肩を竦めた。

そんな三人を他所に、再び空洞が揺れる。

遠くで蟻と蟹の戦いが粉塵を巻き上げて続けられている。


「では、この場所と討伐対象について、客観的状況と私見を述べさせてもらおうか。その上で判断は君に任せる」


ヒザキはミリティアにそう告げ、今見た内容を伝え始めた。



*************************************



「オ、オア、シス・・・!?」


通常の人間ならば、一生涯かけても出合うことがない希少な存在や現象が現在進行形で起こっているこの場所だが、その証明となる幾つかの要素の中でミリティアが最も反応した言葉は、やはり「オアシス」であった。


彼女にとっては多少の出来事と片付けられない、意識の外にあった失われた楽園の名。

そんなものが目前にあると言われて、まともに思考が回る程、ミリティアも達観はしていなかったらしい。しかしまだ実際に目にしていないのにオアシスの存在にここまで驚くということは、それだけヒザキの言葉に信頼を置いているという証明にもなる。疑念を少しでも抱いていれば「何の冗談ですか」と疑心の感情が先に出るからだ。彼女がそういう心情で向き合ってくれている事実は素直に嬉しいものだ。


それはともかく、茫然としている彼女を現実に引き戻すことにしよう。


「実を言うと、オアシス自体は消えたわけではない。正確に言えば・・・オアシスと言うより、その元となる水脈は今も残っている」


「え、ぁ――、え?」


「そもそも俺はここに砂蟹を獲りにきたと言っただろう」


「そ、そうなんですか?」


「・・・・・・そういえばリーテシアには言っていなかったかもしれない」


「あ、ご、ごめんなさいっ。話の腰を折っちゃいました・・・」


「いや、こちらこそすまない。話を戻すが、砂蟹は水中でしか生息できない生物だ。詳しいメカニズムは知らないが、どうにも一定間隔で全身を水に浸からないと死に至る特徴があるらしい」


未だ心ここにあらずのミリティアの代わりに、リーテシアが首を傾げて聞き返す。


「めかにずむ?」


「ああ・・・生態、みたいな意味だ。水中から引き揚げて一定の時間が経つと砂蟹は死ぬ。死ぬと急激に鮮度が低下し、苦みと臭みが増してとても食べられるものじゃなくなってしまう。俺も前に生きたまま持ち帰ったことがあるんだが、一口食って吐いた。新鮮な状態のものを食った経験が無かったら、二度と砂蟹を獲ろうとは思わないほどの不味さだったな」


「えっと・・・ヒザキさんが、その砂蟹を獲りにきた、ということは」


「そう、砂蟹がいるということは水源もそこにある、ということだ。本来ならもう少し東に行った地域に、贔屓にしている穴場があるんだがな・・・まさか、ここにこれほどの水源があるとは思わなかった」


再び震動。

パラパラと天井から小さな石が落ちてくる。

遠くから「ギィ!」とサリー・ウィーパの断末魔が聞こえてくる。戦況は明らかにサリー・ウィーパの劣勢と決定づけても構わないだろう。


「ミリティア」


「・・・」


「ミリティア!」


「は、はいっ!?」


何度か名を呼ぶと素っ頓狂な反応が返ってくる。

茫然自失しすぎだと言いたいところだが、彼女の生まれ育ってきた環境を考えれば無理もない話だろう。


「君に判断を求めるのは、この後の話だ」


「・・・え?」


「オアシスに関しては今は置いておけ。今優先すべきはあの蟻と蟹だ」


主張するようにヒザキの背後で巨大砂蟹が両方の爪を交互に振りおろし、質量の差を生かした力任せの暴虐を尽くしている。


「オアシスの存在を知った今、それに対する君の判断は一つしかないだろう。それはいい・・・君の立場からすれば仕方が無いことだからな」


と、ヒザキは聊か不満げに息を吐いてから言葉を繋いだ。

その態度の真意はミリティアには掴めなかったが、続く言葉に疑問を投げる暇はなく、黙って続きを聞いた。


「だがこの場において、オアシスの有無は判断材料にはなり得ない。せいぜい足場に関する注意程度だな。この場で最も必要な判断は、女王蟻討伐と、あの馬鹿でかい砂蟹を討伐するか否かだ」


「あれを――討伐、ですか?」


ミリティアは腰の愛剣に目を向ける。

エストックで巨大砂蟹と相対するイメージをしたのだろう。その結末が納得のいくものでなかったのか、彼女は少しだけ眉を下げて口をつぐんだ。


「アイツの奥に巨大な横穴があった。おそらく奴がここに来た時の通り道だろう」


「通り道。奴は元々はここにいなかった、と?」


「私見だがな。もしかしたら此処で生まれ育ち、何かしらの事情で他所と往復した跡なのかもしれない。それはどちらでも構わないが、問題は奴が地中を移動できる、という点だ」


「・・・・・・国に侵攻する可能性がある、と」


「可能性だけならゼロではないだろうな。砂蟹は性質上、全身を覆うほどの水を必要とするため、危険を冒してまでアイリ王国の方へ奴が移動することは限りなく少ないとは思う。だが・・・もし、ここの水が奴を覆えるほどの水量を下回ったら、どうなる?」


「っ・・・、次のオアシスを求めて移動する、でしょうね。その死に至るという生態を奴自身が理解しているのであれば・・・」


「ああ。ま、アイリの方へ向かうかどうかも、水源が枯れていくかどうかも全て憶測だ。もしかしたら何も起きないかもしれないし、奴はここが枯れたら、そのまま身を任せて朽ちていくだけかもしれない」


「・・・それで『判断』ですか」


少しだけ俯くミリティアを心配そうにリーテシアが見上げる。

数分、そのまま無言の時間が続く。

人間が何かを判断するには、その人間の知識と経験の積み重ねが下地となる。彼女の積み上げてきたそれはアイリ王国内限定という偏向的なものであり、今この場においてはほぼ応用できないものばかりである。

彼女が判断をくだすのに時間を要するのも無理もない話だ。


彼女がどういった判断をくだすのか、聞いてみたい気持ちもあったが――、


「時間切れだな」


ヒザキは背中で感じた気配に静かに息を吐き、ミリティアが口を開く前にそう告げた。


『っ!?』


女性二人が息を飲むのがはっきりと分かった。

二人は目を見開いて頭上を見上げている。


ヒザキは何も言わずに剣を引き抜き、その刃に映る背後の存在を確認した。


「蟻の相手に夢中だと思ったんだが、思いのほか視野が広かったな」


空洞は四方八方の土壁から光が放たれているため、仮に頭上に巨大な物体が来たとしても影が出来にくい。

しかし影が無くとも、その威圧感は見ずとも感じる。


想像通り、こちらを認識した途端にこれだ。

珍しい物見たさに近づいた等という可愛い理由ではなく、明確な敵意を携えて接近してきたようだ。


「ミリティア、リーテシアを頼む」


「・・・、了解です! リーテシアさん、こちらへ!」


「あ、は、はいっ!」


リーテシアの小さな手をつかみ、ミリティアは風の魔法を素早く発動させ、一気に相手の攻撃範囲から離脱する。迅速かつ的確な判断だ。ここで魔法の使用を惜しんでいたら、相手の攻撃の餌食になっていたかもしれない。


数秒遅れて、巨大な質量がヒザキを押しつぶす。

地盤を揺るがす衝撃と、砕かれた岩が散乱する。


砂蟹の親爪だ。

本来であれば蟹の親爪は左の爪に比べて大きく、身の締りも良く、食すには最適な部位なのだが、ここまで巨大化してしまうと食料のカテゴリから逸脱して、もはや化け物の域だ。

爪の部分だけでも二十メートルはあるだろうか。

巨大砂蟹は地に叩き付けた親爪をゆっくりと持ち上げ、両の複眼で周囲を確認する。


「蟻の相手をするのは飽きたか?」


巨大砂蟹の攻撃を回避していたヒザキは、やや右の岩場の上にロングソードを片手に立っていた。

はて蟹に聴覚器があったかは定かではないが、ここまで発達した例外中の例外だ。ヒザキの声に反応したかのように右目をこちらに傾け、器用に足を動かしてこちらに全身を向けてくる。


「ブシュゥゥゥゥゥゥゥッ・・・!」


口元から泡が垂れ出し、何とも言えない音が漏れ出す。


「ここまでデカいと食欲がわかないな・・・」


地を蹴り、岩場の傍から離れる。

遅れて轟音。

今度は左の爪を振るってきたようだ。


試しにロングソードを伸びきっている左脚に向かって斬りつける。

が、その外殻に弾かれてしまった。

想像通り、相手の甲羅の堅さは剣の刃が通らない程のようだ。


蟹の腹部、前掛けと呼ばれる辺りに移動すると、今度は脚を器用に動かしてこちらを踏みつけようとしてくる。自身の胴体が邪魔でこちらの場所は把握できていないようで、出鱈目な動きに見える。しかし出鱈目とはいえ、一撃一撃はサリー・ウィーパの外殻すらも容易に砕く威力だ。余裕ぶって喰らうわけにも行かない。


「ふっ――!」


前掛けの各脚の付け根、その隙間に狙いをつける。

ヒザキは攻撃してくる脚を足場に登っていき、胴体に近づいたところでジャンプし、剣先を突き刺した。


堅い甲羅で覆われた砂蟹の中では柔らかい部位のはずだが、傷一つ付ける事ができずにヒザキの一撃は再び弾かれてしまった。


宙に浮いてしまったヒザキに脚の一本が襲い掛かる。

反射的に剣の腹で防御するが、ロングソードの刀身は粉々に砕かれ、横殴りに接触した脚の威力をそのまま受けたヒザキはボールのように地面に何度も叩き付けられる。


ようやく隆起した岩場に背中を打ち付けて勢いを止めることができたが、柄だけ残ってしまったロングソードを見て、ヒザキは深くため息をついた。


「やれやれ、やはり魔法頼みになりそうだな」


たったの一撃でボロボロになってしまった衣服を払い、ゆっくりと立ち上がる。

巨大砂蟹もこちらの無事を確認したのか、口腔内から泡をだらしなく吹きながら再びこちらに近づいてくる。


もはや武器としての役割を果たせなくなった柄を放り投げ、ヒザキは右手を相手に向かって構える。


「思えば生で持ち帰ったのが失敗であれば、調理して持ちかえれば良かったんだ。新鮮なうちに焼いて調理すれば、陸に揚がった砂蟹も美味いかもしれん」


巨大砂蟹の攻撃など無かったかのように、ヒザキは淡々と今日の夕飯の献立を告げて魔法陣を発動させた。



*************************************



リーテシアを抱えて巨大砂蟹から距離を取ったミリティアは、すかさずヒザキの様子を遠目に確認する。

近衛兵の副隊長であるモグワイや、一般兵の隊長たちが相手であれば彼女は何とかして助太刀に向かおうと考えただろう。それだけあの巨大な敵は、ただの人間が相手取るには荷が重いというのが間近で相対した際の感想だ。彼らの強さを疑うわけではないが、限度があるというのも事実だ。

しかし何故だろうか、ヒザキの場合はそんな心配より、どう立ち回るかの方が気になって仕方が無い。

思い出補正もあるのだろうが、それだけ彼女が昔見た彼の背中は大きかったということなのだろう。


「――っ」


ミリティアはエストックを鞘から抜き、リーテシアを背後に庇う形で構える。

どうやら観客席でゆっくりとヒザキの戦いを見る暇は与えてくれ無さそうだ。


「ぁっ・・・!」


「サリー・ウィーパ・・・」


リーテシアがその姿を視認して声を漏らし、ミリティアが敵の名を口にする。


「ギィ・・・ギィ!」


向こうも人間がいるとは思っていなかったらしく、岩陰から姿を現し、こちらの姿を見た瞬間は固まったものの、すぐに獲物と見下したように声を上げ始めた。


(五、六・・・十体。この程度なら・・・)


刺剣を得物とするミリティアにとって、相手の急所および関節等の軟部を突くことは攻撃の常套手段でもある。巨大砂蟹のように規格外の大きさになると流石に手に余るが、サリー・ウィーパ程度の大きさの敵であれば、いかに外殻が堅かろうと、関節の合間を縫って倒すことはそう難しくない。


リーテシアに危害を加える前に片付けようとエストックを水平に構え、踏み出そうとするが、その足はサリー・ウィーパたちの背後から現れた一際大きいサリー・ウィーパの姿によって停止させられた。


「女王、蟻!」


通常のサリー・ウィーパの三倍はあろう体躯を見上げ、今回の討伐対象の名を呼ぶ。

同時にミリティアの左腕に一筋の線が走り、そこから鮮血が噴出した。


「っ、ぐっ!?」


慌てて傷口を抑え、リーテシアを隠すように後退する。利き腕でなくて助かった。剣を持った腕であれば、想定外の痛みに武器を落としていたかもしれない。


速い。防御する暇すら与えられないほどの速い一撃だった。

目で追う事はできても、体が反応できない速さ。

なるほど。サリー・ウィーパたちの司令塔であり、女王たるその存在は伊達ではないようだ。


「ミ、ミリティアさんっ!」


リーテシアの悲痛な声が背後から聞こえる。すぐに背中の麻袋を地面に置き、何かを探すようにその中身を慌ててかき分ける。その様子から、どうやら薬か包帯の類を探そうとしてくれているみたいだ。


「リーテシアさん、大丈夫です。薄皮一枚程度の傷です。そのうち血も止まるでしょう」


凛とした口調に、リーテシアも思わず手を止めてしまう。

女王蟻からは視線を逸らせない。少しでも逸らせば、その隙に首を落とされてもおかしくない強さを持っているからだ。だから視線は逸らさずに、ミリティアは優しく語り掛けるように、戦場という空気に呑まれそうになっている少女に言葉を贈った。


「私は近衛兵隊長です。王、国を――そして民を護る立場の長となる人間です。リーテシアさんや国の皆が安心して暮らせるよう尽力するのが私の役目。だから何の不安も要りません。安心して私の背中だけを見ていてください」


女王蟻の肩部がやや動いたのを見逃さず、ミリティアは伸びてくる鎌状の前足の動きに合わせてエストックを払った。

金属音が鳴り響き、力負けするものの横に飛びのくことでダメージを受け流す。


ミリティアが横に退いたことで、リーテシアへの道が開かれる。

女王蟻が牙を鳴らすと同時に、複数のサリー・ウィーパが動き出して少女に襲い掛かる。

リーテシアがミリティアに比べ、脆弱な存在であると認識した上での指示だろう。この女王蟻、本能だけで動いているわけではなさそうだ。

標的が自分になったことに気づき、血の気が引いた表情のリーテシア。しかしその右手は生きることを諦めない意志の表れか、魔法を放とうと突き出すものの、咄嗟のイメージが浮かばなかったのだろう。魔法陣は不完全なまま魔素へと戻り、宙へと溶けるように消えていった。


「させるわけが――ないだろう!」


足元で魔法陣が砕け散り、突風に金髪を靡かせ、彼女を強く押し出す。

風を推進力に、ミリティアのエストックは一番先頭のサリー・ウィーパの喉元に突き刺さり、一瞬でその命を摘み取る。

間髪置かずに剣を抜き、二体目、三体目とサリー・ウィーパが行動する前に絶命へと追いやる。


四体目へ攻撃対象を移そうとした時点で、その間隙を縫うように女王蟻が攻撃を仕掛けてくる。

ちょうど四体目の影から振り上げるように仕掛けてきたため、ミリティアも意表を突かれ、慌てて攻撃から防御姿勢に入る。


「ぐっ!」


鋭い前足をエストックで受け流すが、その腕ごと後方へ吹き飛ばされそうになる威力だった。肩や腕、手首に筋肉が裂かれるような痛みが走ったが、唇の端を噛んで我慢する。

このままだとロクな態勢を取れずに追撃を許してしまう危険を感じたミリティアは、左肩部と右足にそれぞれ小さな風魔法を発動させ、二つの支点に運動エネルギーを発生させることで体を回転させ、威力を強引にそぎ落とす。


リーテシアを視界に収められるように着地し、エストックの刀身に魔法陣を展開。刺突ではなく薙ぐように振るい、その軌道に沿うように発生した風の刃を女王蟻に対してぶつける。


「ギィッ!?」


風の刃は貫通することはなくとも、女王蟻の肩から胴に向かって衝突し、外殻が風の刃の形を模るようにへこんだ。

魔法による一撃は予想外だったのか、追撃しようと前傾姿勢だった女王蟻は刻まれた傷に驚き、一歩、二歩と後方へ下がっていった。


良く見れば女王蟻の体にはいくつもの傷があった。

黒く艶やかな外殻の至る箇所にヒビが入り、後ろ足の一本は第二関節から先が欠損していた。

これだけの戦力を持つ女王蟻も、あの巨大な砂蟹を相手にそれなりの傷を負ってしまったようだ。あの蟹が元気に暴れまわっているところを見るに、女王蟻の完全な敗北ということなのだろう。


後ろ足の一本が削れた関係から、女王蟻本来の動きが鈍くなっているのかもしれない。

数分前は遠目にも砂蟹の攻撃を巧みに回避している様子が見て取れていた。回避・移動に関する機動力は相当なものだったと記憶している。

それが今は風の刃がカウンター的に入ったとは言え、何の反応もできずに喰らっている。


サリー・ウィーパが砂蟹との戦闘を止めて此処にいるのも、女王蟻の状態を考慮しての撤退の最中だったのかもしれない。


もしそうだとして撤退中にミリティアたちと邂逅し、逃亡ではなく戦闘の道を選んだあたり、やはり人間は獲物もしくは格下の存在として認識しているのだろう。今も撤退の二文字は毛頭ないらしく、こちらの首を刈り取ろうと二本の前足を擦りながら殺意を向けている。


万全の相手と戦えないのは騎士としてやや罪悪感があるのを否めないが、これはチャンスだった。


(おそらく奴はもう素早くは動けない。仕留めるなら傷を負っている今が好機だ)


「ギィ――ギィィィッ、ギィ!」


ギチギチと牙を噛み合わせながら、女王蟻が声を上げる。

こちらを見ていないことから、周りのサリー・ウィーパたちに何かしらの指示を出したものと考えられる。

先ほどリーテシアを先に狙ったことから、奴らにも「戦略」と呼べる思考はあると見た方がいい。魔獣だから、動物だからと言って油断をすると一瞬で二人とも命を落とす結果になり得ない。


長引かせるのは得策ではない。

では早期に決着をつけるには、どう対応すべきか。


(手足となる働き蟻たちを先に殲滅するか・・・女王蟻のみを倒すことに集中するか。相手が働き蟻を使っての攻撃を仕掛けてくるなら前者が望ましいが、もし・・・働き蟻を捨て石にすることを前提に来られたら、女王蟻にも常に注意を払っておかないとマズイ。そう考えると、先に女王蟻を倒す方が・・・だがそれだと隙が大きくなってしまう)


働き蟻であるサリー・ウィーパは残り七体。

エストックの切っ先を先頭のサリー・ウィーパに向けつつミリティアは相手の出方を待った。

こちらから仕掛けるのは嫌な予感がする。直感ではあるが、相手は「待ち」の戦略も兼ねている。そう肌で感じていたのだ。無暗に飛び込めば、カウンターで反撃を食らいかねない。現に女王から指示があったにも関わらず、サリー・ウィーパたちはジリジリと距離を詰めたり離れたりを繰り返して、積極的に攻めてこない。


「・・・」


一対多の戦局において、白兵戦はかなり分が悪い。

この局面を痛手を負わずに打開するには、剣ではなく魔法が最適だ。

サリー・ウィーパは魔法という存在をどこまで理解しているのだろうか。先ほどミリティアは風の魔法を使って移動や攻撃を行ったが、相手がそれを「風魔法」と理解しているのであれば悪戯に魔法を使えば対処してくる可能性もあるし、最悪、逆に利用される危険もある。


ふとクラシスが地下浄水跡地で風のドームを作り出し、外界との空気の切り離しを行った光景を思い出す。


魔法はその想像力次第で使い道は無限に広がる。

魔術師による魔導も然り。魔法回数に囚われないのであればクラシスのように持続的に同じ魔法を放ち続けることも可能だ。


今までは移動をメインにしか風の魔法を使用していなかった。

攻撃的な魔法は先の風の刃ぐらいだろうか。風の刃は剣を振るう感覚と同調して使いやすいから手段の一つとして持っている。推進力として使用する風の魔法も自分の剣技をより強化する意味で使っているものだ。つまり、ミリティアは今まで自身の戦闘スタイルに合うか合わないかで扱える魔法を限定していたのだ。無論、意識的に制限していたわけではないのだが、自然と使いやすい、イメージしやすいものを愛用するようになり、それが当たり前になっていたのだろう。


(私も――成長しなくてはいけない。今を打開するためには何が『必要』だ?)


想像する。

移動速度を上げることでも、疾風を飛ばすことでもない。

多くの敵を相手取るためには、相手の動きを止めることが先決だ。


「ギィ!」


動かないミリティアに痺れを切らしたのか、女王蟻は再び短く声を上げ、即座に反応したサリー・ウィーパ三体がリーテシアに向かって走り出した。


「させないと言ったはずだ!」


ミリティアも同時に駆け出し、三体に向かってエストックを突き立てようとする。


そしてこちらも同時。三つのグループが同時に動き出す。

女王蟻含め、残りの四体のサリー・ウィーパが横からミリティアに向かって襲い掛かってくる。

先の三体は囮なのだろう。

そのままリーテシアを殺せれば良し。ミリティアが三体を先に殺せばそれも良し。ミリティアが三体を攻撃している間に残りのサリー・ウィーパがミリティアを殺す。後は何の力もないリーテシアをゆっくりと殺すだけだ。そういう算段なのだろう。


「策略、と言うにはまだまだ未熟だな。貴様が知性を持ち合わせていると理解した時点で、こういった策を講じてくることは分かっていた」


走りながらミリティアは魔法陣を展開する。

属性は「風」だ。


「私に足りなかったのは『方法』だけだ。それも今を以って覚えさせてもらうがな」


『!?』


まずはリーテシアを襲おうとする三体。

想像するのは「面」だ。風を広い面で押し出すイメージを脳内に浮かべ、魔法陣を介して命じる。

風速はどの程度のものか、ミリティア自身も分からなかったが、全力で出力した風の魔法は予想以上の威力を誇っていた。三体のサリー・ウィーパの体が浮き上がり、リーテシアを飛び越えて遥か前方の丘に強打されていくのが見えた。


「あわわっ」


自分も飛ばされるのかと両手を顔の前で交差させたリーテシアだが、ミリティアがそんなミスを犯すわけもなく、三体のサリー・ウィーパのみが吹き飛ばされる形となった。


意表を突かれた四体のサリー・ウィーパが僅かながら戸惑いを浮かべ、その走る脚に迷いが出た。ほんの一瞬の気づきもしない程度の遅れだ。それを計算に入れていたミリティアは、リーテシアの傍まで行かずにその場に立ち止まり、迫ってくる四体のサリー・ウィーパを睨みつけた。


立ち止まる前にすでに魔法陣は展開している。

再び吹き飛ばして背後の女王蟻にぶつけるのも一手だが、足並みがズレたサリー・ウィーパたちに全身を吹き飛ばすほどの魔法を使うまでもない。

ミリティアは四体のサリー・ウィーパの脚を払うように風の衝撃波を地面スレスレに放った。

当然サリー・ウィーパたちは躱すこともできず、足払いを綺麗にかけられたように倒れこみ、隠れるように後ろにいた女王蟻までの道を開いてくれた。


「速さには私も自負するものがあってな」


休む間もなく、エストックの刀身に魔法陣が展開され、砕け散る。

そこから迸る電流の嵐。


「悪いが今度は私の剣が届く番だ」


疾風迅雷。

邪魔者である働き蟻たちが体制を立て直すまでの数秒間。

数秒あれば――充分だった。


風を纏って女王蟻めがけて直進に跳ぶ。

女王蟻の前足が届く射程距離内に入った瞬間、女王蟻の肩部が少しだけ動く。


(来る――っ!)


動いたのは右肩。

つまり右の前足で攻撃してくる。

鎌に似た形状のため、最も女王蟻が威力を発揮できる攻撃方法は横薙ぎ。しかし振りかぶる予備動作にかかる時間も考慮すると、最短で攻撃が可能な突きで来るだろう。女王蟻の鎌には湾曲部に直線的な爪のような部位もあることから、それで突き刺しに来ると予測。


風を切る音と共に予想通りの攻撃が弾丸のように飛んでくる。


小さな風の魔法を左腹部に発生させ、体半分程度、右にズレるようにして相手の攻撃を掻い潜る。

女王蟻はそれでも動揺は見せず、保険として取っておいた左の鎌をすでに振りかぶっており、今度はそれを横薙ぎに振ってきた。


「はぁっ!」


体を捻り、目の前を通り過ぎる凶刃を躱し切る。

右は伸びきったまま、左は空ぶって振りぬいた格好。絶好の隙だった。

ミリティアは柄を握る手に力を込め、女王蟻の頭部めがけて貫こうと最後の風魔法を使用しようとする。


「ギィァッ!」


不意に目の前一帯に銀色の液体が広がった。

それが何なのか、事前知識としてミリティアもその存在は聞いていたため、想像がついた。



――鋼液こうえき



コロニー内の通路や小部屋の固定に使用されている強靭な液体。空気に触れれば短時間で凝固するサリー・ウィーパだけが持つ特殊機能。


視界を埋め尽くそうと降り注ぐ液体の向こうで、何故だか女王蟻がほくそ笑んでいるようにミリティアには見えた。


「――悪いな」


ミリティアの眼前には一つの魔法陣。

女王蟻は裏をかいたつもりなのだろうが、鋼液による攻撃など、この旅に出る前夜に何度も脳内でシミュレートしつくした、見慣れた光景だった。


「それは貴様が浴びろ」


魔法陣が砕け散り、爆風が巻き起こる。

女王蟻から吐き出された鋼液は風に押し戻され、ミリティアではなく女王蟻自身を包み込むように飛んで行った。


「ギィィィィィィィッ!?」


全身を暴れさせ、徐々に硬化していく鋼液から足掻いて抜け出そうとするが、女王の力を持ってしても鋼液の効力からは逃げられないらしい。


地面と結合した鋼液に包まれた女王蟻が、初めて「焦り」を表すように牙を蠢かす。

その何千もの複眼にミリティアのエストックの切っ先が映る。


「ギィ――」


雷撃を纏ったエストックは容赦なく女王蟻の頭部を粉砕し、その背後にある岩をも砕いて貫き通した。

確認するまでもなく、女王蟻はここに倒れることとなった。


ようやく起き上がったサリー・ウィーパたちが女王の死を目前にして、戦慄に体を震わせ、その場から逃げ出そうとし始める。


「――戦意なき者を背後から斬るのは気が引けるが、情は時にして大きな禍根を生むことがある。その芽は今摘ませてもらう」


少しだけ困ったように眉をひそめたミリティアだが、すぐに感情を切り替えて残りのサリー・ウィーパ七体を動かないものへと変えていった。


リーテシアはもうその光景を唖然と見ていることしかできなかった。


綺麗な金髪をなびかせる戦乙女。

あの細腕に、あの健脚に、どこに魔獣を打ち負かす力が潜んでいるのだろうか。

魔法や剣術は確かにそれを支えるファクターでもあるが、リーテシアは彼女の中にある「心」がその根源であるように見えた。


見る人が見れば、彼女の姿は剣鬼に映ることだろう。

あまりに理解できない存在として映り、彼女を絵空事の中の人物として現実から切り離してしまう人もいるかもしれない。


でもリーテシアには、自身に根付いている「弱い心」のような檻を物ともしない、完成された人物のように映ったのだ。


(どうしたら・・・、あそこまで強くなれるんだろう)


脱力したように岩場に背を預けて、リーテシアは腰が抜けていたことに気づき、一人苦笑した。



「強さって、なんだろう・・・」



その後、立てないリーテシアはミリティアに負ぶさる羽目になるのだが、その時に思ったことは「まず腰が抜けない程度に強くなろう」ということだった。



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