第43話 少しだけ軽くなった心
揺れのタイミングと足を放すタイミングが合うと、浮遊感のような感覚が襲ってくる。
惑わされて転ばないように、着地する力加減を考慮しつつサリー・ウィーパの巣穴を駆け抜ける。
案の定、背後から亀裂が入ったような音がしたかと思えば、息を飲む間すら与えずに崩れる音が聞こえた。
「傾斜だ! こけるなよ!」
「無論です!」
「・・・・・・っ!」
ヒザキが後ろを走るミリティアに注意を促し、それに応じるミリティア。リーテシアはただヒザキに抱えられているだけだったが、これ以上迷惑をかけないように、下手にパニックになったりしないようすることだけ意識を集中し、ひたすら口を閉じて怯える心臓をなだめ続けた。
「傾斜が急だな・・・!」
先ほどまでの緩やかな横穴から一転して、傾斜が一気に下がる。
鋼液で固められた周囲は通常の物質よりも摩擦が少ない。それは歩いていた時に感覚で理解していた。
ヒザキは走るよりも滑る方が得策と判断し、軽く前方に跳んでからは臀部を下にして傾斜を滑走していった。ミリティアもそれに倣い、背後からの圧力を気にしつつ背中を地面につけるようにして滑っていく。
この道は何処に続いているのか。
下るというよりは横を移動している感覚だったため、今いる位置が地上からどれほど深い場所にあるかは特定できない。
リーテシアを抱えながら背後を振り返る。
ミリティアが遅れずついてきていることを確認しつつ、その背後にいる存在を視界に納めようとする。が、この暗闇の中でその姿を見ることはできなかった。
蝋燭の火もすでに消えている。
もしかしたら燭台ごと落としてしまった危険性もありそうだ。
想像以上に摩擦が少ないのか、徐々に滑る速度が上昇していく。
(参ったな。移動が速いのは結構だが、これでは帰りのルートの確保はおろか、入り組んだ迷路に投げ込まれるも同然だ)
だが始まってしまったことは仕方がない。
今考えるべきことは、無事に終着点にたどり着くことだ。
ヒザキは魔法陣を発動させ、可能な限り小さな火球を生み出す。
彼は魔法の技術に関してはそれほど特異な分野ではない。魔法師の中でも技術力・想像力に長けた者は、見る者すら魅了する魔法を駆使することがある。炎の鳥を模り、それを操って攻撃を行ったり。水柱を上げて相手の視界を塞ぐと同時に防護壁の役割も担ったり、風のドームを作って気配を殺しつつ大気中の毒素などを防いだり――そういった芸術ともいえる使い方をする者たちがいる。
そういった魔法師を今まで数多く見てきたが、彼自身がその領域に到達することはなかった。
できることはせいぜい、魔法の出力を調整する程度。
以前、銀色の魔獣を相手に「あまり器用ではない」と告げた通り、その程度の使い方しかできないのだ。
自分は「魔法師ではない」と言った根源がそこにあるかは彼のみ知るところだが、少なくとも芸当に長けた魔法師なら、効率的にこの場を持続的に明るくできたかもしれない。
(ま、数打てば明るくなるだろう)
威力が高すぎれば頑丈な鋼液といえど、破壊の危険性はある。
注意すべきは威力の調整と、味方に当てない場所の配慮だ。
一つの小さな火球を滑走速度よりも早めに調整して打ち出す。
すぐに壁にぶつかり、火球は消滅してしまう。しかも、思いのほか明るくなかった。
リーテシアを落とさないように気を付けながら、右手の人差し指を前方に向けて、今度は少し大きめの火球を繰り出す。
手元が明るく照らされたことを確認し、ヒザキは火球を前方に何度も打ち出した。
一発、二発、三発・・・それはやがて傾斜が緩くなり、彼らの滑る速度が遅くなるまで続いた。
灯りを照らして分かったことは、滑る道中にも幾つもの横穴があったことだ。
この穴へ通じるルートも幾つかあるだろうし、当然地上へのルートもどこかに繋がっているだろう。結局どこがどう繋がっているかは皆目見当もつかないので、無意味な情報と言えばそうなのだが・・・。
後は背後からの追跡は何時の間にか途絶えていたことがわかった。
何かが常に地中を蠢いている、そんな不快感は消えはしないが、すぐにも自分たちを襲ってくる気配はなさそうだ。
やがてそろそろ歩いてもいいだろうか、と思える速度になり、ヒザキは最後に火球を前方に打ち出した。
と、その灯りに反応するモノが火球に驚いたように声を上げる。
人間の声ではない。
空洞に響くこの金切音のような声は、間違いなく。
「サリー・ウィーパだ!」
ヒザキはミリティアに聞こえるように声を出し、リーテシアはヒザキが何かを言う前に「は、離れてます!」と自分から離れていった。
離れすぎるなよ、と言おうとしたが、その言葉はすぐ後ろのミリティアが彼女に伝えたため、ヒザキは剣を引き抜き、前方のサリー・ウィーパの相手をすることに専念することにした。
「突然の訪問、失礼する」
ヒザキの放った最後の火球をサリー・ウィーパが鎌のような前足で切り裂き、灯りを消す。
夜目が利く彼らにとっては突然の灯りというだけでも驚愕に値する現象だったことだろう。半ば慌てたように鎌を振り下ろしていたように見える。
「お前たちは良くても、俺たちは光がないと辛いんだ。悪いな」
再び、魔法陣を展開。
今度は球でも線でもなく、面を意識して魔法を放つ。
――前方を赤く染める炎がサリー・ウィーパごと焼き尽くし、その先を明るく照らした。
「!」
どうやらすぐ先は大きめの部屋状になっているようだ。
炎は部屋の床を走るように燃え広がっていき、その全容をヒザキたちに見せていった。
広い。
目算だが直径50メートルはあるだろう半球形の大部屋だ。
炎に苦しくサリー・ウィーパを一線。
頸椎のあたりに直剣の刃を滑り込ませ、その命を容易く絶つ。
すかさず命が抜けた体躯を蹴り上げ、広場の先へと蹴り飛ばした。
「ギィィィィィィィィィィィィィ――ッ!」
こちらに反応する個体が複数。
その全てが振り向く様を見たところ、彼らはこの先に向かおうとしていたようだ。
女王蟻らしき姿は――見られない。
どれも似たような大きさのものばかりだ。
「ハッ!」
入り口付近の横から一体のサリー・ウィーパが鎌を振るってきたが、難なくミリティアの刺剣の餌食となり、力なく地面にひれ伏す。
「・・・・・・っ」
固唾を飲みながらも、壁を背にし、ミリティアからつかず離れずの場所に待機するリーテシア。
予想以上に冷静な対応に感心しつつ、ヒザキは改めてこの場を見渡した。
「その先・・・気になるな。お前たちは何処に行こうとしていたんだ?」
ヒザキはサリー・ウィーパたちが最初向いていた方角に剣先を向け、返事が返ってこないことは分かっていながらも問いかけた。
敵意がこちらに遠慮なく差し向けられてくる。
どうやら完全に「敵」として認識されたようだ。
「その先に女王蟻がいるんだとしたら、楽なんだがな」
「ギィ!」
近くのサリー・ウィーパが二体。
ヒザキに向かって疾走し、その鎌を振り上げる。
常人であればその形相・その圧力に尻をつき、震えるまま切り刻まれるほどの魔獣の攻撃だが、ヒザキにとっては取るに足らない行為にしかなり得なかった。
軽く横に逸れて、鎌を避ける。
と同時にロングソードの刃はサリー・ウィーパの固い外殻の隙間に入り込み、ヒザキが手首を捻るだけで魔獣の体内の神経系がねじ切られ、そのまま倒れる形となった。
剣を引き抜くと同時にもう一体の攻撃がくる。
今度は刃の腹で攻撃をいなし、その眼球に剣先を突き入れる。
カチカチと牙を鳴らすサリー・ウィーパを他所に、その腹部を蹴り上げ、九十度空中で回転されられたサリー・ウィーパの腹部に眼球から引き抜いた剣を突き立てた。
何度か足が動くものの、うつぶせのままそのサリー・ウィーパも容易く死を甘受した。
「す、すご、い・・・」
獣のような銀の魔獣に相対するときもそうだったが、圧倒的すぎる強さだ。
リーテシアは喉が渇くのを誤魔化すように唾を飲み、人生二度目となる魔獣との戦闘をその目に焼き付ける。
いったいどのような修羅場をくぐってこれば、あのような強さを手にすることができるのか。
ヒザキの背中は「負けることを想像させない」強さを感じさせるほど大きく感じた。
「ここまで付いてきて『いてもいなくても変わらなかった』と評されるのは非常に心残りですので――私も参戦してもよろしいでしょうか?」
エストックを片手に、ヒザキの横に並ぶ金髪の女性。
「そんな評価はでないさ。君がいなければ思う存分戦うことも出来なかったかもしれないしな」
ヒザキの言葉の先がリーテシアを指していることを察し、彼女は「それは良かった」と僅かに笑いながら返す。
「前には出すぎません。常に彼女を意識した位置で戦わせてもらいます」
「助かる」
「逆でも構いませんが?」
「いや、女王蟻と・・・他に嫌な予感もするからな。君には魔法を温存してもらいたい」
「・・・ええ、私も同意見です。貴方の魔法の使い方から見て、魔法回数について問うのは愚問なのでしょうね。今は来るべき時のために私の魔法は控えさせていただきます」
「ああ、そうしてくれ」
ミリティアの言う「魔法回数」については、ヒザキの魔法の乱発を指しているのだろう。
あれだけ遠慮なしに連続して魔法を発動して「ごめん、もう魔法打てない」なんて展開が間近に来ているとは思えない。故にそれだけ乱発しても問題ないほど魔法を打てるのだ、ヒザキは。それを理解したミリティアは対多数の戦いにおいて、魔法を使用できるヒザキを前線に置くことが有利だと判断し、ヒザキも同じ考えであった。
両者互いに食い違いなく算段が統一され、二人は簡単な陣形を取る。
先頭にヒザキ。彼は好きにサリー・ウィーパと闘う先兵だ。
ミリティアはヒザキが打ち漏らした敵を倒すことと、リーテシアに危険が及ばないように周囲警戒を行う役割を担う。
ヒザキは剣を構えずに前へ歩いて行き、部屋の奥に群がる大量のサリー・ウィーパと対峙する。
「これだけ多いと、さすがに剣一本では心もとないな」
炎にはそれなりに耐性を持つと言われるサリー・ウィーパだが、耐性があるだけで無効化はできない。
彼らが耐えられない熱量をお見舞いすればいいだけの話だ。
そう思い、自身の中の魔法の出力を一気に上げようと思ったヒザキだが、あまり威力を上げ過ぎると、今度は自分が崩落の原因を作りかねない。当初予定した出力を思い直し、幾ばくか下げた出力で魔法陣を形成する。
「ギィィィィィィィィッ!」
攻撃の予兆を感じ取ったのか、サリー・ウィーパの群れが一斉に向かってくる。
数は――数えるのが馬鹿らしくなるほどの量だ。
その光景にリーテシアは「ひっ」と息を詰まらせ、ミリティアは姿勢を低くして臨戦態勢をとる。
そして、ヒザキの右手に浮かぶ魔法陣が砕け散り――、
「邪魔だ。消え失せろ」
視界を灼熱の「赤」が埋め尽くしていった。
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苦しい。
苦しい、苦しい、苦しい!
それはもがき苦しんでいた。
原因は分かっている。しかし対処法が分からない。
どうしたら良いか分からないから、全身を考えなしに暴れさせた。
言ってしまえば気を紛らわすだけの行為だ。
この苦しみに黙って耐えるよりは何かをしている方がマシだ。たとえそれが自身にとって何ら意味をなさないことであっても。
前足を無造作に振るえば、何かが破壊される。
前方に走れば、やはり何かが破壊される。
足元から仲間たちが心配そうにこちらを見上げてくる。
ああ駄目だ。
もう「ここ」では自分を保つことができない。
「ここ」はもう既に自身にとって「楽園」ではなくなってしまったのだ。
水飛沫を上げ、それは自ら楽園を後にする。
別の楽園なり得る場所を探し求めて。
壁を掘り進め、先へ、先へ。
ああ、全身が軋む。
早く楽になりたい。
何時間も、何日も掘り続けてきた。
道中で仲間をよく捕食していた黒蟻や芋虫の幼虫を見かけた。
気晴らしだ。
全力で手を振るうと、天敵であったはずの彼奴らは砂のように砕け散っていった。
何とも軽いものだ。脆弱すぎる。何故こんなものに成すがままに食われていたのか憤慨すら感じる。
想像以上の手応えの無さに、気晴らしにならず、体中の軋む痛みに苛立ちを募らせてくる。
進む。
進む。
やがて自身の全身すらも包み込むことができる程の大空洞へとたどり着いた。
広い。
広い!
自分が生まれ、育ってきた楽園をも遥かに上回る広さに、久々の解放感を感じ、それは歓喜に喉を震わせた。
降り立つと、自重による水柱が天井近くまで立ち上がる。
その衝撃に何事かと、ここに住み着いていたのだろう同胞らが群がってくる。
なに、何も悪いことはしない。
ちょっとここに住まわせてくれればいいのだから。
生まれ育った環境では「自分」という存在が仲間に認知されていたから違和感はなかったが、ここではその存在は初見である。同胞と思った彼らは、恐怖におののき、一目散へと水底へ消えていった。
何も逃げなくてもいいじゃないか。
不平不満を声高らかに言いたくなったが、今は後だ。
まずはこの体を休めることが先決。
全身を水に浸からせ、それは充足感に包まれながら一時の眠りについた。
しかしその眠りは狩猟者たちの存在ですぐに起こされる。
ああ、あの忌々しい黒蟻だ。
ここにも来ていたのか。
黒蟻たちはその鎌のような前足で、浅瀬にいた同胞を突き刺し、捕食していく。
何体か持って帰るのは、巣に餌を待つ子供がいるのか、もしくは主たる存在がいるのかもしれない。
不愉快だ。
せっかく心休まる安住の地にたどり着いたというのに、薄汚い蟻が跋扈するのは我慢ならない。
それはゆっくりと体を起き上がらせ、眼前にいる黒蟻たちを見下ろした。
対する黒蟻たちも陸地だと思っていたものが動き出したものだから、驚いて硬直していた。
どうだ?
逆に見下ろされる気分というのは。
嘲笑という感情をさらけ出し、無常にその前足を振り下ろした。
潰れる。
地響きとともにちっぽけな存在は粉々に砕け散った。
同時に捕食中であった同胞も同様に砕けてしまったが、すでに失われてしまった命だ。致し方あるまい。
周囲をよく見渡せば、そこら中に小さな横穴が見受けられた。
どうやら黒蟻たちの格好の餌場になっているようだ、ここは。
気に入らないね。
自分たちが強者だと思っているその思い上がり、叩き潰してあげないと。
それは全身を立ち上がらせ、黒蟻たちが行こうとした横穴に狙いをつけ、全力で突き進む。
簡単に岩盤を砕き、黒蟻たちの巣穴を蹂躙していく。
はは、脆いね。
その辺の砂や土と大差ないよ、君たち。
歩くだけで砕け散り、自分の動きで崩れた岩盤にすら耐えられずに潰される。
何体かこちらに鎌足を突き立ててきたけど、何の傷もつかなかった。
ああ、愉快だね、ほんと。
無造作に踏みつけると、感触すら感じずに破片だけになる黒蟻たちを見下ろしてそれは笑う。嗤う。
それが数日前の出来事。
ひとしきり暴れて新たな楽園に戻り、心地よい気分で寝ていたというのに、性懲りもなく黒蟻の連中は攻め行ってきたようだ。
ああ、でも違う光景が一点だけ。
一体だけやけに大きい個体がいた。
こちらに敵意を向けて、阿呆みたいに汚い歯音を鳴らす存在が。
ああ、でも。
でも、とても小さい。
今の自分から見れば、実に小さな存在だ。
そんな小さな体で何をしようというのか。
無駄だということに全く気付かない愚かさ。
本当に可笑しいよ、君たち。
安住の地は静かでありたいんだ。
楽園は静かに安心して暮らせるものだろう?
だから。
その障壁となる存在は一片も残さず、潰してあげるよ。
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炎が照らし出した後に残ったのは、焼け焦げたサリー・ウィーパの残骸だけだった。
大部屋の周囲一帯を残り火が燻り、灰色の煙を地から昇らせていた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
さすがに魔法一発で大量のサリー・ウィーパが死滅するとは思っていなかったらしく、ミリティアも驚きに口を開きっぱなしにしていた。
「先に進もう。火が残っている部分は踏まないように気を付けて歩いてくれ」
「え、ええ・・・」
「・・・・・・」
当たり前のことをしたかのように表情を一切変えないヒザキに、何とか返事をしたミリティアはリーテシアの手を取って、彼の後をついて行った。
「リーテシアさん、足元に気を付けてください」
「あ、は、はいっ!」
ヒザキの魔法が焼いた一帯は凄まじい熱量を放っていた。
あのサリー・ウィーパが苦しむ姿すら見せずに全滅するほどの熱量だ。当然と言えば当然なのかもしれないが。
額の汗をぬぐい、先に進もうとしたが――正直、足の裏を焼かれてもおかしくない熱さだ。
「ヒ、ヒザキ様!」
「ん?」
スタスタと先に進もうとする男を呼び止め、さすがにこのまま渡るのは難しいことを告げる。
「この熱量では私の甲冑すら焼かれてしまいそうです。風の魔法を放って一気に進みたいと思います。・・・というより、熱くないのですか?」
顔だけ振り返るヒザキの足元は、既にミリティアが躊躇して進むの止めた危険地帯の最中だ。
ヒザキは「そうか」と小さく呟き、軽く片足を上げる。
すると、黒く煤のようにボロボロと燃えていったブーツが視界に入る。
「・・・・・・靴が燃えた」
「当たり前です!」
「ヒ、ヒザキさん、足、足! そのままだとヒザキさんも燃えちゃいます!」
素足になったヒザキを心配してリーテシアが慌てて呼び戻すが、ヒザキは静かに頭を振って「大丈夫だ」と真顔で返した。
「俺は先に行く。魔法を使わせる結果となって申し訳ないが、風の魔法でついてきてくれ」
言うや否や彼は素足のまま、燻る大地を駆けていき、そのまま奥にある横穴へと姿を消していった。
その姿を呆然と見送る二人。
「ひ、火の魔法を使う人は・・・みんな、火に強いんでしょうか」
「そんなわけは・・・現にリーテシアさんも熱いでしょう?」
「は、はい・・・汗だくです」
「まったく・・・どこまでも規格外な方ですね。普通は記憶の方が美化されがちなものですが・・・こうして現実で同じ時間を過ごせば過ごすほど、記憶以上の驚きばかりを感じさせる。本当に不思議な人ですね」
「えっ?」
「いえ、何でもありません。では行きましょう」
意味深なミリティアの言葉に、思わず聞き返したリーテシアだが、そこは上手くはぐらかされてしまったらしい。
「さ、捕まってください」
「は、はい!」
言われたままにミリティアの背中におぶさる。一緒に持っていた麻袋は彼女がさらに背中におぶさる形となっていた。
彼女がしっかりと肩に手を回したことを確認し、ミリティアは風の魔法を足元に発動させ、自身を浮かび上がらせる。
つま先に少しだけ力を入れて、前に進むイメージを風に伝え、風はそれに応えるようにミリティアとリーテシアを前方に送り出す。
地下の感覚は地上で暮らしてきたミリティアの感覚を大きく狂わせる。
そのせいか、地下に降りれば降りるほど、敵の気配や周囲の察知能力が鈍くなってきているのを実感していた。
そんな状態でも確かに感じる物がある。
ヒザキが珍しく単身で先に進んでいったのも、それが理由だろう。
この先。
確かに感じるのだ。
途方もない巨大な何かと、それに相対する鋭利な存在を。
(もしかしてリーテシアさんが自動魔法付与で感じ取ったのは――)
巨大な膜のような波と、鋭利な波。
それはこの先で相見える存在かもしれない。
後者については憶測がつくが、前者はハッキリ言って不明だ。
だが国の脅威となり得る存在は潰しておかなくてはならない。
ここがすでに国境を越えた場所と言えど、脅威がアイリ王国に攻め入ってこないと言える距離でもないのだ。
危険分子は早々にその芽を絶っておく必要がある。
不意に、この旅に出る前の国王からの言葉を思い出す。
「・・・」
――お前は奴を監視しろ。
――そして、もし奴が怪しい動きを見せたのであれば、
――お前の采配の元、処断せよ。
近衛兵の隊長として、国の、王の言葉は絶対だ。
しかしミリティアの心には「しこり」がいつまでも残っていた。
どんなに動いても、どんなに忘れようとしても、どこか喉奥に刺さる小骨のように付きまとう違和感。
(納得が、いっていないんだろうな・・・今までは何も考えずに鵜呑みにしていたというのに。これでは部下に合わす顔がないな)
同席していたルケニアは国王の言葉に怒り心頭で、そっちを宥める方に労力を費やしたものだが、落ち着いて考えてみれば自分自身も納得が全く言っていなかった。体裁上は了解の意を見せて謁見を終えたが、今でもこの旅に自分以外の同行を連れず、ヒザキに事情も話せない現状に不満が残っていた。
この旅に出る前。今日の早朝。
ミリティアは王城内での事件を報告するため、宰相と会う約束をしていた。
ルケニアもアヴェールガーデンでの話の通り、ミリティアの同行許可をもらうために宰相の元へ来ていたらしく、同時に顔を合わせることとなった。
本来であれば、ミリティアはルケニアが見つけた設計図を基に、サリー・ウィーパの侵入の危険性は低いとし、女王蟻討伐は一旦中断。まずは王城内における魔獣発生の対処と、不可解な死を遂げた兵士の真相を突き詰めるのが先決という方向に持って行く予定であった。と同時に本来、客人であるヒザキは討伐の任を解き、逆に情報提供に対する報奨も依頼するつもりだ。
現に報告を聞いた宰相も同意し、ルケニアも「まー、機会的には惜しいもんだけど、万が一もある話だったしね・・・アンタの無事が何より一番だし、しょうがないっか」と討伐中止に賛同してくれて、話はうまく行くはずだったのだ。
そこで普段は全く部屋から出ない国王陛下が宰相の元へ来てしまった。
宰相の元に来たのは大した用事ではなかったらしいが、問題はミリティアの報告をそこで耳にしてしまったことだった。
城内の問題を耳にし、うろたえた国王は外の人間であるにも関わらず、場内をうろついていたヒザキにも猜疑心を向け、女王蟻の討伐の話をそのまま進めて国外に出ているようにしろと命じられた。
しかも当初は「誰も同行は認めない」という信じられない命令であった。
いつもならいかなる内容でも肯定を即座に返すミリティアだが、その時ばかりは何も言えなかった。
代わりにルケニアが「アンタ、真正のアホか! こんのアホ髭!」などと暴言を吐いてしまうものだから、ミリティアと宰相の胃ははち切れそうになるほど痛かった。
国王も買い言葉に売り言葉で怒り心頭になるが、宰相の必死の説得により、何とかお心を納めることに成功した。
が、
『そんなに心配ならばお前が行けばよかろうよ』
とミリティアに対して、唾を吐くように感情を込めない目で言ってきた。
ルケニアはまたしてもその態度に食いつきそうになったが、慌てて宰相が彼女の口を押えて封じ込める。
それは構わない。
元々同行するつもりだったのだから。
だが、未知数のサリー・ウィーパの襲来に向けて兵を配置する必要があったために、ミリティア単独で同行する話だったのだから、その必要がなくなった今としては同行者は自分以外にいても問題はない。そう考えて同行者の追加を要望したが、それは却下された。
理由はそれに人員を割く意味がないからだそうだ。
付け加えて、ヒザキの監視と処断を言い残され、残った近衛兵で王室全方位を護衛する命を宰相に下し、国王は部屋を後にしていった。
最優先はミリティアが無事帰還すること。場合によってはヒザキだけをコロニーに残し、ミリティアだけ先に帰還しても構わない。そうできるタイミングがあれば意図的にしても構わない、と。そして仮に彼がアイリ王国へ戻ったとしても、その時に王城内の事件の解明が済んでいなければ、彼を重要参考人として地下収容施設に入れると。
最後にそう言われたときは思わず下唇を強く噛んでしまい、口の中に血の味が広がるのを感じた。
ルケニアも口を押える宰相の手を強く噛みすぎて、口の中に血の味が広がったらしい。
宰相は「勘弁してくれ・・・」と肩を落とされて、全身で疲れを露わにしていた。自分を思って怒りを面に出したことは感覚的に理解しているので、ルケニアを責めきれず、代わりに宰相に謝罪をして今に至る。ルケニアも冷静さを取り戻した後は謝りつつ宰相の手の怪我を治療していたみたいだから、あちらはまあ・・・大丈夫だろう。
(近衛兵、か)
ルケニアは「目的と手段、入れ替わってなければいいんだけどね」と言った。
今なら少しだけ理解できるかもしれない。
元々は小さな憧れから「強さ」を求めた。
強さを求めるには最適な「環境」が必要で、それが兵士であった。
環境で強くなるための下地としてデュア・マギアスという「才能」もあった。
そして「強さ」を求める肯定は順調に進んだが、やがて周囲から頭一つ抜き出た時、ミリティアはどちらを向いて歩き続ければいいか分からなくなった。
分からないから、とりあえずやれることをやる。
その頃には強さを評価され、近衛兵に入団し、いつの間にか隊長の座についていた。
やれることは多くあり、やらねばならないことは無限にある。
でも進む道がいまいち掴めないから、分かりやすい「仕事」というやるべきことをやる。
仕事に忙殺される。
だが仕事は楽だ。
分かりやすく、自分が何をすべきかの道を示してくれている。
繰り返す。
繰り返し、繰り返し・・・仕事に没頭する。
仕事をこなすには「強さ」が必要だ。
何事も完遂する「強さ」が・・・。
ああ。
そうか。
(ルケニアには全部・・・見えていた、ということか)
いつしか忘れていた、本当の自分が求めていた原点を思い出す。
自分が立つ近衛兵隊長という立場は早々に崩せるものではない。その地位についたというのであれば、その職務を全うするのが筋という物だろう。だから、ミリティアは今後も変わらず、近衛兵の長として職務を全うするだろう。
だけど――少しだけ。
(少しだけ・・・昔に戻る、というのも悪くない、かな)
帰ったら、ルケニアともう一度話してみよう。
きっと彼女なら笑って色々とアドバイスをくれそうだ。
形は今のままで、しかし今後は少しだけ自分らしさも出していきたい。
「ミ、ミリティアさん?」
風を斬って移動する最中、リーテシアが首を可愛く傾げてこちらを見上げてくる。
その眼は「どうしたんですか?」と問いかけてきているのが良くわかる。
「大丈夫、少し軽くなっただけだから」
「・・・?」
心中で国王へ進言する。
本討伐は無事、達成して見せます。
そして、ヒザキ様をこの砂漠に置いて帰る機会など永劫なく、彼が国に戻った後も彼を捉えることもさせない。私が必ずや王城内を騒がせた原因を突き止めてみせる、と。
ミリティアは澄んだ目で小さく、挑戦的に笑った。




