第4話 孤児院の日常
「うっおりゃあああーーーっ!」
「こなくそーーー!」
少し離れた位置から元気な男子の叫び声が聞こえてくる。
声の主はラミーと、その悪友であるサジだろう。
ラミーとネイクがペアの場合は、だいたいネイクがストッパーの役目も担うため、それほどラミーも熱くならない。だが、今ラミーと一緒にいるサジの場合は、互いに同類なせいか、相乗効果がかかり、手に負えないほど高揚するらしい。
高揚する。つまり悪ノリがどんどん悪化する。
「おりゃーーーっ! 俺様の魔人剣を喰らえええぇっ!」
「見切ってんぜ、ラミー!」
二人は手に持つ棒状のものでチャンバラごっこをしているようだ。
そしてその棒状のものは、二人の叫び声に頭痛を覚えているリーテシアの手にもあった。
箒だ。
この国にはいくつかの孤児院がある。
特に孤児院に個別の名称がついているわけではないが、リーテシアは自分の住まう孤児院のことを国内でも端の方に位置することから「端っこ孤児院」と勝手に名付けている。前に男子に、シーフェとその名前で盛り上がっていたところを聞かれた際には「こいつ、ガキみてーな名前つけてるぜ! だっせー!」と馬鹿にされたものだ。それ以来、人前でその名を口にするのを躊躇っているが、依然、リーテシアの中では端っこ孤児院という呼び名が定着していた。
そして孤児院は、それぞれ国から命じられた雑務をこなす毎日が義務付けられている。
なんでも国の復興を手伝うことは、自分の目で国を確かめ、感じ、経験することに繋がり、それは将来における大きな財産に繋がるだか何とか。
言いたいことは何となく理解したが、まったく心に入ってこない教えだった記憶はある。
この国に住まわせてもらう以上は、義務に従うのが当然。
そして本日の端っこ孤児院に下った指示は、朝の強風によって路上に溜まった砂を掃除することだった。
サッサッ、と箒で砂をかき集め、近くの塀の麓に集めていく。
原則、成人ではない子供は塀の外に出ることは禁じられている。だから子供らができることは、塀の近くに路上の砂を集めることだった。その作業が終われば、あとは大人たちに一気に塀外に出してもらう工程にバトンタッチする。それで今日のお勤めは終了となる。
正午。
今は風も止んでいる。
念のためゴーグルと布マスクは装備しているが、この様子だと今日は嵐もなく、平穏無事に終わりそうだ。
これも外での作業の繰り返しという経験がなす判断。
あまり国の考え方も馬鹿にできないかも、などと考えてしまう。
国からの指示は砂掃除だけなので、決められた区画の砂を塀の麓に集めてしまえば、それ以降は自由時間となる。だからこそ、早く作業をして、早く終わらせたいのだが・・・。
「くぁっはっは! 見切っただと!? それはこっちのセリフだ! 喰らえ、ギガンティック・箒・フレイムゥーーーっ!」
大仰な技名のわりに、ただ箒を投げ飛ばすだけのラミー。
その箒をぎりぎりでかわし、サジはドヤ顔でラミーに人差し指を向ける。
「見切った、って言っただろ?」
「――は、ははっ・・・いいぜ、どうやら本気をだしてもいいようだ」
そろそろ本気で掃除をしてほしい。
そんなリーテシアの悩みなど届くはずもなく、ラミーは足元に積もった砂の山に靴のつま先を少しだけ埋める。そして、勢いよくその足を振り上げた。
「サンド・ウォーーーーール!!」
「ぶへっ! て、てめっ! ごほっ! そりゃ卑怯だろ!!」
「勝てばいいのよ、勝てばなぁーーっ!」
ラミーが蹴り上げた大量の砂がサジに降りかかり、全身が砂だらけになる。
その掃除と逆方向へ進んでいく光景を視界の端にどうしても捉えてしまうリーテシアは、思わず頭を手で押さえてしまう。その様子を心配してシーフェが近づいてくる。
「リーちゃん、大丈夫・・・?」
「う、うん・・・ごめん。ちょっと頭が痛かっただけだから」
「少し休む?」
「ううん、大丈夫。ありがと、シーフェ」
「無理しないでね? リーちゃんはちょっと負けん気が強いところがあるから、辛くても我慢しちゃうと思うの・・・」
「あ、あはは・・・大丈夫。別に体調が悪いとか、そういうのじゃないから」
「えー、だって頭が痛いって・・・」
「体調じゃなくても、そういうこともあるのよ」
「うんー?」
何となく、首を傾げるシーフェの頭を撫でると彼女は嬉しそうにコロコロと笑う。
癒される。
年は同じだが、リーテシアはシーフェが親友であり、妹のような存在だという感覚でいた。さすがに本人に「妹だと思ってる」なんて言ってしまえば、怒られるだろうから言わないが、シーフェとなら姉妹でもいいなーと思うほどリーテシアは彼女を大事に思っていた。
そんなことを思っていると、心なしか男子の声が近くなった気がした。
嫌な予感がする。
この感覚も経験からくるものだろうが、こういうのはいらないなーと心から思った。
「おめえがその気なら! こっちだって!」
サジは箒を両手に構え、その穂先で路上を思い切りこすりながら走り出す。当然、穂には大量の砂が溜まっていき、それが通った後には砂の轍をできていた。彼はおそらくラミーに接近後、その穂を振りぬいて、穂先に溜まった砂をぶっかける算段なのだろう。
「おおおおおおおおおおっ!」
サジの気迫に押され、ラミーは一歩後ずさる。
彼の武器(箒)はすでにサジの後方に転がっている。唯一の武器を飛び道具として使ってしまった末路である。
サジがこちらに接近するまで、おおよそ3秒とかからない。
ラミーは必死に無い頭で打開策を考える。
周囲を見渡せば――いるではないか。ちょうど良い隠れ蓑が。
ラミーと目が合ったリーテシアは大きく息を吐く。
「シーフェ、ごめん。バレたら院長先生に怒られるから、内緒にしてくれる?」
「えっ? う、うん?」
近づいてくるラミーをぼんやり眺めていた彼女は、リーテシアの突然の言葉を理解するまえに曖昧な返事をしてしまう。
シーフェに説明している時間はない。
実際に見せれば、シーフェも何を伝えたかったか理解してくれるだろう、と結論付けてリーテシアは左手を前方にかざす。
かざす先は――言うまでもなくラミーだ。
その様子に気付いてか、彼女に走って近づく彼は、ギョッとした表情を浮かべる。
彼女が何をするのかを察したのだろう。だが、時すでに遅し。
彼女はその「行動」を実行に移していた。
「――風よ」
短く。
その一言だけで、彼女を取り巻く空気が一変する。
かざした左手の少し先に、光の線が走り、正六角形を模る。
――魔法陣だ。
その6つの辺のうち1つが淡く緑の光を発し、そこに正三角形の型が1つだけ浮かび上がる。
六芒星の形から、5つの正三角形を抜いたような形だ。魔法陣と呼ぶには酷く不完全な形にも見える。
図形の中に細かい光のラインが走っていき、そのラインが魔法陣すべてに紋様として形を成したとき、一層、纏う光が強くなる。
瞬間、
魔法陣が光の粒へと砕け散り、そこから生成された一陣の風がラミーとその後ろを走っていたサジを吹き飛ばす。
と言っても2、3メートルほど後ろに転がる程度の強さだ。路面の砂がクッションとなり、二人には痛みもあまり感じていないだろう。代わりに全身で砂を被ったため、真っ白になっている。
「・・・ふぅ」
「あ、相変わらず・・・すごいね、リーちゃんの魔法」
息を吐くリーテシアに、シーフェがおずおずと言葉をかける。
争い事が苦手なシーフェにはあまり見せてはいけない光景かもしれない。リーテシアは心の中で反省しつつ、シーフェに向き直った。
「別にすごくないよ。大人の魔法師なんて、同じ魔法でもっとすごい力が出るんだから」
「だってだって、私たちぐらいの子供で魔法を使えるなんて、リーちゃんだけだよ? やっぱりすごいよ!」
「う、ありがとう・・・」
自分の性格は捻くれているのだろうか、と時々思ってしまう。
どうにも真っすぐに感情をぶつけられると、照れてしまい、冷静に話ができなくなってしまう。
リーテシアは彼女に笑顔を向けつつ「それはそうと」と、吹っ飛んで尻もちをついたままの男子2人に目を向ける。その視線はやや冷たい。
「て、てめっ、ちょっと魔法使えるからって、ちょーしに乗んなよ!」
予想通り、というか、やはり一番最初に突っかかってくるのはラミーである。
「あんたたちが掃除をしないで遊んでるからでしょ! それにそれだけなら見逃してたけど、明らかに私たちを巻き込もうとしたわよね?」
「べ、別に・・・んなことねーし」
「なに目を逸らしてるのよ。こっち見て話しなさいよ」
「ああ? 逸らそーが、逸らすまいが、俺の勝手だろ!」
かちんと来た。
もうラミーの自分勝手さに、堪忍袋の緒が切れたみたいだ。
リーテシアは無言で再度、左手をラミーに差し向ける。
もう一発、反省させるために風の魔法を打ち込もうと目を細めた、その時だった。
突然、視界が明滅する。
同時に頭頂部に鈍い痛み。その痛みは徐々に大きな痛みへと変わっていく。
「いったぁ~~~~・・・・・・」
原因は脳天に叩き下ろされた拳骨だった。
リーテシアは思わず、頭を押さえてその場でうずくまる。
「やれやれ・・・アタシの許可なく魔法は使うな、って教えなかったかいねぇ、リーテ」
「い、院長、先生・・・・・・」
いつの間にかリーテシアの背後に立っていた院長先生を見た男子が「げっ」と声を漏らす。
院長先生と呼ばれた壮齢の女性、レジンはため息交じりに周囲を見渡す。
「おかしいねぇ・・・掃除を始めて1時間は経ってるのに、綺麗になるどころか、余計に砂が散らばっているようにも見えるね」
言いつつ、レジンは指の骨を鳴らす。
ポキッ、ポキッと実に小気味いい音が聞こえる。
「そ、そこの黒髪が風なんざ呼んだからだろーよ」
ラミーの言葉に、思わず涙を浮かべた目でリーテシアが睨む。
「そうかい? その割には随分と剣士ごっこに励んでいたようだけど?」
どうやら、一部始終見られていたようだ。
彼女は掃除を始めたころに、用事がある、と言って姿を消していたのだが、もしかしたらそれは真面目に掃除を行っているかを隠れて監視のための嘘だったのかもしれない。
レジンはふぅと息をつき、リーテシアとシーフェに視線を移す。
「リーテとシーフェは引き続き、掃除をすること。魔法を勝手に使った罰はさっきの拳骨でマケてあげる」
「は、はい!」
「っ~~、あ、ありがとうございます・・・」
シーフェに支えられながら、未だ痛みの取れない頭を押さえつつ立ち上がる。
拳骨、というのは時間が経てば経つほど痛みが増してくるから厄介なものだ。
でも、1日食事抜きや、孤児院の室内掃除をすべて一人で、みたいな罰でなくて内心ホッとした。
路面に転がっている箒を手に取り、自分の風でまき散らした砂を渋々掃き始める。
正直に言うと、風の魔法を使用すれば、こんな砂掃除もさほど苦労せずに終わるのだ。しかし、先も怒られた通り、魔法の使用はレジンに禁止されている。理由は教えてもらっていないが、とにかく勝手に使用するとこっ酷く怒られるのだ。
もしかしたら、今回の掃除で魔法を使用していたら、拳骨以上に怒られていたのかもしれない。
(う~~、まだズキズキする・・・もうさっさと終わらせよう・・・)
往来の中で正座させられた男子二人を大きな声で説教するレジンの声をバックサウンドに、無心で砂掃除を進めていった。
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今日の夕飯はパンだった。
いや、今日の夕飯「も」パンだった。
アイリ王国では物資も著しく不足しているため、基本的な食事は保存の効くものが多い。
パンを始め、乾物などがその殆どである。
その主食すら自国の力では製造することも難しいらしく、隣国からの物資搬送隊が定期的に仕入れてくるものを、国が国民に配給することで何とか、毎日の食事を繋いでいる状態だ。
物質搬送隊は一週間ごとにアイリ王国に入る。
次のタイミングは明日だ。
今日は新しい物資が届くまでの最後の日、ということもあり食事はいつも以上に質素であった。
水分は食料以上に貴重なため、今日も食事には一切出なかった。出せなかった、というのが正しいのかもしれないが。
レジンはそういう水不足の状況も憂いており、以前、稀に来る行商から仕入れたという「水呑粉」という、少量の水と一緒に溶くと何倍もの体積に膨れ上がって固形化する不思議な粉を用いて、特製の団子を作り置きしている。水と砂糖とドライフルーツを混ぜると、それはもう子供には堪らないお菓子の出来上がりだ。
この団子は水呑粉の性質なのか、噛むと元の水分が一緒に溢れ出てくる。そのため、あまり贅沢に使えない水の代わりとして実に活躍していた。少量の水で腹も少し膨れる。工夫とは偉大なものだとリーテシアも感動したものだ。
他にも生活面で節約を目的とした色々な工夫はしているし、それに子供らも協力している。
だが、それでも圧倒的に足りないのが現実だ。
いつか、気兼ねなく水を飲める日が来るのだろうか。
食事後、孤児院に設けられた共同部屋に移動し、リーテシアは椅子に腰かけながら喉をさする。
どうにも夕食のパンを食べた後から、何かがつっかえている違和感を感じる。
もうこの地に来てから何度も経験している感覚だ。慣れるものでないのが辛いところだ。
喉の症状は、医師によると乾燥が原因とのこと。前に一回だけ受診した際にそう告げられた。その際に「水分を多く補給すること」とは言わないのが、この国の医師らしい。
朝はあれほどの強風だったため、今日一日は荒れるのだろうと踏んでいたのだが、昼前から驚くほど気候が安定していた一日だった。
窓から差し込む月明りが部屋を照らす。
リーテシアは、自分専用の本棚から古びた本を取り出す。共同部屋に自分専用、というのもおかしな話だが、リーテシア以外に本を読む子供がいないため、実質的にそうなっているも同然だった。
本を読むのは好きだ。
新しい知識は必ず自分の糧となり、明日以降の自分を強くする。
月明りを頼りにページをめくる。月が雲に隠れるまで読むことにする。
本棚にある本は既に3周は読み直した本ばかりだ。
明日あたり、物資搬送隊も来るだろうし、何か新しい本が輸入されていないか確認しに行くのも良いかもしれない。
物資搬送隊による物資は基本、王室にすべて届けられ、その後に食料や水は王室付の配給役が分配する。しかし、本等のそれ以外の資源については、街の専門施設に送り届けられる。本に関して言えば図書館に寄贈されるのだ。
無料で本を公開してくれるのは非常にありがたい。
もっとも本を販売する店すらない国なので、行きつく先はそこしかないのかもしれない。
それから二時間ほど本に目を通した後、足音を立てないように子供らが揃って寝息を立てている大部屋に移動する。起こさないように静かに自分の布団の位置までたどり着き、床に就くことにした。