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テトラ・ワールド  作者: シンG
第1章 建国~砂漠の国~
38/96

第38話 後悔しない未来

「で、可能性とやらは持ってきたのかい?」


孤児院に戻ると、待ってましたと言わんばかりの一声。

手ぶらで帰ってきたヒザキの姿を見て、意地の悪い笑みを浮かべたレジンが声をかけてきたのだ。


「・・・延長で」


表情を変えずに答えるヒザキの様子に何が可笑しかったのか、レジンが腹を抱えてくぐもった笑い声を漏らす。大声で笑わないのは時間帯、つまり寝ている子供たちを起こさないための配慮なのだろう。大声だろうが抑えた笑いだろうが、不服な態度に変わりないが。


「いや、すまんすまん。一切表情に出さないアンタだと思ってたけど・・・意外と声を聴いていると分かるもんだね。今アンタは非常に『不貞腐れてる』って見たけど、どうだい?」


「どうだい、と問われても『さあ』と答える他ないな」


「くっくっく・・・回りくどく返してくる時点で図星って言ってるようなもんだよ」


「・・・・・・」


無言でジト目になるヒザキに、レジンは一頻ひとしきり笑った後に「すまんすまん」と再び謝った。


「昨日あれだけ意味深に語っていたもんだから楽しみに待っていたというのに、いざ帰ってきたら手ぶらな上に肩を落としてるもんだからさ。その懸隔けんかく具合に思わず笑ってしまっただけだよ」


「分かってるから、こういう表情をしているんだろう」


「こういう表情って・・・何も変わってないじゃないか。せいぜい目尻が微妙に上がった程度かい? 全く・・・面白味のない男だねぇ」


口元の笑みは変わらずに何気に酷いことを言うものだ。

ヒザキははぁとため息をついて、居間の椅子に腰をかける。

その横でレジンが腰に手を当てて「で、今日はどうしたんだい?」と優しい口調で問いかけてきた。


ベルモンドに愚痴を言おうかと思っていたが、客室から聞こえる轟音からして彼は既に就寝しているのだろう。しかし本当に五月蠅いな。これだけイビキが大きいと子供たちも不眠がちになるのではないかと不安になってしまう。


「すまんね、タイミング的に茶でも出せればいいんだが」


「気にするな」


そんなやり取りの後、レジンに国家機密に触れない程度に今日の出来事を話した。

サリー・ウィーパについては無駄に不安を与える可能性が高いため、王城に出向いた理由は「賊」のせいにしておいた。まあ賊であっても脅威に変わりないが、少なくとも魔獣よりはマシだろう。


「砂漠に賊、ねぇ?」


「なんだ」


「いや、なんでもないよ」


さすがに無理があったか? と内心で思ったが、レジンはそれ以上つっ込んで聞いては来なかった。

ヒザキも下手に話を伸ばして、問い詰められる要素を増やしたくなかったので、賊の部分に関してはそのまま流すことにした。


「それでその賊たちの対応に第三部隊んとこが相手取ってたってわけかい? 確かに今日は東の方が騒がしいとは思っていたけど・・・で、全員撃退したのかい?」


「いや、首領が砂漠の奥に陣取っているようでな。先陣を切って襲ってきた手下共はあらかた片付けられたが、首領を倒さねば根本的な解決に至らないからな。明日はその討伐に行かされることになった」


「随分と猛々しい首領だねぇ。こんな危険地帯の奥に腰を据えるなんてね」


「まあ・・・そうなんだろう」


ちょっと話が苦しくなってきた。

やはり魔獣を賊に読み替えるだけでは物語に歪みが生じてくるようだ。

とはいっても、ここから軌道修正するだけの想像力も無いので、無理にでも突っ走るしかない。


レジンの気を逸らすため、ヒザキは逆に話題を振ってみることにした。


「しかしこの国の兵は疲弊しているものだと決めつけていたが・・・存外に元気だったな」


「そう見えたのかい?」


「違うのか?」


含みのある返しにヒザキは首を傾げる。


「まあ・・・ちょいと昔の軍ならアンタの言う通り、無気力な輩ばっかりだったねぇ。訓練も戦うのも全てが面倒で、無駄な体力を使いたくない。それが態度として出てるもんだから・・・いち国民としちゃ不安で仕方がなかったよ。ちょっと前にしょっ引かれた衛兵たちも、その時代の名残があったね。でも数年前からマイアーたちが隊長格として上がってきてからは雰囲気も大分変ったもんだよ」


「まいあー?」


「つい最近まで、こんなちっこい子だったのにね。子供ってのは少し目を離すと見違えるほどに成長するもんなんだねぇ。マイアーは第三部隊の隊長のことだよ」


不意に東門で見た、長髪の女性の姿を思い浮かべる。

一般兵の隊長が実力で選ばれるのだとしたら、彼女がマイアーなのかもしれない。


「この国の食糧事情は知ってると思うけど」


レジンの話が続いたため、マイアーのことは横に置いて、ヒザキはレジンの顔を仰ぎ見た。


「マイアーたちが無理矢理、兵たちの意識改革を行って数年。聞いた話だと、やる気のある連中はマイアーやリカルドのところに集まり、腐敗に浸かった連中は他の部隊に纏められたらしいね」


そう言えば城に戻った際に、第二部隊の救援に他部隊の連中も見かけたが、一部気怠そうに動いている兵士が見受けられたのを思い出した。その連中がレジンの言う「腐敗に浸かった連中」なのかもしれない。城に足を踏み入れて初っ端に出会った一般兵がギリシアやリカルド、ミリティアなので余計に連中は浮いた存在として目に映ったのを覚えている。


「ま、そういう経緯があって元気に見えるかもしれないけど・・・食糧は相変わらず枯渇状態。彼女たちも外には弱みを見せないけど、今頃は十分に腹を満たせない空腹と戦っているんだろうねぇ。兵士として一端の民よりも動いている分、猶更かね」


「・・・そうか」


一般兵は普段は訓練から、今日のように戦闘行為に至ることもある日常を送っている。

当然、運動行為を行えば体から熱量を消費し、多くの食事を必要とするだろう。国民よりは多少の便宜を図ってもらえるだろうが、それでも彼らが本来摂取すべき量からはかけ離れたものなのかもしれない。


魔獣との戦闘行為を行った第二・第三部隊の面々は、緊張した戦線の中で立ち振る舞った疲労もある。

そんな時に腹を満たす大量の食糧があれば、頑張ろうという意欲も湧き立つだろうが・・・。


一瞬、嫌な光景が脳裏を過る。

食べたくても食べられない。

腹部を布できつく縛り上げ、痛みと圧迫で空腹を紛らわせ、なるべく体を動かさないよう丸まって横になる人々。

最終的には人同士で貪り合う地獄絵図。


(・・・昔、そんな飢餓の極地に至った国があったな)


当時の腐臭を思い出し、頭を振ってその残像を振り払う。


「で、あたしゃ明日まで待っていた方がいいかい?」


「もしかしたら明後日あたりになるかもしれない」


「ああ、明日はその『賊』とやらの首領を懲らしめに行くんだったかい?」


「ああ」


「そうかい」


レジンは目を閉じて、やれやれと首を振る。


「楽しみにしているよ。アンタがこの停滞・・・いや、徐々に足元が崩れてきているこの国に住むアタシたちにどんな可能性を見せてくれるのかね」


「肩すかしだった時に居た堪れなくなるから、過度な期待はしないでおいてくれ」


「くっくっく、無理だねぇ。ちゃんと期待して待ってるから、早目に頼むよ」


「分かった。自分から言い始めたことだしな」


ヒザキは椅子から立ち上がり、レジンに「もう今日は休むとしよう」と伝え、彼女が頷いたのを確認して宛がわれた客室へと向かう。



客室に向かうにつれ、ベルモンドのイビキが鼓膜を揺らし、ヒザキは内心で「散々だ」と呟いて就寝することとなった。



*************************************



朝起きて、ふと思ったのは「そういえば今日の段取りを一切決めていなかった」という失念だった。


旅人として長年、自由気ままに生活し、自分のことだけを考えていれば良かった期間が長かった為、こういった他者との約束という拘束に対する意識が異様に弱くなってしまったらしい。まさか当日の朝になってそんな初歩的なことに気づくとは、ヒザキ自身も呆れてしまうほどだ。


目的は決まっている。

サリー・ウィーパの女王蟻討伐。

同行者はミリティアとなっていたが、それも確定ではない。ルケニアは城上層部には許可を取れるようなことを言っていたが、結局どうなったかは定かではない。昨日のミリティアの様子がおかしかったのも気になる要素である。

そして仮にミリティアが同行するとして、どこでいつ待ち合わせするか等、今日のスタート地点すら何も決めていなかったことが問題だった。


(どの道、城に向かうのは確定か)


ヒザキは乾燥で風化してしまいそうな敷布団と掛布団を丁寧にたたみ、自身の荷物にある新しい服を着込む。


ベルモンドは既に起床しており、その姿は見られなかった。

成り行きで自分と共にこの国に足を踏み入れた彼らだが、いつまでここに滞在する予定なのだろう。後で聞いてみるのも良いかもしれない。


(そういえば・・・鞘はどうなったんだ。数日程度で丁度いいサイズが見つかるとも思えないが・・・一応尋ねてみるか)


今日は戦い前提で外に出るため、当然、大剣の出番も出てくるだろう。鞘の調達を昨日ベルモンドにお願いしていることを思い出し、今日の予定第一弾は彼を探すことからにした。


客室を出ると、パタパタと駆け寄る小さな影。


「あっ、おはようございます、ヒザキさん」


「おはよう」


リーテシアだ。

手には朝食と思われる乾物や煮付けが載せられた皿を持っている。


「朝食の手伝いか?」


「あ、はい! もうすぐ準備ができますのでヒザキさんも手を洗って、席で待っていてください」


「手伝おうか?」


「いえいえ、とんでもないです! ヒザキさんはお客様なので座って待っててください」


リーテシアに促され、椅子に座らせられる。

手慣れた手つきでレジンが準備する料理を皿に盛り合わせて行き、せっせとテーブル上に並べていく。

料理と言っても水を贅沢に使えない環境の為、満足な調理を行うことはできないのだが、その中でも乾燥した大豆と細かく切ったパンを、水分のある缶詰の煮付けとえて、出来る限り水分を多く感じさせるような料理を工夫して作っているようだ。


「リーテ、ここはいいから全員おこしてきな」


「うん」


周囲を見渡すと、台所の手伝いをしている子供らが数人。

ちらちらとこちらを伺いながら、一生懸命に孤児院の子供分の皿を卓上に並べていく。

その光景の中に大人の姿はレジン以外にない。どうやらベルモンドや他女性二人はここにいないようだ。


「あ、あのっ」


声の方を見ると、リーテシアよりもさらに小さい女の子が緊張に顔を強張らせながら、必死にこちらに何かを伝えようとしていた。

下手にこちらから言葉を出すと怖がらせそうな気がしたので、ここは次の言葉をジッと待つことにした。


「えと、えっと・・・べ、べりゅっ・・・」


緊張度が急上昇中。

顔は見る見るうちに真っ赤になっていき、もうその小さな口からは「べりゅっ」しか出てこない。

何故か袖をグイグイ引っ張られるが、その行動に何をどう返してあげればいいかヒザキも分からなかった。

数秒後には目尻に涙を浮かせながら「ぅー」と何かを訴えるように、ひたすら袖を小さく引っ張られる。


さて期待に応えてあげなくてはならないのだろうが・・・「べりゅ」から連想される言葉はなんだろうか。


「――かつて英雄と称されたベリューレ=フォルトについてか?」


「べりゅぅ?」


首を傾げてこちらを見上げてくる。

既に興味がヒザキの言葉に映ったのか、こちらの大腿に両手を置いて続きを待つ態勢でいるようだ。


「貧困街で生まれ落ちた荒くれ者の一人だったんだがな。ある日、彼の住む国に襲い掛かってきた魔獣デギン・フォーンを打ち倒す所業を成し遂げてからは一転して有名になった男さ。その魔獣の強固な骨を加工して造った槍を手に次々と武勲を立てていく姿を見て、旧アイルランドの神話に登場するクランの番犬と重ねて『デギンの猟犬』と呼ばれていたらしい。もっともクランの番犬とは出自も由来も全く重ならないがな。ま、その積み重ねの結果、英雄として名を残した男だ」


「でぎー?」


全く内容は理解していないと思うが、それでも興味は薄れなかったのか、いつの間にか女の子は膝に体を預けてリラックスムードに入っていた。


「難しかしい話だったな」


「むずかしー!」


何が可笑しいのか、笑顔で復唱する女の子を後ろからリーテシアが両手で抱え上げた。


「こーら、ヒザキさんに悪戯しちゃダメでしょ?」


「いたずらじゃないもんー」


リーテシアの胸元で不服そうに頬を膨らませる女の子に、リーテシアは困ったように微笑んだ。


「すみません、ヒザキさん・・・」


「いや構わない。それより、その子が俺に何か伝えようとしていたようだが・・・」


「え、そうなんですか?」


「つたえるのー」


「あ、こら。暴れないのー」


両手を交互に振る女の子を支えていられなくなり、リーテシアはひとまず彼女を床に下した。


「ああ、すまんね。実はベルモンドからの伝言をお願いしてたんだ」


そんな彼女たちの後ろから、最後の料理が盛られた大皿を片手に持ったレジンがフォローする。


「まだカナには早かったかねぇ」


小さい女の子――カナの頭を軽く撫でながら大皿を置き、本来カナがするはずだった伝言をレジンが代わりに口にする。


「ベルモンドから鞘の件についてだよ。昨日ちょうどいい革製の鞘代わりになるものがあったってことで、朝っぱらから出かけているよ。正午あたりには持ってこれるかもっていう伝言さ」


「随分と早く見つかったんだな。『代わり』というところが気にはなるが・・・」


「まあそんな仰々しい大剣の鞘なんて、この国では需要がないからねぇ。代用品となる物があっただけでも儲けものじゃないかね」


「そうだな」


正午、ということは、女王蟻討伐には間に合わないかもしれない。


(仕方ない、城で武器を貸してもらおうか)


使い慣れた武器で万事を尽くせるようにしておきたかったが致し方ない。

城に着いたらミリティアか誰かに武器の貸し出しを交渉することにしよう。


「おはよぅ・・・」


「ねみぃ~・・・」


「おはようございます」


「はよー・・・」


次々と奥の部屋から子供たちが眠そうに目をこすりながら姿を現してくる。

レジンは子供たちに「ほら顔と手を拭いてきな」と促し、全員が席につくのを待つ。


やがて全員が席につき「いただきます」の合唱後に食事を始める。

育ちざかりの子供たちには圧倒的に少ない量の食事だ。

特に活発な性格のラミーやサジはものの数分で食べ終わり、食器を片付けて早々に食卓から姿を消してしまうほどだ。


隣でゆっくり食事をするリーテシアを見る。

彼女も女性と言えど、この量では腹五分にすら満たされないだろう。


「リーテシア、俺の分も食べるか?」


だから何も考えずに、そんな言葉を投げかけてみて――後悔した。

その台詞に脊髄反射のごとく視線を子供たちがこちらに向けてくる。正確にはヒザキの皿に、だ。


「・・・」


あまりの威圧に言葉を失う。

まさか10歳前後の子供たちのプレッシャーに圧されるとは思ってもいなかった。

それまでは和気藹々(わきあいあい)と食事をしていただけに、この反応は予想していなかったことも一因だろう。


「え、ええっと・・・そういう感じなので、ヒザキさん。私たちには気にせず食べてください」


苦笑を浮かべるリーテシアが困ったように言う。


「失言だったな。すまない」


「いえっ・・・そ、その、お気遣いは嬉しかったので・・・はい」


照れたように小さな声で返す彼女に感謝しつつ、今後は「食事」に関しては下手に口を挟まないようにしようと心に決めた。


普段、食事関連でいざこざが起こらないのは、レジンの教育の賜物なのだろう。

それでも腹が空くのは自然の摂理。

理性で空腹を押さえつけ、我慢すれどその感覚が消えるわけではない。

理性と本能の狭間を常に渡り歩いているレジンや子供らに対し、食事を分け与える等という言葉は理性と本能の均衡をたやすく崩し、本能が顔を出してきてもおかしくないものだ。


リーテシアの言葉で子供たちもレジンの教えを思い出したのか、我慢するように自分の食事だけを口にする。だが一瞬だけでも本能が叫んだ空腹の痛みはまだ残っているだろう。失言、の一言以上に子供たちに目に見えない痛みを与えてしまったのかもしれない。


「・・・すまん」


レジンに向かって頭を下げる。


「・・・いや、大丈夫さ。むしろ今の甘言に流されずに皆が立ち止まる心を持っていたことを・・・アタシは誇りに思うよ。いい子たちに育ったもんさ」


口元に自然と笑みを浮かべながら、レジンはおかずの一品を口に運ぶ。

その言葉に意味が分からず首を傾げる小さい子供たちと、意味を理解して照れくさそうに顔を背けるリーテシア年代。その様子に「くっくっく」と声を漏らしてレジンは笑った。


「アンタも気にせず、さっさと食いな。パンがふやけて食えたもんじゃなくなってしまうよ」


煮物と一緒にトッピングされたパンを見ると、確かにふやけて溶け始めていた。


「ああ」


素直に頷いて食事に戻る。


そして内心、ヒザキはこの国の自己評価を書き換えた。

以前来たときは、民と触れ合う機会はほぼ無かったため、国王や軍の様子を見ての判断しかできなかったが、正直「この国は長くない」という印象であった。政策も人心も全てにおいて飽和状態で、オアシス時代に培った国の地盤が見事に崩壊していた。そしてその状態に気づいている人間もおらず、現状を維持することばかりを考えており、改善の余地もすり減っていく一方。ハッキリ言って「どうしようもない」の一言であった。


しかし昨日、一般兵や城内の一部の人間と触れ合い、この端っこ孤児院の面々と触れ合った。

たった一日二日の話ではあるが、間違いなくこの国に「希望」という芽が出始めていた。もっとも芽が成長し、開花させるには余力がなさすぎるのも事実。


(少し・・・この国の行く末にも興味が湧いてきたな)


口の運ぶ料理は質素で決して美味とは呼べなかったが、不思議と嫌いな味ではなかった。

完食。

小皿にスプーンを置いて「ごちそうさま」をする。


さて。

まずはこの国の行く末を絶たんとする危機の芽を潰さんことには、いくら興味を持っても意味がない。国を根本的に救うことには繋がらないが、少なくとも延命にはなるだろう。


サリー・ウィーパの女王蟻。

少しは気合を入れて討伐するとしよう。



*************************************



「あ、ヒザキさん! もしかして今日も『外』に出られるんですか?」


客室で身支度をしていると、入り口から顔を出したリーテシアがそんなことを聞いてきた。


「ああ、すぐに出る予定だ」


「えっと、ベルモンドさんの鞘は待たなくていいんですか?」


「今日は火急の用事なんだ。鞘は帰ってきた時に見させてもらうつもりだ」


「そ、そうなんですか・・・」


何故だかやけに落ち着かない様子だ。

何事かと見つめていると不意に目が合い、リーテシアは慌てて目を逸らした。


「そ、その・・・ヒザキさんって力持ち、ですよね?」


「?」


質問の意図が分からなかった。

とりあえず字面の通りと捉えて「まあリーテシアの一人や二人は簡単に持てるな」と答えてみた。


「あの・・・西門を出て迂回していくんですか?」


「外に出る話か? いや、東門を登って外に出るつもりだ」


「え?」


「ん?」


「・・・」


「・・・」


「あ、ええっと・・・登る、んですか?」


そういえばギリシアやリカルドにも同じ話をしたが、彼らも酷く驚いていたのを思い出した。

確かに国を囲う塀――外壁はかなりの高さを誇っており、それと同等の高さの門を登るのは大変に感じるかもしれない。凹凸のない外壁部分ならヒザキもさすがに厳しいと思うが、登るのは装飾の彫が多い門の方だ。そこまで驚かなくても、というのが本音だった。


「うんと、はい、えと・・・りょ、了解しました」


何を了解したのか謎だが、彼女の頭の中では何かしらの情報の整理が行われ、その末に彼女なりの答えに行きついたのかもしれない。


「その、外は・・・砂漠は危険だって聞いてます。ううん、私にでも過酷な場所だっていうのは想像がつきます。できれば・・・そんな場所には行って欲しくない、です・・・」


どうやら心配してくれているようだ。

気遣いに感謝すると同時に、返事は変わらないことに対して心中詫びを入れておく。


「すまないが、今日はそうもいかない。昨日や一昨日は趣味の一環だったが、今日は国の命令だからな」


「く、国ですか? なんでヒザキさんに・・・」


「それは・・・色々と事情がある」


部外者であるヒザキに国から命令が下る。

リーテシアからすれば意味不明に取れるだろう。

「国の命令」という言い回しも正確ではないが、間違いでもないので訂正はしないでおいた。

自分が一般兵の管理下に位置付けられている経緯については説明が長くなるので、ヒザキも曖昧な言い方にとどめる他なかった。


リーテシアは不安そうに指を絡めながら、何度か逡巡し、最後に「うん、決めた」と呟く。


「何が決まったんだ?」


尋ねると、慌てて彼女は手を振って「な、何でもないです!」と否定する。

明らかに何かある素振りだが、追及する前に彼女が言葉を繋いだ。


「あの、砂漠は本当に危険だと思います。だけど、どうしても・・・行かないといけないのでしたら、色々と準備が必要だと思います!」


「ん? まあ・・・それはそうだが」


「なのでなので! 私が必要だと思う物を揃えたいと思いますので、ちょっと待っててください!」


「・・・急にどうした?」


「ま、まま待っててください!」


問いかけを逃げるかのように言い捨て、リーテシアは踵を返して部屋の外へと姿を消した。

言いようのない雰囲気だけが残るが、一つだけ言えることは・・・嫌な予感がする、ということだけだった。



*************************************



数十分後。


「リーテから、これを持っていけとさ」


レジンは呆れ2割・困惑8割といった表情で、ヒザキの目の前に大きな麻袋を置いた。慎重に置いた。まるで中の物に気遣うように慎重に置いた。


「・・・・・・・・・・・・」


麻袋はかなりの容量だ。

おそらくベルモンドの物だろうが、一体、中に何が入っているのか――は、気配でヒザキも感じ取っていた。


「勝手に持ち出したら、ベルモンドに怒られるぞ?」


それは麻袋に言ったのか、レジンに言ったのか。

非常に微妙な視線の向きをしつつヒザキが呆れる。


「あー・・・昨日ねぇ、アンタを心配してソワソワしていたリーテにベルモンドが余計なことを言ったみたいだね」


「余計なこと?」


「落ち着かないなら、いっそのこと荷物に紛れてついて行けばいいんじゃない? ってね。しかも、このでかい袋を置き土産に置いて行ってさ。もちろん冗談のつもりだったのかもしれないけどね」


「冗談か」


試しに麻袋の紐を掴み、持ち上げてみる。

中から「きゃっ」と小さな悲鳴が漏れてくる。底板の無い袋のため、中に潜んでいる子は楕円形に絞られた袋の形に態勢を崩されて動揺したのだろう。


と同時に袋の中でいくつかの物が躍る感覚が手から伝わってくる。


「どうもベルモンドの置き土産は袋の中にもありそうだな」


「そうなのかい? 昨日は何か詰め込んでいる様子はなかったような気がしたがね」


「まあそんなことより、だ」


袋を地面にゆっくり置くと、中から安心したような気配が漂ってくる。


「今日は遊びじゃないからな。さすがに連れて行くのは難しいだろう」


「だそうだよ」


二人が麻袋に話しかけるも、頑なに無人を装おうと無言を貫く。

再度、麻袋を持ち上げて左右に振ると、中から「わっ」や「きゃっ」と声が漏れる。もはや隠し通せるはずもない証拠を自分からポロポロとこぼしているのは本人も分かっているはずなのだが、それでも頑なに中から出てくる気配がなかった。


その様子にレジンは苦笑しながら頭を掻いた。


「珍しいねぇ、この子が意地を張るなんてさ。普段は周りばっかり気にして、自分の気持ちや欲を抑え込んでいたのにねぇ」


しみじみと語るその表情は、どこか滲み出る優しさがあった。

ヒザキはそんなレジンに「母」という単語が過ぎった。時と場合や状況の良し悪しに関わらず、子供の変化・成長を見守る母のような表情に見えたのだ。もっともリーテシアという少女はレジンからも聞いた通り、大人に近い物の考え方をする少女のため、この場合で言えば「年相応の行動」にレジンは安堵を感じているのかもしれない。


ではこれが「年相応」だとすれば、リーテシアは何に意地を張って袋に籠り続けるのか。


「リーテ、理由を言いな。賢いアンタなら自分が駄々こねているだけなのは十分に理解しているだろう?」


「・・・ぅ」


袋に音が遮断されて聞き取りにくいが、ようやく反応らしい声が返ってきた。

袋を閉じていた紐をほどき、中を覗いてみると、ちょうど上を向いていたリーテシアと目が合う。一呼吸間を取ってから、リーテシアは「あう・・・」と呟き、顔を真っ赤にしながら俯いて体を丸くした。


よく見るとリーテシアの体の周りに色々な物が散らばっている。非常食から鏡まで、砂漠に必要なものとそうでないものが入り混じっているようだ。

ベルモンドは何を思って、これだけの物を詰めたのやら・・・と呆れ顔になってしまった。


「その・・・」


危うく聞き逃してしまうほど小さな声がしたので、ヒザキは意識を彼女に向けなおした。


「ヒザキさんが心配、というのが半分の理由です・・・」


「ほう」


「あ、え、えっと! 決してヒザキさんを心配する気持ちが半分ってわけじゃなくて! そのその、一緒についていきたいって思った理由の半分がそれで・・・だ、だから、ヒザキさんが心配なのは、間違いなくて・・・」


「リーテ、分かってるから落ち着きな」


「はぃ・・・すみません」


器用に袋の中の限られたスペースで更に小さくなるリーテシア。


「で、もう半分は何なんだ?」


ヒザキの問いに、伝えるべき言葉を整理しているのか、リーテシアは十数秒ほど口をつぐんだ。


そして、


「私――外の世界を見てみたい。ううん・・・肌で感じて、全身で知りたいって思ったんです」


と、ハッキリとした口調で本音を漏らした。

彼女にしては珍しい「自分のしたいこと」を主張した内容であった。


「それは他人の迷惑を押し通してでも貫く覚悟があっての言葉かい?」


レジンからの厳しい返しに、リーテシアは瞬く間に委縮してしまう。


「ご、ごめんなさい・・・そうですよね。すごく、我儘を言いました・・・」


「くっくっく、まあ子供なんていうのは何時だって大人に迷惑をかけてなんぼの存在だよ。そうやって経験を積み重ねて成長して・・・自分なりの進むべき道を決めていくのさ。無論、限度っていうのも大事だけどね」


レジンはリーテシアの様子に笑いを漏らし、その頭に手をのせて撫でる。

怒られると思っていたのか、リーテシアは少しだけ肩を震わせたが、すぐにその撫でる手に優しさを感じたのか、ジッとされるがままの状態となった。


「アンタは子供なのに大人の背中ばっかり見て・・・小さく纏まりすぎなんだよ。だから正直、この孤児院の中で一番心配だったよ。周囲ばかり気にして、自分の感情を抑えこんで・・・アンタの浅い経験と知識で一体何を見定めるっていうのかねぇ」


「・・・・・・」


枝毛だらけの黒髪を梳かすように撫でながら、レジンはヒザキを正面から見据えた。


「ヒザキ殿、貴方にお願いしたいことがあります」


「突然口調を変えないでくれ。反応に困る」


「なんだい、人が真面目に話そうって時に」


「そう、その口調でいい」


「くっく・・・本当に変わった奴だね、アンタは。ま、そっちの方がアタシも助かるけどね。年食っちまうと誰彼構わず無礼講に感じてしまうのは悪い癖だねぇ」


「感じ方は人それぞれだ。俺としては砕いた物言いの方が楽なだけさ。・・・言いたいことは予想がつく。この子を連れていけ、ということでいいのか?」


「・・・本音を言えば『却下』さ。大事な娘を好き好んで危険な場所に送りたいって思う親が何処におるかい。けど、この子が前に進むためには必要なことだとも思っている。大げさかもしれないけど長い人生の中でも一度あるかどうか分からない転機だってね。リーテを危険な場所に行かせることなんて、天秤にかけるまでもない話だっていうのにねぇ・・・それだけこの子が『自分の意志』でやりたいことを口にしたのがアタシには響いたってことなのかねぇ。――だから・・・お願いしたい」


「悪いが旅慣れしているとはいえ、俺も万能じゃない。保障は無いぞ?」


「院長先生・・・」


ヒザキとレジンの会話に、不安と期待と心痛に挟まれたようなか細い声がリーテシアの口から漏れる。

自分の意志を優先すれば欲は満たせど周囲に迷惑をかける。逆に大人しく普段の生活に戻れば迷惑をかけることはなくとも後悔をする日が来るかもしれない。秤にかけられた二つの条件の狭間に揺られて、リーテシアはどちらに進むべきか迷う。否、自分の欲と周囲への迷惑、どちらを取るかと言われれば迷うことなく後者のはずだ。なのに迷いが出ているのは何故か。その根源たる想いが理解できず、リーテシアはぐるぐる、ぐるぐると自身の中に渦巻く問答の環状路を回り続ける。


「リーテ、後悔せずに生きるのは難しいことだよ」


「・・・え?」


「後悔せずに生きるってことは、誰かに大なり小なり自分の荷物を押し付ける生き方なんだ。人間は自分の荷物を背負ったまま、自由気ままには動けない生き物なんだよ。やりたい事、目標、夢、なんであれ自分の欲望を優先するってことは、その分の重荷を誰かに背負ってもらわないと成し得ない事なのさ。ま、その枠からたまに外れるヤツってのが『天才』って呼ばれるんだろうけどね」


「・・・じゃ、じゃあやっぱり・・・」


悪いことなんですね、と。

自分を優先して他人に重荷を背負わせる。それも自分が担うべき荷物をだ。

それは間違いなく悪いこと。リーテシアはそれを認識すると同時に、自身の問答の辿り着く答えとして『ここに残る』ことを選択しようと決意した。


しかし、その決意はすぐに揺らいでしまうこととなる。


「でもそれは必要なことなんだよ」


「・・・え?」


「子供は夢追って色々馬鹿やって、色んな経験を積んでどんな未来を描くかを決めていく。選択肢をがむしゃらに作って、その中で最善を選びぬくんだ。そうしないと・・・大人になって何もできない世界に縛られて『後悔』することになるからね?」


「で、でも・・・!」


「だから後悔しないよう、子供の荷物は大人が持ってやるのさ。じゃないと非力な子供は自由に動けないだろう? 人生なんてもんは上手いこと役割分担されてんのさ。子供が無茶してるときは親が荷物を抱え、その子供が親になった時に、また子供の荷物を抱えてやる。その繰り返しさ。その繰り返しの末に人間ってのは少しずつ進化していくもんなんだよ。だから遠慮しなさんな。後悔しないように生きることは難しいけど――間違いじゃない」


「・・・院長、先生」


「ま、本当は親代わりであるアタシが全部背負ってあげたいんだけどねぇ・・・今回ばかりは荷が重すぎるってことで――」


「俺が一部肩代わり、ということか」


「そういうことだね。どうかね? 将来有望な女になるよ、この子は」


「そうだな」


肩を竦め、表情こそ変わらないが、どこか和やかな雰囲気をヒザキからも感じる。

そしてリーテシアの入った麻袋を軽く持ち上げ、肩にかける。

このまま会話を続けたところでリーテシアは悩む一方だろう。彼女が一番望んでいることは、悩んでいる時点で理解した。ならばレジンの言葉を理解し、納得するのは旅先の途中でも構わないだろう。そう思っての行動だった。レジンもその心情を読み取ったのか、苦笑しつつ頷いた。


「きゃっ!? ヒ、ヒザキさんっ?」


すっぽり埋まるように麻袋の中に収納されたリーテシアを無視して、ヒザキはレジンに視線を向ける。


「最善は尽くそう。しかし何かを選択することは、いつだって責任が付き纏うものだ。覚悟はできているんだろうな?」


「こう見えて、色んな人間を見てきたという自負はあるんだ」


「ん?」


腕を組んでこちらを見る彼女の目は、どこか見覚えのある強い意志を感じる目だった。



「信じておるよ」



その言葉に初めて、ヒザキは口元を崩した。

誰でも浮かべる自然な表情。本来なら気にも留めない表情だが、鉄面皮たるヒザキだからこそレジンも目を丸くしてしまった。



「ああ、卑怯な言葉だ」



ヒザキは笑みを浮かべたまま、そう返した。



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