第24話 本の整理と再会
場所は変わって、ルケニアの執務室――研究室へと移っていた。
雑多な部屋だ。
所せましと、部屋に設備された机には山積みの本、本、本。
床にも足の踏みどころに迷うほど、紙が散らばっていた。
「・・・整理しないのか?」
ヒザキのそんな気軽な問いに、ルケニアは「ぁー?」と不機嫌を隠そうとしない表情で見返す。
「あのねー・・・そもそも何でヒザキ君がおっさん二人に囲まれて、こちのとこに来たわけー? もう何かやらかしちゃったとか?」
「やらかしたと言えば、やってくれたなぁ。というか、今それを聞き返すのかよぉ、嬢ちゃん」
代わりに返答したのはリカルド。
彼の大柄な体は、この物で溢れかえっている部屋には非常に不釣り合いに見えた。
彼の身長を超えるかどうかまで積み重なった本を倒さないよう、体を捻って歩を進めている。
彼の気性なら「あぁ、面倒くせぇ!!」と叫び、その辺の本を吹き飛ばして突き進みそうなものだが、一応彼にも道徳というか常識というものは備わっていたらしい。そんなことを考えていると、勘の鋭いリカルドがこちらを見てきたため、ヒザキは目が合う前にルケニアの背中に視線を戻す。
「あー、道中はなんかね、もうさー・・・アレだよ」
「アレだの、なんかだの、抽象的な表現ばかりしていると頭がボケてくるぞ、ルケニア嬢ちゃん」
「うっさい、ギリ爺! あーもう! せっかく寝ようと思ってたのに! いいもん貰って、ウキウキだったとこをアンタたちはぁーっ!」
「それで道中ずっと不機嫌だったのか」
「そうよ! ヒザキ君がなんで一緒にいるのかも聞き忘れるほどイラッと来てたわ! イラッとね!」
しかし何だかんだ言って、場所を変えたいとうギリシアの要望に応えて、自室に案内するほどの理性は残っていたようだ。
今こうして彼女の研究室に足を運んだのは、ギリシアがルケニアに対し「できれば他人の耳がない場所で相談したいことがある」と言ったところ、超不機嫌ながらも「んじゃ・・・こちの部屋でいーよ・・・」と返したところから今に至る。
ずり落ちた眼鏡を右手で調整し、しかめっ面のままルケニアは部屋の奥、右手の扉を指さす。
「ん!」
「ここでいいのか?」
「んっ!」
頑なに扉を指さしたまま「ん」しか言わないルケニアに、ヒザキは「開けろってことか・・・」と呟き、その扉のノブを回し、引いた。
やけに扉を引いたと同時に、重たい圧力が部屋の内部から感じる。右手から少しでも力を抜けば、勢いよく開く扉に吹き飛ばされそうな程の強さだ。
これは嫌な予感を感じた。
「ふぎゃっ!?」
開くと同時に、部屋の中から大量に流れ出てくる本の山。
いったい、どういう手法で部屋に詰まっていたのか、明らかにこれだけの量が雪崩れ込んでくるのであれば、扉を閉めることすら不可能だろう、というレベルの量が廊下を埋め尽くす。
ちなみに先の潰れた蛙のような悲鳴はルケニアのものである。
本の山がこちらに向かって流れてくる瞬間に、大きくバックステップしたヒザキの背中と背後の壁に挟まれた際の悲鳴であった。
「うおっ!?」
「おっとっと・・・」
あっという間に足元を埋め尽くす本。
その光景にさすがの総隊長と第二部隊長も驚きを隠せなかった。
「なるほど、自分で開けようとしなかったのはこのためか」
「痛い! いたたた、挟まってる挟まってる!」
「ああ、悪い」
ヒザキと壁の間から解放されたルケニアはよれよれと歩くが、足元を埋め尽くす本に足を取られて、そのまま「ふげっ!」と変な声を出して転んでしまう。
「なんだー、なんだこれ! 踏んだり蹴ったりだわ! あーもぅ! いややー、なんかもー全部メンドイ!」
そして一人、癇癪を起して本の床の上でジタバタと手足を暴れさせる。
ヒザキはそんな彼女にどういう対応をしたら良いか分からなかったため、手持無沙汰にならないよう足元の適当な本を手に取り、その表紙に目を向けた。
「・・・魔法量子論、ヴェル=G=ゲハナ氏著者」
かなり昔の人物だ。
たしか・・・100年ほど前に『魔法学の第一人者』として名を馳せていたと記憶している。
本を置き、その横にある別の緑色の装飾がついた本を手に取る。
「魔獣生態学、テルウィン=ロースヴェル氏著者」
こちらはもっと古い学者の名だ。
今現在、魔獣の生態系が多く解明されているのも、彼が当時「無理」とされていた魔獣の特性を長年の研究の末に発見した功績の上に成り立っている。
「君はそういった学問に覚えがあるのかな?」
ふと、こちらを観察していたのであろうギリシアに声をかけられる。
「・・・いや、さっぱりだな」
持っていた本を置き、辺りを見回す。
見事な本の絨毯。
脹脛が埋まってしまう量だ。
ここに来るまでの室内の道のりも、かなり酷い有様だと思っていたが、ここはもうなんと形容していいか分からないレベルだ。
まさに汚部屋。
「どうやって部屋に押し込めていたんだ? とてもではないが、君の力で本を押し詰めて扉を閉めたとは思えないが」
ヒザキの言葉にようやく暴れるのを止めて、顔を上げる部屋の主。
よろよろと立ち上がると、足元の本を一冊だけ拾い上げ、それをヒラヒラと振る。
「・・・ここの本は全部こちが読み終えた本だよ。で、その読み終えて、もう読むこともないだろうなぁーって思った本の置き場に困っちゃったから、一部屋まるっと本の置き場所にしたの」
眼鏡をクッと直し、ため息をつく。
そして何を思ったのか、本を振りかぶり、「ほっ」という掛け声のあと、そのまま先ほどまで本が大量に詰まっていた部屋側の壁に投げつける。
そこで気づいた。
どうやら部屋の壁の上の方に、通気口だったのか他の用途のものだったのは不明だが、高さ50センチメートル、長さ1メートルほどの隙間があった。
ルケニアが放った本は見事にその隙間の中に吸い込まれ、向こう側でガサッと音を立てて落ちていった。
「こうやって読み終えた本を投げつけていたのだ! 本が開いたまま落ちると傷むから、ちゃんと装丁の紐もしっかりと閉じてるし、完璧な整理整頓だねー!」
「いやぁ、どのみち本は傷みそうだけどねぇ・・・」
顎髭をいじりながら苦笑するギリシア。
何故に自慢げに胸を張っているのか全く理解できなかったが、そんな彼女にため息交じりに疑問を投げかける。
「それで? この部屋を開けさせてどうするつもりだったんだ?」
「いやー最近ね、ちょっと気になってたんだよねぇ・・・こう、この部屋からミシミシって軋む音が聞こえるのよー。特に寝静まり返ったときとか、その音がもう不気味で不気味で・・・夜のトイレとか怖くて行き辛かったもんよ! まぁなんか、本の圧力で部屋の壁が限界迎えそうなのかなぁ~って危険は感じてたんだけど、開ける勇気がなくてねー・・・あはは」
「確かにこりゃぁ・・・よく見ると壁の端々にヒビが入ってるじゃねぇか」
確かに。
壁の境界あたりに集中してひび割れが見受けられる。
このまま放っておけば、いつの日か壁が決壊して本の山が押し寄せてくる日が来たであろう。
「・・・つまり、どうしろと?」
ヒザキの言葉は彼女を除く三人の総意だったのだろう。三人ともゲンナリした表情でルケニアを見つめる。
そんな視線を一手に受け、彼女は手をパンっと合わせ、頭を下げた。
「ちょうどいい機会だから! この部屋に詰まった本を整理するの手伝って!」
「嬢ちゃん・・・もしかして、それって機嫌の悪さも若干、手伝ってる感じかなぁ?」
ギリシアは苦笑しつつ聞き、ルケニアが舌を少し出したことで肯定した。
「・・・さぁて、俺はちょいと部下の面倒見ねぇといけねぇからよぉ。終わったら呼んでくれやぁ」
「儂ものぅ・・・もう年かのぅ・・・手伝いたいのも山々なのじゃが、こぅ・・・腰にグッと来るのでのぅ・・・いやはやすまんのぅ、若いの。後は任せたのぅ」
「待て、待て待て。肉体労働もってこいの男と、そこの慣れない老人のフリをする男。まさか俺一人に押し付ける気か?」
さっさと見切りをつけて帰ろうとするリカルドと、急に腰を曲げてフルフルと震え始める老人の真似事をするギリシアを一睨み。
「総隊長命令だよ、ヒザキ見習い」
急に真面目な顔をして職権乱用し始める総隊長。
「おい・・・便利な言葉だな、それ」
「ここを片付けないと嬢ちゃんが力を貸してくれない、ってなら手伝うしかないのさぁ。ただ、その時間を俺やリカルドが使い切るのも勿体ないんでねぇ・・・申し訳ないんだけど、ここは頼まれてくれないかな?」
ギリシアの言い分は間違ってはいない。
ヒザキは実際のところ、なぜか一般兵見習いという立ち位置に立たされているものの、何か急ぎで処理しないといけない仕事があるわけでもない。強いて言えばサリー・ウィーパの件ぐらいだが、この部屋を片付けないとその話し合いができないというのであれば、これもそのサリー・ウィーパの件の延長線上ということになる。
逆にギリシアやリカルドは高位の職に就いているため、公務もその分多く持っているのだろう。
サリー・ウィーパの話し合いはその公務に含まれるかもしれないが、この部屋の整理自体は彼らからすれば時間の無駄なロス以外、何物でもない。それならば役割分担をし、他にやることがない者が整理を行い、やることがある者はその時間を使って仕事を進めればいい。
実に効率的な考えだ。
正論である。
だが、正論とは・・・場合によっては理不尽に感じることもあるものだ。
「・・・・・・」
現にヒザキはギリシアの言うことは理解できたものの、納得はできない、というのが素直な心情であった。
とは言え、ここで論議を助長することこそ最も無駄な行為だ。
言いたいこと、不満点は諸々あるが、ここは折れるしかないか、とヒザキは息を吐いた。
「助かるよ」
少し申し訳なさそうに眉を垂れ、ギリシアは「ありがとう」と言って部屋を後にした。
リカルドは既にいなくなっていた。残るか残らないかの議論が長引くと思って、早々に逃げたのかもしれない。まあ妥当な判断である。
「え、えぇー・・・ヒザキ君、一人だけ? そのぅー・・・非常に言いにくいんだけど」
「はぁ・・・ああ、片腕しかないことを気遣っているなら、心配は無用だ。やりにくさはあるかもしれないが、できないこともない」
「う、うーん・・・何だか、こち、けっこー悪いことした気になってきた・・・」
一人、ポツンと取り残されたヒザキを見つめ、本気で気まずそうに手を胸元で握りしめる。
思いのほか、この少女は人づきあいで気を遣うタイプなのかもしれない。普通に話をしたりする分には、そんな印象はなく、逆に人のパーソナルスペースに遠慮なく入り込んでくる無遠慮ぶりが強く感じるが――実のところ、それは表面上で繕っている外向けの顔なのかもしれない。
「悪いという気持ちが芽生えたなら、手伝ってくれ」
「う、うん」
そして流されやすい性格もありそうだった。
おそらくルケニアは相手が強く押せば押すほど、そのまま押し倒されるタイプの人間。そんなことをヒザキは今までの多くの人間関係から導き出していた。
「あ、でも・・・やっぱりぃ、二人だけだと今日中に終わらなさそう、かなぁ?」
「ギリシア、リカルドがいたところで一日で終わる量には見えないな」
「ぅー・・・」
そもそもこの大量の本を整理する、と言っても、整理するためにはこの足元の本をまずはどこかに退避させる必要がある。
別の場所に移動させ、まずはこの部屋を空にする。
その後に部屋の中を綺麗にし、どのように本を収納していくかを決めて、また本を戻していく。
しかし今後も彼女が同じようにポンポンと読み終えた本を投げ入れていけば、いずれかは同じ結末に行き着くことになるだろう。
現状を整理する必要もあるが、改善する必要も出てきそうだ。
「ルケニア」
「うぃ」
「ここの本はもう読まないのか?」
「まぁー、全部頭の中に入ってるからねー。読むことがないから、こうやって部屋に本を押し込めちゃった、って感じ」
「そうか」
そういえば、リーテシアも本を読んでいた気がする。
世間話で聞いた中では、好んで図書館にも行っているそうだ。
ここにある本は高度な学術や文学、研究などにかかる系統が多い。彼女にはまだ早すぎる内容かもしれないが、土産の一つとしては良いものになるかもしれない。
無論、ここにある本を全て、あの端っこ孤児院に持っていくことは不可能だ。
そんなことをすれば子供たちの寝所全てを本で埋め尽くしても場所が足りない、なんて結果になってしまう。それほどの質量をこれらは占めているのだ。
「読むことがないのであれば、これらは全て図書館に贈与したらどうだ? 図書館、あるのだろう?」
「ぉお! それ、いいかも! よしーよし、これ全部図書館にあげちゃおう!」
「行ったことがないのだが・・・図書館はここから遠いのか?」
「んー、そんなに遠くないよー。歩いて30分ぐらい。あ、でも、こちたちが持っていく必要はないよ。誰かかんかにお願いして、図書館まで持ってってもらうから」
「それでは」
「そだね、だからー、その持って行ってもらうために、一か所に本を移動するだけをすればいっかな。さすがに『ここから』図書館に持っていく本を~って話にしても、持っていかれると困る本まで一緒に持って行かれそうだし、持って行く人も大変だしね」
雪崩れ込んだ本は、さきほどギリシアとリカルドが無理に部屋を歩いたため、更に広範囲に広がって散乱していた。その範囲影響は大きく、この部屋に入っていなかった未読の本の領域まで侵食されているのだろう。
「そうだな。置く場所はあるのか?」
「んー、この研究室を出て左に三つ目の部屋。そこ空き部屋だから、そこを一時的に本の物置にしようかなー。うん、それでいこう!」
本を退避させる作業は変わらず残るが、この部屋に本を整理しなおして戻す作業が消えただけ儲けもの、ということにしておこう。
そして、ついでにリーテシアへの手土産に何冊かの本を拝借しよう、と心に決めた。
*************************************
「いいのかよ?」
ルケニアの研究室を出て、廊下を歩く二人の影。
その片割れが低い声で、隣の初老に尋ねる。
「ふむ、いいとは?」
「けっ、見通してる癖に惚けるその悪癖・・・なんとかなんねぇのかよ」
「はっはっは、まあ年寄りの楽しみの一つだと思って諦めてくれぃ」
「バリバリ現役のくせして良く言いやがる・・・俺が言ってんのはよぉ、もし仮にだ。仮にサリー・ウィーパの件が本当で――国内までコロニーを拡大してきた場合にだ。ルケニア嬢ちゃんの部屋を綺麗にするなんてぇ暇はねぇんじゃないのかぁ?」
「そうだねぇ」
「もちろん・・・何か考えてるんだろうなぁ?」
「でなければ、ヒザキ君に任せて身勝手に抜け出したりしないさ」
「・・・・・・」
顎鬚をさすりながらギリシアはリカルドを見る。
「と言っても、ルケニアの嬢ちゃんに相談せんことには、サリー・ウィーパの生態を踏まえての具体的な案は出しにくいねぇ」
「んじゃ、どうすんだ?」
「血の気の多い第二・第三部隊はそろそろ鍛錬や模擬戦ばかりの日々に飽きてきている頃じゃないかな? たまには趣向を変えてみるのも良い刺激になるだろうさ。サリー・ウィーパ云々は置いておいて、君たちには特殊訓練を課すことにするよ」
「ほぅ・・・?」
ギリシアの意図を組んだのだろう。
リカルドは口の端を吊り上げ、無意識に愛剣のクレイモアの柄先に掌を当てた。
「地下浄水跡地と外壁周辺の見回り。それを君たちに命ずることにしよう。どちらもここ数年は放置された環境だ。何が起こるか分からない、という点に気を付けて特殊訓練として励むこと」
「何が起こるか分からない、ねぇ」
くっくっく、とくぐもった笑いを漏らすリカルドに、ギリシアも僅かに口元をゆがめる。
「何も無ければ、そのまま訓練は終了さ。何かあれば残りの第一・第四部隊も含めて全力で対応する。そしてその前に嬢ちゃんと擦り合わせが間に合い――限りなくサリー・ウィーパの進攻が『黒』だとしたら、作戦と布陣を状況に合わせて変更していけばいい」
「嬢ちゃんに予めそう言っておけば、さすがに部屋の掃除なんざ後回しにすんだろ? なんでぇ言わずに、そういう方向にしたんだぁ?」
「不服かい?」
「いいやぁ――、端っから万全の対策を以って戦うのはどうにも味気ねぇし・・・何より不測の事態に対しての判断力が鈍る。訓練にゃ持って来い、だな。くく・・・、がっはっは! ヒザキよぉ、ガセなんてつまらねぇオチで終わらすんじゃねぇぞ・・・こちとらぁ熱があがっちまってきたんだからよぉ!」
リカルドから闘気とも呼べる威圧が吹き上がる。
常人であれば心臓すらも停止しかねないほどの圧力を受けてなお、ギリシアは涼しい顔をしてそんな第二部隊長を眺める。
「あぁ、熱くなるのはいいけど、死人は出さないようにね。あくまで訓練だし」
「俺の部隊にんなヤワな奴はぁいねえ!」
「いや、いるでしょ・・・戦闘経験に乏しい見習い君から三等兵までいるんだから。部隊訓練である以上、戦えない者も参加義務はあるけど、あまりに危なさそうな兵は城内に待機させておいてねぇ」
「けっ、んな甘えたことやってっと、いつまでも温室育ちから抜け出せねぇだろうが! 無論、どんな奴も強制参加だ。ただし、きちんと前方陣営、後方支援で布陣は敷いてやるよ。戦場での役割分担は個々の能力以上に重要な要素だからなぁ」
既にサリー・ウィーパが来ることを前提に構えているリカルドに苦笑する。
まあそのぐらいでいるのが丁度いいのかもしれない、が。
何も起こらなければリカルドは不服だろうが、それが最善でもある。
いかにリカルドが優秀であれ、想定外の事態はいかなるときにも起こり得る。その結果が部下の死を招くことだってあり得るのだ。
ルケニアに事情を説明し、さっさと事態の真偽判断と、可能性として進攻があり得るならその対策を何重にも練る。それが最も無難な手である。あるのだが、ギリシアは今回、そうはしない手を選んだ。もちろんルケニアが最初から話に乗ってくれた場合は、そのままルケニアの力を借りることを前提とした流れに乗る心づもりであったが、そうはならなかった。ならなかった流れを元に戻すことは可能だったが、ギリシアはその展開になったと同時に別の懸念を解消する方向にシフトしたのだ。
戦闘経験があまりに欠如した、兵たちの心を鍛える。
そして状況が秒刻みで変化していく戦場に惑わされないような、冷静な判断力を身に着けさせる。
仮にサリー・ウィーパがヒザキの予想通り進攻してきたとし、各部隊が死人なしで切り抜けたとしても、おそらく初陣の者たちの心は鍛えるどころか、ボロボロに疲弊することだろう。もう兵士なんて辞めたい、と泣き出す者もいるかもしれない。
だが、それでいいのだ。
残るか残れないか、その篩をかける意味もあり、それを乗り越えた者たちは戦場で何が必要かを理解した者たちだ。きっと強くなっていく。残れなかった者たちには残酷なようだが、兵としての素質が無かったと諦めてもらい、他の適正職を見つけてもらうよう努力してもらう。
(やれやれ、死者が出る危険性も上がるかもしれない、というのに・・・今後の兵の有り様を優先しちゃうってのはぁ俺も大概、どこまでも剣士の端くれなのかもしれないねぇ)
どこか腰の両側に携えているグラディウスが、キィンと鳴ったような気がした。
彼らも長年遠ざかっている戦いの場に、悦びに身を震わせているのだろうか。
「何もなければ、まぁ・・・それが一番なんだけどねぇ」
「ああ?」
「いーや、なんでもないよ」
できればこれを期に、全部隊が手を取り合って戦う展開にでもなって、全員が仲良く協力して一般兵を盛り上げていければなぁとしみじみ思う。
第一部隊に対しては他部隊全てが悪印象を持っており、第二・第三部隊と第四部隊の犬猿の仲。
この部隊同士の確執もどこかで寛解されれば良いとは思うし、それが今回であれば万々歳なのだが――、
(まあ無理だろうなぁ・・・ふぅ)
と内心ため息をついた。
*************************************
「――何をしている」
そんな言葉をかけられたのは、ルケニアと共に本を置く物置部屋となる部屋の確認をしている時だった。
部屋の扉を開け、中に十分なスペースがあるかを確認している最中に、背後からかけられた女性の言葉。
その声には聞き覚えがあった。
「ミリティア、か」
振り向いた先には、金髪碧眼が特徴の美しい女性だった。
「げぇー」
世の男どもならば視線を釘付けにするであろう美貌を前に、ルケニアは「嫌なものを見てしまった」と言わんばかりに舌を出して嫌がる素振りをした。
「ん? 貴方は――」
ヒザキの姿を視認し、ミリティアは腰に手を当て、怪訝そうに眉をひそめる。
「何故、貴方がここに?」
「え? ヒザキ君、この鬼女と知り合い? もしかして惚れてるとか何とか? 男って単純だからねぇ~・・・ちょっと顔がいいとコロッと騙されちゃうんだもん。やめたほうがいーよぉー、こいつ鬼の皮被った鬼だから。鬼の純正品だね。鬼はぁー外ぉー、こちはぁー内ぃーってね! しっし!」
あからさまに邪見にされるが、いつものことなのか眉一つ変えずにルケニアはスルーされる。
「先日の件で何かありましたでしょうか?」
「いや別件だ」
「別件・・・そこのルケニアが貴方を城にお呼び立てを?」
「・・・今はそういうことになるのかもな」
はっきりしない物言いに彼女は少し考える素振りをして、ルケニアに視線を移す。
「それで何をしている、ルケニア」
「あんたさぁー・・・、城内でのぶっきら棒な喋り方と、その外向けの丁寧な喋り方、よくこの場で使い分けるわねー・・・もう面倒だから、統一しなさいよ」
「ヒザキ様は国民を救ってくださった御仁の一人だ。相応に接するのは当然のことだろう」
「い、いや・・・だったら、そんな人がいる同じ場所なんだから、こちにも外向けの言葉で話しなさいよ・・・」
「――ふむ」
ルケニアの言葉に、小さくつぶやく。
顎に手を当て、数秒考え込む。
おそらくヒザキにするような言葉遣いをルケニアにするイメージを想像しているのだろう。
脳内で予行練習をするミリティアの表情がだんだん険しくなってくる。よほど、ルケニアにそういう態度を取るのが気に入らないと見える。
そして、
「無理だった」
という結論に至った。
「いやいやいや、なに!? こちのこと、そんなに気に食わないわけ!?」
「違う。貴女のことは気の置ける友人だと私は思っている」
「えっ!? あ、いや・・・あの~、えっと・・・えへへ、い、いきなり驚くようなこと言うな! まったく・・・」
まっすぐな視線に目を逸らし、照れ隠しに声を大きくするルケニア。
もはや何をしていいのか錯乱しているのか、わさわさと両手の指を絡めて謎の関節運動を始めてしまっている。
(こいつ・・・中々にちょろいな)
ヒザキの失礼な思惑は当然誰も気づかず、ミリティアはルケニアから視線を外さず、慌てふためく彼女に頷く。
「ああ、だから貴女のことを下に見ることはできても、同等とも上とも見ることはできない」
「あんたの言う友人ってのは、対等じゃないんかいっ!」
悔しそうに地団太を踏む。
実に子供らしい行為だが、大人がするとそれはもう残念な姿にしか見えなかった。
対するミリティアは「冗談のつもりだったのだが、存外に難しいな・・・」などと呟き、数度瞬きした後には何事もなかったかのような澄ました表情に戻っていた。
「で、何度も聞くが、何をしていたんだ?」
ルケニアの精一杯の講義は澄んだ視線で冷却され、これ以上同じように感情に任せて中身の無いことを言っても意味がないと悟り、渋々とここに来た経緯を話し出す。
「本の整理よ、整理! こちの知識の源とも呼べる本の山をここに移すの」
「移す? それは何故」
「図書館に贈与するのよ。もうこちは読まないからね。こちの部屋にあっても邪魔になるだけだから、それなら大勢に有効活用してもらうって腹積もり」
「ほぅ、感心なことだ」
「ふふん! そうよ、こちは感心なのよ!」
「ちょっと意味が分からないが、とにかく目的は理解した。しかし、そんなことで何故、ヒザキ様をお呼び立てする必要があるのだ? 関連性が全く見受けられないのだが。そもそも二人が知り合う機会など、あるはずもないと思うのだが・・・」
ミリティアの疑問は当然の帰結である。
先ほどヒザキは「そういうことになる」とぼかしたが、普通に考えて――つい先日、入国した異国人が王城に住まうルケニアと接点があるなど起こり得ない。そう、たまたま王城に入り、たまたま彼女と接触するなどの切っ掛けがない限りは。
「あー、というか、こちからしたら何故にミリティアがヒザキ君と知り合いだったのか、そっちのほうが不思議だわぁー・・・この人、今日から一般兵に配属されたばかりだよ? こちはその時の面接で立ち会っただけな感じかなぁー。二人は何処で知り合ったん?」
「――一般、兵?」
「・・・」
一般兵、という単語に引っかかったミリティアが、眉をひそめてこちらを見つめている。
その視線は、ヒザキが何かしらの思惑があって王城に入りこんだのではないかと疑っているようにも見えるし、他にヒザキが王城にくる可能性が何かしらあるのかどうかを模索しているようにも見える。
早めにその疑念は晴らしておく必要がありそうだ。
ミリティアにはこの王城にいる理由を、ルケニアにはギリシアらと共に来た理由を説明しなくてはならない。ついでにルケニアは人事にも強く関わり合いを持っていそうな人物なので、一週間は滞在しないといけない軍規とやらも捻じ曲げて、早めに退団させてくれないか頼むことにしよう。
「そのことについてだが」
どうにも、こういったやり取りは苦手だ。
相手に理解してもらう努力をする、その行為は中々に気を遣う。
出来れば集団に混ざる場合は、普段はその流れに身を任せて有事の際だけ適宜動く、というスタイルが楽ではあるのだが・・・、そこをおろそかにして流れに身を任せれば、さらに厄介な事態に繋がることは今日の経験で身を以って知ったこと。
元はと言えば、サリー・ウィーパについての疑念を王城に知らせようと踏み込んだのは自分なのだ。
その辺りも自分の行動による責任の一環と諦め、ヒザキはどう整理して説明すれば理解されやすいか考えつつ、重い口を開いたのだった。




