第22話 総隊長、第二部隊長との対談
「・・・・・・」
事情をセインクに話して、それで終わり。
その予定は今、ここ応接室にいることで物の見事に狂ってしまっていた。
事情を聴いたセインクは話の真偽に眉を顰め、明確な根拠はヒザキ自身が感じ取った感覚だけということもあり「自分だけでは判断が難しい」と判断し、この応接室に通された次第だった。
まあ無碍に追い出されないだけ、セインクの心遣いに感謝しなくてはいけないのかもしれない。
しかし、すぐに済むだろうと見ていた用事がここまで長引くとはヒザキも思っていなかった。
ここに至った原因は何だろう、と思い浮かべれば小さな要因は幾つか思いつくものの、決定打となるものは無い気がする。おそらくは小さい物事の積み重ねこそが、今の現状を招いているのだろう、と勝手に結論付けてあっさりと現実を受け入れたヒザキは、ドアの端に待機している兵士に視線を向けた。
兵士にしては珍しい、女性兵士のようだ。
手持無沙汰ということもあり、暇つぶしに彼女を分析してみることにする。
少しばかりの鋭い眼光を彼女に向けると、その気配を察したのか一瞬肩がビクッと震え、辺りを慌てて見まわし始めた。
ヒザキは彼女と目が合う前に視線を外し、その様子に満足する。
おそらく彼女は兵士としては下の下あたりの強さだと思われる。
ヒザキが国に反する悪党だと仮定し、この場で彼女に襲い掛かれば、ものの一秒もかからず組み伏す自信もある。
もちろん、するつもりはないが。
彼女は見習いか五等兵。予想としては、この兵舎における雑務を主として任されている非戦闘員なのだろう。
――暇つぶし、終わり。
未だ居心地悪そうに体を揺すっている彼女の横のドアの奥から、二つの人の気配が近づいてくるのを感じる。
ヒザキが視線をドアに向けると、ハッと女性兵士も佇まいを直す。
と同時にドアが開き、そこから初老の男が柔らかい表情を保ったまま入ってくる。
続いて、獣のような風貌をした男も入室し、その二人の顔を見た女性兵士が顔を青ざめているのが見て取れた。
(どうやら、それなりの役職の者のようだな)
ヒザキの見定めようとする視線に気づき、明らかに気が短そうな獣風兵士がこちらを睨んでくる。
言葉は交わさずとも「あぁ!? なに見てんだ、テメエ!」と言っているのが伝わってくる。
その雰囲気を早々に察した初老の男が、肩を少し竦めて背後の男に視線を移す。それだけで背後の男が勝手にあふれ出てくる豪気とでも言うべきオーラが弱くなるのが分かる。態度こそ変わらないにしろ内面的に初老の男に、敬意もしくは権力を感じているのが理解できた。
力関係はおおむね把握した。
「やぁ、待たせたねぇ」
「いや」
短い回答に、間髪入れずにまたしても獣風兵士が「あぁ?」と威嚇してきたが、こちらも別に事を構えるために来たわけではない。
ヒザキは内心ため息を吐きつつ、「こちらこそご足労痛み入る」と付け加えた。
「ミレー、テメエは外に出て控室でもどこでもいいから茶ぁでも飲んでな」
「ひゃ、ひゃいっ!」
獣風兵士に退室を指示された女性兵士は裏返った返事を返し、一つお辞儀をしてから慌てて部屋を後にする。
さぞかし部屋を出て、この雰囲気から脱した後の空気は美味いのだろうな、なんてことを彼女の後姿を見送りながら思う。
「で、こりゃ――どういうこったぁ?」
ヒザキの正面の椅子に腰を掛けた獣風兵士はこちらを睨んだまま、そう呟く。
それは誰に問いかけた言葉か。
初老の男も「なんか、すまんねぇ」という感じで苦笑しつつ、彼の隣に座る。
「おい、聞いてんのか? テメエに言ってんだよ。テメエ・・・この国のモンじゃねーよなぁ? 片腕失くした奴ぁ数人知っているが、どいつもこいつも人生諦めたようなツラしてるやつばっかだ。テメエのような奴ぁ初めて見るよなぁ?」
「先日ここに来たばかりだからな」
「名前を言え」
「ヒザキだ」
「ヒ・・・言いにくい名だな。このあたりの名前じゃぁねえ・・・どこのモンだ」
「出身は――サテンだ。今は放浪の旅をしている。趣味だと思ってくれ」
「サテンだぁ? あの東の・・・・・・まぁいい。俺の名はリカルド=ダンだ。ここの第二部隊長をやっている。このまま互いに名ぁ知らねえまま話し合ってもやりにくいからなぁ。覚えておけ」
「俺はギリシア=ガンマウェイ。一応、ここの総隊長をやっているかな」
気性荒く、猛々しいのがリカルド。
落ち着き、穏やかなのがギリシア。
実に大局的な二人、という印象だった。
(しかし、総隊長と第二部隊長・・・思いのほか上層の人間が会いにきたものだ)
なぜここまで無駄に大事になってしまうのか。
今度同じような展開に出会うことがあれば、今日の自身の行動を顧みて、同じ轍は踏まないことを念頭に置こうと密かに決意した。
少し思考を巡らせたせいか、視線は合わせたままだが、意識だけが二人から一瞬だけ外れた。
一瞬。
その一瞬は彼にとって「恰好の隙」だったのだろう。
リカルドが流れるように二人の間に位置取る円卓に足をかけ、腰のクレイモアを抜き放つ。
殺気は無い。
クレイモアを鞘から解き放ち、横一線をなぞるようにして、ヒザキの首元へ走る刃。
しかし、それでも殺気は無かった。
あまりに何気なく、あまりに自然な動きの為、戦いという行為に身を置いていない人間であれば、その動作をまるで美しい景観を眺めるかのように呆けていただろう。クレイモアの刀身と鞘がこすれる微かな金属音すら聞き心地の良い音に感じる。
荒々しくも、美しい。
そう例えたくなるような一線であった。
「――――」
これは――達人殺しだ。
剣を放つリカルドにも、その手に持つクレイモアも。
その動き全てを構成する全てから「相手を殺す」という意志は込められていない。
三流ならば、その流れる動きに見とれて首を落とすだろう。
二流ならば、何かしらの反応を見せるも、やはり対応しきれずに首を落とすだろう。
一流ならば、殺気の有無にかかわらず、回避行動に移るだろうが、躱し切れるかは腕次第。
そして――達人ならば、殺気がないことを悟り、躱すまでもないと微動だにしないだろう。
達人の域に達した人間はあらゆる境地を悟っているが故に、判断が早すぎるのだ。
一つの汗もかかず、一つの焦りも見せずに「相手はこちらを殺すつもりがない」という結論に至り、波紋一つない水のように静かに結果を待つ。
そして――気づけば、その首を落としていることだろう。
つまり、ここで生き残るのは一流か――それとも達人のその更に先を征く者だけであった。
ヒザキは見た。
殺気のない流れるような剣の軌跡を。
そしてその先にある担い手の目を。
(――こいつ!)
リカルドは見ていない。
ヒザキを全く見ていないのだ。
視線こそこちらを向いているが、彼の意識はヒザキでも剣でも何処も見ていない。
ただ無心で剣を振っているのだ。
この一撃は――回避しなくてはならない。
内心で舌打ちをしてヒザキは反射的に足元の机を蹴り上げる。
当然、反対の縁に足をかけていたリカルドは体の重心が崩れ、それに合わせて剣の軌道も上へ逸れていく。
蹴り上げた足をすぐさま戻し、その勢いのまま足元の椅子を後方に踵で蹴り飛ばす。
椅子は軋む音を立てながら、ヒザキの後方の壁に音を立てて吹き飛んでいく。
椅子のあった分だけ、自由に動ける空間が出来上がる。
最低限動ける足場の確保。
相手の攻撃を逸らし、その数秒の間にヒザキはこの先、どのような攻撃がこようと可能な限り迎撃できる空間を作り上げた。
左足を三歩分だけ後ろに下げ、徒手を手刀の型に変え、前方に構える。
更なる攻撃を重ねてくるのであれば、手刀で迫る刀身をいなし、その次の行動にも対応できるよう、重心を崩さないように対応する。
相手が一歩下がるようであれば、こちらからさらに二歩踏み込み、相手の武器を持つ右肩の付け根に手刀を突き刺し、相手の動きを鈍らせる。
ヒザキは相手の出方に合わせ、どの形でも対処できるよう思考を整理しつつ、リカルドの隣にいる腕を組んだままの老兵を一瞥した。
ヒザキの視線はこう訴えかけている。
――このまま続けていいのか?
と。
その意志を明確に受け取ったのか、少し驚いたように目を開き、すぐに肩を竦めた。
どこかその口元は柔らかい笑みを浮かべていたのを尻目に、ヒザキはリカルドに意識を戻した。
この間、一秒程度の間。
リカルドも何を思ったのか、無心の境地を棄て、口元を凶悪に歪め――嗤う。
「ぅおおおおおおおらぁぁっ!!」
重低音の咆哮と共に、クレイモアは担い手の思いのまま軌道を変え、ヒザキの肩口に振り下ろされる。
強引に軌道を変えられるリカルドの筋力にも目を見張るものはあるが、ヒザキに動揺を与えるほどでもなかった。今度は明確な殺気のこもった殺人剣だ。
予想の範疇だ。
振り下ろされる刀身に手の甲を合わせ、軽く横に弾くだけでこの攻撃は躱せる。
その上で、この大振りだ。
クレイモアの一撃が床を破砕したと同時に、その隙にこちらの一撃を贈呈することとしよう。不意に命を刈り取られようとされたのだ。肋骨の2,3本は貰っていく程度の力は込めるつもりだ。
もっとも相手は一つの部隊を束ねる長の一人。
ただの大振りの一撃で終わる、という過信だけはしないよう心がける。
徒手と大剣が交わる、その刹那。
金属音がせめぎ合う音で両者の対立は中断されることとなった。
刃渡り60センチメートルほど、剣の中では比較的短い部類の両刃剣がリカルドの大剣を押さえつけていた。
――グラディウス。
リカルドのクレイモアと並べれば、何とも頼りない存在感に感じるが――使い手がギリシアであれば別だ。
腰に差した二振りの一つを右手に、リカルドの一撃を遮るように突き出している。
どう考えてもそのような防ぎ方で、リカルドの重い一撃を抑え込められるとは思えない。普通の人間なら右手ごと地に叩き付けられてもおかしくない態勢だ。
しかし、現に目の前でリカルドの一撃は突き出されたグラディウスによって静止していた。
「―――――なんのつもりだぁ?」
リカルドの眼光がギリシアに突き刺さる。
なんのつもりだ、とはまさにこちらが主張したい言葉だったが、ここで口を挟もうならば、より一層の面倒事に発展する未来が見えていたので、ギリシアが動くまでヒザキは口を閉じていることにした。
「もうヒザキ君の実力は理解しただろう? 腕試しにしちゃ度が過ぎている気もするけどねぇ」
「けっ! どうせこいつが躱せるようなタマじゃなけりゃ、アンタが止めていただろうがよぉ。俺が言ってんのは、なんで俺の剣だけ止めに入ってんだぁ、ってことだよ」
リカルドの剣がヒザキを切り捨てそうになるのであれば、ギリシアがその寸前で止めに入っていた。
リカルドの言葉はその通りであったし、ヒザキもギリシアからその気配を感じていたため、動きの中で彼に「止めに入らないのか」どうかの意志を確認していた。
しかしリカルドが引っかかったのは、そのことではなく、自分の剣だけがギリシアが抑え込む対象となっていたことだった。
ヒザキに対しては何の動きも取らなかったギリシアに不満が漏れ出しているようだ。
「なんでって・・・そりゃバレてるんだもんなぁ、俺が止めに入ろうとしてること。あの一瞬で、そこまで見切っちゃうか? 普通は無理だろうなぁ。でも見切られていた。それが事実だ。だから俺は彼に関しては何もする必要がないと判断したのさ。お前さんを止めりゃ彼も勝手に止まってくれるだろう、ってな。実際にそうだったろ?」
「・・・・・・」
リカルドは何か言いかけたが、すぐに言葉を飲み込み、クレイモアを乱暴に鞘に戻し、不機嫌を露わに椅子に座りこむ。
「おっかねー話だなぁ、オィ! 誰だよ、こんなバケモンみてーな奴を城内に招き入れたのはぁ!?」
「化け物とは随分な言い草だな。俺としては、いきなり斬りかかってきたお前の方が恐ろしい存在に思えるが」
「はっ――俺がどう攻めようが、どーせそこの爺さんが止めちまうよ。試し斬りぐれぇでグダグダ言ってんじゃねーよ!」
どう考えても「試し斬り」という表現は適切でないと訂正させたくなったが、これ以上言い争っても延々と不毛な時間を取られるだけと判断し、ヒザキは色々と言いたい言葉を一気に飲み込み、代わりに深い息をつく。
通常なら、曲りなりにも自分を殺そうとした人間が目前にいるのだ。平常心を失わなかったとしても、冷静に話し合いなどできるものではない。が、ヒザキは常人外れた胆力を持っているのか、それとも別の思いがあるのか、そういった暗い対人感情をため息一つで吐きだし、攻撃される前の何食わぬ表情に戻していった。
「で、テメエは何者なんだぁ!? ていうか、どうやって城内に入り込みやがった!」
ヒザキは自分で吹き飛ばした椅子の背をつかみ、所定の位置に戻す。
そして何度目になるか、もう数も忘れてしまったため息をつき、椅子に腰を落とした。
「怒鳴らくても聞こえている」
「こいつぁ威嚇だ・・・! 一目見た時からテメエが何処にでもいるような優男にゃ見えなかったからなぁ――まずぁテメエの素性と目的を洗い出す。んでもって――」
「あぁ、思い出した」
荒々しく言葉を繋いでいこうとしたリカルドを遮るように、ギリシアが顎の白髭を撫でつつヒザキを見る。
遮られたリカルドとしては当然面白くも無く、多少の歯ぎしりを伴い「・・・んだよ?」とギリシアを睨んだ。
「ヒザキくん。あーそうだそうだ。ほら、先日、外で魔獣に子供が襲われた事件だ。そこで子供らを救出してくれた異国人の中に君の名前があったのを思い出したよ」
「アァッ!? んでそんなこと忘れてたんだよ!?」
「いやぁ、この件は近衛の方の管轄になっちゃったからねぇ・・・報告書自体は回ってきたけど、管轄外だから流し読みしちゃってたよ。報告書はリカルドにだって回ってるんだから、人のことは言えないよねぇ?」
「ぐ・・・っせーなぁ・・・」
「どうやら入国の経緯はご理解いただいたようで」
自分の口から説明しても、どれだけ信用されるか分からない。
少なくとも目の前に座る男は、話すらまともに取り合えってくれない気がする。何故、会って数分でここまで敵対視されないといけないのか、理不尽極まりない思いだが・・・。
そういう意味では、城内の主要人物に回ったのであろう報告書の存在は有り難かった。
「すまんねぇ、ヒザキ君・・・。そこな無骨者は図体ばかりデカい癖に臆病でなぁ、腕に覚えのありそうな男が城内の――それもこんな場所まで入り込まれていることに恐れをなして噛みついてしまった。誤って済むレベルの話じゃないんだけど許してほしい。本当に申し訳なかった」
改めて正面に体をただし、頭を下げる老兵。
そこには言葉にこそ無かったが、リカルドの行為をいつでも止められるが故に、斬りかかるところまで見過ごしたことについても、謝罪をしているように見えた。
「いや結構。こちらも流されるまま城に入って、さっさと門兵あたりに要件を言わなかったから今に至る経緯もある。そちらの警戒も尤もなことだ」
「流されるまま? 入国された事情は把握しましたが・・・そういえば城内にはどのような経緯で?」
ギリシアの質問に対し、ここまでの経緯を簡単に説明した。
その内容を耳にし、リカルドがみるみるうちに複雑な表情を浮かべていく。
それは怒り・驚き・苛立ち・呆れ、そういったものが入り交ざったものであると、彼の表情や歯ぎしり等の仕草から読み取れる。
客観的に見て、素性を碌に確認せず、ここまで案内してしまったセインクは後で大目玉を食らうのは間違いないだろうな、と心中で彼に合掌を捧げた。
「人手不足、食糧事情、士気低下、まぁーマイナス要素なんて挙げりゃキリがないけど、そういうもんが積み重なって、今みたいなヌルーい意識になっちゃってるのかもねぇ。ちょいとその辺りの警備体制も見直した方が良さそうだねぇ」
「ったりめーだ・・・仮にも一国の王が住まう場所だぞ? 誰でもご来場くださいみてぇな警備体制とか、何かあった後じゃ笑い話にもなりゃしねぇ。ルケニアの嬢ちゃんにも、もうちっと真面目に相手を見るようお願いしとかねーとな」
リカルドの言葉から、先の面接官的な立ち位置だった少女、ルケニアは彼よりも上役であることが伺える。
外見から判断した年齢では、彼女の方が圧倒的に若い。
それでも上役になる、ということは一定の兵をまとめ上げる彼よりも重要な位置、そして才能を持っているのだろう。今後、彼女ともし会うことになる機会があるのであれば、そのことを念頭に置いて対応するのが良いだろう、などと思案していると、
「まぁ、それは後でいーや」
とギリシアが抜けた声で言った。
後でいいのか・・・。
半ば呆れ顔になるヒザキにあえて反応せず、話を続ける。
「ヒザキ君の実力やここに来た経緯は理解したよ。だから、この先はさっさと本題に入ろうじゃないか」
「おいおい、俺はまだ――」
「これ以上、ヒザキ君の生い立ちや動向を掘り下げても意味はないだろぅ? 俺たちは兵士だ。剣を構え、一戦を交えた。それだけでリカルド。お前にも彼がどういう人間か――少なくとも、今この場において敵でないことは肌で感じただろう?」
「――ちっ」
リカルドはまだヒザキを信用できず、さらに色々な質疑をかわしたかったのだろう。
しかしギリシアの言葉にも理解があるらしく、彼はそれ以上何かを言うことは無かった。
「さて本題についてだけど、これについてはセインク君から簡単には聞いてるよ。サリー・ウィーパについて・・・君は、この存在が国の地下を通って迫ってくる可能性がある、と?」
「サリー・ウィーパぁ!?」
リカルドの驚きの声は無視し、ヒザキは静かにうなずく。
「東門の付近でサリー・ウィーパに襲われたって聞いたけど、西門から出てわざわざ砂漠の側へ回ったのかい?」
「いや・・・」
ギリシアの問いに正直に答えるか一瞬迷う。
自分が行った、門を飛び越える行為は間違いなく違法出国だ。
そもそも入国時は魔獣から国民を救った、という事情から特別扱いで簡単に国に入ることができたが、本来であれば入国には厳しい検閲を通る必要がある。国を出る際も同様だ。おそらくその役目は門を守る衛兵が担っていたので、どの道、怠慢な彼らの検閲などあってないようなものかもしれないが。
今、国にはどのような人間がいて、どこで何をしているのか。そういった国を出入りしている人間の情報は有事の際、貴重な情報の一つとなる。だからこそ、検閲を通してその情報を適正に管理する義務が国にはあるのだ。
衛兵が怠慢かどうかは置いておいて、そういう事情から出国においても検閲を通る必要がある。
それを無視して門を飛び越えれば、それは違法以外の何物でもないのだ。
西門を出れば当然、衛兵に出国の記録を取られるだろう。
であれば、西門を出て砂漠に向かった、などという噓はすぐに剥がれ落ちることは間違いない。
ならばここで嘘を言うことに何の意味もない。
噓か真か。どちらの道を選ぼうと悪い報告に向かう可能性は高いが、ここでは素直に事情を言うことが正しい判断だろう。
「東門を登って外に出た。そのすぐ先でサリー・ウィーパの攻撃を受けた」
「のぼ・・・?」
「はぁ?」
ギリシアとリカルドが思わず、素っ頓狂な声を上げる。
「登る、と言っても・・・容易に登れる高さでは、無かったと思うんだが・・・?」
「なに、手や足をかける足場は門にたくさん装飾されているんだ。そこを使えば難しい話じゃない」
「・・・」
「・・・」
ヒザキの言葉に二人は無言になり、やがてギリシアが苦笑しつつ口を開いた。
「うーん・・・その外出方法は思いつかなかったなぁ」
「おいおい、立派な違法だぜ? 当然、国条に背いた行為だ。テメエ、しょっ引かれる覚悟はできてんだろうなぁ?」
(やはり、そういう方向になるか・・・レジン院長の孤児院やベルモンドたちには迷惑のかからないよう、ギリシアに頼み込むか)
一応、建前としてはヒザキはレジンが担当する端っこ孤児院の客人ということになっている。
つまり、ヒザキが何か問題を起こせば、彼女たちにも迷惑がかかることになる。
ベルモンドも同行者として、色々と面倒に巻き込まれるだろう。
一人で旅を続け、久しく他人との接点が薄かったヒザキであるため、今回の行動が軽率であることに今に至るまでに気付けなかった。
今日は反省点ばかりな気がして、さすがに気が滅入ってきたが、自身が招いた業だ。
きちんと周囲には飛び火しないよう、責任を持って消火することだけはしておかなくてはならない。
ヒザキはギリシアにターゲットを絞り込み、レジンやベルモンドたちは関係なく、自分が勝手に行動したことを皮切りに話をしようとしたが、それは次のギリシアの言葉に出鼻を挫かれる形となった。
「まぁ一般兵見習いの行為は我らの責任だ。今回の件は『外壁周辺の魔獣調査』みたいなことにして、無かったことにしようかー」
「――」
ヒザキは出そうになった言葉を飲み込む。
総隊長がこんないい加減な考えでいいのか、とギリシアの目を見るが、彼の目は口調こそ柔らかいものの、冗談を言っているようには見えなかった。
「おいおいおいおいおい、いつからコイツが見習いになったんだよ!?」
言いたいことはリカルドが肩代わりしてくれるらしい。
そんな流れに甘え、ヒザキもギリシアの意図に耳を傾ける。
「いやぁ、だってルケニアのお嬢ちゃんが採用決定しちゃったんでしょ? 退団してなけりゃ、そりゃまだ一般兵の一人っていう扱いになるさ」
どうやらセインクから、その辺りの経緯も報告が行っているようだ。
確かに正規なルートでないにしろ、成り行きにしろ、ルケニアからは一般兵行きを指示されている。
あえてギリシアが「退団」と言う言葉を入れたのは、ヒザキが本当は一般兵に入るつもりが一切無いことを理解した上での言動だろう。つまり退団の手続きをすれば、一般兵見習いへの採用の件は無かったことにできるよ、と暗に言っているのだ。
「けっ・・・んなのはぁ詭弁だろうが」
実際にヒザキが門の外に出たのは、彼が今回の採用を受ける前の話だ。当然、その時は一般兵でも何者でもない。だからギリシアが建前に出した『外壁周辺の魔獣調査』という命令も存在するはずがない。
だが、この一般兵舎における最高責任者は彼である。
彼が「そうだ」と言えば、ある程度のことまでは「そう」なってしまうのかもしれない。
リカルドの弁には全面的に同意だが、なにしろ自分にとっては助かる提案なのだ。
あまり正論で長引かせるのも不毛だろう。ここはギリシアの善意に乗っからせてもらうことにした。
「感謝する」
「何がだぃ? あぁ、責任を持つって話なら問題なしさぁ。君はきちんと魔獣調査の成果を持ってきたさ。問題ない問題ない。はっはっは」
「この爺さんは・・・はぁ」
リカルドは肩を落として盛大に息を吐く。
そんなため息すら音量が大きい。実に彼の荒々しいという特徴を体現している。
「さて・・・魔獣絡み、となると俺たちだけで勝手に判断して突っ走るのは危険だなぁ」
癖なのだろうか、もう何度も見た顎鬚をさする仕草をしたギリシアは「ふむ」と何か思考を巡らすように目を動かす。
「あんたたちは魔獣とは戦ったことがないのか?」
そんなギリシアを見て、ふと疑問に思ったことを聞いてみると、ギリシアもリカルドも口から空気を勢いよく漏らして笑い出した。
「お、おいおい! 俺たちが魔獣とも戦ったことがねぇションベンちびりに見えんのかよぉ?」
「はっはっは、まあ俺はこんな老いぼれだからなぁ。そう見えても仕方ないかもしれないなぁ」
まさか自分たちが「魔獣と戦ったことがない」と評されるのは意外中の意外だったのだろう。考えもしていなかったことに付け加え、その魔獣と戦ったことのない自分自身を思い浮かべ、そのギャップに笑ってしまったのだろう。
あれだけ警戒していたリカルドすら、この瞬間だけは警戒心を緩めてしまっていた。
「突っ走るのが危険、と言ったのは戦うことに対して言ったわけじゃないよ。仮にサリー・ウィーパと戦闘状態に入ったとして、奴らに有利な砂漠を戦場にしたところで敗ける気はしないねぇ。だが、それはあくまでも戦闘だけに限った話だ」
なるほど、とヒザキは頷く。
「要するに戦闘以外に関する危険性を洗い出す、ということか?」
「そうだねぇ。加えて、サリー・ウィーパの習性と君の感じたサリー・ウィーパの地中移動音。そういった情報から、奴らが本当に国の下まで進攻してくるのかの確度を上げないとねぇ。予想や想像だけじゃ軍は動かせないからね。知識者から確固たる理由付けが欲しいとこだね」
「そして攻め入ってくるとしたら、どこを戦場にするのかも見極める必要があるな」
「そう。そして同時に国民の安全も保障しなくてはならない。如何せん、相手は地中から攻撃してくる厄介な敵だからね。家の中に避難してもらっていても被害が出る可能性も高いだろうねぇ。そういった避難場所の確保というか、どこが適切かっていう指針も出さないといけないねぇ」
それを総じて「専門家に確認する」ということなのだろう。
リカルドは既に気持ちを切り替え、先と変わらない警戒心を出したまま、腕を組んで黙っている。何も言わないところからして、ギリシアとヒザキとのやり取りに異論はないと思われる。
しかし、そう考えると先ほどの自分の言葉は滑稽以外の何物でも無かったな、とヒザキは思わず自嘲してしまった。
「ただ戦力として乏しいのも事実だよ。ここにいる我らこそ問題はないが――」
「問題は他の戦い慣れてねぇガキどもだな」
ギリシアが言おうとした台詞をリカルドが引き継ぐ。
「俺らや爺さん、他の部隊長や一等兵なんかは問題ねぇ。一等兵の中にも戦闘経験に乏しい奴ぁいるが・・・まあそいつらには丁度いい練習になるだろうよ」
「・・・」
フールという凶悪な砂嵐により、山の付近には魔獣はおろか動植物の姿すらない環境。
仮に砂漠側から魔獣に攻め入られたとしても高い塀により、国内に侵入されることも殆ど無かったのだろう。
例外と言えば・・・まさに今回のサリー・ウィーパのように地中を移動するタイプか、空から侵入するタイプだろうか。砂漠には、これもまた砂嵐の影響で、空を飛ぶ生物は存在しない。砂嵐に耐えてまで飛べることができる生物が今のところいないからだ。
故に警戒すべきとしたら、やはり地中を移動する魔獣、ということになる。
リカルドは凶悪に顔をゆがめて笑う。
「さっきぁ『問題』なんて言い方したっけどよぉ――こいつぁ運が良かったと言うべきかもなぁ。俺たちがいる代はいいけどよぉ、このまま何年、何十年と経って魔獣とも戦ったことのねぇ今のガキどもが部隊長なんざ務めた日にゃあ、ちょっとしたことで国が終わっちまう未来が見えてるからなぁ! 丁度いい機会だ。ガキどもの腑抜けたケツをぶっ叩いて気を引き締めてやるぜ、なあ! がっはっは!」
モチベーションが上がってきたのか、リカルドの声量が上がってくる。
「なぁ? 面白い捕り物が始まりそう、だろ?」
ギリシアの言葉にリカルドは「捕まえる気はねぇけどな!」と返した。
何はともあれ、ヒザキが伝えようとした話は彼らの心に届いてくれたようだ。
仮に門兵に伝えただけでは、もしかしたら今のように上層部に正確に情報は伝わらなかったかもしれない。伝言ゲームは間に人を挟むほどねじ曲がり、信憑性も薄れていくのが常道だからだ。
だからこそ、ヒザキが直接彼らに話をできた展開はもしかしたら最良の結果だったのかもしれない。
そう考えると、今日も悪い日ではなかったのかな、と自己満足に浸れそうだ。
「では俺が伝えたかった話は以上だ」
そう言って立ち上がるヒザキに、リカルドが待ったをかける。
「ちょい待て。お前、何処にいくつもりだぁ?」
「用事が済んだからな。帰るつもりだ」
その言葉を聞いて「あぁん? 何を言ってんだテメエ」と言われる。
そんなリカルドに「まあまあ」とにこやかなギリシアが間を繋ぎ、
「ヒザキ君。君にも手伝ってもらいたいんだが、どうだろう?」
という提案を投げかけられた。
当然そんな面倒事に関わりたくないので、
「いや、この先は国の者の仕事だろう? 俺は関与しない方がいいだろう」
と返す。
「んー、確かに国の仕事だなぁ。だから君にも関係があるじゃないか。そうだ、言い方を変えよう」
ギリシアは何が楽しいのか、含み笑いをしつつ次の言葉をヒザキに投げる。
「これは総隊長命令だよ。君もサリー・ウィーパにかかる調査および討伐に参加するんだ。君に拒否権はない」
その言い回しで、彼が何を言いたいのか理解した。
ああ、と視線を巡らせ、ヒザキは最善と思う回答をした。
「それでは総隊長殿、退団の手続きをしたいのだがどうしたらいい?」
「あー、残念だねぇ・・・。退団に関してなんだが、軍規上、一度配属した者は最低一週間は退団できない決まりなんだ」
「・・・・・・なに?」
「だから一週間。一週間は君は――アイリ王国における一般兵見習い扱いだよ」
「――――、入団の取り消しは」
「だめだねぇ・・・受理しちゃってるからねぇ。恨むんなら、さっさと手続きを済ませちゃった仕事の早いルケニア嬢ちゃんを恨んでねぇ」
ギリシアはポケットから一枚の紙面を取り出し、それを開いてヒザキに見せる。
紙面の標題には『配属決定者一覧』とあり、右下の承認者欄にはルケニアと思われるサインが書かれている。
そこには本日の入団者の氏名が記載されていた。
名前は当然、三つ。
カリー、ミリガン、ヒザキ。
どうやらセインクが案内している短い時間の間に、この紙面を作り、ギリシアの元に届けるところまで済んでいたようだ。
何とも仕事の早いことで。
「というわけで」
どこか悪い笑みをニヤニヤと浮かべているリカルドを横に、ギリシアも笑いながらヒザキの肩に手を置いた。
「宜しく頼むよ、ヒザキ見習い君」
なんだか「ざまぁ」と笑っているリカルドを殴りたくなってきた。
殴ってもいい気がする。その権利が自分にはある。なにせいきなり斬りかかられたのだから。
そんな不穏なことを考えていると、ギリシアがその思考を遮るように、
「それじゃ専門家――ルケニア嬢ちゃんのとこに行こうかねぇ」
と締めくくったのだった。




