第16話 ミリティアの事情聴取 その3
もし敵意を持った相手が対面にいたとするなら、ミリティアはすでにその命を落としていただろう。
相手の獲物は大剣。
十分にその刃が首元に届く距離だ。
考え事をしていたとはいえ、油断はしていなかった。
背後から襲われても、咄嗟に反応して回避と攻撃行動を同時にこなす程度には動ける準備もあった。
それなのに気づけなかった。
相手は堂々と座って、こちらを見ていたというのに、その存在に気づくことが出来なかった。
視覚だけで情報を判断したのはいつ以来だっただろう。
小さい頃は当たり前だったが、やがて騎士となり、近衛兵をまとめる立場となってからは、視覚だけでなく、五感すべてを駆使して周囲の情報を集めることが当然のようになっていた。
そういった感覚を無意識に行えるようになってから、何度も死地を乗り越えてきたのだ。ある程度の自信、自負は持っていた。
しかし、まるでそれが無駄だったと言わんばかりの現状に、思わず膝から力が抜けるのを感じる。
座っている状態でなければ、無様に床に尻餅をついていたかもしれない。
国を守る戦士としては、落第もいいところの不格好さだ。
「・・・・・・っ」
悔しい、と素直に感じた。
ミリティアは希少な2種以上の魔法を扱える者を指す『デュア・マギアス』の一人であり、風と雷の魔法を駆使し、魔法と剣技を合わせて戦うスタイル――魔導剣技の使い手である。
その才能に甘んじることなく、ただ強さを求めて己を鍛え上げてきた。
今では千の軍勢を相手にしても生き残る自信もある。
それが昨日今日出会ったばかりの男に、何気ない顔で軽くあしらわれてしまった気分だ。
悔しくて目尻が熱くなってくる。
下唇が震えているのも良くわかる。
「落ち着け」
まるで子供をあやすかのような口調でヒザキが口を開く。
それがまた気に障ったのか、ミリティアはキッと睨み返してしまう。
自分が子供染みた態度をとっていることを、どこか別の冷静な自分は気づいているのだが、それを止める術が分からなかった。
「君は若い。同じ年代の連中と比べれば群を抜いて優秀だろう。だが世界にはまだまだ上もいる。君は優秀だが、今が限界ではない。まだ伸びしろがあるんだ・・・今のところは素直に受け止めて、成長の糧にしてほしい。だから・・・そう怒るな」
「・・・~っ・・・・・・っ」
先刻の口論のあと、冷静でいようと一度は『近衛兵ミリティア=アークライト』の仮面を被ったのにも関わらず、それは簡単に引きはがされてしまった。
「わ・・・」
「・・・」
「私の・・・プライドは、ズタズタです・・・」
我ながら何とも言えない乏しい語彙力で絞り出した言葉だった。
「そうか」
「いつか・・・見返します」
「・・・?」
ミリティアの言葉にヒザキは眉をひそめる。その行動の意味をミリティアは察し、言葉を続ける。
「ベルモンドさん・・・様が貴方は信頼に値する方だと、評していました・・・。彼の言葉に私も嘘は感じませんでした。だから・・・とりあえずは貴方は私たちの味方、という視点で接しようと思っています」
ああなるほど、とヒザキは合点がいった。
見返す、という言葉は少なくとも敵に対して使う言葉ではない。ミリティアはヒザキに敵意こそ無いものの、怪しんではいる。そんな相手にわざわざ「見返す」などと言葉にするのは、おかしな話なのだ。
ミリティアが自分に対し何かしらの疑いを持っていることは気づいていたため、彼女からこういった返しがくることは予想外であったが、悪い気はしなかった。
「始めましょう。お話をお聞かせください」
「ああ、わかった」
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情報源その5:ヒザキ
「まずは貴方の出身とご年齢を教えて下さい」
「出身・・・そうだな、出身はサテンだ。年齢は・・・30だ」
「サテン? あの砂漠の向こうにあるサテン帝国ですか?」
「ああ」
「あそこの国の者は皆、黒髪黒眼の血族であったと思いますが・・・」
「なに、あそこは東の果て。アレの影響も強い地域だ・・・白髪なんてそう珍しくもないさ」
「・・・その片腕もその時に?」
「ああ・・・そうだな」
「・・・少し踏み込みすぎた質問でした。申し訳ございません」
「いいさ」
「次に貴方は誰かの師事の元、剣術を習っていたのでしょうか?」
「いや、基本は独学だな。多少、興味を持った剣術を真似ることはあるが、誰かを師に仰いだことはない」
「そうですか・・・魔獣との戦闘経験はどのくらいでしょうか?」
「少なくとも数を忘れる程度にはこなしているな」
(・・・剣の心得はなくとも、経験で身に着けた技術ということか)
「なるほど。実際に戦った貴方の意見をお伺いしたいのですが、今回の戦闘における魔獣。あのような種族は見たことがありますか?」
「いや・・・初めてだな」
「やはり、新種、だと思いますか」
「個人的にはそう思ってはいるが・・・そこは連国連盟に確認をとってから判断するのが良いだろう」
「そうですね。ただ、確認する際の情報としてもう少し教えて下さい。そうですね・・・その魔獣と類似する魔獣などはいますでしょうか?」
「類似、か。単体の強さで言えばヘイルドーターと同等程度と感じた。ただし個体で活動するヘイルドーターと異なり、徒党を組んで戦いをしてくる辺りは厄介だったな。複数体と遭遇すれば、その数の分だけ危険度は倍増していくだろうな」
「ヘイルドーター・・・エンデス海に生息する二足歩行のワニの亜種ですね。しかし・・・徒党とは、また人間味のある表現をされますね」
「実際にそうさ。あれは純粋にそれぞれの個体が思い思いに襲い掛かってきているわけではなかった。相手を殺すために、明らかに計算された動きをしていたのさ。拙い戦略にしろ、個体の強さだって人とは比べ物にならない存在だ。十分な脅威に感じたよ」
「戦略・・・? それは・・・」
「ああ、珍しい話だがな」
(珍しい、というレベルの話じゃない・・・魔獣はそのほとんどが個体で活動している場合がほとんどだ。戦略を以って襲い掛かってくる? もしそれが本当なら・・・国を挙げての討伐が必要な話になる)
「その魔獣は・・・5体ほどで襲い掛かってきたと伺っています。ヒザキ様はそれらを、あの『魔法』で対処されたと考えていますが、間違いありませんか?」
「ああ」
「あれは・・・現場を見た限り、火の魔法と認識しましたが・・・」
「そうだ」
「あれほどの高威力は・・・各国の猛者を見てきた私でも見たことがありませんでした。何か魔導機械による補助でも受けたのでしょうか?」
「・・・いや、あれは魔術ではなく、純粋な魔法だ」
「・・・・・・分かりました。では次に、貴方はベルモンド様たちとはセーレンス川で魔獣から助けた際に出会われたとのことですが、間違いありませんか?」
「ああ」
「ベルモンド様たちはライル帝国へ向かうことが目的と聞いてますが、貴方もライル帝国に向かわれていたのですか?」
「いや、俺の目的はここだ」
「アイリ王国ですか?」
「ああ」
(ヴェインさんの証言と一致している。では・・・目的はなんだ?)
「祖国を貶める言い方となるのは不本意ですが、客観的に見ても我が国は観光や商談をしにくるほどの価値はない、と言わざるを得ないのが正直なところです。誰か知人の方とお会いする約束でも?」
「いや、知人はいない。観光と言えば、それは少し違うかもしれないな。言うなれば――」
「言うなれば?」
「蟹の時期が来た、ということだ」
「・・・」
「・・・」
「・・・・・・はぁ?」
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「隊長。聴取、お疲れ様でした」
そう背後から言葉を投げかけられたのは、陽も沈み、月明かりの指す夜のことだった。
場所は王城の西南に位置する見張り塔付近に位置する、ミリティアの自室への通路の途中であった。
軍服を身にまとったミリティアは、背後に近づいてくる彼の気配を察知していたのか、かけられた声に驚くこともなく、足を止めて振り返った。
「ああ」
ミリティアは肩にかかった髪を払い、敬礼をする髭を生やした男に視線を送る。
「例の魔獣ですが、我が国の研究班に確認したところ、やはり前例がない個体のようでした。そのため遺体の残骸を連国連盟の連盟塔に送り、急ぎ連盟側の記録も確認するよう手配しました。搬送については、荷物は最小に抑え、兵を3名・水牽き役を4名派遣することといたします。往復で三週間程度の見込みです。連盟塔内による魔獣の記録調査期間も含めると、結果については一か月半程度はかかるかと思われます」
「かかるな・・・お前のことだ。選定した兵士や水牽き役は、言わずとも足の速い者ばかりを集めたのだろう?」
「はっ! 魔獣が新種か否か、迅速に調査すべきと理解はしているのですが・・・連盟側における調査期間はこちら側で調整できるものでもありませんので。最速で一か月半、という見込みとなりました。申し訳ございません」
「謝る必要はない。我が国において、最速の手段がそれしかないのだ。致し方あるまい。副隊長は良くやってくれている」
「ありがとうございます」
頭を下げる副隊長をしり目に、ミリティアは顎に指をあて、思考を整理する。
自室に戻ってから整理するつもりだったが、副隊長と言葉を交わしたことで、隊長としてのミリティアに完全にスイッチが切り替わった。せっかくなので、この場で整理することにした。
ミリティアが現状、抱えている案件は五つある。
一つ、魔獣の素性を明確にし、既存種なのか新種なのかを判別し、対策を練ることだ。
今回の件で魔獣が山脈を超えて国土に侵略してきたことを受け、これに対して国として対策を立てる必要があるからだ。山を越えてきたのは偶然かもしれないし、ヒザキたちに引っ張られるように追ってきただけかもしれない。もしかしたら、これから魔獣が攻めてくることは無いかもしれない。
だが国を守る者として、後ろ向きな「かもしれない」は禁句だ。攻めてこない可能性が高いから、何も対策をしない、という姿勢では何かあった時に、取り返しのつかない結果しか待っていないからだ。
前向きに可能性を網羅した対策を立てる必要があるのだが、人材も物資も有限である。闇雲にすべての可能性に対応するのは、裕福な国ですら難しいことなのだ。
だから、まずは魔獣の素性を明確にすることが重要だ。
ミリティアはそう判断していた。
とはいえ、ヒザキの言葉を信じるならば、相手は人間のように徒党を組む魔獣だ。
連盟の結果待ちまで手をこまねいているのは愚策としか言えない。
山脈側への警戒は直ちに強化しておく必要があるだろう。
二つ、解雇した衛兵の補充。
正直、人材不足が絡む問題は頭が痛い。
やらねばならないことばかりが山積みとなり、それに割く人員がこの国には圧倒的に不足している。
そんな中に「業務放棄」が原因で解雇された二名分のフォローをしなくてはならないのは、痛手以外、何物でもなかった。
これについては、まずは門の強度に問題がないかをチェックする必要があると考えていた。
人が足りなければ、物で補う他ない。
門が突破されないほどの強度を保持していれば、多少、戦闘経験が浅い兵士でも配置できるからだ。
勿論、戦闘経験が豊富であれば文句はないのだが、あまり贅沢は言えない。
今回の衛兵に配置する兵士の性質としては『平時・緊急時に問わず、決められた仕事を全うする』ことが出来る人間を優先的に選出する予定である。
三つ、水牽き役の一人であるクラシス=ストライクへの聴取。
リーテシアの話より、彼が子供たちを誑かす発言をした疑いがあるからだ。今回の事の発端である可能性もあるため、もし事実そうなのであれば、厳重注意もしくは多少の罰則を与える必要がある。
これは副隊長であるモグワイ=セジファーゲンに任せる予定だ。
これ以上、人材を失うわけにもいかないため、この件についてはミリティアも何かの間違いであって欲しいと、切実に願うところだった。
ミリティアが彼に抱くイメージは『道化』だ。
不真面目で飄々(ひょうひょう)とした彼の態度は彼女の性格上、中々相容れないことが多く、今までにも何度か衝突――というよりミリティアが一方的に注意することがあった。
そんな彼だからこそ、子供に裏情報を漏らすことも強ち有り得なくもない、という印象が頭から離れない。
実に頭が痛い。
四つ、ベルモンドたちの話にあった魔獣の襲撃地点の調査。
これは一つ目の魔獣の素性調査にもつながる話だが、それと並行して進めるべき案件だ。
まだヒザキが交戦した山脈の最も背が低い山岳地帯の調査も不十分なため、そちらも急ぎ対応する必要もあるのだが、最優先はセーレンス川の方だ。
襲撃に会い、行商として共に旅をしていた者たちは散り散りになってしまったと話にあった。
あの周辺もアイリ王国の国土であり、可能な限り、彼らの命を救う義務があるとミリティアは考える。
また、雇っていた傭兵たちも殺害されたことも優先する理由の一つだ。
守る者のいない商人など、魔獣からすれば餌が裸で歩いているようなもの。
手遅れの可能性もあるが、今こうしている最中に魔獣から命からがら逃げている可能性もある。
この件については、ミリティア自身が先行して商人の安否を確認しに行くことも検討したが、指揮系統の乱れに繋がることや、ヒザキたちの存在もあることから、大臣からの直々の命により、保留となっているのが現状であった。
五つ、・・・・・・・・・・・・蟹だ。
いや、ヒザキの目的と言う方が表現として正しい。
ヒザキがアイリ王国へ来た理由は、蟹を食べに来た、ということらしい。
この砂漠の、
ただでさえ水が不足している地域で、
蟹を食べに来た、と。
正直、一笑に付しても良い話だ。
荒唐無稽にも限度がある。
何かを隠すにしても、もっと現実味のあるストーリーなど、いくらでもあるだろうに。
だが、ヒザキは変わらない表情で、冗談を言うわけでもなく、淡々とそう言っていた。
なんでも、明日には蟹を狩りに砂漠へ向かうそうだ。
まだ彼の素性も明らかになっていないこともあり、ミリティアとしては彼を好きに行動させるのは得策ではない。自身の権限で、彼を何かしらの容疑で捕縛し、王城地下の牢に入れて、行動を起こせないようにすることも可能だが、何の理由も根拠もなく、人を牢に入れることをミリティアは選べなかった。
ミリティアは悩む。
正直、五つ目の案件は、現時点でリストアップすべきほどの優先度は無い。
そこに労力を割く余裕も暇もない。
砂漠に行くのであれば勝手に行ってくれ、というスタンスが現状、最も無難な選択肢であると思う。
「・・・・・・」
何故だろうか。
背筋がぞわぞわする。
理性は「優先すべき事項は他に多くある」と口にし、本能は「ヒザキに同行すべきだ。何かがある」と囁きかけてくる。
(馬鹿げた考えだ。私はこの国を守る者。やるべきことは明白だ)
顎から指を放し、ミリティアはモグワイと視線を交わした。
「副隊長、すぐに動ける者を指令室に集めろ」
「宜しいので?」
「何がだ」
「・・・いえ、直ちに!」
「私は先に指令室に向かう。頼んだぞ」
「は!」
少しだけモグワイが困ったような、悲しそうな表情を浮かべたが、それも一瞬。すぐに副隊長としての彼に戻り、踵を返して兵たちに号令をかけに向かった。
そんな彼の後姿を数秒だけ眺め、ミリティアも指令室へ足を向ける。
(ふん・・・ヒザキさんについては保留だ。蟹を砂漠で採るなどと子供でもしない妄想に駆られている男に付き合う暇なんてない。せいぜい在りもしない土産でも楽しみにすることとしよう)
何故こうも彼の存在が気になるのか。
ミリティアは形の見えない感情に苛立ちを覚えながらも、指令室へ彼女にしてはらしくないほど足音を立てて向かっていった。




