第10話 近衛兵ミリティア
幾度なく魔獣の攻撃を凌ぐことで、魔獣の特性がおおよそ掴めてきた。
魔獣が放つ攻撃は物理攻撃の一つだけ。
魔法による攻撃を行う魔獣もいることはいるが、それは世界的に少数といってよい。この魔獣も多分に漏れず、大多数の部類に入るものになりそうだ。
次に攻撃のバリエーションだが、これもまた少ない。
その鋭利な爪による攻撃か、力任せの蹴りや殴り。時折、強靭な尻尾の薙ぎ払いがくる程度だ。
ここまでは魔獣の中でも弱い部類に入りそうなものだが、問題はその一撃一撃の攻撃力と、団体による連携攻撃だ。
50センチメートルほどの長い爪は、どうやらヒザキが手に持つ大剣で斬ることのできない強度を持っている。それを人間からすれば長いリーチに感じる腕を以って振り下ろされる。
時折、ボクシングで言うラビットパンチのように長い手を巻いてくるように、後頭部から爪の攻撃がくるものだから、避けにくいこと他ない。
だが、これはまだマシな方であった。
慣れてくれば、対処も可能な程度の問題だからだ。
問題は連携攻撃の方だ。
一体は片足を斬り落としたため、あまりこの連携攻撃に参加できないのだが、他四体の連携が面倒である。
「ふっ――っ!」
尻尾の薙ぎ払いを腰をかがめて回避し、カウンターに大剣をその背中に見舞わせようとするが、すぐに他の一体から爪による攻撃がくる。
仕方なく、その爪を刃で防御すると、すかさず背後から爪を使った正拳突きが襲い掛かってくる。
左に跳んで、かわす。
そこにさらにもう一体が丸太のような太い足による蹴りが迫る。
「ちっ」
思わず舌打ちが出る。
その蹴りの速度に合わせて、とん、と軽くジャンプし、迫る足の大腿を足場にさらに大きくヒザキは前方に魔獣を飛び越えるように跳んだ。
まさか自分の蹴りを利用されるとは思っていなかったようで、跳ぶ過程で魔獣の目が見開いた様子が見て取れた。
(いい加減――、面倒になってきた。ここらで一体ぐらいは貰っていくぞ)
飛び越えられた魔獣は反射的にヒザキを目で追ってしまい、動作が緩慢になる。
そこを狙って、背後に着地したヒザキは一瞬の間もなく、大剣を逆手に持ち直し、その刃を背部から腹部へと深々と突き刺した。
「ギィィィィィヤァァァァァァッァァァァァァァッァァァッァァ!!!」
これでは即死はおろか、致命傷にならない可能性もある。
他の魔獣もフォローをしに、こちらに向かってくるのを感じる。
すかさず彼は剣の柄を逆手から順手に持ち直し、その刃を上に向かって振りぬこうとする。
が、それは失敗に終わった。
ギィンと金属音がぶつかり合う音がしたかと思うと、ヒザキは渾身の力を入れた右手がこれ以上、上に上がらないことを悟った。
どうやら貫いた腹部の先で魔獣が爪を使って刃が上に行かないように抑え込んでいるようだ。
「・・・・・・」
刃が長い分、剣を抜いている時間は無くなった。
他の魔獣がすでにヒザキに向かって攻撃を繰り出しているからだ。
仕方なく、ヒザキは柄から手を放し、魔獣の攻撃を掻い潜って距離を離れた。
さて、もともと面倒だったものが、さらに面倒になってきた。
困ったものだ、と一息吐く。
その彼の表情を見た他者は「本当に困っているのだろうか」と言ってしまいたくなるほど、淡々とした無表情であった。
(しかし・・・まだ逃げていないのか、あの子たちは。俺の指示が聞こえなかったのか、それとも・・・)
まだ少女と昏倒している少年の気配は近辺に残ったままだ。
明らかにこちらの様子を窺おうとしている気配を感じる。
少し勘の良い魔獣であれば、勘づかれてしまうほど分かりやすい視線である。
「ふむ」
魔獣たちが勝利を確信したかのように喉を鳴らしてこちらを見据えてくる。
大剣で貫かれた魔獣は、片足を失った魔獣の方まで下がり、休んでいるようだ。
残り三体でこちらを仕留める腹積もりなのだろう。
「正直、これ以上の長期戦はしても無駄でしかないな。あの子らが逃げないというのであれば、早々に終わらせるしかないのだが・・・」
右手を見る。
方法はある。
あるのだが、使いたくない、というのがヒザキの思いだった。
だが幼い人命がかかっている以上、そんなことも言っていられない、というのが現状。
いたずらに戦いを長引かせて、あの子らの命を落とすことでもあれば「あの時こうしておけば・・・」という後悔に付きまとわれるだろう。打開する方法があったのなら、尚更である。
ついさっき出会ったばかりの子供ではあるが、拾える命なら拾いたい。
「仕方ないな・・・」
嘆息しながら、ヒザキは右手に力を込め始めた。
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「ここで何をしている?」
仁王立ちした20代前半ぐらいの女性が腕を組みながら、二人の男を見下ろしていた。
男たちはそれぞれ片手に酒の入った木製のマグを手にし、今まさに「乾杯!」と陽気に酒を楽しもうとしていたところだった。
彼らは中途半端に上げた右手を固まらせて、女性を青ざめた表情で見上げている。
「・・・何をしているのか、と聞いているのだが」
場所はアイリ王国の東部にある酒場『レイン』の野外席の一つ。
ここは配給日において最も早く酒が飲めると評判の、酒飲みにとっては憩いの場となっている店であった。
「こ、これは・・・ミリティア殿! あ、ああ、貴女こそ、このような場所に一体、何の御用でっ!?」
「このような場所? 随分な言い草だな。店の主人に失礼だと思わないのか?」
「あ、ああ、いえっ! そ、そんなつもりは一切なく・・・! あ、あの・・・」
金髪碧眼の美女。
見る者は皆そう口を揃えて言うであろう美貌は、今は凍てつくほどの冷たさを持っていた。
アイリ王国、近衛兵筆頭部隊の隊長を務めるミリティアは、怒り9割呆れ1割の感情を隠さずに、目の前の二人を見下ろし続ける。
「私は国王陛下より命を受け賜り、ここに参じただけだ。詳細は貴様らに説明する必要はない」
「そ、そそそうですよね! え、ええ・・・そりゃもう・・・はは・・・」
「何を笑っている? 今の私の言葉に何か可笑しいところがあったか?」
「え、いいいや、いやいや・・・そんなことはありません、はい・・・」
「まあいい。本筋に戻すぞ。貴様らはここで何をしているのだ? そんな簡単な質問に答えられぬほど知能が衰えているわけではないのだろう、『衛兵』殿?」
衛兵、と言われた男たちは肩を震わす。
彼らは衛兵を務められるほどの屈強な男たちだ。年下の細い体躯の女性と並べば、どちらの方が威圧感が強いかなど言わずもがななことだ。そんな男たちが揃って恐れを感じるほどの気迫がミリティアから放たれていた。
実際に戦えば、彼女の方が強いのだろう。
それが身に染みているせいか、彼らはただただ委縮して彼女の質問に答えるほかなかった。
「そ、その・・・ですね」
「・・・・・・」
「あ、あの・・・お、おそらくミリティア殿は何か誤解をされているのかと・・・」
「ほう?」
「きょ、今日は我々は非番の日ですよ? ほ、他の誰かと見違えたので、は・・・?」
「・・・」
彼女の眉がひくり、と不快気に揺れる。
「・・・確かに、衛兵の勤務状況はすべて貴様らの管理役に任せているわけだ。今日は元々勤務日でなかった可能性もあるし、急遽誰かと当番を変わった可能性もある」
「そ、そうですよ!」
ここぞと言わんばかりに男たちが言葉を投げかけてくる。
「しかし妙だな? 何故ここにいる、と聞いて勤務云々の話が返ってくるとは・・・何かその辺りに思うところでもあるのか?」
「ぅ・・・・・・」
「そ、それは・・・ミリティア殿が・・・あ、あえて『衛兵』なんて言葉を・・・言うから、ですよ? そういう言われ方をすれば、、まあ、そういうことかな、って、お、思うじゃないですか」
「ほぅ、そこまで馬鹿ではないようだな」
初めて冷徹な表情に変化が生じる。
それは笑みではあったものの、男たちから見れば背筋に悪寒が走る笑みであった。
「実はな」
続ける彼女の言葉に、衛兵たちは息を呑む。
「先ほどあるお方から一報をいただいていてな」
「い、一報、ですか?」
ミリティアが「あるお方」という表現をした時点で、相手方は王室の者か、丁重に対応すべき客人のいずれかに値することに気づき、二人の表情は一層険しくなる。
「ああ、そのお方はこう言っていてな。『あの門は開けっ放しでよいのか?』と。そんなことを言われれば、私が次にとる行動は判るか?」
「え、えーっと・・・」
「そ、それは・・・その・・・」
「当然、私は門の様子を見に行った。そしたらどうだ? 門は解放したまま、衛兵は誰もいない。いつからこの国は解放感溢れる国になったんだ? 誰か分かるか? 分からないよな。ああ、私にも分からない。誰が指示したわけでもなく、そうなっていたのだからな。そして、そんな状況を見た私が次にとる行動は判るか?」
「・・・・・・」
「・・・・・・も、門を閉じる、ことでしょうか・・・?」
「それは一般兵を数名寄越して、今行わせている。私がとる行動は膿を取り除くことだ。この国の実情を知っておきながら、それに漬け込み、私欲のために利用する、そんな膿をだ。だから当然、私は今日の衛兵が誰かを衛兵管理役に聞いてきた。それが貴様らだ」
ミリティアは帯刀している刺剣、エストックの柄に手を触れさせる。
「弁明を聞こう」
「・・・」
「・・・」
衛兵らはもう何も言わない。
手に持っていたマグを静かに机に置き、無言でうつむく。
(この国に余裕なんて言葉はない。何をするにも人が足りないのが実情だ。それがどうだ? 人が足りないからと言って、管理も全て各人に委ねていれば、こういった輩が後を耐えなくなる。しかし管理のためだけに人を割く余裕はない。頭の痛い話だ)
口を紡ぎ、彼女はこの国の行く末に不安の声を漏らす。無論、口には出さないが。
「・・・お、俺たちは・・・解雇、ですか?」
「言うまでもない」
ミリティアと衛兵たちの会話の雰囲気に周囲も気づき始めてきたのか、周囲が騒がしくなってくる。
「・・・話の続きは執務室で聞こう。立て」
「ぐっ・・・お、俺らを解雇にして・・・他に宛てでもあるんですか!?」
「そ、そうだ! 戦える人間だって少ないんだ! そ、それを・・・」
何を根拠に強気になったのか。
ああ、とミリティアは思う。
(こいつらは・・・この国の残り少ない財すらも吸い尽くす害虫だ。確かに数少ない戦力は魅力的だ。国としても最大限に厚遇し、ある程度の融通は利かせるだろう。それで職務を全うすなら問題はない。だが、こいつらはそれを盾に、財だけを食いつぶす害悪でしかない。ああ、本当に――)
ギリ、と奥歯が軋む音が聞こえる。
こういう輩は、本当に虫唾が走る。
「立て、と言ったはずだ」
瞬間、
衛兵たちは何が起こったのかも分からず、席から吹き飛ばされ、気づけば向かいの建物の外壁に背中を強打していた。
「がっ!!」
「ぐぅっ!?」
さすがは自身を「戦える人間」と評しただけはある。
常人ならば背中の激痛でしばらくは呼吸もままならなくなり、立つことなど不可能だろう。
しかし、衛兵という職務を全うせずとも、そこに就けるだけの実力を持った彼らは、痛みに顔を歪めながらもゆっくりと立ち上がった。
「か、風・・・」
「これが・・・、ミリティアの魔法、か・・・」
もはや敬称すらつけずに呼ばれる彼女は、特にそれを気にした風もなく彼らの前に立つ。
「は、ははっ・・・! ま、魔法がそんなに偉いかよ・・・! くそっ! ムカつくぜ!」
「・・・・・・くっそが・・・やっちまうか・・・」
自棄になっているのが目に見て取れる。
彼女の力はすでに知っている。身を以って知ったのは今が最初だが、衛兵である以上、彼女の強さを目の当たりにすることは幾つかあった。
稀ではあるが、国の周辺に魔獣が現れた時などは、その掃討作戦の指揮を彼女がとるのが慣例だった。
衛兵として最後尾を守護する位置からその姿を見ることがあったが、正直、女性の身とは思えぬ規格外の強さであった。
彼女の風の魔法は、いつ魔法陣が描かれたのか気づかないほど、速い。
そしてその速度に適した武器、エストックを駆使して、恐ろしいほどの手数と風で補強された剣先の貫通技が放たれる。
彼女の剣の犠牲となった魔獣は、穴だらけになるのが恒例だ。
冷静に考えれば、彼女に刃向かって敵う道理はない。
大人しく縄につくのが無難だろう。
しかし今の彼らは判断を見誤っていることに気づきながらも、その間違った道を進もうとしている。
これは理性ではなく、本能。
彼らは彼らでストレスは溜まっていたのだろう。
日々、退屈な衛兵という仕事をこなし、娯楽という娯楽もない国で過ごす。
常に砂と風にさらされる過酷な環境。
しまいには王室という温室の中で近衛兵を務める、一回り以上、年下の女に見下される。
そんな環境に溜まっていた鬱憤が、ミリティアに吹き飛ばされたことでタガが外れたのだった。
「て、テメエなんか! 魔法がなければただの女だろうが!!」
衛兵の一人が暴言を吐きつつ、腰の剣を抜いた。
その行動に突き動かされて、もう一人も抜刀する。
「魔法がなければ、ただの女? ぬかせ、雑魚ども」
しなやかに腕が動いたかと思えば、すでに彼女の手にはエストックが抜かれていた。
その刀身がゆっくりと揺らいだと思った瞬間、彼女は地を蹴り、瞬き一つの時間で間合いを詰めていた。
「なっ・・・!?」
「・・・っ!?」
カン、カンと二回ほど甲高い金属音が鳴り響く。
彼女のエストックが彼らの剣を弾き飛ばした音だ。
少し遅れて二本の剣が離れた場所で落ちる音が聞こえた。
「貴様らなど魔法がなくとも処理できる。己惚れるなよ」
エストックを鞘に納めたところで、近づいてくる足音にミリティアは目を向けた。
どうやら一般兵が二名ほど駆け足で近づいてきているようだ。
門を閉じた報告だろう。そう思ってミリティアは報告を確認するため、彼らの方に顔を向けた。
しかし、たどり着いた一般兵からの報告は彼女の想像とは少し違うものだった。
門を閉じる際に、門付近で国外の者を発見、怪我人につき現在は医務室に搬送中とのこと。
そして、その怪我人および同行者から山岳地帯にて魔獣が発生したとの情報あり。現在、その魔獣と交戦中の者もいるとのことだった。
ミリティアは戦意を失っている衛兵たちの捕縛を一般兵に指示し、すぐに駆け出した。
風の魔法を展開し、その足に纏わせる。
すると、彼女の体は一気に加速していった。背の低い塀を足場に、高く跳躍する。
住宅の屋根を移動する方が早いと判断したからだ。
(魔獣が出たというのは・・・あっちか)
走りながら屋根から国を囲む巨大な塀の先を見据える。
その時だった。
塀の向こう側から、上空に何本かの赤い線が伸びていき、数秒して空に溶け込むように消えていった。
「なんだ・・・今のは・・・?」
何か予感めいたものを感じつつも、彼女は足を止めずに突き進む。
彼女もまた、ここから始まる物語の歯車の一つとして、巻き込まれていくのであった。




