第1話 寝起きに乾燥は最悪です
寝起きは最悪だった。
肌はかさつき、口内は乾いた唾が粘着質な物体と化し、非常に気持ち悪い。
思わず新たな唾で喉奥に流しこもうとするが、水分が欠如しているのか、新しい唾すら湧いてこない。
「いたっ」
起き上がろうと敷布団に手をついた拍子に、その手の下に自身の髪を踏んでしまったらしい。プチプチ、と実際に音がなるわけではないが、そう聞こえてしまうほど、その拍子に何本か髪が抜け落ち、敷布団の上に緩やかに落下していく。
どうやら水分不足の頭皮は髪を引き留める力すらも不足しているらしい。
抜け落ちた長い黒髪を見下ろし、ため息を一つ。
「・・・・・・」
喉が痛い。
固い枕に顔をうずめ、喉が痛くない首の角度を模索するが、当然効果の得られる角度は存在しなかった。
この焼けるような咽頭痛を含めた、水分不足からくる体調不良は、この地に住む者らの慢性的な特徴の一つだった。
少女は眼前に垂れ下がる枝毛を無気力に引き抜く。
左手の指に挟まれたパサパサの髪を何となしに揺らして時間を潰していたが、当然すぐに飽きて、引き抜かれた枝毛は彼女の左手から零れ落ちた。
心なしか頭痛がする。
今日はそれを理由に休もうか。そんな考えが脳裏に浮かんだが、慌てて首を振る。
ここの「院長」は勘が鋭く、生半可な嘘は中々通じない。昔の本に『嘘の中に真実を混ぜることで、嘘を見破らせにくくする』という話があったらしいが、院長たる彼女は「言葉」を真実や嘘の判断材料にしない性格だ。どちらかというと話し手の挙動や声のトーン等から嘘を見破ってくる。
そして、何より嘘がバレたときの院長の怒りは恐ろしい。
酷い時等、1日御飯抜きの時もあったぐらいだ。
大人たちからすれば踏ん張れる罰なのかもしれないが、体力が低い子供らには堪える罰であった。
仕方なく頭痛は気のせい、と自分の中に整理をつけて立ち上がる。
「ん・・・」
長い黒髪を後ろに払い、腰を伸ばす。
どうやら同僚たる子供たちは、まだ夢の中のようだ。
もっとも心地よい寝顔を浮かべている者は誰一人いなかった。
それも当然だ。
乾燥。
どこまで行っても乾燥。
入口にかかった簾も水分はとうに持っていかれたらしく、少し指で梳いただけでボロボロと崩れていく。
こんな環境にいて、寝心地など良いわけがない。
かさついた肌は少し掻くと、すぐに赤くなる。
この国に二人しかいない医師の片割れが言うには、この症状は「乾燥肌」と「ストレス」というのが主原因とのこと。因みにこの「ストレス」という言葉は、一か月前にこの国から遠く離れた緑豊かな王国「シェイルランド王国」の書物庫にあった古文から発見された比較的新しい医学用語らしい。元は「精神的軽度累積型不安症」などと長い名前だったので、短くなるのは非常にありがたいことだ。ただ、そういった時代の流れに遅れないよう、この国の医師も流行りに乗ってその病名を良く使い始めた、という噂を聞いてから、本当にこの症状に則しているかが不安でもある。
まさにストレス。
簾をくぐり、その先に歩を進める。
その先は小さな調理場と古びた長テーブルが一つ。そのテーブルに沿うように12個の木製の丸椅子が並んでいた。
そこを更に進み、その奥にある扉を開く。
少し扉が開いただけで、その隙間から風が流れ込んでくる。風だけならばいいのだが・・・厄介なのは風と一緒に飛んでくるものだ。彼女の古びた服をはためかせながら、何かが室内に流れ込んでくる。腕などにパチパチと音を立てながら当たってくるため、少しだけ痛い。
彼女は顔をしかめながら扉を閉め、ゆっくりと振り返る。
そこには風と一緒に室内に舞い込んだ、大量の砂が床に散っていた。
「はぁ・・・今日も強風。ゴーグルつけないと外に出るのは無理ね・・・」
何故、こういう環境にも関わらず玄関口と食事所を隣接した造りにしたのか――ため息を吐きつつ、少女は床の掃除に取り掛かった。
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「ふぁぁ~・・・、あれー? リーちゃん、罰当番?」
そんな声が背後からかけられたのは、扉を開けた際に室内に入ってきた砂を掃除し終え、箒を用具入れに戻していた時だった。
「んーん、ちょっとした私の不注意の後始末。それよりおはよう、シーフェ」
リーちゃんと呼ばれた黒髪の少女、リーテシア=アロンソは少し苦笑いをしつつ、寝起き眼の少女に答えた。
眠そうに目をこする少女は、シーフェ=リンドウ。彼女がこの国に来たときの第一印象として強かった、ふわふわしていた天然の髪の毛は、すでにこの土地の乾燥にやられ、今ではしなびたように見える。あの「ふわふわ感」が好きだったリーテシアにとっては大きな損失に感じた。もっともシーフェ自身はそんなに気にしてなさそうだが。
「朝弱いんだから、もう少し寝てたら? まだ仕事の時間まで少し余裕あるし・・・」
「うーん・・・・・・、どーしよ・・・」
リーテシアの提案に少し心が揺れたのか、人差し指を口元に当てて「うーん」と悩むシーフェ。
そして無意識なのか、特に意識した風もなく、空いた右手で左腕を掻いていた。
「シーフェ。あんまり掻くと、また赤くなって痛くなるよ?」
「あぅ・・・」
リーテシアの言葉にハッとし、慌てて右手をおろす。
彼女の左手には、掻いた軌道がそのまま赤いラインとして残っていた。
「これ・・・後でヒリヒリするんだよね・・・嫌だなぁ・・・」
「乾燥すると痒くなるから掻きたくなる気持ちはわかるけど・・・我慢しなきゃね」
「うん・・・ありがと、リーちゃん。えへへ・・・何だか目が覚めちゃった」
お礼をされるほどのことをしたわけでもないのだが、シーフェの笑顔を見ていると少し嬉しくなり、リーテシアは照れくさそうに笑顔で返した。
そんな会話に起こされたのか、奥の部屋から2人の子供が出てきた。
「ぺっぺっ!」
「あー、眠い・・・って何やってんだ?」
「いや・・・なんか口の中に砂が入ってたみたいだ・・・ぺっぺ!」
そんな二人の男子の会話に思い当たる節があるリーテシアは視線を逸らす
「ちょちょ! 私に向かってぺっぺしないでよ~・・・」
「へっ、文句は俺の口に入ってきた砂野郎に言え!」
「えええぇ~・・・」
シーフェに向かって口の砂を飛ばしているのが、子供の中ではここの一番の古株であるラミーだ。性格はとにかくうるさい。何かしら喋っていないと死んでしまうのではないか、と思ってしまうほど良く喋る。あまり女子が好まないことも平気でしてくる性格のため、ここの女子からは敬遠されがちである。
「そういうことは洗面所でやってよ」
「へーへー、黒髪様は堅苦しいこってー」
この土地では珍しい黒髪を馬鹿にした言い方に、少しだけリーテシアもムッとしたが、すぐに心を持ち直してその言葉を無視する。元はと言えば、砂の原因は自分にあるのだし・・・。
洗面所、といっても目と鼻の先にある調理場と兼用である。
向かったラミーを見送りながら、こちらに「おはよう」ともう一人の男子が挨拶をする。
こちらはラミーとよく一緒に行動する男子で、ネイク=トラスファーという名だ。周囲にもそれなりの気配りをするタイプなだけに、なぜラミーと共にするのかが謎な少年でもある。
ラミーの後を追う彼を見送り、リーテシアはふぅ、と息を吐く。
いつもと変わらない始まり、いつもと変わらない日常。
砂漠に面した国、アイリ王国。
その一画にある孤児院が、この場所である。
別にこの孤児院の子供らが嫌いなわけでもないし、シーフェは心の許せる親友だと思っている。
だが。
どうしても思ってしまうのだ。
この身の人生は、この国で、こんな生活で終えてしまっていいのか、と。
まだ12歳の子供が思うことではないし、人生はまだ何があるか分からない。
まだ見ぬ先に希望を持つのも大事なことだと思う。
しかし、この国に来て早5年。
たった5年だが、リーテシアにとっては生きてきた時間の約半分。
その時間で培った経験から、彼女はこの国に大きな不安を覚えた。ただ漠然と不安を覚えたのだ。
その根拠が明確に言葉にできないのが、今の彼女の限界かもしれない。
だからこそ、ただただ思う。
(私は――、この国を出たい)
初めての小説投稿です!
至らぬところばかりかもしれませんが、温かく見守っていただければ幸いですm( _ _ )m
投稿は仕事の関係上、結構まったり行くと思います。
今後とも宜しくお願いしますm( _ _ )m