風のゆくえ
二〇一七年。
「と、いうことがあったのさ」
「なんだよー、私も呼べよー」
「前にうちで言っただろ、俺は俺でちゃんと先のことを考えるからって。お前を呼んだらなんかこう……ずるい感じするし」
「かっこつけめ」
「悪かったな」
「土佐さん、そろそろお時間です」
「あ、はい。じゃあ、行ってきます。お願いしますユウジさん」
「ええ。ちゃんとお連れしますよ」
・・
俺は牧師さんが先に歩いていくのを見送ったあと、ゆっくりとサピエンティア大聖堂に足を踏み入れた。
両サイドの長椅子は人で埋まっており、静かに見守られている感じがどことなく恥ずかしい。
見知った顔もあった。
ナギちゃんはすっかり大人っぽくなった。ブルーのドレスと結い上げた髪がやたら似合う。
今では日本では知らない人はいない作家の一人で、スメラギコーポレーションの運営する投稿サイト「アカシックレコード」の小説部門の顧問をやってもらっている。
一方で、なにか秘密の仕事もしているらしい。少し心配な気もするけど、いわく「国も関わっているお仕事」らしいので大丈夫だろう。
ナギちゃんの傍には南雲さん一家がいた。
南雲さんはあれから二人の男の子が生まれ、家族四人で仲良く暮らしている。
謳歌学園にいた頃一騒動あった南雲パパさんとも完全に和解し、時々実家に帰っては大量のポテトサラダを作ってあげているそうだ。
ちなみにお腹には長女となる子供が宿っているが、三児の母になるとは思えないほど、五年前と変わらぬ美貌を保っている。
通路を挟んで反対側には、榊さんの姿が。
榊さんは還暦を迎えてもなお、まだまだ元気だった。
子供が生まれたことで南雲さんのことを完全に諦め、一時意気消沈していたが、なんとその後謳歌学園で知り合った二十代の女性と歳の差結婚。
時々謳歌学園内の事務所に顔を出してくるのだが、延々惚気話を聞かされて大変だ。
榊さんの前の席には、ソノカさんと桜庭先生。
二人は謳歌学園フェスの数日後、結婚した。
憧れの人ではあったけど、ソノカさんに釣り合う男になるには数年早かったし、その数年は一生埋まるものではないとなんとなくわかっていた。
それに相手が桜庭先生じゃ文句の言いようもない。合宿のあたりから思ってはいたけど、お似合いの二人だった。
視線を送ると頭を下げてきたのは、劇団大物計画の面々。
彼らはすっかり心を入れ替えて、再び真面目に活動している。
アカシックレコードにショートムービーを投稿して話題になり、団長を含む何人かは映画出演も決まったそうだ。
あの時のナユタの判断は正しかったらしい。
それからだるそうにしている木下と、びしっとスーツを着こなしている真鍋は、去年専門学校で組んだバンドでメジャーデビューが決定した。
謳歌学園フェスでの借りを返す意味も込めて、アカシックレコードもプロモーションに協力している。
大聖堂の隅では、タイニーアイランドのマスコットキャラであるニックが控えめに手を振っていた。
お前にも世話になったな。
そうこうしているうちに、俺は牧師さんの前にやってきた。
牧師さんは軽く会釈をし、口を開いた。
「これより新婦が入場します。入口の方へご注目ください」
その言葉を合図に、会場内に音楽が流れだす。
そして、大聖堂の扉が開かれた。
ゆっくりと二つの人影が入ってくる。最初は外からの光でよく見えなかったが、扉が閉められると、ステンドグラスから差し込む光が二人を照らした。
燕尾服のユウジさんと、それに寄り添って歩く花嫁姿のナユタ。
ゆっくりと花道を歩く二人を、俺を含め、大聖堂内にいる人たちが静かに見守る。
ナユタはあれから身長も少し伸びて、すっかり大人の女性になった。美しかった。本当に、俺にはもったいないくらいに。
二人が俺の前までやってくると、俺とユウジさんが互いに頭を下げる。ナユタの手を取ると、ユウジさんは微笑んで一歩下がった。
俺はナユタと並んで、牧師さんの前に立った。
讃美歌の斉唱と聖書の朗読があって、誓いの言葉へ。
「新郎ケンイチ。あなたはこの女性を、病める時も健やかなる時も、貧しい時も富める時も、妻として愛し、敬い、寄り添うことを誓いますか?」
重い言葉だった。だけどためらわずに答える。
「誓います」
牧師さんは頷き、ナユタへ視線を送る。
「新婦ナユタ。あなたはこの男性を、病める時も健やかなる時も、貧しい時も富める時も、夫として愛し、敬い、寄り添うことを誓いますか?」
「はい。誓います」
ナユタの声は、その日も変わらず澄んでいた。
・・
「だはーっ、疲れたー……」
去年引っ越したばかりのマンションに帰り着くと、ナユタはソファに突っ伏した。
かく言う俺も疲れ果てていた。
「盛大に祝ってくれたのは嬉しいけど、さすがに人と会いすぎて疲れたな……ココア飲む?」
「もむー」
くぐもった返事が聞こえてきたので、俺は苦笑しつつ、小さな鍋に牛乳を入れて温める。それからココアの粉の入ったカップに少し注ぎ、軽く練ってから残りの牛乳を注いだ。
「ほれ、できたぞ」
「んー」
リビングにカップを持っていくと、むくりとナユタが体を起こす。カップを受け取って、ちょこんとソファに腰かけた。見た目はすっかり大人の女性なのだが、その言動は昔とあまり変わっていない。
「じゃ、お疲れ様でしたということで、スコール」
「スコール」
俺たちはココアで乾杯をして、湯気の立つそれを啜る。
「少しはノルウェー語を覚えたようだな土佐ケン」
「まぁ度々聞いてるしな。あと土佐ケンって呼ぶな土佐ナユ」
「しょうがないだろう、呼び慣れてるんだから……あ」
「あ?」
横を向くと、ナユタがにんまりと笑っていた。
「な、なんだよ……」
「なあ土……ケンイチ。お前いつから私のこと好きになったんだ?」
「ええー、今それ聞く?」
「なんだー、恥ずかしいのかケンイチー」
「やかましいわ……んー、まぁでもあれかな、弟からお前の話を聞いた時かな。俺のためにあそこまでしてくれる人なんて、お前以外にはいないと思ったから」
「ふふん、私の作戦勝ちというわけだな!」
「作戦だったのかよ怖いわ……」
「言ってみたかっただけだ」
これである。
「じゃあもう一つ質問だ。第一回謳歌学園フェスの協議会のあと、こうしてココアを飲んだこと覚えてるか?」
「ああー……、そんなこともあったな」
「あの時私がノルウェー語でなんて言ったか、わかったか?」
「……今の今まですっかり忘れてた」
「この薄情もの! デュクシ!」
「おっふ、やめれ!」
脇腹を小突かれて、俺は慌ててカップをテーブルに置いた。
「なんだっけ……ふれみ……」
「“将来の旦那を紹介しなきゃな”って言ったんだ。まあ、パパは日本にいたのだが……」
「……お前、あの頃から結婚するつもりでいたのか?」
「もちろんだ。なんなら旅館で助けてもらった時から思ってたぞ。いやー、良かった甲斐性なしにならなくて」
「ギャンブラーすぎる」
「まあな」
ナユタの自信満々な態度に、俺はつい吹き出してしまう。ナユタも釣られて笑った。
「さて、私たちにはどんな未来が待っているのか……」
「未来のことは明日から考えることにして、もう寝ようぜ……。ココア飲んだら急激に眠くなってきた……」
「私もだ……」
俺はナユタからカップを取り上げてテーブルに置き、ソファのひじ掛けにかけてあった毛布を広げて、二人を覆った。
「……おやすみ、これからもよろしくな」
「んー……愛してるぞー……」
その日はそのまま、ソファで肩を並べて眠った。
・・
高校を辞めた日の夜。
誰もいない教室で荷物をまとめていた時のことをよく覚えている。
教室は蛍光灯で明るく照らされていて、遠くからは部活を終えて帰る生徒たちの声が聞こえていた。
俺は独りだった。
窓の外の闇のように、少し先の未来も見えずにいた。
だけどそれでも歩いていたら、色々な出会いがあって、色々な思い出ができた。
今でも未来のことはわからないけれど、一つだけ学んだのは、歩くことをやめちゃいけないということだ。
“犬も歩けば棒に当たる”ということわざには、「なにかをしようとすれば災難に遭うこともある」という意味と同時に、「出歩けば思わぬ幸運に出会うこともある」という意味もあるのだから。
To NOX:2045 - The Virtual Insanity
http://ncode.syosetu.com/n6128cv/




