誰かの願いが叶うころ その9
俺とニルスさんが絶句するのを見て、カップルはそそくさとどこかへ行ってしまった。
「“町はずれの廃工場にて待つ。警察に連絡したら人質は帰らないと思え”……嘘だろ……」
すぐそばでバターンという大きな音がしたので驚いて見ると、ニルスさんが棒のようになって倒れていた。
「ニ、ニルスさん!?」
「なんということだ……私がいながら……もうおしまいだ……」
「体は屈強なのにメンタル弱いのかこの人……ちょっとニルスさん、落ち着いてください」
「うう……これが落ち着いていられるか……」
「気持ちはわかりますけど、そうやって倒れてたってなにも解決しませんよ! 具体的にこれからどうするか考えないと!」
ぴくっと動いたかと思うと、ニルスさんはむくりと立ち上がった。
「それもそうだ。貴様、なかなか冷静だな」
「はあ、どうも……。ってそんなことはいいですから。とりあえず、一億円って用意できるもんなんですか?」
「ユウジ様に言えば用意できなくもないが……言ったら私はクビかもしれない……」
「ええ……」
この状況、いったいどうしたものか……。普通なら警察にすぐ言うべきだろうが、相手の素性がわからないだけに下手に動けないような気も……ん? 待てよ?
俺はもう一度脅迫状をしっかりと読み返す。
「どうした」
「ニルスさん、ここ見てください」
「“貴校の校長は我々が誘拐した”……私に精神的ダメージを与えたいのか?」
「違いますよ! もしなんの関係もない人だったら、あのナユタが校長だなんてどうしてわかるんですか? どう見てもただの留学生かなにかでしょう」
「……確かに。ということは、まさか生徒の誰かが?」
「可能性はありますね。最近はちょこちょこ一日入学のお客さんも来てますし、ナユタが校長だと知っている人は一定数いることになります。年契約の生徒の半数以上はフェスの運営に関わってますから、それなりに数は絞れますね」
「一人一人電話でもしてみます?」
「そんなことをしている暇はないだろう。……廃工場には心当たりがある。行くぞ」
「え!? 乗り込むんですか?」
「大丈夫だ。どうせ相手は素人だろう」
あなたはなんのプロだというのか。
「ほら、行くぞ」
「は、はあ……」
ニルスさんに促されて駐車場へ向かう途中、校舎でなにかが光った気がした。
・・
ライブの出番まで、残り二時間。
俺はニルスさんの車に乗り、町はずれの廃工場へとやってきた。休日ということもあってか、周囲の工場には人の気配は感じられない。なるほど、こういった取引にはぴったりの場所だ。
先を行くニルスさんが、解放された大扉の影から顔を覗かせる。
「どうですか?」
「……誰かいるな」
場を譲ってくれたので、俺も顔を出して中の様子を見る。工場の奥の方には放置された資材や機材があり、その上に複数の人影があった。
「薄暗くてよく見えないですね……」
「ああ。しかし相手が複数いるということは、やはり応援を呼ぶべきかもしれない……」
「ちょ、バトル前提の思考やめましょう。もしかしたらちゃんと話聞いてくれるかもしれませんし」
「ちゃんと話を聞いてくれるような相手なら、そもそも誘拐などしないだろう」
「うっ、確かに……」
ニルスさんは一度深呼吸をする。
「しかし多人数で押しかけては、犯人を刺激してしまうかもしれん。ここは私だけでなんとかする」
そう言って、ニルスさんは懐に手を入れてなにかを確かめた。なにを確かめたんだ。
「私の影に隠れていろよ」
「は、はい」
そう告げると、ニルスさんは堂々と姿を晒し、廃工場へと足を踏み入れた。
俺はニルスさんの背に隠れて歩く。侵入者に気づいたのか、廃工場内にざわざわと話声が響き始める。
そして廃工場の中ほどまで歩いたところで、ニルスさんが急に足を止めた。
「ど、どうしたんです?」
「お前たちは……!」
お前たち? どうやら突然撃たれたりするようなことはなさそうなので、ニルスさんの影からそっと顔をのぞかせた。
廃工場の資材や機材の上にいる人の顔が、うっすらとだが確認できる。
その顔に、俺は見覚えがあった。
「あ、あんたたち!」
「よーう、また会ったなお兄ちゃん。あの時はどうも」
「……だ、誰だったっけ!」
誘拐犯一同は、まるで喜劇のような身振りでずっこけた。
「入学式で会っただろ! 劇団大物計画だよ!」
……あー。




