迷子の子猫ちゃん、犬のおまわりさん その3
俺たちは旅館を出て少し歩いたところにある、“そば屋桂木”の暖簾をくぐった。
「いらっしゃ――あっれ、ケンちゃんじゃん!」
おやじさんが俺に気づいて素っ頓狂な声を上げる。
「どうも、お久しぶりです」
「どうしたのー! 東京の学校行ってたんじゃないの?」
「が、学校の合宿で近くに来たんで……」
嘘ではない。嘘ではないがなんとなく罪悪感があるのはなぜだ。
「へえー! じゃあ先生とクラスメイトかい? その金髪の子は留学生かな? 可愛いねー! まあ座って座って! 座敷が空いてるから!」
答えづらい質問を自分で流してくれて助かった。相変わらず滝のような勢いで喋る人だ。
俺たちは座敷に上がって、俺と榊さん、ナギちゃんと南雲さんに分かれてテーブルを挟んで座った。ナユタがなぜか上座に。校長だから間違ってはいないのだけど。
「さっ、何にします?」
おやじさんがお冷を持ってきて、怖いくらいの満面の笑みで注文を取る。
「何にする?」
「何が美味いのだ?」
「んー、基本なんでも美味いけど、定番はかけそばかな」
「ほうほう! じゃあそれで!」
「あ、私もそれで……」
「私カレー南蛮ー」
「私はざるそばをいただこうかな」
「あ、俺もざるで」
「はいよー! かけ二、ざる二、カレー南蛮いっちょーう!」
「あいよー!」
厨房から元気な返事が返ってくる。この店の従業員さんはみんな声がでかい。
「じゃ、ちょっと待っててな!」
おやじさんはそう言い残し、厨房へ小走りで入っていった。
「元気な人だね……」
「うるさかったらごめん……」
「あ、ううん。全然そんなことないんだけど」
ナギちゃんは慌てて手を振るが、実際うるさいっちゃうるさい。でも俺は元気で良かったと思う。
親父さん、三年くらい前に奥さんを亡くしてるんだよな。それでもあれだけ元気に店を切り盛りしてるんだから、本当に凄い。いつまでも元気でいてほしい。
しばらくの間この後どうするーとか、近くに面白いものはないのかーみたいな話をしていると、おやじさんが戻ってきた。
「おおー!」
「えっ……」
「すごーい」
「なんと」
両手と、頭の上にお盆を乗せて。さすがにみんな驚くか。俺も小さい頃はこの無駄な曲芸に大喜びだった。おやじさんは両手のお盆をテーブルに置き、最後にカレー南蛮の載ったお盆を下ろした。それぞれの前に注文の品を並べて、
「ごゆっくり!」
とさわやかに言ってまた厨房へ帰っていった。
一同が唖然とする中、ナユタがどんぶりを持ち上げてそばを観察する。
「これがそばか……ラーメンとは違うのか?」
「まあ同じようなもんだよ」
実際は全然違うのだが、かけそばに関してはつゆに麺が入っているという点で同じようなものだろう。なんて言うと本格的なそば好きの人に怒られかねない。
ナユタは割りばしを割って、手を合わせる。
「い、いただきます」
麺をすくって、恐る恐る啜った。
「こ、これは……! んまい!」
ナユタを見て、ナギちゃんと南雲さんもそばを啜る。二人とも小さく唸って、あとは黙々と麺を啜った。自分が作ったわけでもないのにちょっと得意になってしまう。
「あ、榊さん。最初は薬味を使わないで食べてみてください」
「ほう」
榊さんは手にしたワサビの小瓶を置いて、そのまま麺をつゆにつけて啜る。
「おお……良い香りだ」
「ですよね。いただきます」
俺も割りばしを割って、久しぶりにおやじさんのそばを啜る。
うん。やっぱり美味しい。鼻に抜ける香ばしい匂いと程良いコシ、そして喉越し。東京のチェーン店じゃ食べられない味だ。俺も結局話すことを忘れて、最後まで夢中でそばを啜った。
「ご馳走さまでしたー! とても美味しかったです!」
「嬉しいねえ、またおいで!」
良い声を持つ者同士、ナユタとおやじさんは波長が合うようだ。
「ケンちゃんも、またいつでも食べにきな!」
「次に食べに来る時まで、店潰さないでくださいよ」
「あったりまえよ! ケンちゃんの子供に俺のそば食わせるまでは潰さないね!」
「何言ってるんですか……」
「がははは!」
おやじさんは豪快に笑った。
俺たちは会計を済ませて、そば屋桂木を後にする。




