ある雨の日 その3
最終下校時刻になって、俺たちは図書室を出た。
鍵を閉めて職員室に帰り、桜庭先生たちに軽く挨拶をして昇降口へ向かう。
「雨止まないね」
「っていうか、朝より酷くなってるんじゃないかこれ……」
昇降口の窓からは、照明に照らされた雨に煙るグラウンドが見えた。
「ナギちゃん大丈夫? 駅まで送っていこうか?」
「えっ、う、うん。あ、いや、大丈夫!」
「あはは、どっち?」
などと笑いながら靴を履き、俺は傘立てから傘を抜こうとして――
「……」
「どうしたの?」
俺は無言で傘立てを指さした。ナギちゃんが横から覗き込む。
“お前のカサをいただいたぞ土佐ケン( ^ω^) ナユタ”
と書かれた付箋が、傘立てに貼ってあった。
「……送っていこうか?」
「ごめん、お願い……」
・・
は、図らずも相合傘をしている……。
今思えば職員室に貸し出し用の傘があったかもしれないが、こんな幸福を逃してたまるか。
俺が持つ少し小さめの傘の下、俺たちはほとんど密着するようにして歩いていた。
「土佐君、濡れてない? もっとそっちにしていいよ」
「いやいや、送ってもらってるのに悪いし……」
「でも濡れちゃったら送ってる意味ないよ?」
「あ、いやその……。ちょっとはかっこつけさせて……」
「ぷっ……」
「わ、笑うことないじゃん! 恥ずかしいわ!」
「ご、ごめん……ぶふっ……」
なんだか知らないがナギちゃんのツボに入ってしまったようだ。その辺のマンホールに入りたい。
「あ、もうここでいいや……」
「あ、そ、そう? 本当に近いんだね」
「うん。あのアパートだから……」
「へえー……。うん。それじゃ、また明日ね」
「う、うん! またねー!」
言いながら、俺は雨の中を駆け抜けた。ナギちゃんの顔はとてもじゃないが見れなかった。
・・
「ひー、ものの数秒だってのにびしょ濡れだ……」
俺は自室に駆け込み、風呂の近くに積んであったバスタオルで体を拭く。そうしていると、玄関に置かれた傘が目に入った。
「ん?」
これは俺の傘だ。ナユタが持っていったはず。
……またお手伝いさんたちに頼んで勝手に入っていったのか……。
まぁいい、傘を取りに行く手間が省けたし、今回は見て見ぬふりをしてやろう。
俺はタオルを洗濯カゴに放り込み、キッチンを抜けて部屋に入った。
入った。
「……何してんだおい」
「うーん、うーん……」
部屋は明かりがついており、見下ろすとナユタが布団に入って唸っていた。
俺は競歩のような速度で枕元まで行ってしゃがみ、ナユタの頬をぺちぺちと叩く。
「おい」
「う、うーん……プリン……」
「プリンじゃなくて」
「……ゼリー」
「リクエストを聞いてるわけでもなくて。一体ここで何をしているのかな?」
「病気療養」
「自室でやってはどうだろうか」
「か、鍵をなくした」
「俺の部屋の鍵は持っているのにか」
「お手伝いさんに作ってもらった」
「通報しますねー」
「うわあ、待て待て!」
ナユタは飛び起きて俺のスマホをひったくる。
「何も通報すること――ばっしゅ!」
「……」
本日二回目のナユタの拡散粒子砲を浴び、俺はうなだれた。
「もういい、わかったよ……。ニルスさんは?」
「丁度一昨日から報告のためにノルウェーに帰っているのだ……」
「他のお手伝いさんは?」
「ニルス以外のお手伝いさんを部屋に上げるくらいなら、土佐ケンの汗臭い布団の方がマシだ」
「……そのまま布団で巻いて部屋に運んでやろうか」
「寂しいのだー、ちょっとくらい優しくしてくれてもいいだろうー」
ナユタはほろほろと泣きながら、俺の襟をつかんでがくがくと揺さぶってくる。
「わ、わかったわかった。最初からそう言えっての……」
「いいのか!」
「急に元気だな」
「ゴッホゴッホ」
「画家の名前を二回繰り返されても……咳のふりするならもうちょっと上手くやれ……」
「ほ、本当に体調は悪いのだ」
「まあ、見ればわかるけどさ……熱は計ったか?」
「体温計など持っていない」
「馬鹿は風邪引かないもんな」
「馬鹿って言うな馬鹿って!」
俺は怒って腕を振り回すナユタの頭を片手で抑えながら、薬箱を開いて体温計を取り出す。
「ほれ、一応計っとけ。触った感じ熱ありそうだけど」
「す、すまん……」
ナユタはシャツの第一ボタンを外し、体温計を入れる。ちょ、ちょっとなんかやらしいな。一応顔を背けておく。
「夕飯は?」
「食べてない」
「しょうがないな……」
俺は立ち上がり、台所へと向かう。
「何か作ってくれるのか!」
「おかゆでいいか?」
「おお……! いいですとも……!」
それはパワーをメテオに注ぐ時の台詞だ。
炊飯器に残っていたご飯を使って、簡単な卵粥を作る。俺も風邪を引いた時はよく母さんが作ってくれたもんだ。
茶碗によそってネギを散らし、部屋に戻る。
「熱は?」
「三七・五度だった」
「ガチで風邪引いてる……」
「だから体調悪いと言っておろうに!」
「はいはい。ほら」
俺は折りたたみのテーブルを布団の横に出して、湯気の立つ茶碗を置いた。
「おお、美味そうだ……」
「俺飲み物買ってくるから、食べてろよ」
「食べさせてくれ」
「……」
俺はもういちいち抵抗することを諦めた。レンゲで茶碗から一口分をすくって、口元に運ぶ。
「あー、む」
幸せそうな顔でもぐもぐと咀嚼しているのを見るのは、まあそんなに悪い気はしない。
「美味い!」
「そりゃ良かった。味薄かったら醤油かけるけど」
「そのままで大丈夫だ。あーん」
「はいはい」
以前の抱き枕事件の時と同じように、親戚の子をあやす要領でナユタの世話をする。
某電解質飲料を買ってきて飲ませ、額には冷却シートを貼った。風邪薬も飲ませた。これで安静にしてれば、明日には多少良くなってるだろう。




