ある雨の日 その2
「土佐君」
「ん、わかってるって」
ナギちゃんに声をかけられて、俺は席を立った。
「なんだー。また図書当番か」
ランドセルにテキストをしまいながら、ナユタが不満げな声を上げる。
「仕方ないだろ、図書委員二人なんだから……」
「それに今日、榊さんも南雲さんもいないもんね」
「むー。しかし練習も大事だろう! 文化祭は刻一刻と迫ってきているのだぞ!」
「そりゃそうだけどさ……」
ナユタは俺とナギちゃんの困った様子を見て、仕方なさそうにため息をついた。
「わかったわかった。何か考えよう」
そう言うと、無駄にスタイリッシュな動作でランドセルを背負い、トボトボと教室を出ていくのであった。
「――しょうがない、合宿――」
去り際に何か不穏な呟きが聞こえた気がしたが、俺は聞かなかったことにした。
・・
鍵を開けて図書室に入ると、タイニーアイランドの書庫に似た本の匂いが漂っていた。
予算の都合か、それともナユタの好みにあったのか、図書室にはナユタコーポレーションの手が入っていないらしい。中学生向けの児童文学や絵本、図鑑や漫画なんかが、おそらくそのままの状態で残っている。
俺とナギちゃんはいつも通り、図書室の隅にあるカウンターに入って椅子に座り、それぞれの鞄から文庫本を取り出した。
ここ最近、図書室にいる時はナギちゃんに勧められたライトノベルを読んでいる。
正直活字にはちょっと抵抗があって、本と言えば普段は漫画ばかり読んでいる俺だが、ライトノベルはとても読みやすかった。主人公がバイクに乗って旅をする話なのだが、一話一話が適度な長さで終わってくれるのが助かる。
俺はしおり(これもナギちゃんから借りたものだ)の挟まっているページを開いて、無言で続きを読みだした。視界の端でナギちゃんも同じように読書を始める。
雨の音が心地良いBGMになって、なんとも言えない癒しを感じるな。
春の頃は会って間もないこともあって、誰もいない図書室で二人きりなのはちょっと気まずかった。けれど二か月もほとんど毎日一緒に過ごしていると、こうして特に何も話さなくても気にならない。
俺たちはしばらく、放課後の読書を楽しんだ。
少しして、ナギちゃんが大きなため息とともに本を閉じた。
「面白かった?」
「うん……すっごく面白かった」
見ると、何やらハサミのようなモチーフが描かれた表紙だった。
「どんな本なの?」
「ミステリーだね。推理小説って言うのかな」
「へえー、俺にはハードルが高そうだ……」
「ちょっとね。ミステリーって序盤は結構淡々としてるから……」
ナギちゃんは表紙を撫でながら、少し困ったような笑みを浮かべていた。
「いつか俺も読んでみたいなー」
「活字に慣れてきたら、読んでみて。貸してあげる」
「ん、ありがとう」
俺が笑いかけると、ナギちゃんも笑みを返してくれる。そして、驚くべきことにまた鞄から別の文庫本を取り出した。
「凄いね、まだ読むんだ……」
「う、うん……活字中毒みたいなところがあって……。何もすることがない時は、何か読んでないと落ち着かないの」
「うーん、それもある意味才能だよなぁ……」
ふとページ数を見ると、数十分でしおりを挟んでいたところから十ページくらいしか進んでいなかった。
「才能、か……」
「ん?」
俺が何気なくはなった言葉を、ナギちゃんが反芻するようにつぶやく。
ナギちゃんは窓の方に顔を向けて、雨が降る外の景色を眺めていた。窓ガラス越しに見るその顔には、どこか静かな意志が宿っているようだった。
「……土佐君は、なんで話しかけてくれたの?」
唐突なその質問が、いったいどの時点を指しているのかわからず、俺は首をかしげた。
「オープンキャンパスの時。体験授業の教室で」
ナギちゃんは俺の思考を読んだように、時間と場所を口にした。
「ああ、あの時ね……」
正直な話をすれば、体育館で見た時に可愛い子だなと思ったから、なのだが……。
「歳が近そうだったし、ほら、俺もぼっちだったからさ」
「そっか。……私ね」
ナギちゃんは外を眺めたままで言う。
「凄く、嬉しかった」
突然漂いだしたシリアスな雰囲気に、俺はちょっとなんて言ったらいいかわからなかった。
「私、前の高校で孤立してたの」
「え、孤立……?」
ナギちゃんが頷いて、髪が揺れる。
「本が好きだから、いつも本ばかり読んでたんだ。中学の時はそれでも声をかけてきてくれる人がいて、友だちができたの。だから友だちは何もしなくても勝手にできるものだと思ってた。だけど高校に入って、いつものように本ばかり読んでいたら、いつの間にか完全に孤立しちゃって」
「あー……」
それは辛い。別に悪意が無くても、自然とそうなってしまうことも確かにあるよな。
「それだけならまだ良かったんだけどね。段々孤立が迫害になっていって……。どんな状況でも、私が独りになるような空気になっていったの。そんなこと初めてだったから、凄くショックで……。ただでさえ学校に行くより家に籠って本を読んでいるのが好きな人間だったから、学校にも行かなくなっちゃって、結局辞めちゃった」
「そっか……」
高校を辞めて謳歌学園に入ったんだ。俺と同じように何か訳ありなんだろうとは思ってたけど、そういうことだったのか。
「だからね……土佐君が声をかけてきてくれた時、私は絶対この人と友だちになろうって思ったんだ。今度は待つだけじゃなくて、自分から友だちになっていこうって」
「だから校庭で俺に声かけてくれたんだ」
「うん。凄く、緊張したんだよ」
窓ガラスに映るナギちゃんが、恥ずかしそうにはにかむ。
「だけどこうやって、土佐君は本の話ができる友だちになってくれた。だからその……」
ナギちゃんはゆっくりと椅子を回転させて、ようやくこっちを向いてくれた。
「本当に、ありがとう。これからも友だちでいてね」
頬を赤く染めてナギちゃんがそんなことを言うもんだから、なんだかこっちまで恥ずかしくなってきてしまった。
「お、おう。こちらこそ」
これである。視線を本に落として、ぼそぼそと言うことしかできなかった。




