修羅場 その4
数日後の夕方。
「こちら土佐、あの人で間違いないですか」
『……うん、パパだよ』
ニルスさんに借りたインカムから南雲さんの声が聞こえて、俺は深呼吸をした。
チラシを配る振りをしながら、通りの向こうから信号を渡ってくるYシャツ姿の中年男性を確認する。
正直言って、南雲さんのお父さんとは思えない、真面目な印象のサラリーマンだった。髪はきっちり七三分けで、口は真一文字に結ばれている。
心なしか表情が苦々しいのは、俺たちが……いや、榊さんが用意したシチュエーションのせいだろう。
客引きの経験なんてなかったので心臓がばくばくと脈打っていたが、南雲パパさんが信号を渡り切ったところで思い切って声をかけた。
「こんばんは! ビアガーデン開店したのでよろしければどうぞ!」
俺がチラシを差し出しながら声をかけると、南雲パパさんは足を止め、チラシをじっと見た。
「……ここの屋上ですか、新しくオープンしたビアガーデンというのは」
「はい、そうです。ご案内しましょうか?」
「お願いします」
どこか険しい顔で軽く頭を下げてきた。どうやら作戦通りのようだ。南雲パパさんには申し訳ないが。
店内に入ると二人でエレベーターに乗り込み、屋上へと向かう。途中、咳払いをして屋上で待つみんなに合図を送った。
エレベーターが屋上に到着し、扉が開く。すでにお客さんがかなり入っていて、ほとんど席は埋まっていた。
俺はなんとか空いている席を見つけると、南雲パパさんを案内する。
「ご注文は?」
「あ、ええと……」
南雲パパさんは慌ててメニューを開く。
「生ビールと……枝豆を」
「生ビールと枝豆ですね。ポテトサラダがおすすめですがご一緒にどうですか?」
注文をメモしながら放った言葉に、南雲パパさんが小さな動揺を見せる。
「それも、お願いします」
「ありがとうございます、少々お待ちくださいー」
俺は頭を下げると、屋上の隅にある仮設の厨房へと入る。
「ここまで予定通りです」
「よくやった土佐ケン!」
厨房の中にはエプロンに三角巾姿のナユタたちがいて、慌ただしく注文されたおつまみを準備していた。なんと榊さんまで手伝いをしており、事情を知らない社員さんたちは困惑顔だ。
「よし、南雲さん準備はいいですかな?」
「う、うん……」
南雲さんは緊張した様子でポテトサラダが盛られた皿をお盆に載せる。そこに、ナギちゃんが横からビールと枝豆を載せた。
「頑張ってください」
ナギちゃんに背を押されるようにして、南雲さんは厨房を出ていく。
・・
時間を置いて、俺もホールに出た。ビアガーデンのバイトをこなしつつ、南雲さんの様子をうかがう。
少しためらっていたのか、今になってようやく南雲パパさんの席へたどり着いたようだ。
『ご注文のビール、枝豆、ポテトサラダです……』
インカムから聞こえてきたのは、普段の南雲さんからは考えられないような小さな声だった。
俺は空の食器を載せたお盆を持ったまま、二人の様子に見入ってしまう。南雲パパさんは驚いた様子で南雲さんを見ていた。
『ミキ……』
ノイズ混じりだったが、南雲パパさんの声をマイクがかすかに拾っていた。
『座りなさい』
『はい……』
本来ならバイト中なのでそういうわけにもいかないのだが、榊さん権限があるので問題ない。
南雲さんはお盆をテーブルに置き、南雲パパさんの対面に座った。南雲さんはうつむいている。やはり顔を見ることはできないようだ。
俺が一旦食器を厨房に持っていく途中、数分の沈黙を破って南雲パパさんの声がした。
『……母さんから聞いたよ。サトル君、リストラされたんだって?』
サトルさんとは南雲さんの旦那さんである。リストラされてなどいない。
“サトルさんがリストラされてお金に困り、ビアガーデンで働くことになった”という設定で、南雲さんが南雲ママさんに相談したのだ。そうすれば自然と南雲パパさんにも話が伝わり、心配になって様子を見に来るだろうという榊さんの作戦である。
『ミキ、戻ってきてもいいんだぞ。やはり若すぎたんだよ』
『っ……そんなことないよ……』
あれ? 俺は慌てて厨房に駆け込み、みんなと顔を見合わせる。
「すぐにネタばらしして謝るはずじゃ?」
「むう、これはまずいかもしれない。おそらくパパさんの発言に南雲さんがムッとしてしまったんだろう」
榊さんが犯人を取り逃がした探偵のようなポーズで言う。
「ど、どうしよう……」
「どうするもなにも、見守るしかあるまい」
ナギちゃんに対するナユタの言葉のあと、一瞬間をおいて、俺たち四人は一斉に厨房の窓へと駆け寄った。お客さんが多くてちょっと見づらかったが、なんとか二人の姿を確認できる。
「……あの、仕事してくれませんかね……」
「社長権限だ!」
「あ、はい……」
榊さんの容赦ない一言。社員さんごめん。
『リストラされたっていうの、嘘だから。サトル君はちゃんと働いてくれてるよ』
『……嘘? 嘘ってどういうことだ』
『その……きっかけが欲しくて……』
『なんの?』
『……パパと、もう一度話すきっかけ……』
よ、よし。なんとか方向修正できたようだ。
これで南雲パパさんも落ち着きを……ん?
『そんなことのために、わざわざこんな茶番を用意したのか』
『え……?』
おっと?
『ミキ。パパとママがどれほど心配したと思ってるんだ。私は、こんな騙すようなことをしてお前と仲直りしたくはなかったよ』
『騙すって……!』
「榊さん!?」
「ご、ごめん」
くそっ、榊さんを責めてもしょうがないか……。
しかし、遠くて顔ははっきりと見えないが、インカム越しでも南雲さんが泣きそうになっているのがわかる。それは単純にこの作戦を咎められたという理由だけでなく、みんなで考えたことを否定された悔しさもあるのだろう。
『騙すなんて言わないでよ! みんなが頑張って考えてくれたのに!』
『みんな? みんなってどういうことだ』
普段の穏やかな南雲さんはどこへやら。一見大人に見えても、父親の前となればやはり甘えたくなるのだろうか。
「……榊さん、もうこうなったら仕方ないですよ」
榊さんは神妙な表情で三角巾を取り、ゆっくりと頷いた。




