修羅場 その1
「おはよー……」
「おはっ、おはよう……」
ゴールデンウィーク明け。教室に入って声をかけると、ナギちゃんが裏返った声で挨拶を返してくれた。
慌てて何かを隠したようだ。
「どうしたの?」
「う、ううん。なんでもない」
「そう?」
女の子の秘密をしつこく追及するのは紳士的ではないしな。俺は大人しく自分の席に腰を下ろした。
ナギちゃんは何かをしまった鞄の中から文庫本を取り出し、一瞬にして読書モードに切り替わった。
「おはよう」
教室の入り口から(見た目だけは)紳士が現れた。いつも最悪のタイミングで現れる榊さんだが、今回ばかりは助かった。二人きりでいるのはまだちょっと気まずい。俺とナギちゃんは挨拶を返す。
「君たちはいつも早いね」
「まあ、俺は近いので……」
「へえ、土佐君は近くに住んでいるのか。今度遊びに行ってもいいかな?」
「嫌です」
「そんな即答しなくても……」
しょぼんとする榊さんを見て、俺は溜め息をついた。
「……榊さんちょっといいですか」
「ん?」
俺は榊さんを教室から連れだし、階段の踊り場まで連れてきた。
「土佐君……私は異性にしか興味がないんだ」
「さすがに殴っていいですか」
「じょ、冗談に決まってるじゃないか。土佐君目が怖い」
「はあ……。これ、受け取ってください」
「ラブ――」
「それ以上言ったら口を縫い合わせますよ」
「すいませんでした……。……ん、お金?」
榊さんは陳謝しながら封筒の中身を確認した。
「タイニーアイランドのチケット代です。給料が入ったので」
「返してもらうという話は無かったと思うが……それに多いじゃないか」
「ナユタとナギちゃんの分も。貸しを作ったままだと遠慮なくツッコめませんから」
「土佐君……」
「目を輝かせないでください気持ち悪いです。あと、このことは二人には……」
「……わかった。黙っていよう。これは男の約束だ」
「ありがとうございます」
俺は頭を下げた。やはり騙してお金を払わせたままでは寝覚めが悪い。これで胸のつかえも取れた。
俺と榊さんが教室に戻ると、南雲さんがいつの間にか登校していた。
「ねーねー何読んでるのー?」
「……」
「何か面白い本あったら貸してー」
「……」
わー、ナギちゃんの「静かに本を読ませて」という叫びが聞こえてくる。南雲さんは単にナギちゃんと仲良く話したいだけなんだろうけど……人間とは難儀な生き物だ。
・・
今日の授業は、山田先生の恐怖映像鑑賞と、マイケルの英語の勉強の付き合いがメインだった。
前者はともかく後者はどうなんだ。給料をくれ。
「ねえねえ、このあとみんなで練習していかない?」
ホームルームを終えて一同が帰り支度をしていると、南雲さんがそんなことを言い出した。
「お、バンドのか?」
「うん、時間があったら」
「私はやるぞ!」
遅刻ギリギリの時間まで寝ていたらしいナユタは、今日もハツラツとしていた。
「ん? バンドとは?」
「あ、そうか榊さんはあの時いなかったですもんね。音楽の授業で、文化祭に向けてバンドをやることになったんです」
「ほほう。それで私の楽器は?」
「あー……」
一同は沈黙した。
「私だけ、仲間外れだと……?」
「いや、そういうわけじゃなくてですね……。ちなみに何か楽器できるんですか?」
「たて笛」
リコーダーと言わないあたりに年代を感じるし、何か意味深に思えるのは俺だけか……。
「たて笛のあるバンドってあんまり聞いたことないですし、それに榊さん、忙しくてあまり練習に参加できないんじゃ……」
「うっ、確かにそうだな……しかし私も仲間に入れてほしい……」
「ううーん……。じゃあ、プロデューサーはどうですか?」
「プロデューサー?」
「どんな方向性のバンドにするかを決めたり、自分たちの演奏を見てアドバイスをしたりする人です。これならたまに来た時にでもできるんじゃないですか?」
「なるほど! ありがとう土佐君!」
「グッドアイデアだ土佐ケン」
「うん、良いと思う」
榊さんの熱烈なハンドシェイクは若干不快だったが、ナユタのサムズアップとナギちゃんからのお褒めの言葉を頂けたので良しとしよう。
・・
「さあ、演奏してみたまえ」
どこから取り出したのか、榊さんはサングラスをかけ、セーターを首に巻いて良い声で言った。
プロデューサー像も古い。
「んー、じゃあ練習してる曲やってみようか……」
「よっしゃー!」
俺たちはそれぞれ楽器やスティックを手に取り、それっぽい立ち位置へと並んだ。
「いくぞー! わんつー!」
ナユタの盛大に走ったカウントに、俺は慌てて演奏を開始した。
バンドをやることになった最初の放課後から比べて、ある程度演奏っぽくはなっていた。
しかし、まだまだ人前で披露できるレベルではないことは俺でもわかる。
特に致命的なのがリズム隊で、走り気味のナユタのドラムともたり気味のナギちゃんのベースが、見事にかみ合っていない。
仕方ないので俺は比較的リズムが安定しているナギちゃんのベースに寄せようとするが、そうするとナユタのドラムがアホみたいに突っ走っていってしまう。どちらにも気を遣いながら演奏している俺も、結果的にリズムがよれよれになってしまう。
一応最後まで演奏しきったものの、やはりまだ課題は多い。
榊さんは険しい顔で頷いた。
「とまぁ、まだこんなもんなんですが……」
「……ブラボー……」
「え?」
「ブラボー……!」
榊さんは表情はそのままに、涙を流して拍手をし始めた。
「なんて素晴らしい歌声なんだ……」
あ、そういえば南雲さんの歌聴くのも初めてでしたね。それにしたって泣くことはないだろう。せめてもうちょっと演奏が完成してから泣いてくれ。




