さざなみ その1
四月はバイトに授業にバンドの練習、突発的に部屋に乗り込んでくるナユタの相手で目まぐるしく過ぎていき、あっという間に五月が迫ってきていた。
高卒認定試験の出願も済ませて一息ついていたある日の昼休み、
「ねーねー、みんなはゴールデンウィーク何するのー?」
南雲さんがそんなことを言いだした。
「ゴールデンウィークですか……多分、家で勉強か読書を」
「えー、ナギちゃん地味ー」
「くっ……」
仲が悪そうに見える二人だが、バンドの練習もあって、これでも打ち解けてきた方である。
「んー、私は特に何も考えていないぞ」
言いながら、ナユタは遠くを見つめてタコさんウィンナーを咀嚼している。本当に何も考えていないようだ。
「俺も何も考えてないけど、多分バイトかな……。稼げるときに稼がないと……」
「んー、土佐君疲れてない?」
「平日は授業とバンドの練習、土日はバイトで休みなくて……」
「それじゃあ明日もアルバイトなんだねー。どれどれー」
南雲さんが箸を置いて、俺の後ろに回り込んできた。
「ちょ、何を?」
「マッサージ、してあげる……」
「ふわあ耳元で囁かないで!」
ナギちゃんの視線が痛いが、南雲さんはお構いなしに俺の肩を触り始めた。
「あー、ほんとだ。若いのに凝ってる」
「ま、まあ……バイトが結構力仕事なんで」
「お姉さんに任せなさい。じゃあまずは軽擦からねー」
南雲さんは俺の肩を優しく擦るように撫でていく。
「ほら、もう温かくなってきたでしょ?」
「そ、そうですね」
半分以上が女の人に触られるという恥ずかしさのせいだろうけど。
「軽く揉んでー……叩打法に入りまーす」
はあああなんだこれただの肩叩きじゃない。ポコポコと軽く叩かれたり、手刀で切るように叩かれたり、合わせた手でパンパンと叩かれたり……。美容院とかでやってもらう奴だこれ……。
「どうですかー?」
「き、気持ち良いです……」
「うふふー、そうでしょー」
マッサージは背中や頭まで及び、最終的に俺はふにゃふにゃになって机に突っ伏した。プロの技恐るべし……。
「また癒されたくなったらいつでも言ってねー」
「は、はい……」
「で、ゴールデンウィークなんだけど……みんなでタイニーアイランド行かない?」
「行きたい!」
脊髄反射で喰いついたナユタはさておき、東京タイニーアイランドとは。
東京という名が付きながら実質千葉にあるテーマパークで、コミカルなキャラクターや様々なアトラクションが、開業から数十年経った今でも来園者を楽しませている。突っ伏したままで失礼。
「行きたい行きたい!」
ナユタは腕をぶんぶん振って目を輝かせている。
「私もちょっと、行ってみたいかも……」
「でしょー?」
ナギちゃんまで……やはり女の子は夢の島が好きなのか。
「タイニーアイランドか……」
「土佐君は行きたくないのー?」
「何だ土佐ケン、行かないというのか!」
「うーん……」
俺はようやく身を起こし、腕を組んで唸った。
正直行きたくないわけではない。こんな美女たちのお供ができるなら尚更だ。
しかし……金がない。いくら近いとはいえ一日で一万くらいは飛ぶだろう。不可能ではないが、それは今の俺には痛すぎる出費だった。
「ちょっと考えさせてください」
「うん、わかったー。でもなるべく早く決めてね。日程も決めなきゃいけないし」
「なるべく、来週の月曜日までには……」
「あ、あと榊さんも誘ってあげなきゃ」
南雲さんがいらないことに気付いて、行きたかった気持ちが五割カットされた。
それにしても、榊さんは全然学校に来なかった。週に一日、二日程度といったところか。
「榊さん忙しそうですけど……」
「そうなのよねー。今度学校に来たら聞いてみましょう」
「そうですね……」
ちっ。
・・
土曜の早朝。俺は野菜をひたすらカットしながら悩んでいた。
ああは言ったものの……実際金の問題を解決しなければどうにもならない。ゴールデンウィークの空いてる日に全部シフトを入れたとしても、給料が出るのは休みが終わってからだ。
「あ、みんなちょっといい?」
作業場に入ってきた売り場責任者の山田さんの声で、一時的に作業が中断する。一か八か前借りできないか聞いてみるか……。
「今日社長が視察に来るらしいから、いつもより気合い入れて仕事してね」
「えっ、社長?」
「そうそう。現場主義の結構厳しい人だから、手抜いてると怒られるよ」
「そうなんですか……気を付けます」
「よろしくー」
山田さんはそれだけ言うと、スタスタとどこかへ行ってしまった。
それにしてもスーパーの青果コーナーにまで社長直々の視察が入るのか……。普段手を抜いているわけではないけど、いつもより意識して仕事しよう。
商品の加工が終わって品出しにかかろうとした時、スーツを着た一団がぞろぞろとやってきた。
「次は青果コーナーです」
「うむ」
部下らしき男に促されて入ってきたのは、
「……」
「……」
まさかの榊さんだった。目が合ってしまい、お互いに気まずい空気が流れる。
「……や、やあ。お疲れ様」
「あ、どうも……」
阿吽の呼吸で素知らぬ振りをすることになった。
入学式の時のテロリスト役とのやりとりや、最近の忙しそうな雰囲気から、なんとなく結構稼いでる人なのかなーとは思っていたが……。
この変態紳士の企業の末端で働いていると思うと、なんとも言えない敗北感に襲われる。
「どうですか、青果コーナーの状況は」
「ちょっと厳しい状況ですね。というのも――」
山田さんと話している最中にチラチラこっちをうかがうのやめてください榊さん。それ凄い重要な話でしょ。ちゃんと聞いてあげて。
・・
「ふう」
一通り品出しの仕事が終わった。途中から榊さんを完全にスルーしていたので、いつの間にかいなくなっていたことに気が付かなかった。何事もなく帰ってくれて助かった……。
仕事の片付けをしていると、山田さんが慌ててやってきた。
「あれ、どうしたんですか?」
「土佐君、君なんかしたの?」
「え、なんでです?」
「社長直々の呼び出しだよ……。すぐ屋上に行ってくれる?」
うわ、社長の肩書きを使っての呼び出し。死ぬほど断りたいが断れない。
「わかりました……」
「今日はもうあがっていいから……。頑張って」
切ない顔をした山田さんに肩を叩かれるが、あの変態紳士相手に一体何を頑張れというのか。




