スタート その4
「ふうー……」
教室が解散ムードになる中、椅子にもたれて深い溜め息をついていると、
「疲れたね」
ナギちゃんが帰り支度をしながら呟いた。
「疲れたね……まだ会ってない先生たちがどんななのか不安でしょうがないよ」
「うぷっ……そ、そうだね」
ナギちゃんの気持ち悪い笑いも、あの先生たちに比べたら可愛いものだ……。
・・
なんとなくあの五人で固まって校門まで来てしまった。
「じゃ、またねー」
南雲さんが一足先に手を振りながら帰っていく。榊さんが切ない顔をしている。
「じゃあ、解散しますか」
「う、うん。また明日」
「ああ、私は数日学校には来れないんだけどね」
「よっ――」
「よっ?」
「よ……よっ、仕事人!」
あ、危ない。思わず喜びの声が口から漏れてしまうところだった。
「はは……それじゃ、これで」
ん? 榊さんがさらに切ない顔になった気がしたが、すぐに駅の方に歩いて行ってしまった。
「それじゃ、私も帰るね」
「あ、うん。ナギちゃんは明日も来る?」
「私はできるだけ毎日来るつもりだよ」
「そっか。じゃあまた明日ね」
「うん。また」
俺はナギちゃんと手を振りあって、アパートへの道を歩きはじめる。徒歩三分で部屋に帰れるというのは素晴らしい。
ん? 歩き始めてから少しして、違和感に気づいた。しばらくそのまま歩いていたが、気になって立ち止まる。背後の気配も立ち止まる。
振り向くと、校門でずっと視界の隅に見切れていたナユタがいた。
「おい」
「ん?」
「ん? じゃない。なんで付いてくるんだよ」
「私もこっちなのだ」
「え、そうなの?」
「そうなのだ」
「まあ、なら仕方ないか……」
「うむ」
俺は諦めてまた歩き出す。あっという間にアパートが見えてくるのだが、うしろを歩く足音はまだ聞こえていた。
「どこまで付いてくるんだよ」
「もう少し先だ」
「ああそう……」
この辺は住宅が密集してるから、まあ仕方あるまい。
しかし、俺がアパートに着いても、部屋の前まで来ても、ナユタは付いてきた。
「おい、いい加減に……」
「ん?」
「え?」
ナユタは隣の部屋の前で鍵を取り出し、まさに鍵穴に差し込もうとしているところだった。
「どうした?」
「いや、どうしたってお前……。まさかそこに住んでるわけじゃないよな?」
「住んでいるが?」
俺は危うく崩折れそうになった。なんとかドアに寄りかかって耐える。
「お、お前お嬢様じゃなかったのかよ。なんでこんな安アパートに……」
「パパから受け取った資金はほとんど学園の運営に当てている。私の生活は別に最低限のもので構わないのだ」
な、なるほど。だから弁当もあんなに質素だったのか。馬鹿にしたのはちょっと悪かったな……。
「お嬢様」
「うわ!」
玄関のドアが開いて、スーツの男が顔を出した。
「おお、ニルス。来ていたのか」
「はい。む、貴様は……」
「ど、どうも」
「……」
す、凄い睨まれてる。ナユタのお手伝いさんたちの中でも、際立って目立つのがこのスティーブンセガールのような男。どうやらニルスという名前らしい。
「ニルス、いい加減にしろ。私はもうお嬢様という歳でもない」
「何を言いますか。今が一番多感な時期なのです。悪い虫がつくようなことがあれば、ユウジ様に合わせる顔がございません」
「あー、わかったわかった! もう入れ! さらばだ土佐ケン」
「あ、ああ……」
「今日のご飯はなんだ?」
「ハヤシライスで――」
バタン。
俺はアパートの通路に取り残された。
どうやらニルスさんは日本でのナユタの母役らしい。まさかあの可愛らしい日の丸弁当もあの男が作ったんじゃないだろうな……。
その光景を想像して噴き出しそうになりながら、自室の鍵を開けた。
・・
俺は格安の材料で作ったぺペロンチーノを平らげ、パソコンの電源を入れる。そしてクローゼットに向かい、
「……」
少し迷って、その扉を開けた。俺がそこにあったものを取り出そうとした時。
ピンポーン。という電子音が玄関から聞こえてきた。ここで慌てるのは素人だ。俺は音を立てないようにゆっくりとクローゼットの扉を閉め、足音を殺して玄関へ向かう。
一人暮らしで、普段訪ねてくるような友だちもいない場合。突然の来客は大抵、“宗教の勧誘”もしくは“某テレビ局の手先”と相場が決まっている……。
もし迂闊に扉を開けようものなら、「あなた今幸せですか?」とおばさんに微笑まれるか、受信料を払えと脅されるかだ。
その手にかかって散々怖い目にあってきた俺は、例え電気を点けっぱなしであっても居留守を決め込む。
が、季節は春。このアパートに引っ越してきた可愛い女子大生が、あいさつ回りに来たという可能性もゼロではない! ので、一応誰が来たかは確認する。
俺は玄関まで辿り着き、覗き穴から外を見た。
「……」
俺はドアを開けた。
「よっ!」
「なんだお前か」
そこにはジャージ姿のナユタがいた。
いや、惜しいには惜しい。このアパートに引っ越してきた可愛いクラスメイトが、なんだか知らないが訪ねてきた。こう考えると、字面だけを見れば喜ぶべき展開だ。
「なんだとはなんだ。遊びに来たんだから丁重にもてなせ」
ナユタでなければ……。




