結実
外線電話が鳴る。
「田村、外線4番。山岸様」
メンテには、少し早いわよね。また、壊れたのかしら。
電話に出た同僚の取次ぎの声に、そんなことを考えながら作成中の書類に保存をかけて、電話を取る。
「お電話かわりました。田村でございます」
「あぁ、俺。ちょっと、設定を触りたいけど、頼めるか」
「内容を詳しくお願いします」
仕事用の声と言葉で話す。向こうはともかく、我が社にとって彼は顧客。幼馴染として話すわけには、いかない。
織音籠は、セルフカバーが当たった。卒業から十年。今では”癒し系”の形容がつけられている。
それにあわせて、若干の音楽性の方向転換を考えているらしい。
「かなり長く使われていらっしゃる型になりますよね」
「そうだな、かれこれ……」
彼の答える購入年月を聞いて、顔をしかめてしまった。ちょっと、それは。機能的に無理があるし、大体そろそろ機械的にも限界だわ。買い替えも視野に入れるように、促してみる。
「お前も、そう思う?」
「と、おっしゃいますと?」
「自分でも、そろそろかな……とは、思っているんだけどな」
今のやつの使い勝手がよすぎて、と、苦笑する気配がする。
これだけ長く愛用してもらえる楽器は、幸せ者だわ。
操作性の近いものを数種類ピックアップして、営業と訪問することになった。
私が入社してからでも、シンセサイザーは格段に進化した。
営業は、そのあたりを力を入れて説明する。彼は、補足説明を私にさせながら候補を絞り、後は数日検討すると言う。
「田村さん、RYOと仲良いんですね」
帰りの営業車で、一緒に行った営業の渡辺くんが運転しながら言う。
「幼馴染だからね」
「いいなー。ミュージシャンのお友達。営業成績上がりそうー」
「いや、前の型からの買い替えにすっごい間隔があいてるわよ」
営業成績には結びつかないってば。あんなお友達。
結局、彼はかなり音色に融通の利く型を選んだ。
「これから、どんな方向に進むかわからんし。先行投資だよ」
事務所もOK出してくれたし。と、笑う。いや、あんた。事務所の人間も巻き込んだわね。織音籠のこれから作る”楽しいこと”に。
「で、サービスの田村さん。セッティングのサポートよろしく」
私も、巻き込まれた。
一緒に音を作る作業をしてわかった。彼は、音が”見える”人だった。
「これな、もうちょっとオレンジに」
なんて、最初に言われたときは殴ってやろうかと思ったわ。
「オレンジって、何よ。オレンジって」
「オレンジとしか、言いようがないんだよ。俺には」
助けて、と、後ろで他の作業をしているメンバーに視線を向けても、肩をすくめられるし。
「まあ、けんかしないで、ゆっくりやれば?」
MASAがとりなすように言ってくれるけど。
「じゃあ、付き合いの長いMASAが説明して」
って言っても
「そんなこと言うRYO、俺も見た事ないし」
と逃げられた。そんな私たちの様子を見ながら、JINは相変わらず咽喉声で笑っている。ひざの上にノートを広げて。
ノート?
かばんを探して、筆記用具を探す。今のデータを記録してから、彼に声をかける。
「ちょっと、山岸」
「はいよ」
今の音からね、と少し音色を変える。
「これは、何色に変化した?」
「んー。もうチョイ変えてみて」
もう少し。
「青、だな」
OK。ノートに変えた音色の数値を書き出し、”青”と書く。最初の値の戻して、今度は違う方向に。
「じゃあ、こっちは」
「もう一息」
「あぁ。黄色が入った」
よっしゃ。判った。私の数学のイメージより多分こっちの方が判りやすい。だって、数字になるんだもの。
それからしばらく、彼の色を把握して音のパレットを作る事に二人で取り組んだ。
音のパレットもでき、セッティングも完了したので、”打ち上げ”と称して半個室の居酒屋に二人で飲みに行った。
「なぁ、お前、彼氏いるのか」
ぶっ。いきなり何を言うのよ。
それまでしていた話題からまったく脈絡の無い方向転換に、ビールを吹きそうになった。
「いませんよーだ。こんな適齢期過ぎた男女、貰い手ありませーん」
大学のときの彼氏とは、とっくに別れたし。その次の彼氏とも、別れて何年だろ。ちょっと意地悪のつもりで、わざと古傷を持ち出してみた。
「あれは、悪かったよ。なんつーか。照れと、小学校の頃の意趣返しとでな」
お前の顔が引きつるのを見て、しまったって思った。言い過ぎたよ。ごめんな。
そう言って、頭を下げられてしまった。
「ううん。私の方こそ。小学校のとき、ごめんね」
「いや、あれがあったから、背を伸ばそうと思ってバレーを始めた。バレーをしていたから、JINと会えた。痛かったけどあれのおかげで、今の織音籠があるんだ。むしろ、こっちがありがとう、かな」
結果オーライ、といいながら、薄茶色の目を細めて、ビールに口をつける彼。
彼が許してくれた。それだけで封印した初恋が昇華した気がした。
「お前がさ、柳原西の理数に来ていたら、謝ってやり直したかったんだよな」
昇華したはずの初恋がUターンして戻ってきた?
「はぁ? なにそれ」
「いや、俺やお前の成績だったら、蔵塚南がてっぱんだろ。理科娘はその上を行くかなーって、ちょっと自分の中で賭けを」
あんたは、何をわけのわからんことを。そんな事で、高校を選んだわけ?
焼き鳥をかじりながら呆れた顔をしただろう私を見ながら、彼は弁明をした。
「バレーを続けるなら柳原西のほうが強かったから、そっちを選んだのがメインだぞ。賭けは、おまけな。思いっきり、負けた賭けだったけど」
そう言って、彼は最後に一本残っていたつくねを口に入れた。
柳原西か。私も狭き門に賭けていたら、人生変わっていたのかなぁ。
そんなことを考えながら、一度だけ行った学校のたたずまいを思い出す。芋づる式に、あの日のことが思い出された。
あれ? ちょっと待て。
「じゃ、あの文化祭のときのあれは何? 謝りたかった人の行動じゃないよね」
「文化祭? 行動?」
はて? と首をひねりながら、私のグラスにビールを注ぐ彼。久しぶりにあんたの頭、叩きたくなったわ。座っている今だったら、手が届くし。
「高二であんたのところ高校の文化祭行ったとき。思いっきり無視したじゃない」
「無視? したか?」
「したわよ! 私服のグループとじゃれていたときと、フジコのクラスに行ったときと」
「ちょっと待てって。ふじこって、誰?」
「同じ中学の藤原さん。わざわざ、あの子あんた呼び止めたのに」
高二、文化祭、藤原、とぶつぶつ呟きながら、腕組みをして天井を睨んでいる。しばらく考えてろ、と、メニューを取って眺める。
いきなり「あれかー」と小さく叫んで、彼がテーブルにつぶれた。思い出したのかしら?
でも、つぶれたまま戻ってこないので、その間メニューに戻る。次は、レンコンのはさみ揚げにしようかな。えびマヨもいいわね。ええい、どっちも頼んじゃえ。
呼び出しボタンを押して、視線を彼に戻すと起き上がってグラスを空にしていた。
「俺、次、水割り」
そう言うと、ビールの残りをグラスに注いだ。
やってきた店員さんに、料理とお酒の追加を頼んで。
「で? 思い出したわけよね」
私は、話を促した。一気にあおったビールのせいか、少し赤い顔をしながら彼が言うには。
「私服のグループの一人は、うちのベースのSAKUな。あいつとたまたま逢って話していたら、後ろにお前がいてさ。『うわっ、田村がいる。なんで?』って、頭真っ白。で、逃げた」
逃げたぁ? まぁ、私もあれは、避けられた、って感じたしね。
気の抜けていそうなビールを一口飲んで、彼は話を続けた。
「藤原のときはだな」
そこで言葉を切って、じっと見るな。いごごち悪いじゃない。
「お前の顔が、『こっちを見るな』って言っているみたいで。あぁ、やっぱり俺の言ったことは、許してもらえるようなことじゃなかったんだな、って」
「あー。確かに。見るなって思ったわね。『フジコ、山岸に声なんか、かけんな』って」
「ほらー、やっぱり。俺、あの後ステージまでに立て直すのが、どんだけ大変だったか」
彼は、ぶちぶちと言いながら、明太子で和えたじゃがいもに箸を伸ばしていた。
「でもね。山岸に怒ってたんじゃないの。私の方こそ、やっぱり許されてないんだって、最初に逃げられたときに思ったから、逢うのが怖かった」
「じゃぁ、なにか? お互いに怖がってたのか?」
「そうみたいね」
うわー。ばかばかしい。
なんとなく、会話が途切れて。二人で黙って箸を動かした。
沈黙を破ったのは、彼だった。
「なぁ」
なに?
口に物が入っていた私は、視線で返事を返した。
「やり直し、してもいいか?」
眼鏡の奥の瞳が見たことも無いくらい、真剣な光を帯びていた。慌てて、口の中のものを飲み込んだ。
「仕事だけじゃなくって、プライベートでもお前と会いたい」
長年の誤解が解けた私は、黙ってうなずいた。
そっと見ると、あのきれいな瞳がうれしそうに細くなっていた。
封印していた初恋は。
昇華せずに、実を結んだ。
あの日でセッティングが終わったので、仕事を通して亮と会うことはしばらく無かった。
新曲のレコーディングに入る前に新しい楽器を慣らしたいと、ライブはちょこちょこ入れてあるようだった。楽器を新しくする前の時期、少し地元を離れる仕事が続いてライブを休んでいたから、というファンサービスの意味もあるみたい。私は時々だけど、仕事の都合がついたら見に行った。
〔綾、今日はライブ来る?〕
土曜日の午前、そんな電話が亮からかかってきた。
〔うん、明日も休みだし、行こうかなと思っている〕
〔泊まりになるつもりで、来れるか?〕
〔えーと。それは、かまわないけど……〕
私だって三十歳を越えて、カマトトぶったことを聞く気は無い。就職を機会に一人暮らしを始めたから、うるさい人もいないし。
〔じゃぁ、終わったら楽屋な〕
そう言って、電話は切れた。
やっぱり、ライブっていい。こういった場でベストに聞こえる楽器って、どう整えるんだろう。
スタジオとは違うように楽器の音が聞こえる。他の楽器が混ざる分、RYOが一人で音を出してセッティングしているのとはどこか違う。
亮には、この音の重なりはどう見えているんだろう。
言われたように、楽屋に顔を出すとそのまま軽い打ち上げに連れて行かれた。
今日は、JINの彼女も来ている。MASAと、YUKIは既婚者らしい。なるほど。こうやってメンバーの彼女が把握されるんだ。
「はじめまして。田村 綾子といいます」
私の方から、JINの彼女に声をかけた。
「こちらこそ、はじめまして。本間 美紗です」
美紗さんは、ちょっと目を合わせたあと、伏せ目がちに挨拶を返してきた。小柄で、ふわふわの癖毛をきちんと一つにまとめている子。あれはきっと、解いたらフランス人形みたいになりそうね。
「じゃぁ、美紗さんって七歳、年下になるんだ」
「あれ? 六歳じゃなかった? 田村さん、同い年だよな?」
私の言葉に、JINが横から口を出す。
「仁さん、また、ずれてる。年明けてから誕生日だからって……」
「あぁ、そうか。学生じゃないと、年齢の話がかみ合わないんだよな」
JINって、亮より背が高いのに早生まれって。うそみたい。
そんな風に少しだけ、世間話をした。なぜだか、さっきのようにJINが話に混じってきて、時々話題がうやむやになるんだけど。
「田村さん、結局RYOに落とされたんや」
ビール瓶を差し出しながら、YUKIが話しかけてきた。
「えーと。落とされた、のかな?」
グラスに注いでもらいながら、横にいた亮に尋ねた。
「さぁ? どうだろう。なにせ、綾が織音籠の生みの親だからな」
「こんなでかいの、産むの大変やん」
「おかげで、二十年近く痛みに悩まされてましたよ」
私の返事に、お見事、と亮が頭をなでる。
「計算が合わねぇだろうが」
SAKUが笑いながら話によってきた。
「陣痛がかれこれ、十年?」
こじれたもんだから、長くて長くて。と、亮が笑う。
ほとんどしゃべらずに、ニコニコみんなの話を聞いていた美紗さんが、珍しく口を開いた。
「亮さん。仁さんたちと綾子さんって前からの知り合い?」
「俺の楽器のメンテに来ていたからね」
「ああ。だから『田村さん』なんですね」
美紗さんはこちらを見て、ニコっと笑った。
『女なのに、機械触るの?』って、言わないんだ。この子。
彼女に対して、ニュートラルだった感情の目盛りが、ちょっと好感のほうに針が振れた。
改めて見ていると、JINと美紗さんって面白い。小動物みたいな美紗さんの方が、顔色も変えずに注がれるままグイグイお酒を飲んでいるのに、JINはウーロン茶。絶対、見た目逆なのに。
あいたグラスをテーブルに置く、彼女の手元が目に入った。左の薬指に、意外なほどゴツイ指輪をしていたけど、この子も働く手の持ち主だった
遅い時間なので、長居をせずに店を出る。女同士の飲み会と違って、あっさりそれぞれが帰路に着く。
「綾、こっち」
亮に手を引かれて、私は自分の部屋とは違う方向へ歩き始めた。
「ねぇ、亮」
さっきの会話で、引っかかったことを聞いてみる
「なに?」
「美紗さんの言う『ひとしさん』って、JIN?」
「そう。俺がRYOなのと同じ」
空中に、指で”仁”、”亮”と書いてみせる。
「メンバーの彼女って、きちんとみんなを本名で呼んでいるの?」
「いや、それぞれ、かな?JINは、高校のときから周りに”ジン”って呼ばれてたから、MASAの嫁さんもYUKIの嫁さんも『ジンくん』だな。俺は大学の間だけ”リョウ”だったから、そのころからの付き合いのYUKIの嫁さんは『リョウくん』で、MASAの嫁さんは『亮くん』。もともと、読み方が違うのが、俺たちだけだし」
「美紗さんは?」
「あの子は、もともとが織音籠のファンなんだよ。だから、『ファンとして見ていません』って言うけじめで、全員きちんと名前を呼んでいるみたいだな」
「今までにも、ファンから彼女になった子っているでしょ? その子たちも?」
私のその質問に、少し亮は嫌な顔をした。
「美紗ちゃんみたいな子は珍しいよ。むしろ『私が彼女よ』みたいな感じで、『RYO』『JIN』だな」
ふーん。プルタブを空けられない彼女たちって、そういう子達だったわけだ。
「ごめん、悪いこと訊いた?」
「悪いことじゃないけどな。『RYO』で呼ばれると、無意識に顔を作ってしまうから疲れる。JINや、SAKUの彼女だったら気にならないけど。お前、一度も俺を『RYO』で呼ばないから、一緒に居ると”山岸 亮”に戻った実感がする」
そういうと、亮は繋いでいないほうの手をグーッと空に伸ばして、深呼吸をした。
「そう言われると……。私は、みんなをどう呼んだらいいのかな?」
「綾も、呼びたいように呼べば? お前の場合は仕事でも会うから、あいつらもスタッフ扱いだし」
あっさりと、亮は言った。スタッフねぇ。確かに、美紗さんは『美紗ちゃん』で、私は『田村さん』だ。
「じゃぁ、”山岸様”」
「”様”つけたことあるのかよ」
「会社ではつけてるわよ。請求書もついているでしょ」
「あれは、テンプレだろうが。俺は、”亮”がいい。」
俺を呼び捨てにするのは、家族だけだよ。そう耳元でささやいて、亮は繋いだままの手の甲を指で撫でた。
その夜、私は初めて亮の部屋に泊まった。