再会
大学は、希望通り笠嶺市の公立へ。電子工学を専門に勉強した。
祖父の機械いじりとはわけが違うけど、学ぶ技術、理論のすべてが面白かった。
陸上はやめた。お化粧を覚えて、髪を伸ばしてワンレングスにして、”女の子”になる努力もしてみた。実習中は、ひっつめだけど。ボディコンは、なんていうか……ちょっと……ごめんなさい? マシにはなったとはいえ、凹凸には自信が無い体形のままだ。
母たちの井戸端会議情報によると、彼は西隣のく楠姫城市にある総合大学に入って一人暮らしをしているらしい。真紀ちゃんが、そこの薬学部だったな確か。
三年生になる春休み、買い物に出ていた母が帰ってくるなり言った。
「ちょっと。山岸さんのところの亮くん」
うん。もう大丈夫。封印成功。私も、同じ学部に彼氏だっているんだし。
凪いだ気持ちで彼の名前を聞いた。
「さっき逢ったのだけど、不良になっちゃって」
はぁ? 大学生にもなって不良って。ああ、あれか。高校でバンドしていたし。そっちに走ったか。
「本当に、山岸だったの? それ」
中学校のころの彼しか知らないはずの母に、判ったのかしら。高校で見たときは大分、成長していたのに。
そんな疑問を投げてみると、あっさりと
「だって母さん、山岸の奥さんと一緒だったもの。山岸さんが『亮、これもって帰って』って通りすがりのすっごい兄ちゃんに声をかけたときは、腰が抜けるかと思ったわよ」
腰を抜かすほどの不良って。想像が付かなさ過ぎて、なんだか見てみたいかも。
彼への想いを封印できた私は、単純な野次馬根性でそう思った。
その、好奇心のようなものが叶えられたのは、四年の夏休みだった。
朝寝を楽しんでいたら、母にスーパーへの買出しに連れ出された。
「お一人様、一パックの卵とトイレットペーパー。頭数に綾子も来て」
どうせ、道で逢うのは幼馴染ばっかりだし。そう思って、顔を洗って髪をひっくくっただけの、いい加減な格好でお供に出かけた。
母は『もう少し買うものがある』というので、戦利品のトイレットペーパーと玉子を持って先に帰ることにした。
スーパーを出て、ひとつ角を曲がる。目医者の戸口の前に、財布をしまおうとしている彼がいた。
「山岸、くん?」
なんとなく、”くん”付けで呼んでみた。彼は、目を細めるようにこっちを見て
「ごめん、眼鏡が無くって見えてないんだ。誰?」
「田村、だけど…」
「田村 綾子?」
「そう」
「久しぶり、だな」
あっさりと、彼はそう言った。なんのわだかまりも無かったように。
これから彼が行くと言う眼鏡屋は、我が家の方向にあるので、ぶらぶらと歩きながら話を続けた。トイレットペーパーを一つ、彼に持ってもらって。私、ひどい格好だけど、まぁいいか。彼だって幼馴染だ。見えていないって言ってるし。
久しぶりに見た彼の顔は、頬に殴られた痕があった。
「眼鏡無いって、けんか?」
「おやじに殴られて、壊れた」
「大学生にもなって、殴られたぁ? あのおじさんに?」
山岸のおじさんは、近所の子供たちの間で有名なクマみたいな体格の人で、おまわりさんだと聞いたことがあった。小柄なころの彼とは似ていない親子だった。今の身長なら……いい勝負かな。
私よりも高くなった彼の顔を軽く見上げながら、そんなことを思った。
「就職しないって言ったら、ガーンって」
「その格好も、上乗せで効いたんじゃないの?」
去年だったか母が言っていた”亮くん不良説”を思い出す。今日の彼は、私よりも長い金髪を、ポニーテールにして、ピアスをはめていた。
「去年、母さんがビビッてたわよ」
「あー。田村のおばさんに逢った時はもっとすごい格好だったかな」
こう、ピンクでメッシュが入ってて。と自分の頭を指差す。
「バンド、あれから続けているの?」
「あれから?」
「高校の文化祭で、三人でしているのを見た」
「あぁ。あのメンバーにもう二人加わって、来年の春にデビューが決まった」
「それで、殴られたんだ」
「アイツの声聞いたんだったら判るだろ? あれは世に出なきゃ」
おやじには通じないけど。そう言って、寂しそうに笑った。
「お前は? 就職決まった?」
「うん」
彼の問いに、私は地元の電子楽器のメーカーの名前を答えた。シンセサイザーが普及を始め、これから楽しくなりそうな業界だと思って、決めた会社だった。
「そうか。俺が使っているキーボードのメーカーだ」
相性がいいって言うか、使いやすいんだよな。彼は、子供のようにうれしそうに言った。この表情を見るのも久しぶりだわ。
「メンテナンスとかで会うかもね」
「その前に、『使ってください』ってお前の会社に言われるようになってやるよ」
すっごい自信。
「じゃぁ、どっちが早いか競争しようか」
「走りじゃないから、負けるかよ」
「バンドの名前、教えて」
「”織る音の籠”と書いて、《オリオンケージ》」
亮じゃなくって《RYO》な。
分かれ道に着いたところで彼は、そういい残して右に曲がっていった。
卒業から、1年と少し。ぽつぽつと彼のバンド、織音籠の名前を聞くようになった。
最初は……ローカルのラジオ、だったかな?
パーソナリティーが、ヴォーカルの子の先輩だとかで、ライブ情報とかをちょこちょこっと宣伝していた。彼は、がんばっているんだ。負けるもんか。
CDも買った。彼が”世に出さなきゃ”っていう声も聞いた。うん、確かに。同じ年とは思えない落ち着いた、いい声。
私は、一人のファンとなって彼らを応援している。
卒業から、五年。私も、一人前のサービスとして県内を飛び回っている。
開発、にはまだムリだけど、メンテナンスとかサポートとかであっちこっちを回っていた。
「田村、ただいま戻りました」
午前中の訪問を終えて一度会社に戻ると、チーフに手招きをされた。
「これ。至急の修理依頼、いけるか?」
オペレーターから回ってきた案件をチェックする。キーボードの音が出ないという依頼らしい。依頼者が『ヤマギシ 様』。
彼だったら、メンテのほうが早かったわね。
そんなことをふっと考えて、勝った気がした。
依頼先の音楽スタジオまでは、車で約二十分くらい。お昼ごはんは、そのあとで摂ろう。
「わかりました。これから行ってきます」
先方に訪問の電話を入れ、必要になりそうなパーツや工具を確認して、車を出す。
スタジオに着いて、スタッフに取次ぎを頼む。連れて行かれた先にいたのは、やはり。
卒業前に出会った時より、大人しめの髪色になった彼だった。
「ご依頼の修理に参りました」
いつもの手順で、名刺を出す。彼は、にっと笑って
「早かったな」
と言った。
「至急って依頼だったから、急いだけど」
早かったなら、コンビニでおにぎりでも食べて来ればよかった。
「お前が、メンテナンスに来るようになるのが」
もっと、かかると思ってた。さすが、学年トップの理科娘。そう楽しそうに言いながら、楽器のところに案内してくれた。
修理自体は、パーツの経年劣化で簡単なものだった。
「ごくろうさん」
工具を片付け終わると、冷えた缶コーヒーを渡された。ありがたくプルトップを開けて、いただく。うーん。すきっ腹に、コーヒーが浸みる。
「お前、缶開けるの、平気なんだな」
妙なことを、彼が言った。言っている意味がわからず、缶を口元に当てたまま首をかしげていると、
「わるい。へんなことを言った」
「謝られても、気色悪い。なんのこと?」
どことなく目をそらすようにして、彼が言うには。
「女って、そういうの開けれないもんだと思ってた」
ほほぅ。あんたの彼女はそういうタイプですか。
「爪、伸ばしてたら、仕事になんないし」
ほら、と手の甲を見せるように彼に向けて手を広げる。
「うん、仕事をする手だな」
「何それ」
オフレコだぞ、と前置きした彼によるとギターのMASAの彼女がナースらしい。彼女と同じような爪をしていると言いたいようだ。
「メンバーの彼女ってお互いに把握しているんだ」
「まあ、それなりに? あの子は、高校のバレー部のマネージャーだったから、俺やヴォーカルのJINが出会いを作ったようなもんだし」
「バレー続けていたんだ」
「高校の間はな。お前、陸上は?」
「私も高校までは、走ったよ」
そんな話をしていたら、ふっと彼が手を伸ばして髪に触った。
「また、短くしたのか」
今の長さは、ショートボブかな。彼はそのまま、髪をつまむ様に持ち上げては、ぱらぱら落とす。人の髪で、遊ぶな。
「長いと仕事の邪魔だし、手入れもめんどくさい」
あんたは、よくやってるね、その長さで。
「これも一応、商売道具だからな。面倒がったりするかよ」
染めてない分、お前の髪の手触りの方がいいけどな。そんなことを言いながら、髪で遊ぶのをやめない。
別に、嫌ってわけじゃないけど。なんか、ええーと。面映い?
彼のするままに触らせていると、部屋の戸が開いてぞろぞろとメンバーが入ってきた。
「あー。メーカーの人に、RYOがセクハラしとう」
ドラムのYUKIが笑いながら言う。ふーん。YUKIって、西の人なんだ。
遊び仲間の笑顔と方言で話すYUKIに、本気で言っていないことがわかる。ここでも、人徳かしら。彼がメンバーを引きずり込んだのが見えるようだわ。
なんといっても、RYOが織音籠のリーダーらしいし。
「人聞きの悪い。これは幼馴染同士のスキンシップ」
「んー、そうか? 手つきがやらしいだろうが」
JINが咽喉声で笑いながら、突っ込む。生で聞くと、やっぱり低くっていい声。
話を拾い集めるとどうやら、修理待ちの間に交代で食事に行っていたらしい。彼が先に食事に行っている間は、他のメンバーは練習していたそうだ。
「飯、食ってくる時間がメッチャ早かったのは、下心なんじゃねぇの?」
「そうそう。『メーカーさんがそろそろ来るから』って、俺らを食事に行かせたしな」
ベースのSAKUと、MASAも一緒になってからかいだす。
「こいつが来るって、俺に判るわけ無いだろうが」
彼が、ムキになって言い返している。
そりゃそうだ。私が電話したのはスタジオにだもん。
だけど、なんていうか。メンバーがそろうとこの部屋、一気に空気が薄くなった気がする。全員背が高いのは、知っていたつもりだけど。実際に見るとすごい圧迫感。私の身長でこれなら、普通の女の子は近づけないわ。
「山岸。作業終了のサイン、貰っていい?」
コーヒーも飲み終えたし、さっさと帰ろう。お腹もすいた。
「はいよ。どこ?」
用紙を準備して、ボールペンを渡す。
「織音籠のサインがいい?」
「普通に、”山岸”でいいわよ」
「じゃ、作業服の背中にでも書いてやろうか」
「私を、広告塔にするな!」
子供のころのようにケラケラ笑う彼。声のトーンも体格も大人になったけど、笑う顔はあのころのままだった。
「もったいない。十年後には、お宝になるのに」
そう言いながら、小学生のころと変わらないような字で彼はサインをした。
「じゃぁ、次のアルバムにでもサインしてよ」
「了解。楽しみに待っておけ」
「それでは、お邪魔いたしました。また何かございましたらご連絡ください」
いつものせりふで、仕事を終了させて工具とかばんを手に立ち上がる。
「田村、入り口まで送る」
「いや、忙しいでしょ。いいよ」
「いいから。早く来い」
防音の厚いドアを開けて、彼は私を通してくれた。
「RYO、その辺に連れ込むなよ」
「誰が、するかよ。仕事場で」
SAKUの言葉に、彼はそう言い捨ててドアを閉める。『こんな男女』じゃないだけ許してやろう。
そう思っていると、彼が
「悪い。それこそセクハラだな」
謝ってきた。
「別に。私の仕事は男社会だし。大学から、男だらけの環境だから気にもならない。織音籠って、ノリが体育会系だよね」
「そりゃな。SAKUとMASA以外は高校までは運動部だし。あいつらも中学までは運動部らしいし。だいたい、俺よりでかいヤツが全く運動に縁がなかったら、俺がムカツク」
全員百八十cm越えるんだもん。確かに、何かしていただろうとは思うわね。
「さっき、名刺貰っただろ?」
階段を下りながら、彼がふと言い出した。
「うん。渡したわね」
「あれ、指名でメンテナンス頼めるのか?」
「うーん。できなくはないけど」
「まずいか」
「いや、私の方の都合じゃなくって。たとえば、県の北部にサービスに行っていたら、今回みたいな『至急』って依頼には物理的に応えられないでしょ」
「ああ、なるほど。じゃぁ、定期点検とか、設定サポートとかの急ぎでないものはOK?」
「ま、ね。私の方も成績になるし」
そうして、年に一、二度。彼からメンテナンスの依頼の電話が入るようになった。