封印
私たちは中学生になった。
あの日一言もしゃべらないまま、ランドセルをつかんで教室から出て行った彼には、弁解はおろか目もあわせてもらえなくなった。
卒業式のその日も。
入学式の日を迎えても。
二つの小学校が一つの中学校に通う。そんな校区割りだったので、単純に考えても小学校の倍のクラス数になる。前年がいわゆる丙午だった私たちの学年は、その影響で一学年が二百人に近く、彼と一緒のクラスになる確率も低かった。
謝るきっかけも、言葉も見つけられないまま、新生活がスタートした。
中学校では部活動が始まる。
『田村の走る姿が、かっこいいと思う』いつだったか、そう言ってくれた彼の言葉に暗示をかけられたように陸上部に入った。種目は短距離走。男女関係無く仲のよい部で、先輩たちも怖くて楽しい人たちだった。
『タムタム』『タムちゃん』。先輩や仲間にそんな風に呼ばれながら、走って、笑って、また走った。
大会の緊張感も心地よかったし、走ることが、タイムが上がることが、とにかく気持ちよかった
彼の方は、バレー部に入った。
『私より、チビじゃない』あの言葉の影響じゃないよね。本当にバレーが好きなんだよね。
トラックを走る合間に、楽しそうに練習をしている彼を見ながら、自分に必死で言い聞かせた。
そして勉強はというと。
自分でもちょっと意外なことに、数学と理科が面白いようにわかった。もともと、パズルとか好きだし、祖父の機械いじりを眺めているのも楽しい。明治生まれの祖母には、『女の子らしくない』と嫌な顔をされていたけど、この二つだけは小さいころから、じーっとしていられる数少ない対象だ。
数学は調子がいい時には、問題を読むと自分でも説明の付かないイメージが浮かんできて、それをたどるだけで、答えがでた。
音を聞くと絵や色が浮かぶ、そんなセンスの人がいると聞いたことがある。それに近いものかもしれない。
社会の成績だけは、いまひとつだったけど。ほぼ、毎回のテストは十位以内に入っていた。数学と理科は学年トップスリーの常連だった。
そして、張り出された成績表を見ると、どうしても目がいく名前があった。
”山岸 亮”。彼も、トップテンの常連で、社会は常に学年トップだった。
二年、三年と学年が進むにつれて、生徒会活動なんてものが生活に現れてくる。”人徳”とやらで、彼は中学校でもいろいろなところに顔を突っ込んでいるようだった。なんだか、イベントごとがあるたびに、名前を聞く気がした。
ただ、合唱コンクールの伴奏だけは、完全に拒否したらしい。五年生の音楽会以降、彼のピアノを聞くことは無かった。
そうやって彼を気にしつつ、何もできないまま。中学校生活は終わりを迎えようとしていた。
「なあ、三組の田村ってお前のこと好きなんじゃねぇの?」
思いもよらぬところから自分の名前が聞こえてきたのは、昼休み前の掃除時間。二階の渡り廊下を通っているときだった。
声のほうを振り返ると、渡り廊下のすぐ横にある一組の窓に彼がもたれていて、目が合った。換気のためにあけてあるらしい窓からは、話している相手は見えなかったけど。
彼は、私のほうをまっすぐ見ながら答えた。
「あんな、男女。誰が好かれて、うれしいかよ」
「だよなぁ。スカート穿いてる以外、見た目男だし。その辺の男より足が速くって、おまけに得意科目が理科と数学ってありえねぇよな」
男女。
ショートカットだった髪は少しでも早く走るため。そして、女らしい丸みを帯びない体も、走るためには好都合。そう思っていた。身長は、二年になったころに止まったので、百七十cmに少し足りないくらい。彼を含めて、成長期に入った男子に比べると高いとは言えなくなったが、まだ女子としては高かった。
怒ることもできなかった。
先に、傷つけたのは私だ。
逃げるように、その場から走った。自慢の足で。
成績的には、多分高校の志望も同じところになる。気まずいからと言って、わざと入試に落ちるとか、ランクを落とすとか。そこまで愚かにはなれなかった。
南隣の笠嶺市に理工学の充実した公立の大学がある。そこに行きたいと私は思っていた。そのためには志望校のランクを下げるわけにはいかない。
彼のことは考えないように歯を食いしばった。
私の心配は杞憂に終わった。
公立高校の合格発表の日。報告のために訪れた職員室に彼がいた。
「そうか、山岸。柳原西普通科、合格な」
「はい」
「高校でも、バレー続けるんだろ」
「そのため、ですから」
そう言って顧問の先生と笑っていた。そうなんだ。一段ランクを落としたんだ。
柳原西は全県学区の理数コースがあったから、実は願書を出すとき少し迷った学校だった。普通科は市内では二番手のレベルだけど、理数と英語のコースは県内トップ。なかなか狭き門で、私には踏ん切りがつかなかった。
「おう、田村。どうだった?」
担任の先生に声をかけられて、振り向く直前。彼の目がこっちを向いた気がした。
「あ、はい。県立蔵塚南、合格しました」
「さすが、学年トップ3だな」
「ありがとうございます」
「あそこだったら、徒歩通学か」
「ランニング通学かもしれませんけど」
そう言って、担任の先生と一緒に笑った。彼に負けないように。
ここで、彼との道が分かれた。
どこか、ほっとしている自分がいた。
高校でも陸上を続けた。大会で顔見知りの子がいたりして、ここでも楽しく走った。
「ねぇ、綾ちゃん」
私をそう呼ぶ友人、大西 真紀ちゃんも陸上部。彼女は長距離だ。女子の少ない理数系クラスの仲間でもあるので、朝から帰るまでべったり一緒にいる。
「なぁに、真紀ちゃん」
二年十組の教室で、お弁当を食べていた時、真紀ちゃんはそうとは知らずに爆弾を投げ込んでくれた。
「来週、柳原西の文化祭行かない?」と。
その言葉に動揺した私は、ブロッコリーをつかみそこなった。
「いきなり、何で?」
「あそこに行った同級生がね、すっごい上手な子たちが野外ステージに出るよって」
「野外ステージ?」
「そうなのー。あそこって、音楽関係の部活じゃなくってもステージに出れるんだって。それで、去年出てた一年生がすごかったんだって。見に行こうよー」
逢うわけない、逢うわけがない。そうつぶやきながら、玉子焼きを食べて心を落ち着ける。
「わかった。じゃ、いこっか」
柳原西は我が家の最寄り駅から電車で二駅、南に行ったところにある。彼は毎日こうやって通学しているんだ。
降りた駅の改札で、真紀ちゃんと落ち合って学校に向かう。
入り口で、パンフレットを貰った。
案内地図によると、ここの学校は一フロアの十教室が二つの階段で2ー4ー4にわけられる配置になっているみたい。順当に考えると、孤立した二教室を英語と理数のコースに当てると思うのだけど。ここの先生の考え方は違うらしく、フロアのど真ん中に英語と理数のコースがあるらしい。
二年生は、三階をメインに出し物や模擬店をしているみたい。ここを避けたら、逢わないよね。あ、でも理数コースの展示は見てみたいし、二年の英語コースのお化け屋敷も面白そう。どっちの階段から行けば、出会う確率が下がるかしら。
そんなことを思いながら、真紀ちゃんの
「綾ちゃん、とりあえず校舎の方へ行こっか」
の声に、私は返事を返して体の向きを変えた。
その先に、
彼が居た。
他校生だろう、私服の数人とじゃれあっている。彼は一年ちょっと見ない間に、背が高く、たくましくなっていた。
彼は何か言いながら指で作った銃で、私服グループの一番背の高い子を撃つまねをした。声は聞こえないのに、彼の笑い顔に子供の頃のケラケラという笑い声が重なる。
顔を上げた彼と目が合った。
瞬間、薄茶色のあの瞳から笑みが消えた。
そのまま、目をそらすように彼は校舎のほうへ走っていった。
「綾ちゃん、何見たい?」
真紀ちゃんの声に我に返った。知らないうちに足は動いて、昇降口についていた。
「うーんとね」
私の声に重なるように
「真紀!」
と、女の子の声がした。
「ゆりちゃんだー。ひさしぶりー」
どうやら、真紀ちゃんのお友達みたい。
「真紀、二年四組でお饅頭屋しているから、来てね」
「うん、行くー。もうちょっとお腹すいたら行く」
そんな約束をして、”ゆりちゃん”は校門の方へ去っていった。
「って、ことでいい? 綾ちゃん」
「いいよ。じゃ、その前にお化け屋敷行っていい?」
「んーと、この階段で行ったら、お化け屋敷の向こう側が四組ね」
こっちの階段で決定ね。彼に、逢いませんように。
お化け屋敷を見て、お饅頭屋さんで大福餅とお茶を飲んで。売り子に居たさっきの”ゆりちゃん”によると、このクラスのお茶は茶道部が指導したとかで、結構おいしかった。
「じゃーねー。ゆりちゃん。がんばってねー」
そう言って手を振る真紀ちゃんと、教室を出た。
「お昼どうしようか?」
「そうだねー。ステージまで時間あるらしいし。何か、食べる?」
階段は、えーっとこっちか。
階段に行こうとすると、向こうから見たことのある子が来た。
「あれ? フジコ!」
今度は、私の知り合いだ。中学の陸上で一緒だった、藤原 真理子。私たちは、アニメのお色気キャラの名前と重ねて、『フジコ』と呼んでいた。色気は……私といい勝負?
私の声に、こっちを向いたフジコは小走りにやってきて、
「ええ? タムタム! ちょっと、あんた女の子になったじゃん」
「最初から、女ですー」
私は高校に入って、少し髪を伸ばした。少しとはいえ、体つきも女らしくなってきたし。
フジコは、私の手をつかんで
「昼ご飯、決まってる? まだだったら、うちでどう?」
強引な客引きをした。
「何があるの」
「んーとね、サンドイッチとー、ドーナツとー」
簡単に言えば、喫茶店ね。真紀ちゃんも横でOKのサインを出しているので、入ることに決定。フジコに手をつかまれたまま、一組だという教室に向かった。
二組と書かれた教室から、大きな男子が出てきた。
「じゃ、とおる。学食に居るぞ」
低くてよく通る声で、教室の中に向かって言った。
うわー。いい声。この子も、真紀ちゃんの言うステージに出たりするのかしら。
身長に見合った大きなストライドで歩いて私たちの横を通り過ぎていった。
後を追うように二組の教室から、彼が出てきた。こんなところで逢うなんて。
「あ、山岸。覚えてる? 中学校で一緒だった田村さん」
もう、フジコ。山岸に声をかけたりしないで。
いきさつを知らないフジコを恨む。手をつかまれているから、逃げることもできないじゃない。
彼はチラッとこっちを見て、表情も変えずに
「悪い。急ぐから、昼飯行ってくる」
それだけを言って、立ち去った。
フジコには悪いけど、昼ごはんは味がわからなかった。
真紀ちゃんが楽しみにしている野外ステージ。
さっきの”ゆりちゃん”情報だと、一年生から順番に演奏するので、お目当ては午後二時を過ぎるらしい。ジュースと駄菓子を買って、つまみながら出番を待った。
〈 さて、皆さんおまちかね、去年の一番人気。ジンとリョウがパワーアップして登場だ 〉
司会の生徒がマイクで叫ぶと、観客が騒ぎ出した。すっごい人気。
「綾ちゃん、この子達だって」
「すごい歓声ね」
歓声に負けないように、真紀ちゃんと大声で会話をしていたらステージに三人組が出てきた。
ヴォーカルが、さっきのいい声の背の高い男子。
ギターも同じくらい大きくって。
そしてキーボードを担当しているのが、二人と並んでも負けない体格になった彼。
山岸 亮だった。
あんなにかたくなにピアノを拒否した彼が、楽しそうにキーボードを弾いている。大きくなった体を揺らしながら。
相変わらず、みんなを巻き込んで楽しいことをしている。学年、性別関係なく、みんなが彼に影響される。
変わった彼と、変わらない彼。
ただ、ただ、彼を見つめていた。
その姿を見て改めて思った。
彼を意識していたのは、あの日の罪悪感のせいじゃない。
私は中学の間も、ずっと彼のことが好きだったんだ。
嫌われて、実感するなんて、馬鹿だね。
低い声で綴られるバラードを聴きながら、私は自分で壊した初恋に、封印をした。