罠に掛かった兎みたい
(1)
上家の髭面からリーチがかかった途端、下家の七三の河に初めてヤオチュウ牌(1・9・字牌の総称)が切られた。
手出しの西はすでに場に2枚見えていたから、これが3枚目である。
南二局の親番。それまで七三の河には、派手な中張牌が惜しげもなく並んでいた。
誰の目にも狙いがバレる役満…それが国士無双の特徴の一つだろう。
麻雀の上がりには必ず1雀頭・4面子が必要なのだが、7つのペアを作る七対子と、13種のヤオチュウ牌を全て集める国士無双だけは例外的な牌姿を持つ。
10種余りある役満の中で頻度の高いベスト3と言えば、ツモり四暗刻(単騎待ちを除く)と大三元、そしてこの国士無双なのだが、唯一 他の上がり形と重複しない…つまり全く〝つぶし〟の効かない役でもある。
配牌で役満を想定させる手格好が入れば誰だって胸を踊らせるが、この役満だけは、使い辛いバラバラのヤオチュウ牌にげんなりしながら、「仕方ないから国士でも狙うか…」と溜め息混じりに狙うことの方が多い。
しかも最初から脂っこい中張牌がバラバラと捨てられる為、周囲にはその狙いが丸分かりになる。
鳴かれる心配がない役なので、他家としては中巡あたりまでは無視していいし、逆に中張牌がどんどん出てくるから討ち取り易い。
ただしそのハイリスクな捨て牌が中巡過ぎても続けられるようなら、当然警戒は強まる。
問題は幾つかのヤオチュウ牌が捨て牌に混じり出した時で、手出しでこれが続けば諦めてのオり打ちと見て良いが、そうでないならテンパイを疑わなければならない。
その場合、特に4枚目のヤオチュウ牌は抑えるべきだが、誰かがそれを勝負して通してしまえば国士狙いは粉砕されるし、4枚目を手中で使っている者は、自分だけが国士の不発を知っているというアドバンテージを得ることになる。
いずれにしても本人がツモ上がらない限り、対処することは難しくない。
さて、その本人・七三の西切りである。
これをテンパイと読むか、それとも髭面からの親リーを受けてのオりと見るか、まだ判断はつきかねる。
対面には水商売風の30代の女が座っているが、彼女は七三の西切りを早くもオりと踏んだのか、やはり3枚目となる中を躊躇なく捨ててきた。
七三はピクリともしない。
なかなかこの男は冷静沈着を絵に描いた様なタイプで、必要最小限の言葉しか発しない上に、終始その表情を崩さない。
上家(髭面):53000
オイラ:43000
下家(七三):2000
対面(女):2000
上位二者と下位二者が極端に開いた状態。
七三の国士狙いは、この点数だからこその賭けでもあり、よくある飛び寸の悪あがきとも言えた。
トップの髭面を追うオイラとしては、この親番で決着を着けなければ、下位2人のどちらかが飛ぶか髭面がこのリーチで6満点をオーバーすれば、2位のまま強制終了となる微妙な局面だった。
3567⑦⑧⑨⑨三四五六北
3索はドラ、北は髭面の風牌であるばかりか初牌(ションパイ=1枚も見えていない牌)である。
髭面が太い腕を伸ばしてリーチ後の第一ツモに気合いを込めたが、「ふうっ!」と溜め息を吐いて三萬を河に置いた。
一気に終わらせる気満々に違いない。
そしてオイラに間4索が入った。
34567⑦⑧⑨⑨三四五六北
北を切れば絶好のイーシャンテン。受け入れは258索・⑥⑨筒・三六萬の7種もある。
が、この局面でリーチの北家に初牌の風牌は切りたくないし、七三の国士がまだ消えた訳でもない。
⑨筒は髭面の河に1枚切られているが、やはり七三を警戒して、今捨てられた三萬を合わせ打った。
受けは窮屈になるが、イーシャンテンに変わりはないし、北を雀頭にすることも出来る。
いまだに4枚全てが枯れているヤオチュウ牌がないというのが、厄介なところだ。
七三はまたしても手出しで3枚目の南を切った。
女が完全に安心しきった様子で親の河にある九萬を捨てると、その髭面が初牌の北をツモ切りした。
なんだ…通るのか…。
北を合わせるつもりが、3枚目の九萬をツモったのでそのまま捨てた。
七三の動きに僅かな違和感を覚えたのはこの直後だ。
ツモ牌をほんの1~2秒、宙に止めたように見えたのだ。
が、無表情でそれを手中に収めると、またしても3枚目の白を手出しした。
髭面に通しにくい牌をツモったのか?
だとしたら今までオりていなかったのか?
どうであれ、もう彼の国士はないと見切っていいだろう。
女が髭面の現物・八萬を手出しした。完全なベタオりである。
髭面がじれったそうに②筒をツモ切った後、オイラに⑥筒が入った。
34567⑥⑦⑧⑨⑨四五六北
もうこうなれば最終形だ。
場を終わらせるのはオイラか? 髭面か? 一騎打ちである。
「リーチ」
宣戦布告の北を曲げて見せると、髭面が肩をすくめた。
「ロン!」
静かだった七三が珍しく強めの声をあげたが、オイラの耳には〝ひとごと〟のようにしか響かなかった。
しかし、今打牌したのはオイラのはずだ…?
まず耳を疑い、それから七三が開いた手牌に目を疑った。
東南西北白發中19①⑨一九
初めて見る国士無双・十三面待ちだった…。
★ ★ ★
13種のヤオチュウ牌全てを揃える国士無双には、雀頭としてどれか1種がペアでなければならない。
大抵は先に雀頭が存在し、足らない1種のみの単騎待ちになるのが通常のテンパイ形である。
雀頭の存在しない国士テンパイは唯一・最多の13面チャンとなり、フリテン上がりが認められるという特殊なルールがあるのだ。
フリテンとは自分の捨て牌で上がれる形…つまり〝上がり損ね〟がある場合は他家からロン出来ないのだが、国士・十三面待ちだけは例外中の例外だった。
「ここで上がってたんだ?」
3万2000点を払いながら、七三の河にある白を指で弾いた。
十三面待ちや四暗刻単騎待ちをW役万扱いとするルールを、この店は採用していない。
「ええ。役満上がって2着じゃ寂しいし、どうせなら…って。本当は対面さんから上がりたかったんですけどね」
「やぁ~こわ!」
髭面が巨体に似合わない高い声をあげて身をくねらせた。
オカマかコイツは?
七三のテンパイは、やはり初めてのヤオチュウ牌・西を切った時点、⑨筒待ちだったと言う。
するとその後の手出しの南はカラ切り(南を引いて手に収め、元からあった南を捨てた)だった訳だ。
そして次巡、⑨筒をツモ上がった。
あの時手を止めたほんの1~2秒の間に、彼の頭はフル回転したのだ。
そのまま上がれば、髭面のリーチ棒を入れても2着にしか届かず、女が飛んでそのまま終了するはずだった。
髭面:44000
オイラ:27000
七三:35000
女:-6000
十三面待ちに構え直せば、リーチしているトップの髭面が振り込む可能性は大だし、慎重そうだったオイラも七三の国士への警戒を解いてきた様子。
一か八か…。
無論、髭面に上がられてしまえばみすみす役満を手離すことになるが、女はベタオりだし、2着目のオイラもトップ目のリーチに無理はしないはず。
そうなれば待ちの多い自分に分がある…そう考えて、完成している国士無双から雀頭の白を切ったのだ。
目論見は見事に成功し、直後にオイラが飛び込んだという訳だ。
髭面:52000
オイラ:11000
七三:35000
女:2000
髭面からの直撃は叶わなかったとは言え、次は七三の親番だ。
捲る気満々といったところだろう。
悔しいが、あの1~2秒の違和感を解き明かせなかったオイラとしては、その間にそこまでの判断を巡らせた彼を誉めてやるしかない。
「それに…女性を飛ばしちゃ申し訳ないですしね」
「やだ~愛を感じちゃう!」
髭面を真似て身をくねらせる女に向かって微笑んだ七三は、オイラにまで白い歯を向けてきた。
あ!チクショー、誉めるの取り消しだ! 急にお喋りになりやがって。
振り込んだこと以上に、オイラは奴の笑顔にムカついた。