零話 経緯物語
僕は今、夜の学校で、教室で、吸血鬼に囲まれて、全身傷だらけで、鍵山友音に後頭部をつかまれて、そして、顔面を床に押し付けられていた。
どうしてこうなったのか、何をどうこけたらこうなったのか、それを説明するには半日ほど前から振り返れば事足りるだろう。
5月5日―こどもの日。
夕方、日が沈みかけていたころ、僕は学校の下駄箱で靴を履いていた。なぜ休日に学校? と思われるかもしれないけれどこれだけははっきりさせておきたい。補習ではない。断じてない。僕の学力上そのように思われてしまうのは仕方ないとは思うがそうでないものはそうでないのだ。県内で進学率高めの六九六高校-ムクロクコウコウ だとしても、その中で最下位争いを繰り広げている僕ははっきり言ってバカの部類なのである。さらにさすが進学校。追試居残り補習はバリバリあるのだ。僕も何度引っかかったものか。だが、しかし、今日だけはそうじゃないことは確かなのでどうか信じていただきたい。
さて、ではどうして休日に学校? という質問に対する答えだが、残念ながら特別なひねりなど一切ない『部活』なのだ。部活、剣道部。友人に誘われて、早くも入部二年目を迎えた。僕はあまりコミニケーション能力が高いわけでもなく、また、友達をたくさんほしいわけでもなかった。これはあくまでも僕の持論だけれど、友達というものはあくまでも必要不可欠なものではない。けれどいるといろいろ困らなかったり楽しかったりする。でも下手をすると自分自身を駄目にする、弱くする。ようするに友達というのはゲーム機やお菓子、音楽プレイヤーといった嗜好品みたいなものであると。悲しい奴だとか可愛そうな奴とか思われるかもしれない。否定しない。自負しています。でも誤解しないでほしいのは僕は決して孤独な人間ってわけでもノリの悪い人間ってわけでもないのだ。友達は嗜好品、だからこそ少しは人生を楽しむ上では必要だということは認めている。だから僕をよくしてくれたりかまってくれる人にはそれなりによくするし、場の空気を悪くするようなことはしない。自分から声をかけたりもするし、遊ぶし、時にはけんかをする。ただ、こんな考え方だから、こんな持論を持っているから、どんなことをしていてもどこか冷めているというか、本気になれないというだけだ。持論についてまだまだ語りたいが、それではいつまでも話が先に進まないのでこれぐらい大雑把にまとめて先に進めるとしよう。
そんなわけで、僕は学校からの下校途中である。
校門を出たところで、そこにいた来島を発見した。
来島紅-クルシマコウ。
高2の男子としては小柄なクラスメイト。ふさふさで襟足がやけに長い髪。若干白髪交じり。話によると中学のときに髪を染めたときの名残だとか。そんなわけでわが校のちょっとした有名人である。基本的に無口。その無口さがこれまでの髪の色と髪型をめぐる教職員との対談という名の戦乱で勝利を導いた。ちなみにこれは中学時代に実際見聞きして関わったものだからほとんど正しいと思う。ほんと、何度先生たちから来島に悩みがあるのだろうかとかどうすれば話をしてくれるのだろうかなどなど放課後に呼ばれて逆相談されたことか。まあ、僕なんかと違い生活態度や成績がよいこともあり押し切れたのだろう。いつのころからか来島の髪については触れてはならないという暗黙の了解ができていたのだから。
そんな来島とは中一のころ、席が隣のときに三角定規を借りてから仲良くなったのだ。
「・・あぁ、羽本くん。お疲れ様。部活帰り? 」
来島が僕に気がついたらしくこちらにやってきた。
「そう、部活帰り。そろそろ大会あるし。」
「そっかぁ。で、癖は直ったの? 例の羽本アウェイク」
うっと・・痛いとこついてきた。そう、剣道を始めて一年ほどの僕にはどうしても直せていない癖があるのだ。それは入部初日に発動されて以降、僕の悩みである。そう、僕の癖、羽本アウェイクとは試合や練習問わず集中しだすと竹刀を片手で持ち歩み足とかなんだかも全部飛んでいき、どこかのヒーローみたいに動き回り竹刀を振り回してしまうことである。入部初日では、先輩が新入生に対する小手調べで先輩と一対一で向き合ったときに竹刀を右手につかんで先輩めがけて全力疾走し、先輩の一太刀を体を傾けて避け、すばやく体を小さくし懐に入り込み、胴着もつけていない先輩の懐に一撃かますという剣道の心の微塵もない初陣を飾ってしまったものだ。それ以来ちょいちょい練習中も試合中も関係なく暴れまわり続けてきた。そうしていつの間にかどこぞのおせっかいさんがこれを羽本アウェイクなんていうネーミングセンスの欠片もない呼び名を定着させてくれたのだ。とんだありがた迷惑である。ちなみに僕自身はあの呼び名を使ったことはない。
「あぁ、まぁあれは・・その場でどうにかしてみるさ。」
「それ、その『その場でどうにか』ってやつ、何度目かな? 」
うっ・・。こいつ、毎度のことながら痛いところを的確に突いてきやがる。事実だけど。ほんと不思議な奴である。もともとだから気にならないけど。
「来島くーん、また明日ねー。」
不意の声の発信源は僕の後ろだった。正確にはその発信源は僕の後ろを通り過ぎて行った。特に知らない女子、だった。見たことあったかな、なかったかな。少なからず制服の校章の色からするとどうやら3年のようだ。確か、1年が青、2年が緑、3年が赤、だったはず。そう、3年生。部活に入部していないはずの来島が3年から話しかけられる理由。思い当たる節がないわけでもない。むしろこれしかない。来島は中学のころからむちゃくちゃモテるのだ。その波は校内にとどまらず我が町が狭いからかどうかはわからないが他校にも及んでいた。噂によると市内の女子学生によるファンクラブ的なものが結成されたとかそうでないとか。ネットでファンクラブ内の秘密のキーワードを打つとクラブの会員のみが知る秘密の情報共有サイトがあるとかないとか。まぁ、LOVE来島が女子の大半を占めているのは今となっては自明の理だ。なぜかって?。 バレンタインのチョコレートはほとんど来島に献上されるからだ。これについても苦しい思い出がある。とある2月14日。その年もチョコレートゼロだった僕は来島用の大量のチョコレートを僕と来島で半分ずつ持って下校し、あろうことか全部食べられないからという理由でそのまま半分もらって帰るというなんとも皮肉且つ屈辱的な間接的ないじめを受けたのだ。あれはあれでたぶんゼロより辛い何かがあった。
ということであの先輩方は来島ファンの方々なのだろう。我が町に不特定多数存在する来島ファンたちの氷山の一角に過ぎない方々なのだろう。ほんと、わが町には肉食系女子が多すぎる。これだから男子が気弱に見られてしまうのだ。なんとも迷惑な風評被害である。
僕を間に挟んで満面の笑みで手を振る先輩方と、限りなく満面の笑顔に近い苦笑いで手を振る来島。
気まずすぎる・・。まぁ、いつものことだけど・・。
「あぁ、ごめん。」
状況を察して先輩方を見送った来島が話を戻そうとする。
「いや、別にいいって。いつものことだし。」
「そっか、ありがとう。」
僕としては少し皮肉っぽく言ってみたつもりだったがノータッチだった。スローボールで討ち取られるバッターの気持ちってたぶんこんな感じなのだろう。
「そんじゃ帰るか。」
若干の気まずさに耐え切れず、僕から切り出した。なんというか来島は結構頻繁に僕と噛み合わないことがある。なぜ僕はこいつと仲良くできているのだろう、と、いまさらながら不意に思ってしまった。
先行して歩こうとする僕に並ぼうと来島が振り返るのを確認して僕は歩き出した。
が、僕らの下校はさえぎられた。目の前に立ちはだかられた。すぐに歩みを止められた。
一人の女子高生に。同級生に。大した思い出はない。それでも知っていた、覚えていた。中学時代に嫌でも耳に入ってきたやつ。有名だったがゆえに見慣れてしまった顔。そう、・・・・鍵山友音が。
無口に立ちはだかる中学時代の同級生、鍵山友音に場の空気が停止したかのような静けさを帯びた気がした。空気が静けさと冷気と静電気をを帯びていた。・・・気まずい。
「あ・・・あの、えっと・・・。」
どうやら僕は気まずさというものに弱いらしく、とっさに声を出してしまった。この静寂を、緊張感あふれる静寂を僕はちゃんと、感じていたはずなのに。
そしてそれがスタート、いや、開戦の烽火になってしまった。このとき、僕が何も言わなければ未来は変わってたのかもしれない。
「ふぅ。やっとね。やっと。」
鍵山友音が、口を開いた。か細い、きれいな声だった。鍵山友音の声をはじめて聞いた気がした。
「ごめんなさい、あなたの後ろの方、来島さん、来島紅さんですよね。」
「えっと、あぁそうですけど。」
とっさの質問に正直に答える。あぁそうなんだ。こいつもまた、来島のファンだったのか。中学時代の有名人も、高校になって学校に来なくなった女の子も例外ではないんだと思った。
「そうですか、来島さんですか。はじめまして、私・・・門番です。」
そのときだった。鍵山友音がポケットに手を突っ込み何かをこちらに投げたのは。その何かは、ブーメラン状らしきその何かは僕の左首をギリギリのところを通り過ぎてい言った。とっさに振り向くと、そのブーメランは僕の後ろにいた来島の髪を無造作に切っていた。ブーメランらしき何かの軌道上にあった来島の横髪と後ろ髪を切り落としてブーメラン状の何かはまた僕の左首ギリギリを通って行った。来島の髪が、男子にしては長すぎる肩まである髪が、散っていた。
とっさに振り返る。そして僕はブーメランらしき何かの正体を知る。振り返った先にいた鍵山友音がすでに持っていた、三角定規だった。直角三角形のほうの三角定規だった。ふつうの。
「お前、なにすんだ!」
「あら、ごめんなさい。お友達、だったのよね。そうね、それは残酷なものを見せてしまいそうね。」
「お前何を、・・・っ! 」
-見せてしまいそう。まだ何かする気なのか、こいつ! 。
こいつはやばい。そう思った。逃げなければと思った。だから、逃げた。どこへでもいいからとにかく遠くへ。来島を連れて走った逃げた。とりあえず校内に。人が多いところが安心だと思ったからだ。
気がつくと、自分の教室にいた。来島を連れて、というか半ば引きずる形でここまで逃げてきたのだ。
人気が無い教室。誰もいないこと、誰も追いかけてきていないことを確認してようやく安心できた。倒れるように椅子に腰を下ろす。疲れたから、というよりは怖かったからだ。あまりにも常識外れすぎて、あまりにも非日常すぎて。どこかの本で自分の決まりやら当然やらが崩されると人は恐怖するとか何とか言っていたがそんな感じだ。たかが数分で僕の常識が、当たり前がまるで積み木のお城をバットのスイングで吹っ飛ばされたみたいにぶち壊された。・・・なんだこの展開?
落ち着いたところでやっと来島まで気が回りだした。一応断っておくが忘れてはいないぞ、来島のことを。
来島は教室の床に座り込んでいた。僕は椅子に座って、見下ろす感じになるので来島の顔は見えないのだがおそらく唖然としてんだろうなと思う。まぁいきなり見ず知らずの同級生女子に三角定規で髪をばっさり切られたらそうなるだろうという常識的な考えだ。まぁ、さっきこの常識はぶっ壊されたが・・・。
「大丈夫か、来島? 」
「あっ・・・うん、まぁ」
「なんだったんだろうな、あいつ。意味分かんねぇ。」
「確か鍵山さんだったよね。久しぶりに見たよ。何が目的だったんだろうね。」
っと、来島は僕を見上げた。笑顔だ。作り笑顔かどうかは分からないがとにかく笑顔だから心配な-ってあれ? 来島の歯が、二本だけ、不自然に出ていた。はにかむ来島の口の中から上の歯が二つ、まるで牙のように出ていた。犬歯っていうんだけ、これ。なんか違う・・・まぁなんでもいい。とりあえず牙。これで大体想像つくだろう。
「お前、なんか歯が変だぞ。」
「歯?・・・っ?!」
来島が驚きの声をあげた。声にならない声って言う感じだった。
「どんな風に見えるの? 」
「どうって言われるとなぁ・・・、なんというか牙が二本っていうか-、」
ぶずっ。・・・ぶずっ?
首が、痛い。
もう来島は目の前にいなかった。来島は後ろにいた。そして、僕の首に噛み付いていた。
「っく・・・。」
苦痛に声が漏れる。来島の歯が、牙が僕の首に突き刺さっているのを感じる。と思えば後ろから蹴りを食らった。人間の蹴りとは思えない威力で僕は教卓の位置から一気に教室の後ろの黒板まで吹っ飛ばされた。体が黒板にめり込むほどに。背中が痛いっ。痛みに視界がぼやける。首から血が・・・。立ち上がって逃げる力さえ入らない。変な汗をかきはじめた。この感覚は知っている。貧血だ。
「あーあ。ばれちゃったなぁ。もう四、五年は大丈夫と思っていたのに。ちっあの門番め。こんな不格好に散髪してくれちゃって困ったわ。」
あれ、女口調? ていうか、服が、変わってる。制服じゃない。来島は襟が長い黒いマントに身を包んでいた。髪が・・・白髪、じゃない、銀色になっていた。
口に牙。マント。血。
「・・・・・・きゅ、吸血鬼。」
「あら、正解。まぁ、こっちじゃ結構メジャーな種だし、パッと見で分かっちゃうわよね。じゃぁ大体分かるでしょ? ねぇ。羽本くん。・・・死んでくれる? 」
そういいながら来島は自分の爪で自分の腕をグチュグチュほじくってその手についた血を飛ばした。血液の水滴が空中を舞い、それが人の形に変わって行く。同じような吸血鬼に変わって行く。囲まれた。フードで顔の見えない奴らに囲まれた。
「じゃあ羽本くん、死んでくれる? 」
来島の言葉を合図にいっせいにフードの奴らが飛んでくる。
死ぬのかな、僕。こんな意味分からんことで。友達によって。
焦点が合わない。何も見えない。・・・死ぬ。
ドスン。
っ痛ってー!!!
一気に目が覚めた。顔面が痛い。無理やり再起動させられた意識が現状把握を始める。最初に感じたのは顔面、特に頭部の激痛。次に後頭部を誰かにつかまれている感覚。そして目の前の人影。少しずつ焦点があっていく。あれは・・・!!?
鍵山友音。
さて、ここまでの状況整理は終了・・・っと。
誰かどうしてこうなったか教えてくれ。
さて、こっからが現在だ。現在進行形の話だ。