表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
隻腕の代理王 ―腕一本で国が救えるなら、安いものだ―  作者: ryoma
【第2章:狂った忠臣と北の地獄編】

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/43

第8話 暗殺ごっこに興じる少女と、もう一つの守るべき命

カイルが鼻歌交じりに地下へ消える。

入れ替わるように、重厚な扉が開かれた。


騎士団長アラリックだ。

その背後に、場違いなほど小さな影を引きずっている。


「殿下、こちらを」


アラリックが一歩下がる。

影が前に出た。

十代半ばの少女。

エリン。


使い古された革の軽鎧。泥のこびりついたブーツ。

短く刈り込んだ黒髪はボサボサで、頬には煤と脂の汚れが張り付いている。

だが、瞳だけが異質だ。

野良犬、あるいは手負いの狼。

そこにあるのは、触れれば切れるほどの敵意と警戒心だけ。


「我が団で最も腕の立つ斥候、エリンです。作法など教えておりませんが……腕は確かです」


アラリックは少女の肩に手を置こうとし、無言で避けられたことにも気づかず続ける。


「風の音で敵の数を知り、気配を殺して壁を越える。騎士では踏み込めぬ死地も、彼女ならば」


エリンは若き主君を見上げる。

値踏みする目。

畏敬などない。「こいつは私をどう使う?」という、冷徹な計算だけが光っている。


「……カイルの護衛兼、監視として同行させます。あの男の手綱を握り、万一裏切った場合には、その喉を食いちぎる役目として」


若者が視線を向ける。

エリンはふいっと目を逸らし、不貞腐れたように唇を動かした。


「……よろしく」


たった一言。

だが、重心は低く、隙がない。

生きるために泥水を啜ってきた者特有の、静かな殺気。


若者が頷く。

直後、影の底からリオラが滲み出た。

音もなく主君の耳元へ滑り込む。


「殿下。城下の情報屋より、面白い『種』を見つけました」


いつもより低く、湿り気を帯びた声。


「帝国の圧政を逃れ、我が国に潜伏中の元・輜重しちょう兵。名をウーゴ。彼は帝国の兵站、つまり『胃袋と財布の中身』を把握しています」


若者の眉が跳ねた。

戦争において、剣や槍よりも重いもの。

兵の腹を満たす麦と、鉄を買う金だ。


「……帝国の内臓、それも急所を知っているか」


「はい。彼を引き込めれば、帝国の『鼻面』を砕く算段が立ちます。物資を断てば、千人長の騎兵とて飢えた案山子」


リオラは言葉を区切る。


「……ただし、彼は現在、教皇国の信者たちに『異端』として追われ、廃屋に隠れています。帝国から逃げる際、教皇国にとっても不都合な『毒』を持ち出した可能性があります」


帝国と教皇国、双方から追われる男。

火薬庫だ。

だが、使いようによっては最強の爆弾になる。


沈黙。

謁見の間の冷たい空気が、肌を刺す。


ズキン。

若者の右肩が脈打つ。

幻肢痛。

失った腕が、見えざる炎で焼かれる感覚。

骨の軋むノイズが思考を白く塗りつぶそうとするのを、鉄の意思でねじ伏せる。

息を吐く。


「アラリック、リオラ」


二人の背筋が伸びる。


「私はお前たちに裏切られるなら、仕方ないと思っている。それくらい、お前たちの目を信頼している」


アラリックが目を見開く。

リオラの長い睫毛が、微かに震えた。

王族とは本来、誰も信じぬ生き物。

だがこの隻腕の王は、全幅の信頼という名の鎖を、自ら首に巻いて差し出したのだ。


「その忠臣が推薦するなら、全面的に信じよう」


若者はエリンを見た。

少女は驚いたように、瞬きを繰り返している。


「エリンにも伝えておけ。使い捨ての駒ではない。帰ってきたら重役で酷使してやるから、命を安売りするなと」


エリンの瞳が揺れる。

「死んでこい」とは言われても、「帰ってこい」と言われたことなどないのだろう。

唇を噛み、何かを堪えるように俯く。


「カイルにも伝えろ。『守る命がもう一つ増えたが、頼む』と」


若者はリオラに向き直る。


「リオラ。早急にその異端児を保護しろ。教皇国の追手よりも先にだ」


リオラは深く、額が床につくほど頭を垂れた。


「……承知いたしました。我が命に代えても」


◇ ◇ ◇


城門。

霧が晴れ始めた朝。

湿った石畳が白く光る。


木樽を山積みにした幌馬車。

積み荷は、公国の歴史そのものである秘蔵酒だ。


カイルは御者台で、けだるそうに煙草を燻らせている。

見送りの兵士から伝言を聞くと、紫煙と共に鼻で笑った。


「守る命がもう一つ、ねぇ。……自分の国だけで手一杯だろうに。面倒な荷物が増えたもんだ」


カイルは馬車の横のエリンを見る。

少女は腕を組み、不機嫌な猫のように睨み返した。


「おい、そこの不機嫌な小娘。護衛だか監視だか知らんが、足手まといになるなよ。死にたくなければ私の背中に隠れてろ」


エリンは答えない。

代わりに、腰の短剣を鞘に収めた。

カチリ。

冷たく硬質な音が鳴る。

『余計な口を叩くと、背中から刺す』という警告。


カイルは肩をすくめる。


エリンは尖塔の方を一度も振り返らず、歩き出した。

だが、その足取りに捨て鉢な軽さはない。

「帰ってきたら重役」という約束。

その重みが、少女の背筋を微かに緊張させていた。


「はいはい、出発だ。地獄への観光旅行といこうぜ」


手綱を振るう。

ギィ、と車輪が軋んだ。

轍の音が、朝の静寂に泥臭く響く。


不実な外交官と、野良犬のような斥候。

水と油の二人が、国の運命を乗せて、霧の向こうへと消えていく。

お読みいただきありがとうございます!

もし「面白そう!」「続きが気になる!」と思っていただけたら、

広告の下にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、執筆(投稿)の励みになります!

ブックマークもぜひポチッとお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ