第6話 粛清の朝と、次なる手駒
夜明け前。
闇が最も濃く、粘つく刻限。
第二騎士団副団長セドリック。
自室へ滑り込んだ瞬間、影が実体化した。
リオラだ。
抵抗する間もない。
関節が悲鳴を上げ、床に押さえつけられる。
セドリックは喚いた。
「間違いだ」「国のためだ」。
言い訳はすぐに枯れ、獣じみた罵声に変わる。
「俺は間違っていない! 沈みゆく泥船から逃げて何が悪い! 貴様らこそ国を滅ぼす元凶だ!」
リオラは無言。
感情のない瞳で見下ろし、冷たい鉄の枷をはめる。
カチャリ。
無機質な音が、騎士としての死を告げた。
裏切りの証拠は明白。
彼が放った偽情報に、帝国軍が食いついた事実そのもの。
弁明など、泥水に溶けて消える。
セドリックは地下へ、石壁の奥深くへ引きずられていく。
絶叫は闇に吸われ、誰の鼓膜も震わせない。
同時刻。教皇国へ向けて早馬が走る。
鞍袋には、捕虜マルクスの「禁忌の魔導具」と「枢機卿の秘密印」の写し。
抗議文は、氷の刃だ。
『貴国の高潔なる聖職者が、なぜ我が国で禁忌を犯したのか。相応の者が説明に来られたし』
行間から滲むのは、恫喝。
宗教戦争の火種になり得るぞ、という血なまぐさい招待状だった。
◇ ◇ ◇
東の空が、鉛色に白む。
夜通し叩きつけた暴風雨は止んだ。
代わりに、視界を奪うほどの濃い霧が城下を包んでいる。
窓を開ける。
濡れた土の匂い。鉄錆のような朝の空気。
肺に入れると、内側から冷える。
若き主君の私室。
老宰相ヴァイン、騎士団長アラリック、侍女長リオラ。
全員の顔に、泥のような疲労がこびりついている。
だが瞳には、死線を越えた獣の光が宿っていた。
「……殿下、見事な采配でした」
ヴァインが、軋む体を引きずるように頭を下げる。
「しかし、帝国は屈辱を忘れません。教皇国も、マルクスをトカゲの尻尾として切り捨てるでしょう。……根本的な解決には至っていない。我々には、国を支える真の『友』が必要です」
若者は椅子に深く沈んだ。
ズキン。
失った右腕の断面が、焼けた鉄を押し当てられたように熱い。
幻肢痛。
骨の髄を削るノイズを、奥歯を噛み締めてねじ伏せる。
「三人に命じる」
若者は、血と泥の匂いを纏った側近たちを見回した。
「出身、地位、種族。すべて不問だ。有能で信頼できる者を集めろ」
「……承知いたしました」
ヴァインの老いた瞳に、知謀の火が戻る。
「私の人脈からは、大国の帳簿の裏まで読み解く『商家の不遇な二男坊』や、法を武器に変える『異端の法学者』を。金と法の泥仕合には、悪知恵が必要です」
「武に秀で、私利私欲なき者を」
アラリックが、分厚い胸板を拳で叩く。
革鎧が重い音を立てた。
「騎士のみならず、兵卒の端々まで篩にかけます。身分などどうでもいい。魂の形だけを見極めて参ります」
「私は、影の中に生き、主君を裏切らぬ理由を持つ者を探します」
リオラが短く告げる。
言葉は少ない。だが、その覚悟は血よりも重い。
若者は頷く。
視線をヴァインへ。
最も懸念していた案件を、喉の奥から絞り出す。
「それと、北の『古き種族』……ドワーフたちとの交渉だ。彼らの技術と鉄は、帝国を殺すために不可欠だ」
ドワーフは偏屈で排他的。
半端な使者など、門前払いどころか、死体で戻ってくるのが関の山だ。
「今のお前たちには、城を離れてもらっては困る。誰か、適任はいるか」
ヴァインが押し黙る。
眉間に深い皺が刻まれた。
「……一人、能力だけで言えば適任がおります」
声に混じる、ざらついた躊躇い。
「かつて天才外交官と謳われながら、酒と博打で身を崩し、今は場末の酒場で腐っている男。『カイル』です」
「カイル」
若者はその名を口の中で転がす。舌に残る苦い響き。
「古き種族の言語を解し、彼らが好む『奇妙な鉱石』を見抜く目を持つ。知識と弁舌だけなら、大陸でも五指に入るでしょう」
ヴァインは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「……ただ、筋金入りの不実な男です。国運を左右する交渉を、彼に任せますか?」
若者の目が細められる。
「『筋金入りの不実』とは、どういう意味だ」
ヴァインは窓の外、白く澱んだ霧を見つめた。
「カイルは、かつてこの国で最も期待された男でした。しかし、彼は『信じる』という機能を、魂のどこかに置き忘れてきたのです」
室内の温度が、ふっと下がった気がした。
「かつて、帝国の高官を罠にかけるため、自らの上官を売り渡しました。結果として国益は得た。ですが……彼にとって、忠誠や信義は交渉の『安い小道具』に過ぎない」
重い溜息。
「酒と博打に溺れるのは、退屈を紛らわせるため。彼を動かすのは正義でも愛国心でもない。ただ一つ……『この退屈な世界が、どれだけ面白く、残酷に転がるか』という冷徹な好奇心のみ」
ヴァインは、祈るような目で若き主君を見上げる。
「彼に国を託すのは、飢えた狼に羊の群れを預けるようなもの。……決して、『情』で訴えてはなりません。情を見せた瞬間、そこを弱みとして食い破られる」
若者は沈黙した。
指先で机を叩く。
コツ、コツ。
乾いた音が、静寂に吸われる。
忠義の騎士。影の忠臣。老獪な宰相。
手駒は揃った。
だが、足りない。
毒を以て毒を制すための、致死性の劇薬が。
右腕の傷が脈打つ。
痛みこそが、正気をつなぎ止める楔だ。
若者は顔を上げた。
「すぐにカイルと面談させてくれ」
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▼次回予告
12/27~12/30は1日3話投稿です!
投稿スケジュールは08:10、12:10、20:10になります!




