後日談5 【完結】 百年の平穏と、最後の王の微笑み
若き王が、世界の重荷を背負って黒い結晶の中で眠りについてから、百年が過ぎた。
かつて戦乱と呪いに覆われていた大陸は、今、繁栄と平和の中にあった。
◇ ◇ ◇
レムリアは、大陸全土を結ぶ交通と文化の中心地として栄え続けていた。
若き王が夢見た「民が中心の国」。
王はいなくとも、その遺志は法律となり、道徳となり、人々の心に根付いている。
かつて狂信に染まっていた教皇国は、「古儀式派」の主導で穏健な宗教国家へと生まれ変わった。
過去を悔い改め、毎年、若き王に感謝を捧げる使節団を派遣している。
自由都市連合との交易は栄え、大陸全土が豊かになった。
街角ではエルフの吟遊詩人が歌い、北の山脈を失ったドワーフたちは、レムリアの職人と共に新たな技術を生み出している。
戦争は、もうない。
呪いの脅威も、もうない。
大陸は、若き王が命を賭して守り抜いた真の平穏を、ついに手に入れていた。
◇ ◇ ◇
国境の丘、「杭の聖堂」。
今や大陸最大の聖地となっていた。
毎日、数千人の人々が巡礼に訪れ、祈りを捧げている。
言語や種族が違えど、想いは一つ。
「最後の王よ、ありがとうございます」
「あなたのおかげで、私たちは今日も幸せです」
「いつか目覚める日が来るまで、安らかにお眠りください」
彼らの祈りは、確かに若き王に届いていた。
◇ ◇ ◇
黒い結晶の深淵。
若き王は夢を見続けていた。
かつて脳を焼いた「負の感情」と「痛み」の濁流は、年々減り続けていた。
代わりに流れ込んでくるのは、温かい光のような「感謝」と「幸福」の感情。
夢は、穏やかで、日だまりのように温かい。
夢の中で、若き王は人々の笑顔を見ていた。
難民だった少女のひ孫が、パン屋の店主として笑っている。
アラリックのような老兵の孫が、剣ではなく農具を手に畑を耕している。
かつての敵国の民が、レムリアの民と酒場で肩を組んでいる。
若き王は瞬きも惜しんで見つめた。
顔には、深い満足の笑み。
「……俺は、正しかった」
静かに、確信を持って呟く。
「あの時、誰かを犠牲にする天秤を叩き壊して、正しかった」
目を閉じる。愛した者たちの笑顔。
「誰も犠牲にしない。誰も切り捨てない。……そんな子供じみた『わがまま』を貫いて、本当に正しかった」
心は、かつてないほどの深い幸福と達成感に包まれていた。
◇ ◇ ◇
ある日、年老いた司祭が不思議な光景を目にした。
祭壇の奥、黒い結晶が一瞬だけ柔らかく発光したのだ。
眠る若き王の唇が、微かに動く。
司祭は息を止めて耳を澄ませた。
風のささやきのような声。
「……ありがとう」
誰に向けられた言葉か。
かつての側近たちにか。今を生きる民衆にか。
それとも——この平穏な世界そのものにか。
司祭には分からなかった。
だが、一つだけ確かなことがあった。
若き王の顔には、この世の誰よりも幸せそうな笑みが浮かんでいた。
苦痛に耐える殉教者の顔ではない。
最高に幸せな夢を見ている、ただの青年の顔だった。
◇ ◇ ◇
司祭は聖堂の外に出た。
今日も大陸中から訪れた人々が、長い列を作っている。
老人、若者、子供。
貧しい者も、豊かな者も。
皆、同じ柔らかな表情で聖堂を見上げている。
感謝と、敬意と、深い愛情。
司祭は涙ぐみながら微笑んだ。
「……陛下。あなたの犠牲は、決して無駄ではありませんでした」
聖堂を振り返り、深く一礼する。
「あなたは大陸を救いました。そして……あなた自身も、私たちによって救われています」
空を見上げる。
どこまでも澄み切った青空。
戦火も、黒い煙も、悲鳴もない。
鳥がさえずる平穏な空。
「最後の王よ」
祈るように呟く。
「どうか安らかに、お眠りください。あなたの夢は、私たちが永遠に守り続けます」
◇ ◇ ◇
黒い結晶の中。
若き王は夢を見続けていた。
春の日差しのように穏やかで、母の腕の中のように温かい夢。
懐かしい側近たちと笑い合う夢。
愛する民衆と語り合う夢。
父王と酒を酌み交わす夢。
ただただ幸せだった。
その幸せは、永遠に続くだろう。
平穏が続く限り。笑顔が続く限り。
若き王は、決して覚めることのない幸せな夢を見続ける。
それこそが、彼が選んだ「共生の地獄」の真の姿だった。
そこは地獄ではない。
彼が作り上げ、彼自身が招かれた、天国だった。
若き王は、自らの選択と犠牲によって、最高の幸福を手に入れたのだ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【エピローグ】
さらに長い年月が流れた。
若き王の物語は、歴史となり、伝説となり、やがて神話となった。
しかし、人々は決して忘れなかった。
かつて、一人の隻腕の若き王がいたことを。
自らの命と魂を賭けて、大陸を滅びの運命から守った王がいたことを。
そして——。
その王が、今も夢の中で、人々の幸せを願って眠っていることを。
「杭の聖堂」には、今日も人々が訪れる。
黒い結晶に手を触れ、感謝の祈りを捧げる。
「最後の王よ、良い夢を」
「あなたの幸せが、永遠に続きますように」
黒い結晶の中で、若き王は微笑む。
その笑顔は、百年前と変わらない。
穏やかで、温かく、幸福に満ちた、少年のままの笑顔だ。
最後の王は、今日も夢を見ている。
平穏な世界の夢を。
幸せな人々の夢を。
そして——。
愛する側近たちと、永遠に笑い合う夢を。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【完】
——これは、一人の王の物語——
——自らの命を賭けて、世界を守った王の物語——
——そして、最後に幸福を手に入れた王の物語——
——最後の王に、永遠の栄光を——
短い間でしたが、最後までお読みいただきありがとうございます!
もし面白かったと思っていただけたら、
広告の下にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、執筆(投稿)の励みになります!
ブックマークもぜひポチッとお願いします。




