第37話 勝利の鐘と、教皇国が残した最後の悪意
瞼の裏に、潮の香りが混じった「鐘の音」。
蒸気装甲艦隊の号砲。
若き王はゆっくりと目を開けた。
返り血と泥で汚れた側近たち。
一人も欠けることなく傍らに立っている。
アラリック、ヴァイン、カイル、リオラ、エリン。
疲労と安堵。そして、言い淀むような複雑な表情。
窓の外。炎上し沈みゆく教皇国の総旗艦。
戦場は完全な反撃の局面。
しかし——。
◇ ◇ ◇
カイルが血に濡れた書簡を差し出す。
深刻な表情。
「……お目覚めですか、陛下」
「勝ったと言いたいところですが、教皇国が『置き土産』を残しました」
若き王は震える手で受け取る。
勝利の喜びを冷水で洗い流す内容。
教皇国は撤退の間際、「聖櫃」を自爆させた。
「黒い塔」と国境を直結させる「空間の回廊」を開いたのだ。
「陛下……国境から『黒いタール』が洪水のように溢れ出しています」
声が震える。
「泥の中から『光の亡者』が蘇っている。教皇国は、世界ごと呪いに沈める気です」
若き王の目が鋭くなる。
右肩の義手が激しく熱を帯び、ジリジリと震えている。共鳴。
若き王は静かに、断固たる決意で口を開いた。
◇ ◇ ◇
「皆、落ち着いてよく聞け」
天幕の空気を支配する声。
「俺は、人柱になる」
時間が凍りつく。
アラリックが目を見開き、ヴァインがよろめく。
リオラとエリンが息を呑み、カイルが悔しげに目を伏せる。
「負の感情で呪いは強くなる。俺が全ての呪いを引き受け、封印する」
静かに続ける。
「痛みは感じるらしいので……国を平定し、民を笑顔にして、俺を安らかな人柱にしてくれ。お前たちの笑顔だけが、俺の鎮痛剤だ」
側近たちの目から涙が溢れ始める。
「教皇国は抜け殻だ。『古儀式派』と連携し、争いを収めよ」
一人一人を愛おしむように見つめる。
最後の言葉。
◇ ◇ ◇
「エリン」
かつての不遜な少女。今、目には大粒の涙。
「重役を約束と言いながら、何も与えられなかったな……嘘つきの王ですまない」
優しく笑う。
「これからの国での重役登用ということで、勘弁してくれ」
エリンは唇を噛み締める。
「……陛下。私はあなたに拾われて、初めて生きる意味を知りました」
涙を流しながらも顔を上げる。
「その恩は、この国を守ることで返します。……必ず、あなたが守ったこの国を、私が守り抜きます」
◇ ◇ ◇
「カイル」
稀代の博打打ち。空っぽのスキットルを握りしめている。
「面白い世界を特等席で見る報酬は、払えたか?」
自嘲気味に笑うカイル。
「……ああ。最高の見世物だった。高すぎてお釣りがくるくらいだ」
「酒とギャンブルはほどほどにな。たまには国のために、その悪知恵を貸してくれ」
カイルは深く跪く。初めて「負けたよ」と呟くように。
「……あんたとの賭けは、俺の人生で一番の大博打だった。そして、俺の完敗だ」
声が微かに震える。
「この退屈になるかもしれない平穏な国で……あんたの勝ち分を、きっちり守ってやるよ。地獄の底から、笑って見ていてくれ」
◇ ◇ ◇
「リオラ」
影の女。止めどなく涙が溢れている。
「危険な橋を渡らせてしまったな」
「もう影に徹する必要はない。これからは、表舞台で、陽の光の中で活躍してほしい」
リオラは震える声で答える。
「……陛下。影として生きることが私の誇りでした」
涙を拭い、顔を上げる。
「しかし……あなたがそう望むなら。私は、表舞台で、この国を守りましょう」
深く頭を下げる。
「あなたの影は、この国の光となります」
◇ ◇ ◇
「ヴァイン」
杖を握りしめ、体を支える老宰相。
「老体に鞭打ち続けて、すまなかったな」
震える左手で肩に触れる。
「でも、もうひと頑張りしてくれ」
静かな声。
「この国は、王政を廃止し、民が中心の国にする」
驚きに見開かれる目。
「制度構築や、反乱する貴族の押さえつけ……大変だと思うが、頑張ってくれ」
ヴァインは溢れる涙を拭おうともせず、人生で最も重い一礼を捧げた。
「……陛下。あなたほど、民を思う王を、私は知りません」
涙でぐしゃぐしゃの顔。決意に満ちている。
「この老骨が朽ちるまで……あなたの遺志を、必ず継ぎます。あなたが愛したこの国を、未来へ繋ぎます」
◇ ◇ ◇
「アラリック」
最後に騎士団長の前へ。
鋼の籠手を外した素手で、左手を包み込むように握りしめる。
失われた右腕の温もりを探すように震える手。
「一番苦労をかけたな」
柔らかく響く声。
「お前がいたから、安心して王として振る舞えた。背中を預けられるのは、お前だけだった」
涙が王の手に落ちる。
「この国を任せたぞ」
「これからの国の、背骨として、盾として、矛として、支えてほしい」
アラリックは言葉にならなかった。
悲しみと誇り、燃え尽きることのない決意。
「……陛下。私は……あなたの剣であり、盾であり、失われた右腕の代わりでした」
壊れ物を扱うように、強く手を握りしめる。
「その役目は変わりません。この国があなたの遺志を継ぐ限り……私は、その守護者であり続けます」
◇ ◇ ◇
若き王は、涙に濡れる側近たち全員を見渡した。
これが、最後だ。
「最後に、国民の前で演説をする。その後、人柱になる。あとは頼んだぞ」
晴れやかに笑う。
「そして、最後の王命だ」
側近たちが顔を上げる。
「皆、働くのもほどほどに、長生きしろよ。……幸せになれ」
新たな涙が溢れる。
天幕の外では、夜明けの光が差し込み始めていた。
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