第34話 沈黙の図書館と、ウーゴが遺した「三つの問い」
『第一の問い。【代償の極北】』
冷たい無機質な声。
『汝は右腕を捨て、部下を死なせ、呪いを宿した。だが、真理を得る最後の鍵は「人としての記憶」である』
漆黒の空間。
『愛、憎しみ、家族との情……すべてを捧げ、ただ「国を守る器」となる覚悟はあるか?』
胸が万力で締め付けられる。
父との記憶。絆。歓声。
すべてを捨てて「器」になれと。
『第二の問い。【正義の正体】』
声は続く。
『守ろうとしているのは、民か、それとも「王としての己」か』
左拳を握りしめる。
『公国を救う唯一の手段が、数万の民を「黒い蔓の苗床」として捧げることならば、汝は彼らを屠ることができるか? 少数を捨て多数を生かす。王道の理なり』
民を守るために、民を殺せと。
そんな地獄を、正義の名のもとに受け入れられるはずがない。
『第三の問い。【終わりの選択】』
さらに冷酷に。
『鉄の黒死病は人の業。消し去る術はない。汝にできるのは「矛先」を変えることのみ』
瞬時に理解した。
『黒い塔を他国へ転移させれば、公国は平穏を得る。他国の数百万を殺し、自国の一万を守るか? 愛国心とは、即ち他者への排他なり』
重苦しい沈黙。
◇ ◇ ◇
白紙の頁に帝国の「禁忌」が流れる。
地下の「古き神の残滓」に人の魂を喰わせていた帝国。
それを黙認し、エネルギーを抽出していた教皇国。
呪いは事故ではない。二大国の共謀による「搾取の果て」。
激しい怒りの炎。
「陛下……答えてください。書が、あなたの『生き様』を求めています」
闇の向こう、ウーゴの声。
「……答えを誤れば、この知識は陛下を飲み込む『呪い』へと変わるでしょう」
義手が心臓に合わせて熱く脈打つ。
記憶を捨てろ。民を殺せ。他国を滅ぼせ。
どれも「敗北」であり「降伏」だ。
若き王は目を閉じ、カッ! と見開いた。
深淵よりも深い、揺るぎない意志。
◇ ◇ ◇
「全て論外だ!!」
空間を切り裂く声。
「飲むことはできん! それは王の道ではない、畜生の所業だ!」
白紙の頁が震える。
「欲望のまま結論を出すから闇は消えない! 犠牲の上の平和など、砂上の楼閣に過ぎん!」
魔導義手を握りしめる。黒い火花。
「俺は、こんなクソみたいな呪いに負けるほど、やわじゃない! 民も、記憶も、未来も、全て俺の手で掴み取る!」
パリーンッ!
空間に亀裂が入る。
白紙の頁からドス黒いインクが溢れ出し、激しく波打つ。
「……ク、クフッ……アハハハハハハッ!!」
ウーゴが狂ったように笑い転げた。
瞳から黒い涙が溢れる。
「……素晴らしい! 歴代の賢者も聖人も、最後には『数』を数え、愛する者を天秤にかけた」
歓喜に震える声。
「……だが、あなたは天秤そのものを叩き壊した! その『傲慢』こそ、この書が一度も記録できなかった答えだ!」
◇ ◇ ◇
ズズズズズ……。
巨大な魔導書が逆さまに回転する。
「声」が、畏怖を込めて囁いた。
『……生を捨てず、民を捨てず、他国を呪わぬというのか』
力強く頷く。
『……ならば、汝が進むのは「共生」という名の地獄』
予言のような声。
『呪いを消さず、薄めず、ただ「器」に溜め込み続け、死ぬまでその毒に焼かれ続ける道だ』
痛みなど、とっくに友だ。
『……汝は、神にも悪魔にもなれぬ「呪われた人間」として、世界すべての泥を背負うことになるぞ』
微かに、不敵に笑う。
「それでいい」
闇を震わせ、光を生む。
「俺は最初からそのつもりだ。王とは、泥を被るためにある!」
義手が爆発的な熱を持つ。
黄金の鍵を通じ、禁忌の知識——教皇国が隠してきた「封印の真実」が脳内に流れ込む。
◇ ◇ ◇
教皇国の真実。
「奇跡」の正体は、呪いを濾過し変換した魔力。
彼らは呪いの消滅を望んでいない。「管理」し、独占することを望んでいる。
対抗策。
【共鳴する墓標】。
呪いを消すことはできない。だが、「杭」が「蔓のネットワーク」を逆流させ、一点に引き受けることができる。
その者は、大陸中の「負の感情」と「痛み」を常に受信し続けることになる。
若き王は全て受け入れた。
これが、自分の選んだ道だ。
◇ ◇ ◇
「……陛下、急いでください! 図書館が崩壊します!」
現実に戻る。支えるリオラとエリン。
天井が崩落し、黒いタールが書架を飲み込んでいく。
ウーゴが崩れゆく闇の中で微笑んでいた。
「……陛下。あなたの『わがまま』が、この大陸をどう変えるのか……見たかった」
黒い泥に飲み込まれていく。
「……さあ、行ってください」
誇らしげな笑み。
「……あなたの帰る場所には、もう『光の軍勢』が迫っている。……守ってやってください」
ウーゴは消えた。
若き王は崩壊する図書館から飛び出す。
手の中には、新たな「力」と「真実」が握られていた。
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