第27話 隻腕の王の帰還と、新たな「義手」の胎動
若き王が目を開けたのは、五日目のことだった。
かつて父王が死の淵を彷徨ったのと同じ豪奢な寝室。
窓の外は雨上がり。この世の終わりのように澄み渡った青空。
しかし北の帝都の方角には、未だに不吉な黒い煙が立ち上っていた。
「……お目覚めですか、陛下」
枕元には、深い隈を作ったカイル、包帯だらけのアラリック、そして泣き腫らしたエリン。
若き王は体を起こそうとしてバランスを崩す。
右肩が鈍く、焼けるように痛む。
虚しく揺れる袖。
切り離された右腕が遠くで叫ぶような、奇妙な幻覚痛。
「……どれくらい眠っていた」
「五日です」
カイルの声は酷く乾いていた。
「状況を報告します」
◇ ◇ ◇
カイルが事務的な口調で報告する。
「帝都『グラディウム』は黒い塔に食い破られ、崩壊しました。第一皇子や大蔵卿の生死は不明。軍閥化した帝国軍と数万の難民が、レムリアへ雪崩れ込んでいます」
予想通りの地獄絵図。
「軍について」
アラリックが一歩前へ。
「ベリサリウス大将軍の老兵五百と、ヴォルカス千人長の重装騎兵三百を『黒騎士大隊』として編入しました。……彼らの士気は、鬼気迫るものがあります」
「内政については」
カイルが引き取る。
「リオラとエリンの『深夜の訪問』により、内通していた三家を即刻処刑、あるいは追放しました。没収資産は軍事費と難民対策へ」
若き王はエリンを見る。
かつての無垢な少女ではない。手を汚す覚悟を決めた「戦士」の目。
「メフィストの成果について」
カイルが顔をしかめる。
「イカれたマッドサイエンティストは、陛下の右腕から『黒い蔓』のエネルギー抽出に成功しました。『義手』の骨組みを作っています」
若き王の目が細められる。
「彼曰く、『もはやただの腕ではありません。呪いを燃料とした神の鉄槌になるでしょう。ただし、歌が聞こえ始めるかもしれませんが』……とのことです」
幻覚痛を感じながら頷く。毒を食らわば皿までだ。
「最後に、教皇国」
カイルの声が低く、重くなる。
「陛下が帝都を脱出した後、教皇国は一切の抗議を止め、不自然なほど静かに軍を引き上げました」
「……嵐の前の静けさか」
「はい。大陸史上最大規模の『聖戦軍』が結成されつつあります」
◇ ◇ ◇
「国内の情勢は? 私への評価はどうなっている」
カイルが頷く。
「戦時戒厳状態です。陛下が片腕を捧げ、生ける伝説を連れて帰還した報は、民衆に『恐怖』を上回る『熱狂』を植え付けました」
複雑な表情で聞く。
「もはや単なる『次期公王』ではありません。身代わりとなった『殉教王』として、神格化が始まっています。陛下が生きている限り、国は滅びないと盲信しています」
「……重いな」
「ええ。ですが、今はその重さが国を繋ぎ止めています」
カイルは続ける。
「軍については、もはや壁はありません。彼らは自分たちを『王の千本腕』と呼び始めています」
アラリックが熱い瞳で見つめる。
「彼らの忠誠は『国』ではなく、明確に『陛下個人』に向けられています」
「つまり、現在のレムリアは『陛下を中心とした危うい共同体』です。陛下という楔が抜ければバラバラになる。しかし玉座にある限り、どんな大軍も押し返す『鋼の意志』として機能します」
◇ ◇ ◇
寝室の扉が激しく叩かれる。
老宰相ヴァインが蒼白な顔で転がり込んできた。
「陛下……! 教皇国より『謝罪』と称して使節が参っております!」
声が震える。
「随行しているのは千人の武装した『免罪修道士』。……『神聖な儀式』への即時出席を求めています。事実上の最後通牒です!」
若き王は痛み止めも飲まず、ゆっくりと立ち上がった。
瞳に王の光が宿る。
「……行くぞ。売られた喧嘩だ」
◇ ◇ ◇
謁見の間。
激痛をねじ伏せ、玉座に座す。
目の前には、赤い頭巾の使節。
血と香油の臭気。
背後には、処刑鎌を背負った千人の修道士が整列している。
「レムリアの新王よ。猊下は『悲劇』を慈しんでおられる」
傲慢な声。
「……帝都の崩壊は天罰である。だが、呪いを持ち帰った貴殿もまた、浄化の対象である」
漆黒の書簡を差し出す。
「貴殿の呪いを奉納し、公国すべてが教皇領となるならば、民は『聖戦』から救われるであろう」
声が低くなる。
「……さもなくば、今この場で『慈悲の浄化』を開始することになる」
カイルが短剣に手をかける。アラリックが殺気を放つ。
若き王は静かに、よく通る声で口を開いた。
「教皇猊下の名を語った獣に騙されると思うか?」
使節が強張る。
「私は伝えたはずだ。『こちらから向かう、しかるべき立場の予定を空けておけ』と」
声が響く。
「まさか礼節ある大国が、誠実に対応しないなどありえない」
目が鋭くなる。
「即刻立ち去れ、偽物め! 貴様の戯言を聞く耳は持たぬ!」
「……我らを偽物と呼ぶか」
「もし強硬手段に出るなら」
若き王が立ち上がる。
隻腕の影が使節を威圧する。
「我が軍と、たった千人で戦う覚悟はあるか? ここは既に貴様らの神の庭ではない。私の国だ」
窓の外。
城壁の上に無数の弓兵と、ベリサリウス率いる「黒騎士大隊」が現れた。
三千の精鋭の殺気。
重苦しい沈黙。
使節が舌打ちする。
「……偽物、ですか。クク……よろしい」
底知れない不気味な笑い。
「その不遜な言葉、永遠に刻んでおきましょう」
踵を返す。
「陛下、次に教皇国を訪れる時、そこは『交渉の場』ではなく、貴殿の穢れた魂を焼く『処刑の祭壇』となるでしょう」
千人の修道士が去っていく。
一時の勝利。
しかし、それが「全面戦争」へのカウントダウンであることを、全員が肌で理解していた。
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