第26話 「切り落とせ」 王が人の形を捨てた日
右肩を貫かれた衝撃。
若き王の体が、アラリックの腕の中で崩れ落ちた。
カイルの一閃は迷いなく、残酷なまでに完璧だった。
「メフィスト! 止血だ! 急げ!」
怒号より早く、錬金術師が動く。
根元から失われた右腕。
鮮血と泥を噴き出す肩口に、「焼灼と止血の魔法陣」の布を押し当てた。
ジュウウウッ……!
肉の焼ける音。焦げ臭い異臭。
身体がビクンと跳ね、傷口が強引に塞がれる。
激しい雨音と、若き王の浅い呼吸。
脳内の「合唱」は、遠い潮騒のように静まり返っていた。
呪いのアンテナは、物理的に断ち切られたのだ。
ズザッ。
泥濘に膝をつく音。
ベリサリウス大将軍が、深く頭を垂れた。
「……己の半身を躊躇いもなく切り捨て、兵を引きずり戻したか」
重厚な声に滲む畏敬。
「レムリアの王よ。貴殿こそ、俺が最期に仕えるに相応しい『狂王』だ」
続いてヴォルカス、脱走兵たちも一斉に剣を捧げる。
皇帝への儀礼ではない。
命のやり取りをした者だけが結べる、血の契約。
「陛下……」
カイルが返り血も拭わず跪く。震える手。
「腕は一本失った。……だが、帝都は死に、正気を保っているのはあんたの軍勢だけになった」
静かで、熱を帯びた声。
「……帰りましょう、レムリアへ。あんたが守った『杭』の代わりに、この帳簿と、このいかれた軍勢を新たな楔として」
◇ ◇ ◇
薄れゆく意識の淵。
「少し……休む……」
雨音にかき消されそうな声。
「メフィスト……俺の右腕、くれてやったんだから……成果ないと承知しないぞ……クビも覚悟しておけよ……」
「ケケケ、承知しております。最高の『魔剣』に仕立て上げましょう」
「カイルよ……城のヴァイン、リオラ、エリンと合流して……事情を説明し、城を頼む……」
「承知した。泥かぶる役目は俺が引き受けます」
「リラからも……情報は期待できるかもな……」
ヒューと息を吸う。肺が焼けるようだ。
「この後……教皇国にも行かないといけないが……意識が戻るまでは動けない……時間稼ぎも頼むぞ……」
「任せろ。嘘とハッタリで数ヶ月は持たせてやる」
「アラリック……」
「はいッ!」
涙が頬に落ちる。
「ヴォルカスやベリサリウス、ゴルガスから……帝国軍の扱いを教えてもらえ……」
声が遠くなる。
「今回のような活躍……期待してるぞ……まとめきれないなんて泣き言……聞きたくないからな……」
痛みに歪む顔で、微かに笑う。
「無くなった右腕分……働いてもらうぞ……」
「……御意!!」
若き王の意識は、泥のような安息の闇へと沈んでいった。
◇ ◇ ◇
数日後。
霧深い夜明け。
レムリアの城門が開かれた。
傷だらけの鎧、見たこともない老兵たち、異形のサンプルを抱えた錬金術師。
そして、荷台で眠る「隻腕の王」。
老宰相ヴァインは杖を取り落とした。
「殿下……いえ、陛下……」
右肩の無惨な傷跡。虚しく揺れる袖。
死人のように蒼白だが、胸は上下している。
生きている。
地獄を生き延びて帰ってきたのだ。
◇ ◇ ◇
カイルは感傷に浸らず動いた。
秘密会議室にヴァインとリオラを集め、泥だらけの帳簿を叩きつける。
「驚いている暇はない。状況は最悪で、最高だ」
冷徹な参謀の声。
「帝都は滅びた。次はレムリアが『聖者』か『元凶』か、どちらかのレッテルを貼られる番だ」
帳簿を開く。
軍事機密と、裏切り者の名前。
「リオラ。内通していた貴族の即刻粛清を命じる。陛下の代行として、俺が許可を出す。汚れ仕事は俺の指示だと言え」
リオラは無言で頷く。
「ヴァイン殿。近隣諸国へ外交文書を。『公国の正当性』と『帝国の暴走による被害』を記したものだ。使える言葉はすべて使え」
「……承知した。残りの命をインクに変えて、陛下のために筆を執ろう」
◇ ◇ ◇
リオラは王の寝顔を見て唇を噛み締め、すぐに「影」に戻った。
修行から戻ったエリンを迎える。
「……合格よ」
エリンが目を見開く。
「泣いている暇はない。陛下が命懸けで作った時間を無駄にするな。仕事よ」
リストを指差す。
「この三家。今夜中に片付ける。……できる?」
エリンの目に覚悟が宿る。
「……承知しました。陛下の敵は、私の敵です」
二つの影が、闇に溶けていった。
◇ ◇ ◇
若き王が眠る間、世界は止まらなかった。
アラリックは軍の再編に奔走した。
ベリサリウスの老兵たちが若兵を鍛え、ヴォルカスの騎兵が斥候を務める。
ゴルガスが酒瓶片手に「地獄を見た者同士」の連帯を作る。
国境も所属もない。
あるのは、「腕を捨てて自分たちを守った王」に魂を売った、狂気じみた独立軍。
そして地下室。
メフィストは一睡もせずに右腕の解体を続けていた。
ドン! ドンドン!
筒の内側から響く不気味な音。
充血した目で筒を愛で、仮面の奥で呟く。
「クケケ、もう少しだ……陛下、もう少しでこの『呪い』は、最強の剣になりますよ……」
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