第25話 帝都崩壊 ~宮殿を食い破る黒い塔~
若き王は、迷いを断ち切るようにヴォルカスに視線を向けた。
「ヴォルカス!」
「……何だ」
未だ揺れるヴォルカス。
その迷いを一刀両断する。
「もうお前は俺の部下だ!」
目が大きく見開かれる。
命令であり、「これ以上、孤独な裏切り者にはさせない」という宣言。
「練兵場をまとめあげろ! お前らも公国へ帰還するぞ! ここにはもう、守るべき帝国はない!」
真っ向からの宣戦布告。
皇帝の精鋭部隊を丸ごと「盗む」。
狂気じみた提案だが、唯一の光に見えた。
ヴォルカスは兜の中で深く息を吸い込み、覚悟を決めて頷いた。
「……御意! 腐った肥溜めで溺れ死ぬよりは、公国の泥にまみれる方がマシだ!」
面を荒々しく下げ、裂帛の気合いで叫ぶ。
「練兵場の諸君、聞け! 本日をもって我らはレムリア公王の盾となる! 全員、新王の後に続けッ! 活路を開くぞ!」
ドォンッ!!
五百の老兵たちが盾を打ち鳴らし、応えた。
裏切りではない。「誇り高き武人たちの大移動」だった。
若き王は、次にカイルを見た。
「カイル!」
「……何だ」
「また例の力で一刻を稼ぐ」
声を低く潜める。
「効果が切れた後、私の右腕を切り捨てろ」
カイルの目が揺れる。
「見極めは前の要領で行え。躊躇うな」
全員を見渡す。
「全員、異論は許さん!」
雷鳴のように響く声。
「行くぞ!」
◇ ◇ ◇
「ケケケッ! 仰せの通りに……死の淵を歩む王よ!」
メフィストが右腕に近づく。
黒い蔓が最も激しく脈打つ「根」。右肩の付け根。
太い注射針を迷いなく突き立てた。
瞬間。
凍てつく冷気が血管を駆け抜ける。
激痛が「無」へと変わる。
不気味な合唱が、防音壁の向こうへ追いやられる。
「……ッ」
右腕から一切の感覚が消えた。
ただの「呪いの塊」をぶら下げている感覚。
しかし、頭は明瞭だった。
感情が凍りついたような冷徹な集中力。
左手で「公国全権委任の宝印」を握りしめ、感覚の消えた右腕を掲げる。
「——道を開けろ」
静かに響く声。
「我らは帰るべき場所へ帰る!」
キィィィィン……!
宝印が共鳴し、鋭く冷たい蒼い光を放つ。
一点集中の「光の槍」。
ドォォォン!!
変異体たちが閃光に焼かれ、一瞬で塵へと還った。
「今だ! 全軍、突破ァッ!!」
アラリックの咆哮。
鋼の楔が、帝都の路地を風のように駆け抜けた。
◇ ◇ ◇
帝都脱出の瞬間。
ズズズ……グォオオオオオン!!
背後で破壊音が響く。大地が悲鳴を上げている。
宮殿の地下から、巨大な「黒い塔」が突き出していた。
皇帝の金剛宮を食い破るように。
帝都の建物が地割れに飲み込まれる。
民衆の悲鳴が、「合唱」にかき消されていく。
カストルの高笑いが聞こえた気がした。
あるいは、帝国の断末魔か。
若き王は、もう振り返らなかった。
前を見据えて馬を走らせた。
◇ ◇ ◇
数時間後。
雨は止んだが、空は黒い雲に覆われている。
追っ手の気配はない。帝国軍は壊滅的な混乱にあるのだろう。
街道の脇、深い森の入り口で停止する。
「……陛下、時間だ」
カイルが馬を寄せ、抜き身の短剣を握る。
雨と汗に濡れた顔。
メフィストの薬で「沈静化」していた黒い蔓が、毒すら栄養にして暴発寸前まで膨れ上がっていた。
首筋に黒い筋が浮き出る。
意識が朦朧とし、痛みと合唱が押し寄せる。
『……来イ……器ヨ……』
「陛下……言った通り、切り捨てますよ」
刃が肩口に当てられる。
アラリックは血を流すような苦渋の表情で立ち尽くす。
ベリサリウスも、ヴォルカスも、震えながら王の決断を待つ。
右腕が意思とは無関係に、カイルの喉元へ動いた。殺意を持って。
「カイル!」
掠れた声。王の意志。
「早く切り捨てろ!」
カイルの目が見開かれる。
威厳も武力も、半分失う。
「腕はもう一本ある!」
カイルは理解した。
いざとなったら左腕も杭にする覚悟。
「腕はメフィストにくれてやれ!」
「暴走させたら腕ごと切り捨てるので、覚悟がないなら受け入れるなと伝えろ!」
視界が黒く塗りつぶされる。
「早くしろ! 帰るぞ!」
「……ッ、承知した、陛下!」
迷いが消える。
逆手に握った短剣の柄を強く締め直す。
「アラリック、陛下を支えろ! 舌を噛まないように布を噛ませろッ!」
アラリックは無言で、強固な腕で主君を固定した。
周囲を囲む兵士たちが、その意志を網膜に焼き付ける。
「……一息で行きますよ」
カイルの声。
視界が真っ赤に染まる。
「合唱」が断末魔のような高音へ跳ね上がる。
黒い蔓が喉元へ這い上がろうとした、その瞬間——。
ザンッ!
閃光。
銀光が雨の帳を切り裂き、右肩を深々と貫いた。
熱い。
あまりにも熱い衝撃。
骨が断たれる、ゴリッという鈍い音と振動が脳天まで駆け上がる。
「が、ああああああああああッ!!」
声にならない絶叫。
切り離されたのは肉体だけではない。
魂から無理やり引き剥がされた「地獄の一部」。
切断面から、赤い血と共に黒い粘液が噴き出す。
ドサッ。
地面に落ちた「右腕」は、生き物のように跳ねた。
土を掻きむしり、カイルの足元へ襲いかかる。
「メフィスト! 拾えッ!!」
カイルの叫び。
メフィストが金属製の円筒を投げ被せる。
ガシャン!
筒の中で、「腕」が金属壁を叩き、呪いの叫びを上げている。
「ヒ、ヒヒッ……素晴らしい! 最高の素材だ!」
メフィストの仮面が震える。
「陛下、約束は守りますよ。この『呪い』、必ずや『忠実な飼い犬』にまで飼いならしてみせましょう!」
若き王は、失われた右肩の激痛の中で、意識を手放した。
雨音だけが、静かに響いていた。
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