第24話 猛毒の鎮痛剤 ~未来の命を前借りする~
ベリサリウスは沈黙していた。
大斧を地面に突き立て、若き王を見つめている。
包帯の下で脈動する右腕。
老将軍から放たれる黄金の闘気が、地面の黒い蔓を焼き払うように輝く。
雨音だけが響く練兵場。
アラリックの兵たちが打ち鳴らした盾の残響が、空気を震わせていた。
ゴルガスの言葉が、誇り高い心を揺さぶる。
「……フン」
ベリサリウスが鼻を鳴らした。
「言葉はいらぬと言いながら、部下には随分と饒舌な奴を揃えたものだ」
大斧を振り上げ、地面に叩きつける。
ドォォォン!!
雷鳴を上回る衝撃波。泥水が爆発したように弾け飛ぶ。
カストルの黒装束たちが気圧されて後退する。
「よかろう、新王よ!」
咆哮が轟く。
「貴殿の覚悟、このベリサリウス、確かに受け取った!」
斧を天に掲げる。
「これよりこの練兵場は、レムリア公王の陣所であると宣言する! 異を唱える者は、この斧を越えてゆけッ!」
五百の老兵たちが野太い歓声を上げる。
即座に盾を構え、鉄壁の防陣が完成した。
何十年もの戦場で培った、本能的な連携。
◇ ◇ ◇
入り口のカストルは眉を寄せたが、慌ててはいなかった。
すべてが「予定通り」であるかのように、銀の鐘を取り出す。
チリン。
不気味に澄んだ音色が響く。
ドクン!!
若き王の体が強張った。
宮殿の方角から響く「合唱」。
何千人もの不協和音。レオンが歌っていた、狂った韻律。
帝都の地下全域から反響してくる。
同時に、包囲していた帝国兵たちが動き出した。
カクカクとした人形のような動作。
白濁した瞳。皮膚の下で蠢く黒い蔓。
「シュルルルル……」
生理的嫌悪を催す音が、あちこちから聞こえてくる。
「……大将軍、貴殿も老いさらばえたか」
カストルの冷酷な声。
「第一皇子殿下が到着されるまで、この場を『検疫』の名目で完全封鎖する。逃がすな」
爬虫類のように唇が歪む。
「……新王よ、その呪い、ここでどれだけ抑え込めるか見物ですな」
カストルは馬車で去っていく。
代わりに、黒い蔓に侵食された「半・変異体」の帝国兵たちが包囲を狭める。
背中から霧のように黒い触手が噴き出している。
その数、百超。
◇ ◇ ◇
「陛下、マズいですよ」
カイルが焦燥を滲ませて囁く。
「カストルの奴、ここを『汚染域』として孤立させました。暴れれば敵に回され、動かなければ餌食になる。詰みだ」
メフィストが硝子筒を掲げた。
「陛下! サンプルが宮殿の合唱に反応しています!」
筒の中の黒い蔓が激しく暴れている。
「このままだと、数刻で練兵場の地面から『黒い塔』が突き出してきます! ここは苗床になります!」
右腕の痛みが激化する。視界が赤い。
頭の中に響く粘着質な声。
『……来イ……器ヨ……我ラト一ツニ……』
甘美で、底知れない恐怖。
若き王は歯を食いしばる。
「メフィスト! 呪いを無効化、もしくは和らげる方法はあるか! 今すぐにだ!」
◇ ◇ ◇
メフィストの仮面が震える。
狂気と歓喜の入り混じった笑い。
「クケケケッ! さすがは陛下、話が早い!」
泥の上に膝をつき、器具を取り出す。
迷いのない手つき。
「無効化? いえいえ、そんな勿体ない」
素早く調合を始める。
「陛下、その右腕は今、帝都の地下の『心臓』と共鳴しています。痛むのは精神が抗っているから」
青い液体に黒い粘液を混ぜる。
不気味に泡立つ。
「ですが、合唱を遮断する『毒』なら作れます!」
注射器の中身は、毒々しい紫色。
「名付けて『鴉の沈黙』」
声を潜める。
「効果は二つ。激痛を麻痺させ、侵食を一時停止させる。そして精神干渉を遮断し、正気を保たせる」
一拍置く。
「ただし代償も二つ。右腕の感覚が完全に失われ、動かせなくなる」
仮面の奥のぎらついた目。
「そして、これは『猛毒』です。効果が切れた後、侵食は以前よりも激しく蝕むでしょう。命を削ります」
針先から紫の滴が落ちる。
「未来の命を前借りする博打です」
硝子筒の蔓は暴れ続けている。
「……陛下、一刻を争います。打ちますか? それとも呪いと踊り続けますか?」
◇ ◇ ◇
「来るぞッ! 構えろ!」
ベリサリウスが叫び、斧を構える。
変異帝国兵の背中から触手が噴き出す。
地響きが強まり、泥水が逆流する。
カイルが舌打ちした。
「……陛下、選んでください。毒に賭けるか、『力』を逆利用してぶち破るか」
アラリックは黙って盾を構える。
どちらであれ、時間を稼ぐ覚悟だ。
若き王は目を閉じた。
激痛、声、死の足音。
すべてを受け入れ、カッ! と目を見開く。
迷いはない。
「メフィスト! 毒を頼む! 未来ごときくれてやる!」
仮面が歓喜に震える。
「アラリック!」
「はい!」
「収穫はあった。帝国は腐った肥溜めであり、希望はここにあるということだ!」
声が練兵場に響く。
「突破口を開け! 帰還するぞ!」
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