第23話 五百の盾が鳴る時 ~新王の陣所~
帝都外郭練兵場。
石造りの無骨な建物が並ぶ、殺風景な一画。
帝都の繁栄からは完全に切り離された場所だ。
香水の代わりに、汗と鉄錆、古い傷が疼く湿布薬の匂い。
金箔の近衛兵はいない。
継ぎ接ぎだらけの鎧を纏い、雨の中で木剣を振るう老いた傷だらけの兵士たち。
研ぎ澄まされた本能。枯れ木のような静寂。
その視線が、侵入者である若き王へ一斉に向けられる。
敵意というより、獲物を見定める狩人の目。
練兵場の中央。屋根もない泥濘の中。
一人の巨漢が立っていた。
白髪混じりの髭。巨大な戦斧を杖のように突く男。
「帝国の盾」、ベリサリウス大将軍。
若き王の「二重の視界」が彼を捉える。
帝都を覆う黒い蔓が、この練兵場の周囲だけは地中で避けて通っている。
ベリサリウスからは、黄金の「闘気」のような光が漏れていた。
呪いではない。純粋な戦士の「気」。
「……ヴォルカスか」
重厚な声。
「それに、そちらの若造がレムリアの新しい主か」
右腕を一瞥し、鼻を鳴らす。
「その腕……『杭』としての重荷を、自ら引き受けたか」
物理的な圧力を伴う視線。
「カストルの狐野郎に尻尾を振らず、わざわざこの泥臭い墓場を選んで来るとは、見上げた度胸だ」
◇ ◇ ◇
練兵場の入り口に、不穏な影。
カストルの重装歩兵と、黒装束の集団。
包囲の輪を縮めてくる。その数、二百超。
カストルは宮殿へ戻ったわけではない。
ここで始末する気だ。
「陛下、カストルは第一皇子を待たずに皆殺しにする気でしょう」
カイルが囁く。
アラリックは槍を構える。
メフィストは舌なめずりをし、リラは竪琴に指をかける。
「新王よ」
ベリサリウスが戦斧を担いだ。
「ここの連中は、俺に恩義があるか、帝都に馴染めなかったはみ出し者ばかりだ」
試すような目。
「……あんたがこれからどう戦うつもりか、俺の戦斧に納得させてみろ」
ドォンッ!!
戦斧の石突きが地面を打つ。
練兵場が震える。
「納得すれば、この五百の老兵、あんたの盾として貸してやらんこともない」
遠くから近づく、巨大な軍勢の足音。
第一皇子の本隊か。時間がない。
◇ ◇ ◇
若き王は沈黙した。
ベリサリウスの瞳を見つめる。揺るぎない「武人」の魂。
言葉だけでは軽すぎる。
「私の言葉では無理だな」
ベリサリウスの眉が動く。
「ただ」
若き王は振り返った。
「腐った兵に、我が右腕が育て上げた軍隊が負けるとは思えない」
アラリックを見つめる。
「作戦ではないが、アラリックとその軍を見てくれ」
絶対的な号令。
「アラリック、軍の士気を爆発させろ」
アラリックの目に、灼熱の炎が宿った。
◇ ◇ ◇
騎士団長アラリックが一歩前へ。
槍を掲げることもなく、腹の底から響く声で号令を下した。
「レムリアの盾、並びに志を共にする者たちよ」
厳かな声。
「主君の『右腕』を見よ」
ガシャンッ!!
レムリア兵、ヴォルカスの兵が、一糸乱れぬ動作で盾を打ち鳴らした。
恐怖を捨てた、暴力的なまでに純粋な金属音。
カストルの兵が気圧されて止まる。
「我らの王は、帝国が解き放った地獄を、その身に封じてここへ来られた」
声が大きくなる。
「我らが泥にまみれるのは、無様な敗北のためではない」
ドンッ!
槍の石突きで地面を叩く。
「この大陸の最前線に立つためだ!」
兵士たちが一斉に、地鳴りのような低い唱和を始めた。
魂の咆哮。
本物の死線を潜り抜けた者たちの「静かなる狂気」。
ベリサリウスの老兵たちが目を見開く。
知っている。
かつて帝国の栄光のために命を捧げていた頃の、あの音を。
本物の「軍隊」の音を。
◇ ◇ ◇
若き王は、隻眼の傭兵ゴルガスを見た。
「ゴルガス」
「……何だ」
「短い時間だったが、評価を率直に伝えるといい」
微かに笑う。
「私もベリサリウスも、嘘は通じない相手だぞ」
ゴルガスが鼻で笑う。
「……分かってるよ。口下手な俺に任せるなんざ、いい性格してやがる」
大剣を地面へ突き立て、ベリサリウスの前へ。
媚びることなく、唾を吐き捨てるように語る。
「大将軍、久しぶりだな。あんたの拳の味はまだ覚えてるぜ」
「……ゴルガスか。まだ生きていたか」
「ああ、地獄からも追い返された」
親指で若き王を指す。
「俺の眼は腐ったが、『本物』か『偽物』かくらいは見える」
声が低くなる。
「この若造……陛下はな、カストルの狐野郎に真っ向から『信じない』と言ってのけた。あの蛇の前でだ」
ベリサリウスの目が細くなる。
「それだけじゃない。北の地獄で、部下を救うために自ら呪いを引き受けた。……俺が見捨てた『名誉』とかいうクソみたいなもんを、泥の中から拾い上げて、独りで背負ってやがる」
濁った片目で射抜く。
「帝国は今や黒い蔓に食い荒らされている。……このまま腐った上層部と心中するか、それともこの『狂った王』の博打に乗って、武人の意地を通すか」
凶悪な笑み。
「……あんたなら、答えはもう出てるはずだろ?」
重い沈黙。
雨音だけが響く。
ベリサリウスは若き王を見つめていた。
黒い蔓。覚悟を決めた兵士たち。
そして、その目に宿る純粋な決意を。
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