第22話 包囲網と、響き渡る地下からの合唱
ヴォルカスの決死の情報を飲み込む。
雨は激しさを増し、視界を白く塗り潰していく。
若き新王はゆっくりと馬首を巡らせ、大蔵卿カストルを見据えた。
「カストル殿」
雨音を切り裂く声。
「何かな、新王よ。案内を拒むと?」
カストルは薄く笑っている。
絶対的な権力。張り巡らされた策謀への自負。
「……陛下が会えぬのは、仕方あるまい。先日、ヴォルカス千人長にも同じ対応をして門前で待たせた。……その無礼は、呑み込もう」
カストルの白眉がピクリと動く。
若造の癇癪を予想していたか。
計算が狂う微かな音。
「だが」
声の温度を下げる。研ぎ澄まされた刃のように。
「……兵站に関する日記だか、帳簿だか。北から脱走した兵が言っていた」
カストルの目が細められる。
「帳簿」。
その単語が、周囲の空気を凍りつかせた。
「死に際の遺言だ。『大蔵卿カストルだけは信じるな』と。……唯一それだけ、助言を聞いてな」
瞬間。
老人の顔から、余裕という名の仮面が剥がれ落ちた。
眉が跳ね上がる。
爬虫類めいた瞳の奥。冷酷な計算が、剥き出しの殺意へ変貌する。
獲物を前に鎌首をもたげる毒蛇。
生理的な悪寒が背筋を走る。
だが、即座に能面のような無表情が戻る。
「……脱走兵の世迷言です。保身のための嘘を、聡明な新王陛下が信じているとは思えませんが」
若者は首を振る。
「信じてはいないさ。……だが、疑われるような場所に自ら飛び込むほど、私は愚かではない」
ズキン。
右腕が疼く。
包帯の下、腐った肉と混じり合った呪いが、骨をきしませて警告を発している。
焼けるような熱。
歯の隙間から、熱い息が漏れる。
「……そのままついていくことはできないな」
カストルの声が、絶対零度まで冷え込む。
「……ほう。戯言を真に受け、帝国の法と私の好意に抗うと? 王としては、あまりに幼く、無謀な判断ではありませんかな」
ジャラリ。
背後の常駐軍が一斉に剣に手をかける。
鉄と殺気の音。
一触即発。
だが、若者は引かない。
「我が国でも、ヴォルカスには外で待たせた。礼儀には礼儀を、無礼には無礼を」
傲然と言い放つ。
「第一皇子殿下に、ここに来てもらおうか。……そうだな、外郭の練兵場ででも待たせてもらおう。あそこならば、軍事演習のついでに会見もできよう」
練兵場。
ヴォルカスが告げた「話の通じる将軍」、ベリサリウスの居場所。
若者はカストルの返答を待たず、ヴォルカスを見た。
「ヴォルカス千人長。引き続き案内を任せた。……練兵場へ導け」
決定的な楔。
帝国の指揮系統を無視し、敵国の王が命令を下す。
ヴォルカス千人長の手が震える。
心臓の早鐘が聞こえてきそうだ。
だが、賽は投げられた。
彼はカストルの私兵の包囲網を突き破るように、馬を進めた。
「——道を開けろッ! 陛下をご案内する!」
血を吐くような怒号。
気圧された兵士たちが道を譲りかけ、一斉にカストルを振り返る。
斬り捨てろと命じられれば、泥沼の乱戦だ。
しかし。
カストルは動かない。
雨に濡れる若者の背中を、毒蛇のような粘着質な目で見つめているだけだ。
「帳簿」の中身が公になるリスクか。
あるいは、練兵場に行こうとも、盤面は揺るがないという自信か。
「……よろしい」
氷のような声。
「そこまで仰るなら、練兵場の泥の中で、第一皇子の『慈悲』を待たれるがいい。……後悔なさらぬよう」
許可ではない。宣告だ。
若者は振り返らない。
ドクン、ドクン。
右腕の黒い蔓が、カストルへ向かって激しく脈動する。
骨の髄まで響くノイズ。
この腕は知っている。
目の前の老人が、明確な「敵」であることを。
お読みいただきありがとうございます!
もし「面白そう!」「続きが気になる!」と思っていただけたら、
広告の下にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、執筆(投稿)の励みになります!
ブックマークもぜひポチッとお願いします。




