第19話 帝都グラディウムの城門にて
その時だった。
背後の焚き火のそば。
槍がカランと地面に落ちる、乾いた音。
「……あ、が……あ、ああ……」
帝国兵が膝から崩れ落ちる。
白目を剥き、白い泡を吹いている。
千人長ヴォルカスが血相を変えて叫ぶ。
「近寄るな! 陛下のお言葉を忘れたか! そいつはもう味方ではない!」
警告は正しい。だが遅かった。
倒れた兵士の背中から、湿った生肉が裂ける、ベチャリ、という音。
ビチャリ、ビチャリ。
漆黒の蔓が、雨を吸って急速に成長した植物のように、脊椎を内側から突き破った。
鎧の隙間から、無数の蛇が鎌首をもたげる。
瞳から光が消え、血の涙のように黒い粘液が流れ落ちる。
顎が外れるほど口が開いた。
「シュルルルル……」
人間の断末魔ではない。
タイヤから空気が漏れるような、生理的な嫌悪感を催す音。
変異は連鎖した。
森の闇から、同じ音を立てる影が這い出してくる。
十、二十、いや、森全体が蠢いている。
木々の隙間から覗く無数の濁った銀色の瞳。
恐慌が波紋のように広がる。
「ば、化け物だ……!」
「囲まれている……! いつの間に!」
若き王の声が、崩壊寸前の空気を鋭く切り裂いた。
◇ ◇ ◇
「あれに対抗する方法はまだない! 今は戦うな!」
若者は馬上で立ち上がり、叫んだ。
「突破だ! 前へ進め!」
パニックで瓦解しかけた意志を、辛うじて繋ぎ止める。
ヴォルカスが剣を抜き、アラリックが槍を構える。
「陛下、ご指示を! 円陣か、一点突破か!」
「突破だ! 立ち止まれば泥に呑まれる! 全速力で森を抜ける!」
若者はアラリックを見る。
「アラリック」
「はい!」
「右腕の解析のため、突破寸前で黒い泥に侵食された部位のサンプルを確保しろ」
アラリックが頷く。
若者は即座に継いだ。
「ただし」
王命の重みを帯びた鋭い声。
「絶対に深入りするな。巻き込まれるな。これは絶対の王命だ」
魂を射抜く視線。
「こんないかれた右腕のために、お前のようなピカピカの右腕をくれてやるつもりはない」
アラリックの目が大きく見開かれる。
主君からの、これ以上ない信頼と慈悲。
瞳に、熱い炎が宿った。
「——畏まりました!」
槍を天に突き上げる。
「この『右腕』、陛下の盾として一分の曇りもなく使い果たしてみせましょう! レムリア騎士団、我に続けぇッ!!」
◇ ◇ ◇
ドドドドド……!
数百の馬蹄が泥を跳ね上げ、鉄の塊が闇を裂く。
アラリックを先頭に、レムリアの精鋭が楔形の突撃陣形を組む。
ヴォルカスも号令をかけた。
「全軍、新王に続け! 退路はない、道を切り開け!」
行く手を塞ぐのは、かつての帝国兵たち。
痛みを感じない。恐怖もしない。
槍で胸を貫かれても、蔓を伸ばして馬を引き倒そうとする。
一人の兵士が引きずり下ろされた。
悲鳴が、湿った音と共に途切れる。
数秒後、その兵士はゆらりと立ち上がり、「敵」としてこちらを向いた。
「撥ね退けろ! 止まるな!」
ヴォルカスの長剣が首を撥ねる。
だが、動きを止めない。
切断面から黒い蔓が噴き出し、新たな「頭部」を形成しようとする。不死身の怪物。
「心臓だ! 心臓を潰せ!」
後方からカイルが叫ぶ。
「蔓は心臓を苗床にしている! 首じゃなく胸を抉れ!」
隻眼の傭兵ゴルガスが、馬上で大剣を振り上げた。
ブンッ!
豪快な一閃。
変異体の胸郭が、鎧ごと豆腐のように両断された。
黒い泥が飛び散り、蔓の供給源を絶たれた体が崩れ落ちる。
「……なるほど、急所は一つか」
ゴルガスが、返り血と泥にまみれて笑う。
「面白い。久しぶりに腕が鳴るぜ」
若者の右腕は、敵が近づくたびに焼けるような熱を帯びていた。
黒い蔓が蠢き、蒼白い燐光が、闇の中で進むべき道を示す不吉な灯台となっている。
奇妙なことに、変異体たちは若者を避けている。
上位の捕食者を恐れるように。
あるいは——同族の王として認識しているかのように。
◇ ◇ ◇
森の出口が見えた瞬間。
アラリックが叫んだ。
「メフィスト! これを持っていけ!」
走り抜ける勢いで、変異体の腕を槍で切り落とし、放り投げる。
錬金術師メフィストが、強化硝子の円筒を構える。
スポンッ。
生きたままの腕が吸い込まれた。
円筒の中で、黒い蔓がガラスを叩いて暴れている。
「クク……見事だ、騎士団長! 鮮度が良い!」
メフィストは愛おしげに懐へ収める。
「陛下、これで『材料』は揃いました。帝都に着くまでに、この呪いの片鱗を解剖してみせましょう」
盲目のリラが竪琴を抱えて叫ぶ。
「陛下! 前方、開けています! 風の音が変わりました、森の出口です!」
彼女の耳が、世界を捉えている。
「行け! 全速力で駆け抜けろ!」
若者の号令が響き、全軍が一気に森を突破した。
◇ ◇ ◇
呪いの森を抜けようとした、その時。
ズズズズズ……ンッ!!
背後から、巨大な「地鳴り」が響く。大地そのものの悲鳴。
振り返ると、森の中心から巨大な「黒い大樹」が生えてくるのが見えた。
猛烈な勢いで天を突き、雲を裂く。
数万の黒い蔓が編み合わさった、巨大な「塔」。
頂点から、あの不気味な「聖歌」が大音量で響いてくる。
レオンが歌っていた、狂った韻律。
「……あれは、何だ……」
ヴォルカスが震える。
その瞬間。
ズキン。
若者の右腕に激痛が走った。
焼き鏝を押し当てられた熱さ。アラリックが体を支える。
視界が狭まり、頭の中に「音」が流れ込んでくる。
『……繋がった……器が……杭が……北の扉が……』
誰の声でもない。
大地そのものの怨念。
右腕の蔓が二の腕まで駆け上がり、胸元を締め付けた。
「陛下ッ!?」
アラリックの叫び。
だが若者の瞳は今、奇妙な「二重の視界」を見ていた。
雨に濡れる街道。
そしてもう一つ——
遥か彼方の帝都。
その地下深くの暗闇に眠る「何か」が、右腕の鼓動に呼応して、ドクン、と黒い拍動を返している。
「……帝都に……何かがいる……」
脂汗を流し、掠れた声で呟く。
「……呼んでいる……俺の腕が……あの大樹と、帝都の闇に……応えている……」
街道の先。
雨に煙る帝都「グラディウム」の巨大な外郭門が見えてきた。
そこはもう、ただの都ではない。
呪いの終着点だ。
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