第18話 死の森の突破戦 ~変異する帝国兵~
数刻後。
雲の切れ間から、弱々しい陽光が差し込む。
レムリアの重厚な城門が開かれた。
新王は数百の帝国重装騎兵に挟まれ、帝都「グラディウム」への遠征を開始した。
傍らには、アラリックとカイル。
背後には、老宰相ヴァインの一次審査を通過した「特異な志願者たち」が従う。
カイルが若者の馬に寄せ、小声で囁く。
「陛下、後ろの連中を見ましたか? ヴァインの爺さんもなかなかの目利きだ。……あるいは、ヤケクソになったか」
若者の視線の先。明らかに異質な空気を纏う者たち。
一人目。
どす黒いローブに、鳥の嘴のような革仮面。
「仮面の錬金術師」、メフィスト。
薬品と腐敗臭を漂わせる狂気の異端者。若者の右腕を「興味深い検体」と呼び、抑制薬を作れると言い張る。
二人目。
熊のような巨躯、隻眼の男。
ゴルガス。
全身古傷だらけで、鉄塊のような大剣を背負う。元帝国軍千人長だが、上官を殴り殺して追放された札付き。
三人目。
目を閉じたまま竪琴を抱える女。
盲目の吟遊詩人、リラ。
存在感は希薄。歌ですべてを記憶する「生きた禁書目録」。帝国の醜聞から裏帳簿の数字まで、旋律として脳内に収めている。
彼らは「新王の護衛」という名目の、毒を制するための劇薬たちだ。
◇ ◇ ◇
数日の行軍。
帝国領内の深い森へ。
巨木が日光を遮り、湿った腐葉土の匂いと冷たい霧が立ち込める。
帝国軍の千人長——ヴォルカスは、若者の「右腕」を恐れて距離を保っている。
だが態度は硬く、兜の奥の視線は鋭い。
隙あらば若者を拘束し、手柄にしようという野心。
夕刻。
森の闇が濃くなり始めた頃、野営の準備に入る。
その時。
ズキリ。
包帯の下の右腕が、激しく疼いた。
焼けるような熱。内側から食い破られる痛み。
黒い蔓が脈打ち、空気が歪むような不快な感覚が脳を刺す。
同時に、過敏になった聴覚が異音を捉えた。
「シュル……シュルシュル……」
空気が漏れるような、湿った音。
北の地獄で聞いた音だ。
一箇所ではない。前方、そして背後の隊列からも。
ヴォルカスは気づいていない。
だが若者の目は捉えた。
帝国兵の中に、歩き方が不自然にぎこちない者が混じっている。
兜の隙間から覗く肌の色が、泥のように黒ずんでいる。
「……陛下」
カイルが馬の陰から顔を出す。
「帳簿にない『客』が来たようです。……帝国軍の中にも、既に北の『黒死病』が紛れ込んでいたらしい」
声が低くなる。
「……ここで奴らが暴れれば、ヴォルカスはパニックになり、責任を陛下に押し付けてくるでしょう。最悪、殺し合いになります」
若者は即座に決断した。
疑心暗鬼こそが、怪物の餌だ。
「カイル、アラリックとヴォルカスに急ぎ伝えよ。お前の方が、危機感を持って説明できる」
「……敵に塩を送りますか?」
「塩ではない、情報だ。両軍のトップとして情報を共有させろ。みんなでこの危機を乗り越えるぞ」
カイルが一瞬驚き、すぐにニヤリと笑う。
「御意。……共通の敵を作って握手させる、外交の基本ですね」
カイルが前方のヴォルカスへ走る。
若者は手綱を返し、背後の三人の志願者たちへ。
「傭兵よ」
隻眼の巨漢、ゴルガスが顔を上げる。
鋭い眼光。
「そなたから見て、アラリックは合格だろうが、トップが腐っていたら意味がないだろう」
若者の目が射抜く。
「私が、お前が仕えるに足る『トップ』かどうか、この戦いでよく見ておけ」
ゴルガスが大剣の柄に手をかける。獰猛な笑み。
「……トップが腐っていれば、鋭い牙も共食いを始める。あんたがこの『泥濘』をどう歩むか、特等席で見せてもらうぜ」
「錬金術師よ」
仮面のメフィストが「キヒヒ」と笑う。
「腕を直してほしいが、もしかすると実験体が手に入るかもしれないぞ。これから起こることは注視しておけ」
「クク……素晴らしい! そのお言葉を待っておりました!」
薬瓶の入った鞄を愛おしげに撫でる。
「これから起こる『変異』、すべて記録しましょう。陛下の右腕を止めるための『贄』として、あの肉人形たちには役に立ってもらわねば」
「吟遊詩人よ」
盲目のリラが竪琴を爪弾く。ポロン。
「戦いの前に、帝国についての情報を教えてくれ。敵を知らねば剣は振るえん」
リラは低い声で、歌うように語り始めた。
「……帝国には今、三つの太陽がございます」
透き通った響き。
「病床にあり、光を失いつつある『老いた太陽』、皇帝陛下。
武功を焦り、禁忌に手を伸ばした『灼熱の太陽』、第一皇子。
そして……財政という影から国を操る『冷たい太陽』、大蔵卿カストル」
不協和音。
「輜重部隊の独断は、第一皇子の焦りの産物。ですが、大蔵卿カストルはそれを止める力がありながら、静かに見逃した……」
目を閉じたまま、聖母のように、あるいは魔女のように微笑む。
「……まるで、山が割れるのを、待っていたかのように」
ドクン。
右腕が跳ねた。
森の奥から、悲鳴が上がる。
夜が、牙を剥き始めたのだ。
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