第17話 狂気の志願者たち ~マッドサイエンティストと老将軍~
降りしきる雨。
新王としての宣言を終えた若者は、濡れたマントを翻して側近たちに向き直った。
瞳には、冷徹で静かな理性が戻っていた。
「それでは、遠征の準備を始める。しばし待たれよ」
千人長に告げ、自らの懐刀たちへと視線を巡らせる。
老宰相ヴァインが一歩前へ。
「ヴァイン。隠居を決め込む暇もなく、忙しくなった。城を頼む」
「……御意。この老骨、粉になるまで」
「リオラの調査も問題ない一次通過者は、帝国への道のりで確認するから護衛隊に組み込め。……先ほどの演説と、この右腕。命知らずな志願者が来るかもしれん。頼んだぞ」
「承知いたしました」
「貴族の手綱もだ。裏切り者の炙り出しと、日和見主義者への釘刺しを」
「……甘い汁を吸った代償は、高くつくと教え込みましょう」
若者は影のリオラを見る。
「リオラ、ヴァインとともに城を頼んだぞ。教皇国の動きには特に目を光らせろ」
「承知いたしました。影より目を凝らします」
「すぐにエリンを寄こす。手足のように扱え」
リオラの目が微かに見開かれる。
「厳しくしていい。私の、そしてこの国の『右腕』に育て上げろ」
隻腕の王の、切実な命令。
「……畏まりました。必ずや」
若者はアラリックに向き直る。
「アラリック、同行を頼む。お前の武威がなければ、帝国の狐たちはすぐに牙を剥く」
「御意! この命、殿下の盾となりましょう」
「あと、謝らねばいけないことがある。出発前に、限られた者たちだけで話をしたい」
アラリックの表情が一瞬強張る。
何かを察し、苦渋に満ちた顔で頷いた。
最後に、カイル。
皮肉屋は、濡れた髪をかき上げてニヤリと笑っている。
「カイル、無茶な旅になるが、不可欠だ。引き続き頼んだぞ」
「……俺を『側近以上』ですか。酒場のゴミから出世したもんだ。まあ、この博打が終わるまでは付き合いますよ。沈むにしても最前席で見届けてやる」
◇ ◇ ◇
出発前の、束の間の静寂。
雨音が反響し、冷たい空気が澱む城内の一室。
若者、アラリック、カイル、そして憔悴したエリン。
簡易的な寝台には、廃人のようになったレオンが横たわっている。
唇は微かに動き続け、呼吸音が異界の韻律を奏でている。
手足の黒い泥の痕は、決して消えない。
アラリックが若者の前に進み出る。
重い音を立てて膝をついた。
鉄の籠手を外し、床に置く。武装解除。絶対的な恭順と悔恨。
「陛下……いえ、殿下」
声が震える。
「レオンのことは……エリンから聞きました。私の右腕である奴を救うために、陛下自らがその身を……あのような呪いに晒されたこと」
素手の拳を床に叩きつける。ドン。
「将として、これほどの不徳はありません。部下の不始末で主君の御体を損なうなど……万死に値します」
沈黙。
若者は、包帯で隠された右腕を左手で静かに撫でる。
「謝らせてくれ」
三人がハッとして顔を上げた。
「お前たちに、無茶をさせた。私の策のために、レオンをあんな状態にしてしまった。ウーゴは助けられなかった」
王としての威厳ではない。
血の通った、一人の人間としての苦悩。
「アラリック。大事なお前の右腕を、こんな状態にしてすまない」
王が、部下に頭を下げる。
あり得ない光景。
しかし。
その言葉こそが、彼らの魂を真の意味で王に縛り付けた。
恐怖でも利益でもない。「同志」としての結合。
カイルが短剣を鞘に収め、不敵に笑う。
「……謝罪なんて、王様が口にするもんじゃありませんよ。安っぽくなる」
窓の外、帝国軍を見やる。
「だが、あんたがそういう『規格外』だからこそ、俺はこの博打を降りられねぇんだ。普通の王なら、とっくに逃げ出してる」
真っ直ぐに見つめ返す。
「……帝国までの道中、帳簿の『毒』をどう使うか、たっぷりと練り上げさせてもらいますよ。あんたの右腕の代償、高く支払ってもらいましょう」
エリンは、右腕を一瞬だけ見つめた。
そして、寝台のレオンへ。
「……レオンは、私が必ず元に戻す方法を見つける」
小さな、だが鋼のような決意。
「だから陛下も、勝手に死なないで。リオラ様のところで、死ぬ気で『陛下の手足』になってくるから。……帰ってきたら、こき使っていいから」
深く頭を下げ、涙を隠すように部屋を出ていく。
アラリックが顔を上げた。
迷いはない。鬼神の闘志のみ。
「……殿下。この命、レオンの分まで使い果たしてみせます。地獄の果てまで、御供いたします」
若者は頷き、立ち上がった。
雨は止みつつある。
だが、これから向かう先には、より激しい嵐が待っている。
「行くぞ。帝国の喉元へ」
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