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隻腕の代理王 ―腕一本で国が救えるなら、安いものだ―  作者: ryoma
【第3章:帝都強行編】

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第16話 「この呪いは貴国の責任だ」 黒い腕を掲げた抗議

 「——殿下、起きろ。時間だ」


 カイルの低い声と、頬をパシパシと叩く冷たい雨粒の感触で、若者は泥のような眠りから意識を引きずり戻された。


 まぶたを開けると、視界の端に、霧の合間にそびえ立つレムリア公国の石造りの城門が霞んで見えた。


 既に日は昇っているはずだが、空は鉛のような厚い雨雲と、北の山脈から流れてくる不吉な黒い煙に覆われ、世界は薄暗い夕暮れのように沈んでいる。


 カイルが、並走する馬の上から手短に囁いた。


「もうすぐ検問だ。帳簿の要点、三つだけ覚えておけ」


 カイルの声は、低く、研ぎ澄まされた刃物のように鋭かった。


「一つ。帝国軍の今回の遠征費用は、大部分が自由都市連合の『闇の豪商』からの莫大な借金で賄われている。この遠征が失敗、あるいは長期化すれば、帝国経済は破綻する」


「……なるほど。喉元にナイフが突き刺さっているのは奴らも同じか」


「二つ。採掘を命じたのは皇帝陛下ではなく、軍部の急進派だ。つまり、これは帝国内部の『独断』による暴走だ」


 カイルは、意地悪く唇の端を吊り上げた。


「三つ……帳簿の末尾に、我が国の貴族数名の署名があった。奴らは帝国と通じて、北の山脈の採掘権を売り渡していた。これもカードになる」


 若者の目が、鋭く細められた。


「……内通者がまだいたか。いいだろう、全て叩き潰す」


「そして、北の異変の『理由』だが」


 カイルは、若者の不自然に膨らんだ右袖を見やった。


「『帝国が禁忌を侵して、古代の呪い——鉄の黒死病——を掘り当てた。公国はそれを命懸けで封じ込めている』……これで通せ。あんたのその右腕は、その『封印の代償』だ」


 カイルは、ニヤリと不敵に笑った。


「……聖者か悲劇の英雄にでもなったつもりで振る舞えよ。客席は満員だ」


         ◇ ◇ ◇


 城門前広場に到達すると、そこには異様な光景が広がっていた。


 一度は退いたはずの帝国の千人長が、今度はさらに数を増やした漆黒の重装騎兵を伴い、門の前に巨大な壁のように陣取っている。


 同時に、逆の方向からは教皇国の聖騎士団が、「北の異変を浄化する」という旗印を掲げ、まるで獲物を狙う鷹の群れのように白銀の輝きを放って集結していた。


「……王太子殿下のご帰還だッ!」


 城壁の上から、騎士団長アラリックの、腹の底からの咆哮が響いた。


 重厚な城門が、悲鳴のような音を立ててゆっくりと開く。


 若者は、右腕を隠すように濡れたマントを深く羽織り、疲弊しきった、しかし王者の鋭い眼光を保ったまま、両国の軍勢の間を堂々と通り抜けた。


 そこには、若者を待っていた三人の側近が並んでいた。


 ヴァインは一次審査を終えた「怪しげな志願者たち」を背後に控えさせ、リオラは冷徹な眼差しで周囲の暗殺者の気配を探っている。


 そしてアラリックは——


 エリンからレオンを引き継いだのだろう。その拳を、血が滲むほど固く握り締め、若者を直視できずに唇を噛んでいた。


 背後から、帝国の千人長が叫んだ。


「殿下! 北の山が崩れ、不浄な煤が降っている! 我が軍の輜重部隊も連絡が途絶えた! これは貴国が『何か』を企んだ結果ではないのか! 説明を求め……いや、直ちに我らが入城し、事態を調査させてもらう!」


 教皇国の指揮官も剣を抜き、馬を寄せた。


「この煤は、古き悪魔の目覚めだ! 公国に管理能力がないのは明白。これより我が教皇国が、この地を聖域として管理下に置く!」


 城門の広場で、両国の殺気と圧力が、ただ一点、若者一人に集中した。


         ◇ ◇ ◇


 若者は、馬上で毅然と、そして狂気すら孕んだ威厳をもって口を開いた。


「教皇国よ、管理能力がないとは笑わせるな」


 その声は、降りしきる雨音と両軍の軍靴の音を圧し、広場に静寂を強いた。


「貴国の使者が我が国の『先代』王を暗殺しようとしたことをお忘れか? それとも、しっかりした管理体制のもと行われた計画的犯行だと自白しているのか?」


 指揮官は顔を青ざめさせ、言葉に詰まった。


「……まぁいい、お前たちへの説明は後で聞く」


 若者は、帝国の千人長へと向き直った。その視線の強さに、千人長の馬が怯えて後退る。


「それより帝国よ!」


 その声が、雷鳴のように響いた。


「今から我とともに貴国に向かうぞ!」


 千人長の顔が、驚愕に歪んだ。


「帝国の輜重部隊とやらが禁忌を侵して、古代の呪い——鉄の黒死病——を掘り当てた! 公国はそれを、このように命懸けで封じ込めているのに、まだ罪を着せる気か!」


 若者はマントを劇的に引き剥がし、自らの右腕を天高く掲げた。


「見よ!」


 若者の右腕には、指先から心臓に向かって脈打つ漆黒の蔓が、生き物のようにのたうち回り、皮膚の下を侵食していた。


 それは降り注ぐ雨に反応し、不気味な蒼い燐光を放ちながらドクン、ドクンと鼓動している。


 広場にいた兵士たち、そして城壁の上から様子を伺っていた民衆からも、悲鳴にも似た驚愕の声が上がった。


「我がレムリアは、貴国が解き放ったこの災厄を、王たる私自らの身を杭として封じ込めている! これが、我が国が貴国の暴走尻拭いのために払い続けている犠牲の証拠だ!」


 若者の声が、広場に響き渡った。


「それでもまだ、罪を我が国に着せるか!」


 千人長は、若者の右腕に宿る「本物の呪い」のおぞましさに圧倒され、馬を数歩後退させた。


「私はこれより、この右腕を携え、帝都へと直接抗議に向かう! 皇帝陛下に対し、貴国の急進派が犯した愚行と、我が国が受けた損害を、この命を賭して問い質させてもらう!」


 若者は、千人長を睨みつけた。


「千人長、貴公にその道案内を務める覚悟はあるか!」


 重い沈黙が落ちた。雨音だけが響く。


 千人長は、掠れた声で問うた。


「……公王、だと? 先代はどうした」


「父は退位した」


 若者の宣言が、歴史が変わる音となって広場に響いた。


「これよりは私が、レムリア公王としてこの盤面を引き受ける!」


 若者の背後で、老宰相ヴァインが震える手で、しかし誇らしげに「公国全権委任の宝印」を掲げた。


 騎士団長アラリックが剣を抜き、空に向かって涙ながらに咆哮した。


「新王、万歳ッ!!」


 その声に呼応し、城壁の兵たちが、そして一次審査を待っていた「怪しげな志願者たち」までもが、異様な熱狂をもって若者の名を叫び始めた。


 雨が、黒い煤を洗い流していく。


 その中心に、黒い蔓に蝕まれた右腕を掲げた若き新王が立っていた。


         ◇ ◇ ◇


 豪雨がレムリアのすべてを洗い流そうとする中、若き王の言葉はさらに続いた。


「教皇国よ」


 若者は、馬上から聖騎士団の指揮官を見下ろした。


「これしきで黙るような使者は役不足である」


 その声には、嘲りと絶対的な威圧が同居していた。


「帝国への抗議が終わったら、教皇国にも王自ら抗議に行く。相応の責任ある者の予定でも開けておけ」


 指揮官の顔が、屈辱に歪んだ。


「三度目はないぞ」


 若者の言葉が、最後の釘を打ち込んだ。


 指揮官は捨て台詞を残し、白銀の騎兵たちを東の国境へと反転させた。


「……承知した、新王よ。その腕に宿る不浄な理と、マルクスの一件。我が教皇国も、万全の備えをもって貴殿の訪問を待つことになろう」


 彼らの背中が、雨の向こうに惨めに消えていく。


 若者は、帝国の千人長に向き直った。


「千人長」


「……何だ」


「もう私の期待を裏切ってくれるなよ」


 若者の目が、千人長を射抜いた。


「大国の将として軽蔑させるなよ。帝国までの護衛、頼んだぞ」


 千人長は、しばらく沈黙していた。


 兜の下で、葛藤と計算が渦巻いているのが分かる。


 やがて、彼はゆっくりと兜の面を上げた。その顔には、敗北感と、敵ながら見事と認めざるを得ない奇妙な敬意が混じっていた。


「……よかろう、新王よ。その腕が本物の呪いか、それともただのまやかしか、帝都で皇帝陛下の御前で証明してもらう。我が軍が、貴殿の『護衛』を務めようではないか」


 帝国軍の陣形が、攻撃の構えから、若者を迎え入れる「道」を作る形へと変わった。


 それは勝利の行進への道か、それとも死の国への案内状か。


 新王は、右腕の激痛を押し殺し、不敵な笑みを浮かべてその道へと馬を進めた。

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