表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
隻腕の代理王 ―腕一本で国が救えるなら、安いものだ―  作者: ryoma
【第3章:帝都強行編】

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/43

第13話 腐った大地と、異形の兵士たち

若き主君は一人、闇と沈黙の街道を駆けた。

黒い煤が、弔いの灰のように音もなく降り積もる。

愛馬のたてがみと、マントがどす黒く染まっていく。


北へ進むにつれ、気温が急激に下がった。

生命を拒絶する、死の冷気だ。

鼻孔を突く強烈な硫黄の臭気。

古びた鉄錆と、乾いた血の匂いが肺腑を焼く。


数時間の強行軍。

巨大な裂け目のような影が現れる。

「鉄の峡谷」の入り口だ。


緑の針葉樹は、見る影もない。

分厚い煤が色彩を奪い、木々は枯れ木の墓標となって立ち尽くしている。

風が枯れ枝を鳴らす乾いた音だけが響く、灰色の死の世界。


その先に、不気味な光源が見えた。

帝国の篝火。

炎の色さえも、病的な紫色を帯びている。


◇ ◇ ◇


若者は岩陰に馬を隠し、泥と煤の地面を這う。

隻腕の不自由さを感じさせぬ低い姿勢。

稜線を越え、眼下を目にした瞬間、背筋が凍った。


帝国の輜重部隊のキャンプ地。

数十のテント。積み上げられた物資。


だが、兵士たちの様子が異常だ。

歩哨も立てず、暖も取らず、ただ棒立ちになっている。

互いに言葉を交わさず、瞬きもしない虚ろな目で、地面に穿たれた巨大な「穴」を凝視している。

不気味な宗教儀式のように。


穴からは、黒いタールのような粘液が脈打つように溢れ出している。

粘液が触れた草木はジュワジュワと腐り落ち、土が壊死していく。

腐った卵と甘い果実を混ぜたような、吐き気を催す腐臭。


「……遅かったな、殿下」


背後の枯れ草が鳴り、首筋に冷たい切っ先が触れた。

若者は動じず、手を挙げる。


声の主は、鉄錆と蒸留酒の匂いを纏ったカイルだった。

伊達男の面影はない。

左腕はズタズタに裂けたコートごと不自然に吊られ、鮮血がボタボタと滴っている。

顔色は蝋のように白く、脂汗が浮いていた。


傍らには、エリンが岩に背を預けている。

生意気な少女が、今は肩で息をし、壊れたボウガンを抱きしめていた。

瞳に焼き付いた恐怖の色。


「よく生き残ってくれた」


若者はカイルの濁った瞳を見る。


「来るのが遅くなりすまない」


カイルは短剣を下ろした。手は微かに震えている。


「……状況を教えてくれ。レオンとウーゴは死んだのか? 引き返せと厳命していたはずだが」


カイルは力なく首を振った。


「死んだかどうかは、賭けの対象にもなりゃしませんよ。あの黒い泥の中に消えて、生きて戻った奴はいない。だが……」


激痛に顔を歪ませ、傷口を強く押さえる。


「引き返せという命令は、奴らも守ろうとしていた。だが、運が悪すぎたんです」


◇ ◇ ◇


カイルが、うわ言のように悪夢を語り始めた。


「合流地点で、ウーゴが俺に情報を渡そうとした瞬間だ。山が『悲鳴』を上げたんだ。大地が、腹の中の腐った中身をぶちまけるように、唐突に割れた」


エリンが、泥と涙で汚れた顔を上げて継ぐ。


「……帝国兵たちは、狂ったように掘り続けていたわ。ドワーフの忠告も無視して。彼らが掘り当てたのは、青晶石じゃなくて、巨大な『肉の洞窟』だった。そこから、黒い蔓が……何百本もの蛇みたいに一斉に溢れ出してきたの」


カイルが顎で、暗闇のキャンプを指す。


「レオンの野郎……腰を抜かしたウーゴを抱えて逃げればいいものを、衝撃で落ちた『兵站帳簿』を拾おうと足を止めた」


悔恨と苦渋に満ちた声。


「奴は言ったんですよ。『これがないと、殿下のブラフは本物にならない』ってな。……あんたへの忠義だ。その一瞬の遅れを、地面からの黒い触手が逃さなかった。ウーゴを、そして助けようとしたレオンを……まとめてあの穴の深淵へ引きずり込んでいった」


若者は左手の拳を握りしめた。爪が食い込む。

自分の策が、忠臣を死地へ追いやったのか。


ズキン。

右肩が痛む。

幻肢痛。

骨の軋むようなノイズが、罪悪感と共に脳を焼く。


「……ドワーフたちは」

「もういない」


カイルが絶望的に首を振る。


「帝国が掘り当てたのは、資源なんかじゃない。……あれは、大地の膿だ。ドワーフたちは、それを物理的に『封印』していたんだろう。だが、帝国の無知な連中が蓋を開けてしまった」


ドクッ、ドクッ、ドクッ……。


キャンプの大穴から、湿った鼓動音が響く。

黒いタールは生き物のように広がり、死体を飲み込み、新たな「苗床」に変えていく。


その時。

直立していた帝国兵の一人が、カクカクと油の切れた人形のように首を曲げ、こちらを向いた。


若者は息を呑んだ。

顔の皮膚は裂け、中からは赤黒い筋肉と、眼球の代わりに脈打つ黒い根が露出している。

口からは、人間の舌ではなく、数本の細い触手が垂れ下がっていた。


彼らは言葉を発しない。

裂けた喉から「シュルシュル……」という空気が漏れる音を立て、周囲の「生きた熱」を探して鼻を蠢かせている。


「殿下、今の俺たちにできるのは、穴の縁の帳簿を回収して逃げるか……あるいは、あの化け物どもにバレる前に、岩盤を崩して封鎖することだ」


カイルが射抜くような目で見つめる。


「だが、帳簿の周りには、あいつらが群がっている。……それと、もう一つ。信じられない話だが」


声が低くなる。


「あの穴の底から、レオンの声が聞こえた気がしたんだ。……悲鳴じゃない。何か、古い歌のような、奇妙な韻律を口ずさむ声が」


黒い煤が、頬に冷たく付着する。

足元からの絶え間ない振動。


ドクッ、ドクッ。


この異変は、ここだけにとどまらない。

地下の「根」を通じて、脈動はレムリア公国の足元へと、刻一刻と伸びているのだ。


お読みいただきありがとうございます!

もし「面白そう!」「続きが気になる!」と思っていただけたら、

広告の下にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、執筆(投稿)の励みになります!

ブックマークもぜひポチッとお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ