第11話 城壁の演説 ~父より託された「宝印」と全権~
城壁の上。
吹き抜ける風には、雨上がりの土の匂いと、鉄錆の気配が混じり合う。
眼下には、黒い甲冑の群れ。
帝国の軍団が、巨大な怪物のように城門を取り囲んでいる。
数百頭の軍馬が吐く白い息が、朝霧のように立ち込めた。
「合図は出た! 公王は死に、城内で反乱が起きた! 我ら帝国軍が盟約に基づき『秩序』を回復するため、これより入城する!」
千人長の怒号。
もはや交渉ではない。武力による恫喝だ。
だが、若き主君は微動だにしなかった。
城壁の最も高い位置。
隻腕の立ち姿は、孤独だが、孤立ではない。
ズキン。
幻肢痛。
失った右腕の断面が、万力で締め上げられるように痛む。
骨の軋む音。
若者はそれを、息を吐くことで逃がす。
「千人長! 聞こえているか!」
若者の声が、軍馬のいななきを貫く。
「目が霞んだか! あの煙は、貴国と通じていた裏切り者が放った『偽りの合図』だ」
千人長の顔が強張る。
「証拠に、父王は今、目を覚まされた。反乱などどこにもない。あるのは、裏切り者の掃討が完了した事実のみだ」
畳み掛ける。
「……それでも『秩序の乱れ』を憂うならば、城内を隅々まで確認しても構わぬぞ」
息を呑む兵たち。
「ただし、一兵たりとも武装して門を潜ることは許さぬ。丸腰で、検分を受ける勇気はあるか? まさか武器がなければ何もできぬ臆病者ではあるまい」
「……何だと?」
千人長が絶句する。
武装解除しての入城は、捕虜同然。
だが拒否すれば、「秩序の回復」が大嘘だと認めることになる。
アラリックは震えるような高揚感を覚えた。
この主君は、「正論」という見えない鎖で、数千の軍勢を縛り付けている。
「先ほどから、王代理である私に向かって『若造』と言い、スパイを送り、誤情報で攻め込もうとし……挙句、確認すらビビって行わない」
若者の声が、氷点下まで冷たくなる。
「いくら小国とはいえ、あまりに無礼すぎるのではないか」
千人長の顔が真っ赤に染まる。震える拳。
「……よって、上層部に確認させていただく。もしこちらからの確認が困るのであれば、一度撤退して自分で説明しに行け」
最後の一手。ジョーカーを叩きつける。
「無理やり攻めてくるというのであれば……我々は教皇国側の国境警備を捨て、この城門のみに全兵力をもって抵抗させていただく」
重苦しい沈黙。
教皇国側の警備放棄。
それは、帝国が攻めあぐねる間に、教皇国に背中を刺させるということだ。
戦争の引き金を引き、泥沼の責任を、この千人長一人に負わせる脅し。
「……おのれ……っ。小国の若造が、これほどの博打を……!」
千人長は、若者の瞳に計算された「本気の狂気」を見た。
この男はやる。国を灰にしてでも、帝国に傷跡を残すつもりだ。
「……全軍、後退! 国境線まで引き上げろ!」
苦渋の決断。
千人長は荒々しく馬首を巡らせた。
「……殿下、必ずや外交官が『挨拶』に伺う。首を洗って待っておれ!」
黒い波が、地響きと共に遠ざかる。
退潮のような光景を、兵たちは信じられない思いで見つめていた。
◇ ◇ ◇
続いて、矛先は広間の聖騎士たちへ。
若き主君は、氷のような視線で彼らを射抜く。
「いつまで武装状態で滞在するつもりだ。問題を起こしたのは貴国だ。一度撤退せよ。居続けるなら武装解除せよ」
教皇国の指揮官は、戦意を喪失していた。
帝国の脅威がない今、戦う大義名分はない。
「……異教徒のような不当な拘束は受け入れぬ。……マルクスの一件は、彼個人の暴走として報告する。……退散だ!」
逃げるように去る聖騎士たち。
その背中は、あまりに惨めだった。
◇ ◇ ◇
敵が消え、重い静寂が戻る。
若き主君は、息つく間もなく父王の寝室へ。
父王エドワード三世は、寝台の上で震えていた。
視線が定まらない。
「……消えたか。だが、奴らはすぐそばにいる」
父王が息子の手首を、縋るように掴む。
「息子よ……。北だ。北の『鉄の山脈』で、古き契約の杭が引き抜かれた」
寝間着を乱暴にはだけさせる。
アラリックは息を呑んだ。
背筋が凍る。
心臓を中心に、あるはずのない「黒い蔓」のような奇怪な紋様が、皮膚の下で脈打っていた。
血管のようであり、植物の根のようでもある。
「……代々隠してきた『血の刻印』が、目覚めてしまった……」
ただの病ではない。
太古の呪い。
若き主君は、静かに、確固たる意志で問う。
「父上。『血の刻印』とは何ですか。……そして、今この場で、私に退位する意思はおありですか」
父王の目が、一瞬だけ正気を取り戻す。
王としての光。
「……賢明だな。お前は私よりも、この『重み』に耐えられるかもしれぬ……」
自らの胸の黒い蔓を、忌々しげに、しかし慈しむように撫でる。
「レムリア公国が、なぜこの『鉄の峡谷』を守り続けてこられたか……。我ら一族が『門番』だからだ」
掠れた声。
「北の地下には、かつて大陸を飲み込もうとした『古き神の残滓』が封印されている。我らの血は、その封印の『杭』なのだ……」
呼吸が乱れる。黒い紋様がドクンと蠢く。
「『血の刻印』は、封印が弱まった証拠。帝国が山を穿ち、教皇国が魔力を吸い上げたせいで、均衡が崩れた……」
父王は、枕元の「公国全権委任の宝印」を手に取った。
鈍色に光る金属の塊。
「息子よ、全権を譲ろう。だがそれは、栄光ある玉座ではなく、逃れられぬ『呪い』を譲るということだ。それでも……この絶望を背負うと言うか?」
若き主君は、一瞬も迷わなかった。
「背負います。父上が守り抜いたものを、私が継ぎます」
父王は微かに微笑んだ。
宝印を息子の手に押し込む。
「これを受け取れ……。そして、民には私が『隠居し、国を託した』と告げよ。クーデターではない……これは、死にゆく門番から、新たな門番への交代だ」
父王は糸が切れたように眠りに落ちた。
若き主君の手の中にある宝印。
それは、かつて感じたどんな剣よりも重く、冷たく。
逃れられぬ未来の重みを湛えていた。
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