ブスな私を選んだ公爵様、どんな罰ゲームですか?
今日も、相も変わらず私はブスだ。
鏡の前で寝癖を押さえつけながら、私──フィリア・アラモードは毎朝の儀式を始める。まず、顔の部品を一つずつ確認。低い鼻、丸い頬、笑うと糸のように細くなる目。うん、今日も期待を裏切らない仕上がりだ。
「髪だけは量が多いのよね。これも重量に貢献してるわけか」
独り言を呟きながら、髪を結い上げる。商家の娘らしく、実用的なまとめ髪。華やかさなんて最初から諦めている。階下から使用人の声が聞こえる。
「ノエル様、今朝もお美しいですわ」
「ふふ、ありがとう。でも朝からそんなこと言われても困っちゃうわ」
妹の鈴を転がすような笑い声。ノエル・アラモード、十七歳。私より三つ下の、我が家の宝石。金髪は朝日を浴びて輝き、碧眼は宝石商も羨むサファイアの色。
私はため息をついて、執務机に向かう。今朝も東地区の売上報告を確認しなければ。父は商才があるけれど、細かい数字は苦手だ。だから私が毎朝チェックして、問題点を洗い出している。
「お姉様、朝食ですよ」
ノエルが扉をノックする。ノックの音まで上品だ。神様は本当に不公平だと思う。
「今行くわ」
廊下を歩きながら、使用人たちの視線を感じる。
きっと、みんな思っている──どうして同じ両親から、こんなに違う姉妹が生まれたのか、と。
食堂に入ると、父が帳簿を広げていた。母は優雅にお茶を飲んでいる。
「おはよう、フィリア。今日も早いな」
父、ジェラール・アラモードは元々平民の商人だった。才覚を認められて貴族の養子となり、今では王都でも有数の商会を営んでいる。
「おはようございます。東地区の件ですが──」
私は昨夜まとめた報告書を差し出す。
「競合のベルトラン商会が値下げ攻勢をかけています。うちも対抗すべきかと」
「ふむ、なるほどな。フィリアの分析はいつも的確だ」
母のマリアンヌが微笑む。彼女は下級貴族の出身で、父との結婚で商家に嫁いできた。美しい人だ。ノエルは明らかに母に似ている。
「フィリアは本当に堅実で助かるわ。ノエルは……まあ、社交界でのお付き合いが大変でしょうから」
堅実。その言葉の裏に隠された意味を、私は嫌というほど知っている。つまり「恋愛や結婚は期待できないけれど、家業は手伝ってくれる子」という意味だ。
朝食の後、私は商会の倉庫へ向かった。今日は棚卸しの日だ。
番頭のロベールが待っていた。
「お嬢様、おはようございます」
「おはよう、ロベール。在庫表は?」
「こちらに」
「ありがとう」
倉庫で作業をしていると、外から若い女性たちの声が聞こえてきた。
「ねえ、縁談の噂、聞いた?」
「ノエル様にティスリル侯爵家の長男からお声がかかったって?」
「当然よね。あれだけお美しければ。婚約するのかしら?」
「どうなのかしらね。ノエル様ならもっと上狙えるんじゃない?」
「確かに。でも姉の方はどうするのかしら」
「さあ……まあ、商会を継げばいいんじゃない?」
私は手を止めない。慣れている。物心ついた時から、ずっとこうだったんだから。
その日の午後、商会に一人の使者が訪れた。
紺碧の制服、金の紋章。誰が見ても分かる、ヴァレンティス公爵家の使者だった。
「アラモード家のご令嬢に、公爵様からの書状をお届けに参りました」
父の執務室に家族全員が集まった。ノエルの目が輝いている。
「お父様、早く開けてみせてください」
ノエルの声がいつもより数段高い。
エドガー・ヴァレンティス公爵といえば、二十二歳の若さで広大な領地を治める有能な領主。しかも王都一の美男子として知られている。
父が重々しく封を開く。そして──
顔色が変わった。
「どうしたの、あなた」
母が心配そうに覗き込む。父は書状を読み直している。一度、二度、三度。
「フィリア・アラモード様へ、と書いてある」
沈黙。
長い、恐ろしく長い沈黙が部屋を支配した。
最初に口を開いたのは私だった。
「きっと間違いですね。私とノエルの名前を間違えたんでしょう」
私は立ち上がりかけた。これ以上、この気まずい空気にいたくなかった。
「待て、フィリア」
父が私を止める。
「続きがある。『先日の王都商業会議にて、貴殿の提案された流通改革案に深く感銘を受けました。その聡明さと誠実さに心打たれ、ぜひ縁談を進めたく存じます』」
王都商業会議。確かに私は父の代理で出席した。公爵も来賓として参加していたが、まさか私の発表を聞いていたとは。
「でも、それだけで縁談なんて……」
ノエルの声が震えている。無理もない。彼女こそが公爵に見初められるはずだった。社交界の誰もがそう思っていた。
「返事はどうする?」
父が私を見る。その目には困惑と、少しの期待が混じっていた。
「お断りします、と書きましょう。ノエル宛ならまだしも、私になんておかしいですから」
「そうか……」
しかし三日後、公爵本人が商会を訪れた。
「失礼します。エドガー・ヴァレンティスです」
執務室に入ってきた瞬間、空気が変わった。長身で引き締まった体躯、彫刻のような顔立ち、品のある物腰。噂以上の存在感だった。
「わざわざお越しいただき、恐縮です」
父が深く頭を下げる。母とノエルは扉の隙間から覗いていた。
「フィリア嬢はいらっしゃいますか」
「は、はい。私です」
私は小さく会釈した。できるだけ目立たないように。
公爵は私をじっと見つめた。品定めするような、値踏みするような視線ではない。ただ、真っすぐに見つめていた。
「改めて申し上げます。フィリア嬢、私と婚約していただけませんか」
この人は正気だろうか。ちょっと心配になる。
「公爵様、率直にお尋ねします。これはなにかの罰ゲームでしょうか?」
私は単刀直入に聞いた。もう、まどろっこしいのは苦手だ。
公爵は小さく笑った。
「罰ゲーム……面白い表現ですね。いいえ、これは私の純粋な願いです」
「どうして私なんでしょうか?」
「商業会議での貴女の発表を覚えていますか? 『利益を追求しながらも、末端の労働者の生活を守る流通システム』。あの提案に、私は感動しました」
「それだけで?」
「それだけ、とおっしゃいますが、あれほど本質を突いた改革案を、二十歳の女性が考案したことに驚きました。しかも利益を度外視せず、現実的な落としどころを見つけている」
公爵は私に一歩近づいた。
「私の領地にも、同じような問題があります。貴女の知恵を借りたい。いえ、それ以上に、貴女という人に興味があります」
私は混乱していた。容姿について、一言も触れない。まるで、それが問題ではないかのように。
「少し、考える時間をいただけますか」
「もちろんです。来週、改めて返事を聞かせてください」
公爵が帰った後、商会は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
※
約束の日、私は公爵邸を訪れた。
執事に案内されて、書斎に通される。壁一面の本棚、大きな執務机、そして窓から見える広大な庭園。全てが私の世界とは違っていた。
「お越しいただきありがとうございます、フィリア嬢」
エドガー公爵が立ち上がって迎えてくれた。
向かい合って座ると、公爵は意外なことを言い出した。
「実は、貴女のことは以前から知っていました」
「え?」
「王都商業会議だけでなく、その前の小規模な会合でも、貴女の提案を聞いたことがあります。いつも陰に隠れるようにしていましたが、的確な分析をされていた」
私は驚いた。確かに父の代理で何度か会合に出席したが、目立たないよう隅の方にいたはずだ。
「それから、貴女の書いた経済論文も読みました。『小規模商家の生存戦略について』でしたか」
「あんな学生の習作を……」
「習作? あれは王立大学の教授も絶賛していましたよ」
公爵はお茶を一口飲んでから続けた。
「フィリア嬢、私は確かに変わり者かもしれません。でも、人を見る目はあるつもりです」
「では、なぜ私なのですか? もっと美しくて、身分も高い女性はたくさんいるはずです」
公爵は少し困ったような顔をした。
「美しさ、ですか。確かに世間ではそれが重要視されますね。でも私には、別の基準があります」
「別の基準?」
「誠実さ、知性、そして優しさです。貴女の提案には、いつも弱者への配慮がある。利益を追求しながらも、誰も切り捨てない。そんな人と一緒に領地を治めたいと思いました」
私は混乱していた。こんな風に評価されたことがない。
「でも、見た目は……」
言いかけて、口をつぐんだ。自分で自分の醜さを強調することの惨めさに、急に耐えられなくなった。
公爵が静かに言った。
「フィリア嬢、貴女は自分を醜いと思っているようですが、私にはそうは見えません」
「慰めは結構です」
「慰めではありません。貴女が書類に向かう時の真剣な眼差し、問題を解決した時の満足そうな表情。私にはそれが美しく見えます」
信じられない。信じたくない。こんな優しい嘘に騙されたら、後でもっと傷つく。
「す、すみません急用を思い出しました。失礼します」
私は逃げるように立ち上がった。
「フィリア嬢、また来てください。今度は領地の帳簿を見ていただきたい」
「……考えておきます」
なんなんだ、この人は……。
※
一週間後、私は再び公爵邸を訪れた。今度は覚悟を決めて。
「お待ちしていました」
公爵は温かく迎えてくれた。
「今日は領地の問題について、あなたとお話ししたい」
そう言って、彼は大量の書類を広げた。税収の推移、農作物の収穫量、領民の人口動態。
「ご覧の通り、東部の村落で人口が減少しています。原因を調べたところ、若者が都市部に流出していることが分かりました」
私は資料に目を通した。確かに深刻な問題だ。
「農業だけでは、若者を引き留められませんね」
「その通りです。何か良い案はありませんか?」
私は考えた。そして、ある提案を思いついた。
「手工業の振興はどうでしょう。農閑期に副業として。都市部への販路も、私の商会で確保できます」
公爵の目が輝いた。
「素晴らしい! 詳しく聞かせてください」
気がつけば、日が暮れていた。私たちは昼食も忘れて、領地経営について語り合った。
「フィリア嬢、貴女は本当に素晴らしい」
「ただの商家の娘の浅知恵です」
「謙遜は美徳ですが、過ぎると嘘になりますよ。貴女の案のおかげで、領民の生活が改善される。それ以上の価値がありますか?」
公爵が真剣な顔で言った。
私は返事に困った。褒められることに慣れていない。特に、こんな風に真っ直ぐに評価されることには。
「ありがとうございます。でも、これはあくまで机上の案です。実行には課題も多いでしょう」
「だからこそ、貴女に協力していただきたいのです」
公爵は身を乗り出した。
「この案を実現させるには、貴女の商会との連携が不可欠です。そして何より、貴女の知恵と経験が必要です」
「それは商業顧問としてのお話ですか?」
私は思わず聞いてしまった。
公爵は少し困ったような、それでいて優しい表情を浮かべた。
「いいえ、もっと永続的な協力関係を望んでいます」
空気が変わった。さっきまでの領地経営の話とは違う、もっと個人的な何かが漂い始める。
「永続的、というと……」
私は曖昧に言葉を濁した。分かっている。分かっているけれど、信じたくない。
「フィリア嬢」
公爵は姿勢を正した。
「私は最初にお伝えした通り、貴女との婚約を心から望んでいます。今日、改めてその思いを強くしました」
心臓が早鐘を打つ。
「私の、どこがそんなに……」
「先ほどの議論を思い出してください。貴女は領民の生活を第一に考え、実現可能な解決策を提示した。利益も忘れず、でも人の暮らしも守る。そんな視点を持つ人を、私は他に知りません」
公爵は立ち上がり、窓辺へ歩いた。
「正直に申し上げますね。私は公爵家の当主として、常に孤独でした。社交界の令嬢方は美しく教養もありますが、領地のことを真剣に考えてくれる人はいなかった」
振り返った公爵の表情は、少し寂しそうだった。
「でも貴女は違った。商業会議での発表も、今日の議論も、すべて『人』を中心に据えている。そんな貴女となら、本当の意味で領地を、そして国を良くしていけると思うのです」
私は混乱していた。これは仕事上のパートナーシップの話なのか、それとも……。
「つまり、有能な協力者が欲しいということですか?」
「違います」
公爵は私の目を真っすぐ見た。
「確かに貴女の能力に惹かれたのは事実です。でもそれ以上に、貴女という人間に惹かれています。弱者を切り捨てない優しさ、問題から逃げない強さ、そして……」
彼は少し微笑んだ。
「自分の価値に気づいていない謙虚さも」
私は俯いた。褒め言葉に慣れていない。特に、こんな風に人格そのものを認められることには。
「公爵様、私は……私には自信がないんです」
ようやく絞り出した本音だった。
「何に対してですか?」
「すべてに、です。貴族としての振る舞い、社交界での立ち位置、そして……」
言葉に詰まった。『自分の見た目』という言葉が喉に引っかかって出てこない。
公爵は静かに待っていた。急かすことも、先回りすることもなく、ただ私が話すのを待っている。
「……たくさんの不安があるんです」
結局、曖昧な言葉でごまかしてしまった。
公爵は姿勢を正した。
「その不安、私が全て取り払います。ですから、どうか、私と婚約していただけませんか」
まっすぐ、公爵は私の目を見つめてきた。
ここまで真剣に私をみてくれる人は、家族にもいない。
私は少し考えてから、小さく、本当に小さく頷いた。
※
三日後、公爵との婚約が正式に発表された。
王都中が驚きに包まれた。そして、私への風当たりはさらに強くなった。
「度胸があるわね、あんな容姿で公爵夫人になろうなんて」
「きっと魔法でも使ったのよ」
「いいえ、公爵様が何か弱みを握られたに違いないわ」
街を歩けば、そんな声が聞こえてくる。
そんな中、王宮で開かれる舞踏会に、公爵と共に出席することになった。婚約者としての、初めての公式な場だ。
「緊張する必要はありません」
公爵は優しく言ってくれたが、私の不安は消えなかった。
舞踏会当日、母とノエルが総出で私の支度を手伝ってくれた。
「このドレス、お姉様に良く似合うわ」
深い青のドレス。確かに私の肌の色には合っている。でも、どんなに着飾っても、私は私だ。
王宮の大広間に入った瞬間、視線が集中した。好奇、嘲笑、憐憫。様々な感情が入り混じった視線。
「堂々としていてください」
公爵が私の手を取る。その手の温もりだけが、私を支えていた。
しかし、試練は始まったばかりだった。
「まあ、フィリア様」
レティシア侯爵令嬢が、取り巻きを引き連れて近づいてきた。
「今夜は、その、個性的なドレスですのね」
取り巻きたちがくすくす笑う。
「ありがとうございます」
私は微笑みを崩さない。それが精一杯の抵抗だった。
「公爵様、お久しぶりです」
レティシアが公爵に流し目を送る。
「レティシア嬢」
公爵の返事は素っ気なかった。
「まあ、つれないのね。でも、そんなところも素敵」
彼女は私を見て、声を潜めた。
「可哀想に。公爵様に同情されて、婚約者の座を恵んでもらったのね」
その言葉が、胸に刺さった。
周囲の貴族たちも、ひそひそと囁いている。
「やはり釣り合わないわ」
「公爵様が気の毒」
「いつまで続くかしら」
息が苦しくなってきた。逃げ出したい。でも、それでは公爵の顔に泥を塗ることになる。
その時、思いがけない人物が声をかけてきた。
「フィリア嬢、お久しぶりです」
振り返ると、第二王子のアレクシス殿下が立っていた。
「殿下!」
「先日の商業会議での提案、興味深く拝聴しました。ぜひ、王国の経済政策にも活かしたい」
周囲がざわめいた。王子が、私に話しかけている。しかも、容姿ではなく能力について。
「恐縮です、殿下」
「エドガー公爵、良い人を選びましたね。フィリア嬢のような賢明な女性は、王国の宝です」
公爵が誇らしげに微笑んだ。
「全く同感です、殿下」
レティシアの顔が青ざめた。取り巻きたちも、もう笑っていない。
王子が去った後、公爵が私の耳元で囁いた。
「見ましたか? 貴女の価値を理解する人は、ちゃんといます」
でも、私の心は晴れなかった。王子の言葉も、慰めにしか聞こえない。
舞踏会から帰った夜、私は泣いた。
声を押し殺して、枕に顔を埋めて、泣いた。
限界だった。もう耐えられない。
泣き声がきこえてしまったのか、ノエルが心配そうに部屋を訪ねてきた。
「お姉様、大丈夫?」
「大丈夫よ」
嘘だった。目は腫れているし、声も枯れている。
「お姉様、本当にすごいですわね! 公爵様の婚約者になるなんて!」
ノエルが無理やり明るい声で言った。
「どうかしらね。きっと社会実験みたいなものよ」
私は笑った。空虚な笑い。
「お姉様……」
「ごめん、ノエル。一人にして」
妹が出て行った後、私は決意した。
これ以上、道化を演じることはできない。公爵にも、自分にも、嘘をつき続けることはできない。
私は手紙を書いた。婚約破棄の申し出を。
『エドガー様
突然のお手紙、お許しください。
この度の婚約について、改めて考えました結果、やはり破棄させていただきたく存じます。
私のような者では、公爵家の名に傷がつくばかりです。どうか、もっとふさわしい方をお選びください。
今まで、私のような者に優しくしてくださり、本当にありがとうございました。
フィリア・アラモード』
手紙を送った翌日、公爵が商会に現れた。
「フィリア嬢、話があります」
父の執務室を借りて、二人きりで向き合った。
「なぜです?」
公爵の声は静かだったが、怒りが滲んでいた。
「もうお分かりでしょう。私では、貴方の妻にふさわしくありません」
「誰がそんなことを」
「みんなです。そして、私自身も」
公爵は立ち上がった。
「舞踏会で辛い思いをさせて、申し訳ありませんでした。でも──」
「可哀想な醜い女に、慈悲を施している。みんなそう言っています。そして、私もそうとしか思えない」
公爵の顔が歪んだ。
「私の気持ちを、そんな風にしか受け取れないのですか」
「だって、他にどんな理由が?」
私は泣きそうになりながら、続けた。
「貴方は優しすぎる。だから、私のような者にも優しくしてしまう。でも、それは愛じゃない」
「では、愛とは何ですか?」
「相手を、ありのままに求めること。美しいからでも、有能だからでもなく、ただその人だから、そばにいたいと思うこと」
公爵は私を見つめた。
「まさに、私が貴女に対して感じていることです」
「嘘です」
「嘘ではない」
彼の声に、初めて怒りが露わになった。
「フィリア、君は自分で自分の価値を貶めている。それこそが、君の最大の欠点だ」
その言葉が、胸に刺さった。
「私は君の聡明さも、優しさも、そして君の弱さも、全て含めて愛している。なのに君は、その愛を信じようとしない」
「だって……」
「美しくないから? 違う。君が自分を信じないから、私の愛も信じられないんだ」
公爵は私の肩を掴んだ。
「フィリア、お願いだ。一度でいい、自分の価値を認めてくれ。そして、私の愛を信じてくれ」
涙が溢れてきた。
でも、まだ怖かった。信じて、裏切られることが。
「帰ってください」
「フィリア……」
「帰ってください!」
「……わかった」
公爵は去っていった。私は一人、泣き崩れた。
その夜、父が私の部屋を訪ねてきた。
「フィリア、話がある」
父は窓の外を見ながら、ゆっくりと話し始めた。
「お前は知らないだろうが、私も若い頃、同じような経験をした」
「え?」
「私は平民の商人の息子だった。才覚はあったが、身分は低かった。そんな私が、下級貴族だった母さんに恋をした」
父の横顔が、月明かりに照らされている。
「最初は、身の程知らずだと笑われた。母さんの実家からも反対された。でも、母さんは私を選んでくれた」
「でも、お父様は……」
「醜くない? 確かにな。でも、身分の差は容姿の差より残酷だ。『成り上がり者』『金で買った地位』、さんざん言われた」
父は私を見た。
「でも、母さんは一度も私を恥じたことはなかった。むしろ、私の商才を誇りに思ってくれた」
「お母様が……」
「フィリア、価値は人それぞれだ。公爵様が、お前の価値を認めているなら、それを信じてもいいんじゃないか?」
父は優しく私の頭を撫でた。子供の頃以来だった。
「でも、怖いんです」
「分かる。信じて傷つくのは、最初から諦めるより辛い。でも、信じなければ、幸せにもなれない」
父が部屋を出て行った後、母が入ってきた。
「聞いていたの。ごめんなさい」
母は私の隣に座った。
「フィリア、あなたは私たちの誇りよ」
「え?」
「ノエルは確かに美しい。でも、あなたには、もっと大切なものがある。人の痛みを理解し、誰かのために働ける強さ」
母は私の手を握った。
「公爵様は、それを見抜いた。素晴らしい方だと思うわ」
「でも、世間は……」
「世間? 世間があなたを幸せにしてくれるの?」
母の言葉は、優しくも厳しかった。
「自分の幸せは、自分で掴むものよ。世間の目を気にして、幸せを逃すなんて愚かだわ」
両親の言葉が、心に染みた。
でも、まだ一歩が踏み出せなかった。
と、その時、ノエルが飛び込んできた。
「お姉様! 大変!」
「どうしたの?」
「公爵様が、事故に遭ったって!」
血の気が引いた。
公爵邸に駆けつけると、医者が出てきたところだった。
「ご安心ください。落馬による打撲と軽い脳震盪です。数日安静にすれば」
安堵と同時に、怒りがこみ上げてきた。
部屋に入ると、公爵がベッドに横たわっていた。包帯が頭に巻かれている。
「フィリア……来てくれたんだ」
公爵は弱々しく微笑んだ。
「新しい馬を試していて、つい無理をしてしまって」
「嘘」
公爵は目を逸らした。
執事のジェームズが、真実を教えてくれていた。公爵は私との婚約が白紙になった後、気持ちを落ち着かせるために一人で馬を駆って森に入り、荒れた道で落馬したのだと。
「エドガー様」
初めて、名前を呼んだ。公爵が驚いて私を見た。
「もし、私のせいで貴方に何かあったら、私は一生後悔します」
「フィリア……」
「でも、まだ怖いんです。信じることが。愛されることが」
私は泣きながら、続けた。
「私は二十年間、ブスとして生きてきましたから……」
公爵は起き上がろうとした。
「あまり動かない方が……」
彼は私の手を取った。
「私が最初に婚約を申し出たとき、君は『なにかの罰ゲームでしょうか?』と言ったね」
「え、ええ、はい」
「その疑問、あながち間違っていないかもしれない。君を愛してしまった罰。君の笑顔を見たいと願う罰。君の涙を見ると胸が痛む罰。それが、私の受けた罰だ」
私をグイッと引き寄せた。
不格好で、ぎこちない抱擁。そして、温かかった。
「愛しています、フィリア。君の全てを」
「エドガー様……」
「私は、君の痛みを癒せる存在になりたい。私は君を絶対に傷つけない。そう誓う。だから、ずっと私のそばにいてほしい。君がそばにいてくれないと辛い……」
家族以外に抱きしめられたのは初めてだった。
ずっと私は煙たがられてきた。特に幼少期は壮絶で、何度もブスだと罵られ、汚いものと見做されていた。私に触れたがる人なんて、いなかった。
でも今、私は彼に強く抱きしめられている。
この温かさが私の、凍りついた心を溶かしていく。
「……本当に、私でいいんですか」
「ああ。君じゃなきゃいやだ」
私は小さく唇を噛み涙を堪えると、彼の背中にそっと手を伸ばした。
婚約を継続することが正式に決まった。
予想通り、世間は大騒ぎだった。でも、もう気にならなかった。
エドガーが愛してくれている。それだけで、十分だった。
結婚式の準備が始まった。ドレスの採寸、招待客のリスト作成、式次第の確認。
「フィリア様、もっと華やかなドレスはいかがでしょう」
仕立て屋が提案してくるが、私は首を振った。
「シンプルでいいんです。私に似合うもので」
「でも、公爵夫人として……」
「公爵夫人である前に、私はフィリア・アラモードです」
ようやく、自分を受け入れることができた。
ノエルが手伝ってくれた。
「お姉様、すごく綺麗」
「お世辞はいいわよ」
「お世辞じゃない。幸せそうな顔をしている人は、みんな綺麗なんだから」
「ノエル……」
父と母も、心から祝福してくれた。
「フィリア、お前は私たちの誇りだ」
父が涙を浮かべて言った。
「幸せになりなさい。それが、親への一番の恩返しよ」
母も泣いていた。
そして、意外な人物からも祝福があった。
「フィリア様、おめでとうございます」
レティシア侯爵令嬢が、花束を持って訪ねてきた。
「レティシア様……」
「私、考えを改めました。美しさだけを追求しても、幸せにはなれないって」
彼女は少し寂しそうに微笑んだ。
「あなたを見て、分かったんです。本当の美しさは、内側から輝くものだって」
「私が、美しい?」
「ええ。公爵様を想う時のあなたは、誰より美しいわ」
レティシアは去り際に言った。
「お幸せに。そして、公爵様を大切にしてあげて」
「はい」
結婚式当日。
王都の大聖堂は、大勢の人で埋まっていた。好奇の視線もまだあったが、祝福の拍手の方が大きかった。
「緊張していますか?」
エドガーが優しく聞いてくれた。
「少し」
「私もです」
「嘘。公爵様が緊張なんて」
「本当です。世界一素晴らしい女性と結婚するんですから」
「また、そんな」
「本音ですよ」
誓いの言葉を交わす時、エドガーははっきりと言った。
「私、エドガー・ヴァレンティスは、フィリア・アラモードを妻とし、健やかなる時も病める時も、富める時も貧しき時も、彼女を愛し、彼女を敬い、彼女と共に歩むことを誓います」
私も答えた。震える声で、でも確かに。
「私、フィリア・アラモードは、エドガー・ヴァレンティスを夫とし、健やかなる時も病める時も、富める時も貧しき時も、彼を愛し、彼を信じ、彼と共に生きることを誓います」
指輪を交換し、ベールを上げられた。
「美しい」
エドガーが呟いた。
そして、キスをした。
人生で初めての、愛する人とのキス。
拍手が聖堂に響いた。心からの祝福の拍手が。
結婚して一ヶ月。
私は公爵夫人としての仕事に追われていた。
領地の視察、領民との対話、福祉施設の訪問。やることは山積みだった。
「奥様、東部の村から陳情です」
「内容は?」
「水害で畑が流されて、今年の収穫が……」
すぐに対策を考えた。備蓄食料の配給、税の減免、復興支援。
エドガーと相談しながら、一つずつ実行していった。
「君のおかげで、領民が希望を取り戻している」
「大げさです」
「いいえ、本当です。みんな言っていますよ。『奥様は私たちのことを本当に考えてくださる』と」
少しずつ、領民との距離が縮まっていった。
最初は「ブス公爵夫人」と陰口を叩いていた人たちも、今では親しみを込めて「奥様」と呼んでくれる。
「奥様、今日もお元気そうで」
「奥様のおかげで、息子が学校に通えるようになりました」
「奥様、これ、畑で採れたお野菜です」
温かい言葉と笑顔に囲まれて、私は幸せだった。
結婚して一年。
私は医者から、ある知らせを受けた。
「おめでとうございます、奥様。ご懐妊です」
子供ができた。エドガーとの子供が。
喜びと同時に、不安もあった。
この子は、私に似るのだろうか? それとも、エドガーに?
「どうしたの? 元気がないね」
エドガーが心配そうに聞いてきた。
「あの、実は……」
妊娠を告げると、エドガーは飛び上がって喜んだ。
「本当に? 本当に?」
「はい」
彼は私を優しく抱きしめた。
「ありがとう、フィリア。君が母親なら、きっと素晴らしい子になる」
「でも、もし私に似たら……」
エドガーは私の顔を両手で包んだ。
「君に似たら、最高じゃないか。優しくて、聡明で、強い子になる」
「容姿は?」
「容姿? そんなものは関係ない。大切なのは、愛情を持って育てることだ」
彼の言葉に、不安が和らいだ。
そうだ。この子がどんな姿で生まれてきても、私たちは愛情いっぱいに育てよう。
「かあさま、お花!」
三歳になった娘のリリアが、野花を摘んで持ってきた。
彼女は、私とエドガーの特徴を半分ずつ受け継いでいた。髪はエドガー譲りの栗色、でも癖っ毛は私から。顔立ちは……正直、美人とは言えない。でも、笑顔が素晴らしく愛らしい。
「ありがとう、リリア。綺麗なお花ね」
「とおさまにもあげる!」
エドガーが書斎から出てきて、娘を抱き上げた。
「リリアは優しいな。父さんは幸せ者だ」
家族三人で庭を散歩した。領民たちが手を振ってくれる。
「奥様、お嬢様、今日もお元気そうで!」
「奥様のおかげで、今年も豊作ですよ!」
温かい声に包まれて、私は思った。
美醜なんて、本当はどうでもいいことだったのだ。大切なのは、誰かを愛し、愛されること。誰かの役に立ち、感謝されること。
「ねえ、エドガー」
「なんだい?」
「今でも後悔してません? ブスな私を選んだこと」
エドガーは笑った。
「その質問、もう百回は聞いたね」
「だって」
「答えはいつも同じ。もっと早く罰を受ければよかった」
リリアが無邪気に聞いてきた。
「パパ、ばつって何?」
「愛という名の、世界一幸せな罰だよ」
「リリアもばつ受けたい!」
「もう受けてるよ。パパとママから、たっぷりとね」
私は鏡を見る習慣をやめた。
見なくても分かるから。私は今、幸せそうな顔をしている。愛されている女の顔を。
公爵様の罰ゲームは、永遠に続く。
でも、これ以上の幸せがあるだろうか。
私は今日も、絶好調に幸せだ。
夕陽が領地を黄金色に染める中、私たち家族は手を繋いで歩いた。
これが、私の選んだ幸せ。
そして、私を選んでくれた人との、永遠の罰ゲーム。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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