第九話:聖女、自らの「悪意」を証明するため、世界の「悪意の封印」に挑む。〜私の破壊工作、世界の清浄をもたらす「創世の儀式」らしい〜①
アリアの悪行は、もはや私的な嫌がらせの域を超えていたにもかかわらず、それでもなお悪意を理解させるには及ばなかった。
(もう、この世界の人間は、私の行動の全てを、私自身の感情とは無関係に、世界を愛する聖女の行いとしてしか解釈できないのよ!)
自分の悪意が全く通用しないという事実は、アリアの性悪な魂を、悪役としての執念へと駆り立てていた。
彼女は、この世界の「優しさ」の源泉、すなわち、かつて初代聖女が悪の概念を封印したとされる場所――『創世の泉』を擁する聖域に狙いを定めた。
(悪意がないなら、私が持ち込んでやる。封印を破り、前世の私のような、汚い悪意の残滓を世界に再放出させる。それこそが、この平和ボケした世界を絶望のどん底に突き落とす、真の大悪事よ!)
作戦は、秘密裏に決行された。
その夜、アリアは黒いローブに身を包み(侯爵家のご令嬢が持つ最高級のシルク製で、やたらと着心地が良いのがムカついた)、聖域の丘へと向かった。
聖域の入り口には、教会の神官が二人、警備に当たっている。
アリアは、自身の特権を利用せず、純粋な「侵入」を試みるために、あえて魔力で作り出した『目眩まし』の小石を警備員の一人の足元に投げつけた。
「これで転んで、大騒ぎになるがいいわ!」
しかし、石が足元に転がると、神官は驚くことなく、優雅にそれを避けた。
「おや、こんな夜更けに、美しい石が……」
そして、もう一人の神官が、感動したように声を上げた。
「まさか! これは、我らが聖女様が、ご自分の身分を隠して、『夜警の疲れを癒すためのサプライズ』として、宝石の原石を贈ってくださったのではないか! なんと健気で慎ましい!」
「アリア様は、我々が『賄賂ではないか』と勘違いしないように、あえて不意を突いて投げつけてくださったのだ! さあ、この愛の証を拝もう!」
二人の神官は、アリアが投げたただの小石を、感謝の祈りを捧げながら、宝物のように拾い上げ始めた。
(くっ……! もう、いいわ!)
アリアはそのまま、警備員たちが感謝の涙に暮れている隙に、聖域の奥へ侵入した。
創世の泉は、丘の頂にある洞窟の中に静かに佇んでいた。泉の水は、満月を受けて淡く光り、底が見えないほど澄み切っている。この泉の下に、世界の悪意が封印されているのだ。
泉の周囲には、初代聖女が残したとされる、複雑なルーン文字の結界が張り巡らされている。
アリアは、前世で暇つぶしに読んでいたファンタジー小説の知識を総動員し、魔力で結界のルーンを逆流させることに成功した。
「これで、封印は解ける! 世界よ、私の悪意を受け取りなさい!」
結界が緩み、泉の水が激しく揺らぎ始めた。水面から、濃密な「黒い靄」が立ち上る。それは、数世代前の人々の悪意や憎悪、嫉妬といった、人間社会の負の遺産そのものの残滓だろうか。
「成功よ! 私の悪意が、この平和な世界を汚すのよ!」
アリアは歓喜した。しかし、その黒い靄が洞窟の天井に達した、その瞬間――
洞窟の入り口から、何人かの神官と、なぜか王城の筆頭魔術師までが、駆け込んできた。彼らは、黒い靄を見て絶叫した。だが、それは恐怖の絶叫ではなかった。
「ああああ! 見よ! 聖女アリア様の究極の献身を!」
「創世の泉から、瘴気が! これが、初代聖女が封印された『悪意の概念』の残りカス……! アリア様は、この瘴気を自らの聖なる力で引き寄せ、世界の清浄を恒久的なものにする儀式を行っている!」
筆頭魔術師は、目を皿のようにして、アリアの姿を凝視した。
「アリア様が、結界のルーンを操作されているのは、封印を破るためではない! これは、初代聖女の力を己の身体に降ろし、聖女の力を次世代に継承する、創世の秘儀だ!」
アリアが、悪意の靄を前にして、勝利の笑みを浮かべていた顔は、神官たちの目には「世界の悪意を一身に引き受ける、悲壮な決意の表情」として映った。
「聖女様!」
神官たちは、アリアの背後で一斉に跪き、彼女の悪行(じっさいには善行である)を讃えるための最高の賛美歌を歌い始めた。彼らの純粋な祈りの魔力は、アリアの魔力と混ざり合い、黒い靄をさらに純粋な光へと変えていく。
アリアは、泉から立ち上る「悪意の残りカス」が、自分自身の悪意と、神官たちの純粋な祈りによって、浄化され、光に変換されているのを、目の当たりにした。
(嘘でしょ……? 悪意の解放が、なんで世界の清浄化に繋がるのよ!? 私の悪意は、この世界では『浄化の触媒』でしかないって言うの!?)
悪意の残滓は、全て光となり、泉の水へと吸収されていった。聖域の泉は、以前にも増して、神々しく、輝きを増していた。
アリアの悪意を証明するための破壊工作は、世界の清浄を盤石にする『創世の儀式』として、完全に機能してしまったのだ。
彼女は、光り輝く泉の前で、悪役として敗北し、聖女として祀り上げられるという、この世界の残酷な真実を、改めて思い知らされた。




