第七話:国民の「感謝の献上品」を蹴り飛ばしたら、「謙遜の美徳」として崇拝されました。〜私の自滅、優しい世界では「慢心を戒める自己への罰」らしい〜
「愛の聖女」という、これ以上ないほど滑稽な称号を賜ったアリアは、自室で怒りに震えていた。国の宝を盗もうとした行動が、国民への愛に変換されたのだ。
(もう、何をしても無駄なのか? この世界は、私の存在そのものを「善」として規定しているのかしら?)
行き着いた結論は一つ。「自分自身」を汚すこと。聖女の立場で醜態を晒し、国民からの愛と尊敬を真っ向から拒絶することだ。これなら、誰も「善意の裏」を見つけようがないだろう。
ちょうどその週、王都の広場では、アリアの健気な奉仕(横領未遂の件)に感謝する国民による『聖女アリア感謝祭』が開催されることになっていた。
絶好の舞台だ。
当日、広場は熱狂的な国民で埋め尽くされていた。中心の特設壇上に、可愛らしいドレスに身を包んだアリアが立つ。壇上には、国民が持ち寄った花束や手作りの献上品が山積みになっていた。
司会者から大げさな賛辞を浴びせられ、熱烈な拍手と歓声に包まれるアリア。
(さあ、行くわよ。この場で、聖女アリアの化けの皮を剥がしてやる!)
国民の代表として、一人の幼い少女が壇上に上がってきた。彼女は、慣れない手つきで編んだであろう、色とりどりの野の花でできた、素朴で愛らしい花冠を、アリアに捧げようと差し出した。
「アリア様……いつも、ありがとう……。これ、一生懸命作ったの……」
その純粋な瞳、その健気な仕草。前世の私なら、きっとこの少女の顔を見て「気持ち悪い」と嘲笑しただけだっただろう。しかし、今の私は迷わない。悪役になるために必要なことは、もっと酷い振る舞いだ。
アリアは、その花冠を受け取る寸前で手を引っ込め、次に、足元に置いてあった、国民から贈られた最も豪華な花束を、思い切り地面に叩きつけた!
そして、幼い少女と、花束が散らばった地面を、見下すような冷たい視線で見つめ、ハッキリと、広場全体に響く声で言い放った。
「こんな安っぽい感謝なんて、私には何の価値もないわ! 貴方たちの自己満足なんて、見るに堪えないわね! 早く下げなさい!」
広場全体が、一瞬の静寂に包まれた。完璧だ。これ以上ないほどの侮辱と拒絶。
これで、皆が顔色を変え、戸惑い、私を軽蔑の目で見るはずだ――そう確信したアリア。
しかし、静寂はすぐに、これまでで最大の感動の渦へと変わった。
最初に声を上げたのは、壇上の幼い少女だった。彼女は、地面に落ちた花束ではなく、アリアの靴の先を見つめ、目に涙を溜めていた。
「アリア、様……! まだ、そんなに……ご謙遜なさるなんて……!」
「え?」
司会者が、大声で国民に語りかけた。
「皆様! 見られましたか! 我らが聖女アリア様の謙遜の美徳を!」
「アリア様は、『この程度の奉仕で、国民の愛を甘んじて受ける資格は私にはまだない』と、ご自分の慢心を戒めるために、あえて最高の献上品を足元に置き、ご自分を罰してくださったのです!」
熱狂が巻き起こった。
「そうか! 『安っぽい感謝なんて価値がない』とは、私たち国民の愛を安っぽいものに貶めるな、という戒めだったんだ!」
「『自己満足なんて見るに堪えない』とは、聖女の苦労は感謝するほどのことではない、という健気な配慮だ!」
幼い少女は、花冠を抱きしめ直すと、アリアの足元に再び膝をつき、泣きながら言った。
「アリア様の謙虚さ、痛いほど伝わったわ! こんな花冠じゃ、アリア様を褒める資格なんてないのね! ごめんなさい!」
そして、幼いながらも健気な少女は、花冠を自分の頭に乗せ、深々とアリアに頭を下げた。
「でも、これだけは知っていて! 私たち国民は、アリア様の自己否定すらも、慈愛の証として、心から愛しているのよ!」
広場全体から、「アリア様!」という熱烈な叫びと、これまで以上の拍手が鳴り響く。人々は感動し、泣き崩れ、アリアの「謙遜の美徳」を讃え始めた。
アリアは、自分の足元で、無垢な少女が涙を流し、自分の放った悪意を「慈愛の証」として受け入れている光景を見て、全身の力が抜けた。
(嘘よ……! 自分で自分を汚したのに、それが『謙遜』で『自己への罰』だと!? 私の悪意は、もうどこにも存在しないってことなの!?)
もはや何をしても、この世界の純粋な善意の前では無力だ。憎悪も、傲慢も、全てが愛と献身の裏返しとして解釈される。
しかし、ここで優しさに目覚めるわけにはいかない。それは、性悪として生きた前世の自分、そして、悪役としての誇りを捨てることになる。
アリアは、熱狂の渦の中で、無理やり聖女らしい微笑みを顔に貼り付けた。
(待ってなさい、この世界。私の悪意は、まだ尽きていないわ。次は、この世界で最も忌避されるものを利用して、この聖女の座を、地の底に叩き落としてやるんだから!)
アリアの決意は、諦めを知らない悪役の執念そのものだった。だが、彼女のその苦渋の笑顔は、国民の目には「感謝に涙を堪えている、健気な聖女の微笑」として映り、さらに深い感動を呼ぶのだった。




