第六話:国の財宝を「横領」しようとしたら、「国民への愛の証」とされました。〜私の強欲、優しい世界では「未来への投資」らしい〜
陰湿な嫌がらせすらも「目立たぬ献身」として聖女の評価を上げる結果となった。アリアに残された道は一つ。もはや私的な感情や些細な言動ではなく、国家レベルの規模で、明白な悪行を実行に移すことだ。
(国の財を奪う。これ以上の大悪事はないわ! 王族や国民の利益を侵害する横領なら、さすがにこの平和ボケした世界でも、私の悪意を理解できるでしょう!)
アリアの家は侯爵家であり、王城への出入りは比較的自由だ。私は密かに王城の財宝庫の情報を集めた。ターゲットは、代々受け継がれてきた『光の聖杯』。これは国の象徴であり、美術的価値も非常に高い。
ある夜、私はメイドに眠り薬を盛るという、これまでの行動の中で最も「悪役らしい」手段を講じ、忍びの服に着替えて王城へと潜入した。(もちろん、この眠り薬は睡眠導入効果が高いだけの、優しい世界の優しい薬だ。)
財宝庫は厳重に警備されていたが、アリアは自身の令嬢としての特権と、わずかな魔力を使った細工で、警備の目を潜り抜けた。
(このドキドキ!これこそ、悪役の醍醐味!)
聖杯は、台座の上で神々しく輝いていた。私は躊躇なくそれを掴み、用意していた袋に押し込んだ。逃亡経路を確保し、城を抜け出そうとした、まさにその時――
「アリア様!」
背後から声がした。振り返ると、王城の若き近衛隊長、レオナルドが立っていた。彼は剣を構えておらず、驚きと……感動に満ちた表情を浮かべていた。
「レオナルド! 見たわね! 私は、国の宝を盗んでいるのよ! さあ、私を捕らえなさい!」
私がはっきりと『盗む』という言葉を使っても、レオナルドの顔の輝きは失せなかった。
「ああ、アリア様! やはり、あなた様は聖女様だった!」
「は?」
レオナルドは剣を鞘に収め、一歩、私に近づいた。
「アリア様が、ご自分の身の危険を冒してまで、真夜中に『光の聖杯』を手に取られた理由。私には、痛いほど理解できます!」
(理解できるだと!? なんでよ!)
レオナルドは声を震わせながら語った。
「最近、隣国との国境沿いで、作物が不作に見舞われている地域があると聞きました。きっとアリア様は、この国の富の象徴である聖杯を、一時的に担保として活用し、その資金を、困窮する国民の『未来への投資』に充てようとされたのですね!」
「ち、違う! 私腹を肥やすためよ!」
「お止めください、ご謙遜を! 『光の聖杯』は、国の宝であると同時に、国民の『愛の結晶』。それを一時的にでも『流用』する、その重い決断には、どれほどの健気な覚悟が必要だったか!」
レオナルドは私の前に跪き、頭を垂れた。
「国民の皆様が、不作に苦しむ姿に心を痛め、夜も眠れずにこの大悪事(と見せかけた善行)を思いつかれたのですね。その自己犠牲の愛に、心から敬意を表します!」
彼は立ち上がり、私の手の中の袋を優しくなでた。
「しかし、ご安心ください、アリア様。聖杯は、国の象徴として必要です。ですが、アリア様のお気持ちは王にも必ず伝えます。どうか、国民への愛の証として、一時的にでも聖杯を手に取られたその功績を、私に拝ませてください!」
その場で、レオナルドは涙ぐみながら、聖杯に深々と頭を下げ、その上で、アリアの頭をまるで勲章のように優しく撫でた。
「アリア様。あなたは、この国の良心です。その健気な奉仕を、私は命を賭けて守ります!」
(横領が、なぜ国民への愛の証に、そして未来への投資に変換されるのよ!もう、私ってば、何をどうすれば悪役になれるのよ!)
結局、アリアは聖杯を元の位置に戻す羽目になり、翌日には「国民の苦難を背負い、聖杯に祈りを捧げた」という美談として、その行動が王都中に広まった。そして、王家から『愛の聖女』の称号を賜ることになった。
夜。自分の部屋で、アリアは絶望に打ちひしがれていた。
「大悪事を働こうとしたのに……なんで、こんなにも感謝されるのよ……!」
涙が頬を伝う。この世界に転生して以来、人を傷つけるどころか、誰からも愛され、褒められ、求められる。性悪だったはずの私は、自分の悪意が全く通用しないという、この孤独で純粋な世界で、「人を助けてしまう罪悪感」という、新たな感情に苛まれ始めていた。
(私は、本当に、悪役になりたいのかしら……?)
心の中で、小さな疑念が芽生え始める。だが、性悪な自分を否定することは、前世の自分を否定することだ。
「いいえ! 私は悪役! 次こそは、この優しすぎる世界を、絶望のどん底に突き落としてやるんだから!」
彼女のその言葉は、まるで「世界を救うために、自らを犠牲にする」という、健気な聖女の決意のように聞こえるのだった。




